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なべちゃんの散歩道
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2008/09/07のBlog
[ 16:34 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県フラワ-パ-クにて
温室ドーム内の花
茨城県フラワ-パ-クにて
温室ドーム内の花
[ 08:36 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県フラワ-パ-クにて
温室ドーム内の熱帯観葉植物
茨城県フラワ-パ-クにて
温室ドーム内の熱帯観葉植物
[ 08:00 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県フラワ-パ-クにて
大きな温室ドーム前フロアの寄せ植え
茨城県フラワ-パ-クにて
大きな温室ドーム前フロアの寄せ植え
[ 07:51 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県フラワ-パ-クにて
広々とした草っぱらを温室ドームに向かって歩く
茨城県フラワ-パ-クにて
噴水の上がる池 何故か大きな蛙(ガマ?)の置物がある
2008/09/06のBlog
[ 09:16 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県フラワーパークのゲートから広いバラ園の遊歩道を登り、つくば博から移設された「楽園」像の立つ気持ちの良い草っぱらの緩斜面を歩いて「花のすべり台」にやってきた。「フラワーサイクル」などの施設もある。すべり台の利用者が数家族あり楽しんでいた。
曇り空の天候から小粒の雨が顔にあたり引き返すことにした。雨粒は小雨になることもなく下に見える温室まで辿り着いた。
ふれあい広場登り口
[ 08:41 ] [ 花だより・紅葉だより ]
「楽園」は躍動感あふれる若人の姿を表したモニュメントで、科学博つくば’85に訪れた人々に憩いと安らぎを与えました。 万博会場からフラワ-パ-クに移設したものです。
2008/09/05のBlog
[ 20:35 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県フラワ-パ-クにて
茨城県フラワ-パ-クにて
[ 08:59 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県フラワ-パ-クにて
茨城県フラワ-パ-クにて
丸い池がつながった周辺の花の植え込みが綺麗だった
[ 08:30 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県フラワ-パ-クへは、筑波山ハイキングのあと女体山からロープウェイ(ゴンドラ)で下りた所の食堂で、迎えに来た末娘婿親子と昼食を食べ、筑波山スカイラインを車で走り連れて行って貰った。
 非常に広くゆったりした公園で、「ふれあいの森アスレチック」、「花のすべり台」、「フラワーサイクル」「ふれあいの森散策」、「やすらぎ苑」などが設けられていた。
バラだけでなく、ダリアなどの花も見事であった。
茨城県フラワ-パ-クにて
2008/09/04のBlog
[ 16:11 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県フラワ-パ-クにて
秋のバラ展の準備が進められていた。今咲いているバラは散りかけた花も混じっているが、まだまだ見頃だ。
茨城県フラワ-パ-クにて
[ 10:12 ] [ 花だより・紅葉だより ]
クレオパトラとアントニウス
クレオパトラがアントニウスと出会い、一緒にエジプトに帰ったとき、彼女は宮殿全体をバラで飾らせ、廊下には18センチもの厚さにバラの花弁を敷きつめて、彼を迎えました。アントニウスはクレオパトラと共に熱烈なバラマニアになりました。
 その後、アクティムの海戦に敗れ自殺するときに、彼は「私の墓はバラで覆ってくれ」と遺言しました。
茨城県フラワ-パ-クにて
[ 08:08 ] [ 花だより・紅葉だより ]
ポンペイの遺跡とバラ
紀元79年の噴火で町全体が姿を消したポンペイの遺跡には、予想以上に多くのバラの壁画が描かれており、「神秘の別荘」や「ベェッティの家」に赤いバラが描かれてあります。 当時からバラは人々に愛される花でした。
