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なべちゃんの散歩道
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2008/08/29のBlog
[ 11:46 ] [ あやべの文化財 ]
写真:ご本尊 聖観世音菩薩
今のご本尊である聖観世音菩薩様はもとこの永勝寺に祀られていたものです。作者や年代は不詳ですが、室町時代の特徴が顕著であり、口伝では明治八年に京都知恩院から当時の庄屋が請い受けて寄進したといわれています。
[ 08:44 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財シリーズ(第十一回) 写真:桜満開の上林禅寺・山門
あやべ西国観音霊場第三十一番
永龍山上林(じょうりん)禅寺(臨済宗南禅寺派)
一.所在地
京都府綾部市八津合町村中一
ご本尊 聖観世音菩薩
御詠歌
 けんこん乾坤に開きし 枝垂れの桜花
 たずねる人の 心にぞ咲く

一.上林禅寺の沿革と文化財
 永仁元年(1293)に天月窓白和尚の開創による天地山大了寺(のち乾坤山大龍寺と改め)と、寛永五年(1628)上林領主 藤懸永重が父の永勝を弔うために建立された永勝寺とが、昭和42年に合寺されたのがこの上林禅寺のおこりです。
 藤懸永勝は戦国時代に、信長、豊臣秀吉に仕え活躍し、兵庫県氷上郡(今の丹波市)小雲で一万三千石の城主でありましたが、関ヶ原の戦いで西軍に味方した為、減封され六千石で上林庄に封じられたのです。

 このように地名:上林(かんばやし)を取って寺名とした例は少ないとのことです。
 永龍山という今の山号はこの二つの寺の寺名からそれぞれ一字づつとられたもので、二ヶ寺分の歴史があると云うことです。
2008/08/28のBlog
特別企画
上林谷の文化財を訪ねて」 参加申し込みのご案内
 この研修旅行は綾部、特に上林地区の文化財を見学したいとの要望から実施することとなり、地道を通るなどの条件から二十人乗りマイクロバス二台で実施致します。
1.期日:平成20年10月10日(金) 集合(合流)場所:JR綾部駅北口
2.見学箇所(九ヶ所、但し、雨天等により上林城跡の見学を中止する事もあります。)
3.見学箇所 1.玉泉寺、2.河牟奈備神社、3.上林禅寺、4.清水の鋳物師・タタラ跡、5.五泉寺の腹蔵聖観世音菩薩、6.室尾谷神社の木造随身、7.下庄講中の木造阿弥陀如来坐像他、8.坂尾呂神社の木造随身倚像、9.上林城跡
4.参加費及び募集人員:お一人5千円のみ。定員40名のみ。(マイクロバス代、団体としての入山料、お供え、寸志、昼食弁当・お茶代込み
5.尚、記念写真等は一切しませんので、必要な方はカメラ等をご持参願いします。
6.申込方法:9月25日(木)必着にて、参加者全員の〒番号、住所、氏名、電話番号、乗車地を記入し、葉書にて申し込み下さい。 電話での申し込みはお断りします。
7.申込先:〒番号623-10004 綾部市多田町後路28 四方續夫宛