 シシリー島のペレス王は、バラを愛し、バラのクッションを使い、片手にはバラの香袋を放さなかったそうです。
茨城県フラワ-パ-クにて
2008/09/03のBlog
[ 09:59 ] [ 花だより・紅葉だより ]
茨城県の県花「ばら」
県花「ばら」は、県章、県旗とともに昭和41年3月28日に制定されました。県広報課によると、次のような趣旨によるものです。
県名の「いばらぎ」は、常陸風土記の「いばら」から生まれたものです。
県内に自生しているバラの種類は「ノイバラ」「テリハノイバラ」などですが、県花としては、特にその種類を指定せず、「ばら」と定められました。
茨城県フラワ-パ-クにて
[ 09:17 ] [ 花だより・紅葉だより ]
今年のお盆も我が家を入れて5家族、男の子の孫が5人集まり大賑わいであった。
 盆が開けてからも一週間滞在していた末娘親子を茨城県まで新幹線で送っていき、3日間を当地勤務の娘婿が取ってくれた「水海道第一ホテル」に宿泊した。
 お盆前後と異なり、天候の崩れが心配された3日間だったが、幸いにも雨に遭わず「筑波山ハイキング」なども、近くの野田市に住む長女親子も交えて楽しめた。
 帰りの新幹線の「新横浜駅」で小田原~三島間の大雨による90分間の待機に逢い、京都駅には2時間遅れで到着した。京都駅到着前の車内テロップで、「再び新幹線運行中止」が流れていたので、辛うじて豪雨の合間に先んじて茨城県での3日間を楽しめたようである。
 その翌日も新幹線は渋滞し、静岡県だけでなく茨城県など関東地方一帯で水害被害が広がったとの報道があった。
茨城県フラワ-パ-クにて
花と緑の楽園 茨城県フラワ-パ-ク
行程表
①号車:綾部・白道路公民館=物部バス停たきたて前=新庄バス亭=JR綾部駅北口
 6;50 6:55 7:00 7:30
②号車:綾部・大町バス停=井根口バス停=十倉バス停=JR綾部駅北口合流=
 6:45 6:55 7:05 7:30
=綾部大橋バス停=山家バス停==京都縦貫道=南丹PA(休憩)==妙心寺(駐車場)
 7:35 7:40 8:30~8:45 9:46・・・・・・・
(妙心寺法堂・明智風呂見学)・・・・(桂春院見学)・・・・(退蔵院見学)妙心寺出発== 徒歩 徒歩 徒歩
 12:00==レストラン嵐山・・・・・・・・・・・鹿王院見学・・・・・レストラン嵐山==
 12:30~1:30 徒歩約10分 1:45~2:45徒歩
出発午後3時===京都都縦貫道===やまがたや休憩==山家バス停===綾部大橋バス停==
 4:00~4:20 4:50頃 4:55頃=JR綾部駅北口
①号車=新庄バス停=物部バス亭=白道路公民館
 5:00頃 5:20頃 5:25頃 5:30頃
②号車=十倉バス停=井根口バス停=大町バス停
 5:30頃 5:40頃 5:50頃
「綾部市文化協会後援」
第十四回秋の文化財・史跡学集会
ご参加の案内
 今回の学集会には出来るだけ多くの方にご参加頂きたく京都交通貸切バス担当にお願いし、バス二台の運行を検討し、物部方面、上林、山家方面へもバスを廻しますので申し込みをお待ちしております。
 記
1.期日 平成20年11月20日(木)
2.集合場所・時間は乗車場所により違いますので、出発時間より10分ほど早めにご集合をお願いします。
3.見学箇所
 妙心寺本山(塔頭ニヶ寺)、鹿王院
4.参加費 お一人9000円(貸切バス代、昼食代、拝観料、心付、手造り記念写真代を含みます。)
5.募集人員 90名(京都交通大型貸切バス二台予定)
6.申込方法 10月25日(土)までに参加者全員の〒番号・住所・氏名・電話番号・乗車地を必ず記入し、葉書等で申し込み下さい。但し、満員になり次第締め切ります。叉、電話での申し込みはお断りします。
7.申し込み先:〒623-0004 綾部市多田町後路二十八番地 四方續夫宛
 貸切観光バスと旅行のお申し込みは 京都府知事登録2-530 京都交通株式会社 観光課 〒624-0945 京都府舞鶴市喜多1048-17 TEL:0773-75-6000 FAX:0773-75-5957 担当: 塩見元宏
8.受付と出発案内は葉書でお知らせします。尚、この会報67号を持参し、ご参加をお願いします。
1.山門
 義満の筆による「覚雄山」の扁額と共に、六百余年の星霜を経ている。山門から中門までは、天台烏薬(てんだいうやく)などの銘木が繁り、青苔が続いている。大徳寺の管長にも一時なり、京田辺市に酬恩庵(しゅうおんあん)を開山した後小松天皇の子・一休和尚宗純も少年の頃(応永二年十二歳)この山門をくぐって、ここで維摩経(ゆいまきょう)の提唱を聴いている。

1.舎利殿と本庭
 本庭の中心は舎利殿(駄都殿)で、鎌倉将軍源実朝が宋の国から招来した、仏牙舎利が素晴らしい多宝塔安置され祀られている。
 この仏牙は天下泰平の霊仏で、後光厳天皇普明国師から賜ったもので、後奈良・正親町・後水尾の各天皇も礼拝供養されている。この仏牙舎利が日本の博多に無事到着したのが十月十五日であり、昔からその日を「舎利会(しゃりえ)」と定め御開帳している。
 この舎利殿を中心に、嵐山を借景にして、室町時代の石組や樹齢四百年の木斛(もっこく)の銘木で格調の高い本庭が出来ている。

1.客殿
 客殿正面には、義満直筆の「鹿王院」の額が掲げられている。客殿の裏は後庭で茶庭・茶室がある。

写真:舎利殿と本庭

1.本堂
 客殿から舎利殿に至る瓦敷きの歩廊の中間に、本堂があり、運慶作の釈迦十大弟子が祀られ、後壇の右に開山普明国師、左に開基足利義満の像が祀られている。
2008/09/02のBlog
鹿王院(ろくおういん)・宝憧寺(ほうどうじ臨済宗系単立)
 正しくは、覚雄山大福田宝憧禅寺と云う。
 午後2時45分にはレストラン嵐山へ向かって戻ります。

1.鹿王院の沿革
 足利三代将軍・義満公が康歴二年(1380)二十四歳の時、寿命を延ばす事を祈って建てた禅寺で、覚雄山 宝憧禅寺 鹿王院となづけ、京都十殺第五の名刹である。開山は義満の師,普明国師(春屋妙葩(しゅんおくみょうは)相国寺創建開山でもある))である。
1.塔頭寺院・桂春院(けいしゅんいん)
慶長三年(1598)織田信長の長男・信忠の実弟である次男・津田秀則により、見性院として創建されたが、秀則没後、無住となったので寛永九年(1632)に美濃の豪族・石河貞政が亡父光政の五十年忌を営むため、再興し、光政の法号を取って桂春院とした。
 庭園は国史跡・名勝で四つの部分にわかれており「清浄の庭」、「思惟(しい)の庭」、「真如(しんにょ)の庭」、「侘(わび)の庭
写真:四つの庭の一つ(侘の庭)

12時には妙心寺を出発し昼食場所へ向かいます。
昼食:レストラン嵐山
電話:0751872-5111
京都のお土産は全て揃っていますので、お土産は此処をお薦めします。


尚午後1時3分には徒歩で約10分の「鹿王院」へむかいます。
1.塔頭(たっちゅう)寺院・退蔵院(たいぞういん)
山門の西にあるもとは応永十一年(1404)越前の豪族、波多野重通(はたのしげみち)が千本松原に無因宋因(むいんそういん)を開山として創建した。
 十五世紀中頃までに妙心寺に移り、応仁の乱で焼失後、山内の現地へ移った。
 本堂(方丈、付玄関は国重文)であり慶長七年(1602)頃の建築で、入母屋造柿葺(こけらふき)、玄関は前後唐破風(からはふ)付。表門・庫裏は江戸時代の建築。庭園は国史跡・名勝として室町時代の「枯山水・元信の庭」と、同じく室町時代の狩野元信作の「余香園」がある。
写真:藤棚下から竜王滝を望む余香園

 この退蔵院には、国宝で有名な「紙本墨画淡彩瓢鯰図(ひょうねんず:瓢箪でなまず鯰をおさえようとする。)」があり、保存の関係上、現在は京都国立博物館に寄託されており、その模写が掲げられています。
2008/09/01のBlog
1.南総門と勅使門(国重文)
いずれも江戸時代の慶長十五年(1610)の建造で勅使門のかえる蟇また股には華麗な桃山時代の特徴がみられる。

南門から境内に入ると北に山門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈・小方丈・庫裏が並んでいる。

1.山門(国重文)
 慶長四年(1599)建造の2階二重門で禅宗山門の様式を踏襲している。

1.仏殿(国重文)
 入母屋造の唐様式、天正十二年(1584)建立し、江戸時代の文政十年(1827)に改造された。

1.法堂と寝殿(国重文)
 江戸時代の明暦二年(1656)の建造で、法堂の内部の鏡天井に描かれた狩野探幽作の「八方にらみの竜」、叉、この法堂内部には寝堂西にあった国宝の梵鐘が納められて見ることができる。
 この梵鐘は中国の音楽の音色の一つの黄鐘調(おうしきちょう)で、内側の「戊戌年四月十三日云々」の銘から白鳳時代の文武二年(698)の鋳造とされ、わが国在銘梵鐘最古のものである。
 本山で内部が見学できるのはこの「法堂」と明智光秀の供養に作られた蒸し風呂タイプの「明智風呂(国重文)」のみです。

1.その他の国宝と国指定重要文化財
 大燈国師墨蹟二幅(鎌倉時代・国宝)
 玄関と大方丈(江戸時代・国重文)小方丈(江戸時代・国重文)庫裏・経蔵(江戸時代・国重文)、その他の国重文としては、絵画三十数点、書籍十一点、工芸としてはニ点と数多く指定されています。
臨済宗妙心寺派大本山 正法山 妙心寺
写真;大本山妙心寺南総門(国重文)
(到着午前10時頃・出発12時) 到着時専門のスカイガイドさんが2名駐車場で待っておられます。京都交通のバスガイドさんとペアーで号車毎に案内して頂きます。

妙心寺の略歴
 臨済宗大本山大徳寺開山である。宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう大燈国師)に深く帰依していた花園上皇が、この地にあった離宮を禅寺とし、妙超が推した関山慧元(かんざんえげん無相大師)を開山に迎えたのが始まりです。
 この大本山妙心寺は平成21年に開山無相大師六百五十年遠忌を迎えます。
 創建年代は建武二年から四年(1335~7)年の間と考えられ、寺号は妙超の命名である。歴応五年(1342)に花園上皇は綸旨を下し、関山慧元に妙心寺の管領を命じている。
 慧元は清楚闊達の名僧で,形式的な読経や規則にとらわれず、伽藍の整備より人材の育成に努めたため当時の寺の規模は小さかった。
 のち京都の五山(五山の上が南禅寺、五山第一が天龍寺、第二が相国寺、第三が建仁寺、第四が東福寺、第五が今の東福寺前にある万寿寺)の禅寺が多くは誌文に重きをおいた(五山文学、文学禅)のに対し、幕府から冷遇され五山十殺(じつさつ)にも加えてもらえず、三代将軍足利義満の時代には一時、寺地・寺領全て没収され廃寺ともなったが、よき応燈関(おうとうかん大応国師・大燈国師・関山慧元の法系を守り続けてきた。
 しかし願いにより永亨四年(1432)に寺地の一部が返還され、尾張犬山の瑞泉寺から迎えられた日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)細川管領家の援助で伽藍を再建した。
 叉、応仁の乱で荒廃後は、長門・周防の大内氏の援助で仏殿・小方丈等を再建し、文明九年(1477)後土御門(ごつちみかど)天皇は、第九世の雪江宗深(せっこうそうしん)に再建の綸旨を下した。
 雪江宗深は法門の隆盛と門弟の教育に努め、門下に景川宗隆(竜泉派)、悟渓宗頓(東海派)、特芳禅傑(霊雲派)、東陽英朝(聖沢派)の四傑を生んだ。
 その後、細川・今川・織田・武田などの諸大名の帰依を得て、堂宇の再建も進み、大徳寺からも独立し、五山派の衰亡をよそに教線を伸ばして臨済宗の主流となった。
 江戸時代には塔頭寺院も七十三に及び、朱印地は四百九十一石余であった。しかし財政的には相当苦しい時期もあり、文明~天保(1469~1844)の会計を詳細に記した「米銭納下帳」にそのことを示し、「大徳寺の茶づら・建仁寺の学問づら・妙心寺の算盤づら」と言われてきた。
 今日では約十六万平方メートル、七堂伽藍と四十七の塔頭寺院が整然と立ち並び、
境内一円は国史跡指定となっている。
綾部市文化協会後援
第十四回秋の文化財・史跡学習会
臨済宗妙心寺派本山・妙心寺とその有名な塔頭寺院と鹿王院を訪ねて
 綾部の文化財を守る会事務局長 四方續夫氏

 今回訪れる臨済宗妙心寺派本山・妙心寺とその有名な法堂の鏡天井に描かれている狩野永徳の「八方にらみの竜」や有名な禅庭「退蔵院」、「桂春院」、そして午後には足利義満創建の「鹿王院」(臨済宗単立)を見学します。
 禅の判りにくさ。1171に入宋し、栄西に先立って臨済禅を伝えたとされるのは比叡山の僧、覚阿で、帰国後、天皇に召されて「禅とはどんなものか」と問われて、いきなり「ピー」と笛を吹いたという。「隻手の音声(せきしゅのおんじょう)」片手で、両手の音を聴いてこいという意味であり、之は無理なこと・出来ない事ですね。
 綾部の釜輪町の「あやべ西国霊場第四番・妙心寺派の栴林寺(せんりんじ)」ご出身の竹貫元勝(たけぬきげんしょう)花園大学教授(お会したことはないが昭和二十年生まれの方で)、その著作はいろいろあるが目下「雄山閣出版の「京都の禅寺散歩」を大いに参考にさせて頂いて、京都の旅行計画等に活用させて頂いている。
 最近では平成18年9月29日の産経新聞の「仏法残照」では、このように言っておられる「禅とは、釈迦が悟った境地への追体験なのです。経典はなく、不立文字(ふりゅうもんじ)といって伝法は以心伝心。無言の教えで悟らせる。悟りの境地も人によって様々です。確かにわかりにくいですね。」
 支えになるのは、本人のあくなき求道心。茶の湯。枯山水。水墨画。書院造り。南禅寺,相国寺(山外末寺の金閣寺、銀閣寺)天龍寺、建長寺など、京都や鎌倉の五山を中心に禅文化が絢爛と花開き、なかでも五山文学が絶頂期を向かえたのが室町時代。
 竹貫先生曰く「五山文学ちゅうのはね、はまり込むと座禅をしている暇がなくなる。論語、李白から、高僧の語録から、全部頭の中へ突っ込んで、その語句を使って四六べんれいたい駢儷体で漢詩をつくるのです。それが大名の葬式の法語に使われる。耳障りも良く見た目も綺麗。
 しかもその人をほめたたえてありますわね。五山では、それが出来る人が出世できた。」当時から金に細かい妙心寺(妙心寺の算盤ずら)と言われて来ましたが、室町幕府の保護を一切受けず、むしろ五山の隣にあるから「山隣派」などと呼ばれ、今後に見学を計画中の大徳寺などと共に禅の修業を第一としてきました。この寺の法堂、禅庭、鹿王院の庭や仏像を拝観されて何かを得て帰ってもらうことが出来ると確信して計画しました。
2008/08/31のBlog
[ 20:43 ] [ 由良川 上林川 ]
[関連したBlog]
綾部の文化財歳時記」に「あやべの年間イベント」を加える取材について、中止されていた「山家観光やな」が2年ぶりに復活の知らせが入りました。
資金難から昨年は設置が見送られましたが、京都府の「地域力再生プロジェクト事業」により経費の3分の2の補助が決定したことによる再会です。
 9月7日(日)10時からの「やなまつり」の取材をしに行く予定です。場所は下原町由良川左岸です。
9月1日~30日までは観光やな漁の見学も出来ます。9月21日(日)には「あゆまつり」が開催されます。

なお、9月7日(日)10時から七百石町で「久原の荒神八朔祭り」が、岩王神社において催行されます。

また同じく9月7日(日)10時から「開通前の高速道路を歩いてみよう」が開催されます。
 京都縦貫自動車道綾部安国寺~京丹波わち間が9月13日15時に開通しますが、それに先立つ9月7日には「風の道」ウオーキングが開催されます。
区間は、京丹波わちICを出発して乙味川橋(釜輪町)折り返す約5Km。
出発地点の京丹波わちインターチェンジ付近では「にぎわいテント村」が設けられて野菜の直売、地元名産品販売、除雪機械などの展示も行われます。
 ◆ 日時 平成20年 9月7日 午前10時から
 ◆ 会場 京丹波わちインターチェンジ付近
 ◆ 参加 事前申し込みは不要で自由参加です
同じ日時に3つも行事が重なり、取材に行けず非常に残念です。

正歴寺の萩まつり」は、9月13日(土)午前10時から法要が開始です。
先日行った時は何も準備がされていなかった「山家観光やな」の旗が国道27号線および綾部ー広野線由良川両岸の道路に立ち並び、明日から始まる「観光やな」の開始を告げていた。由良川の河原には8連のテントが出現し、準備に余念のない車が出入りしていた。由良川本流にも大きな木造の仕掛けが出現しているのが見えた。
2008/08/30のBlog
[ 08:34 ] [ あやべの文化財 ]
引用文献:
綾部市資料館発行「あやべ歴史のみち」、綾部市教育委員会作成「駒札」、写真撮影「綾部の文化財を守る会事務局」
監修:上林禅寺 住職 黒川泰信
[ 08:04 ] [ あやべの文化財 ]
緑の文化財
 当寺には綾部市の古木・名木百選のうち二本が指定されております。
(一)上林禅寺のシダレザクラ
山門をくぐると、すぐ左側の庭先に立っています。保護のため、大枝を支柱で支えています。樹齢は百五十年、幹周2.85メートル、樹高7メートル。
(二)上林禅寺の銀杏(イチョウ)
 境内東側にあり、樹齢三百年と推定され、幹周4.38メートル、樹高27メートルです 
2008/08/29のBlog
[ 23:54 ] [ あやべの文化財 ]
上林禅寺にある吉田元陳の襖絵
花鳥図
上林禅寺にある吉田元陳の襖絵
唐獅子図
上林禅寺にある吉田元陳の襖絵
淡彩四季山水図
[ 17:06 ] [ あやべの文化財 ]
今週に入り急に雨が続いている。綾部の文化財を守る会の常任理事会が開催され、「上林谷の文化財を訪ねて」の特別企画に参加者募集のため、例年より早く秋の「綾部の文化財会報67号」を会員に配布して回った。
栗の大木がたわわに実り雨に濡れていた。
野田町の会員宅まで来たついでに9月7日(日)の山家観光やな祭り」の取材下見に行ったが、まだ何の準備もされていなかった。
9月13日(土)の正暦寺はぎ祭り」の取材について、玉川ご住職にお出合い出来たのでお願いしておいた。
東八田地区の於与岐町の会員宅にも行き、黄金に色づく稲穂と雨雲のかかる弥仙山の写真をGETした。
おなじく雨雲のかかる蓮ケ峯(はちがみね)をバックに黄金の水田風景
[ 16:34 ] [ あやべの文化財 ]
元陳はこれを受けて、寛政三年(1791)9月完成した。
 画題は墨画獅子図十二面、豊干寒山拾得図四面、四季花鳥図六面、竹林七賢図四面、淡彩四季山水図八面の計三十四面(二十四本)です。
この襖絵には「寛政辛亥夷・法眼元陳画」の款記がある。元陳は姓は吉田、いみな諱は守清といい、法眼は画家として第二の位であり当時の屈指の画家である。寛政二年(1790)の御所造営には円山応挙など共に活躍しており、この襖絵は晩年の大作として貴重なものであると云われている
 尚、襖絵は昭和59年(1984)から三ヶ年かけて全面修理しており、元の原画が良く判ります。
写真:寒山と拾得
上林禅寺にある吉田元陳の襖絵
豊干と虎
[ 13:31 ] [ あやべの文化財 ]
写真:吉田元陳の竹林の七賢人
 叉、本堂や玄関の鐘や、そして現在「綾部市指定文化財」となっている本堂の襖絵三十四面も素晴らしいもので「藤懸山客伝襖絵記録」とする寛政三年(1791)の詳細な記録がある。それによると永勝寺には昔から襖絵があったが、長年月の間にねずみ鼠やしみ紙魚のため破損がはげしかったので、当寺十七世・見龍和尚はこの襖絵の修復を発願し、処々奔走の上、この寺の本山・京都の南禅寺に由縁ある元陳に依頼しました。