行程表
1号車:綾部白道路バス停=物部たきたてバス停=新庄バス停=JR綾部駅北口
 07:10 07:15 07:20 07:45
2号車:高津バス停==大島バス停==綾部高校バス停====JR綾部駅北口
 07:10 07:20 07:25 07:45
=綾部大橋バス停=山家バス停=十倉名畑交差点=①玉泉寺==②河牟奈備神社
 7:50 8時 8:15 8:25~9時 9:20~
==③上林禅寺==④鋳物師(清水のタタラ跡)==⑤五泉町の公会堂===
10時10時20~10:5011時10~3011時40~昼弁当12時30
=⑥=室尾谷神社======⑦下庄講中===⑧坂尾呂神社===⑨上林城跡==
12時40~1時10 1時40~2時102時20~50 3時20~4時
==十倉名畑交差点=山家バス停===綾部大橋バス停=JR綾部駅北口
 4時35分頃 4時40分頃 4時45分頃
1号車===新庄バス停==物部たきたてバス停==白道路バス停
 5時5分頃 5時10分頃 5時15分頃
2号車===綾部高校バス停====大島バス停====高津バス停
 4時55分頃 5時頃 5時10分頃
2008/08/27のBlog
上林城跡および藤懸陣屋跡 写真:上林城跡・右の建物が上林山荘
元亀三年(1572)には「元亀の侵入」といわれる様に高田豊後守が若狭方面より侵入し、上林には南北朝時代から土豪の上林氏の居城でしたが、上林城は焼き討ちに合い、慶長六年(1601)から藤懸永勝(六千石)が近くに陣屋を置き明治の廃藩置県まで、上林地域を中心に何鹿郡内の二十二ヶ村を支配してきました。
坂尾呂神社の木造随身倚像二躯 (倚像とは床几に腰かけている様)
写真:坂尾呂神社と第三の石の鳥居
睦寄町鳥垣25番地にあるこの神社も一の鳥居から右の第三の鳥居をもつ壮大な神社です。
この二躯の木造随身(像高阿形70.0、吽形七72.0センチメートル)は、林皎圓宗の墨書から室町時代の康正三年(1457)作で平成元年4月1日に市指定文化財に指定されている。
 両像は巾子を頂いて、袍を着けて床几に腰をかけ、両足を踏み下げています。
下庄講中の木造観世音菩薩立像・勢至菩薩立像・木造阿弥陀如来坐像・二天像(五躯) (右側、勢至菩薩、左側、観音菩薩立像)
睦寄町の下庄の最寄で「阿弥陀講」を作り、小さなお堂に祀っている木造阿弥陀如来坐像(像高58.1センチメートル)、観音菩薩立像(像高150.3センチメートル)、勢至菩薩立像(像高140.7センチメートル)、二天立像(140.5と140.7センチメートル)の五躯は平安時代のもので昭和49年3月2日に市指定文化財に指定されている。
室尾谷神社の木造随身坐像(二躯) 写真:室尾神社と第三の大鳥居
五津合町寺内109には室尾谷神社がある。第一の大鳥居から右の写真の第三の鳥居がある壮大な神社です。
 この神社の木造随身坐像(神を守護する)二躯は作者・林皎圓宗の墨書から室町時代の応永三十二年(1425)の作で、像高阿形38.6、吽形38.5センチメートルで昭和60年4月1日市指定・昭和61年4月15日府登録文化財に指定されました。
随身は袍を着け巾子冠を頂いています。膝以下が彫り直しているので当初の姿はわからないものの、両足を垂らしていた可能性が高い。後で見る坂尾呂神社の随身二躯は足を垂らしていいます。
円林山・五泉寺の腹蔵聖観世音菩薩(胎内佛)
綾部西国観音霊場第三十二番
五泉寺は開創された当時は真言宗の寺院でしたが、江戸時代の元和元年(1615)に臨済宗南禅寺より禅師を請じ少林庵として中興され、のち新たに創建された円明庵の二坊が昭和26年に壇中の総意で合寺し、現在の円林山五泉寺となりました。しかし現在は無住で寺には火災除けの「韋駄天様」が祀ってあるのみです。
 綾部西国観音霊場で唯一の胎内佛を持つのが、写真正面の腹蔵聖観世音菩薩様で、その右手の台座の中におわすのが「胎内佛」です。
 現在は市指定文化財ではありませんが、盗難を避ける為に地元の公会堂で、寺総代様達が十分管理し、お祀りされております。
2008/08/26のBlog
上林禅寺(臨済宗南禅寺派) 写真:吉田元陳の竹林の七賢人
 法眼・吉田元陳の襖絵(34面)
 昭和62年4月1日に市指定文化財となったもので詳しくは、本文4ページ~8ページをご参照願います。

清水の鋳物師・タタラ跡
 五津合町の清水には、もと鋳物師のタタラ跡が有ります。判りにくいですが、折角の好機ですので現地を案内して頂きます。
河牟奈備神社の境内社 阿上社の下の石碑(市指定文化財)
 何鹿郡(綾部市)の12式内社の一つ、河牟奈備神社本殿右側に境内社の阿上社があり、永久二年(1114)の銘をもつ自然石の石碑をご神体としています。この石碑は平安時代末期のもので綾部市内最古の金石文です。
阿上社(梵字)妙法蓮華経安置所
永久二年八月十四日僧院暹記之
綾部市の指定文化財となったのは昭和50年9月11日で、刻銘は神仏習合を如実に示す好資料であり、石碑については,経塚の標識とする説や江戸時代に再造立されたという説もある。
特別企画 綾部の文化財会報67号記事組替
 本企画は出来るだけ多くの綾部市民の方に綾部の指定文化財等を見て、いかに多くの文化財があるかを知ってもらいたく計画しました。本企画の計画は、上林出身の当会の理事・石原俊治氏と綾部史談会副会長(当会幹事)の川端二二三郎先生の全面的なるご協力・ご賛同を得て実現するものです。
 戦国時代には織田信長の命による武将明智光秀の丹波攻めで有名ですが、口丹波と若狭に前進基地を設け、元亀三年(1572)には「元亀の侵入」といわれる様に高田豊後守が若狭方面より侵入し、上林には南北朝時代から土豪の上林氏がいましたが、上林城(今の上林山荘の上の小山)のみならず、拠点としていた君尾山光明寺は国宝の二王門以外は焼き討ちされました。他にも多くの寺院が焼失しましたが、信徒の人々がご本尊を持ち出し埋没して置き、のち掘り出したが、新しく寺院を建立できなく、今では多くのものが公会堂や小さなお堂にお祀りされております。
尚、川端二三三先生には全行程にわたり同行・ご案内頂ける予定です。

見学箇所のご案内
玉泉寺の市指定文化財・木造大日如来像
綾部市上林地区の武吉町には鎌倉時代作の像高90.8センチメートルで昭和63年4月1日綾部市指定文化財となった「大日如来坐像」がある。檀家の四方民子先生に説明して頂く予定ですが、上半身は平安時代末期の様相をし、襞の彫りに形式化が出ています。
 この大日如来はもと武吉町の深山にあった薬師寺に祀られていましたが、天正のころ明知光秀が福知山城を築くとき寺の建物を壊し運んだため、村人が諸仏を移し庵に祀ったと「丹波志」に記されております。叉、近年まで武吉町の有志により大日講によって祀られてきました。彫る彫眼、寄木造りで、上半身は平安時代の様相であるが、膝が扁平であり、襞の彫りの形式化などが見られ、おそらく鎌倉時代から南北朝のものと云われています。
 この寺には有名な「紙本淡彩墨画白衣観音図」一幅あり、白衣観音は「菩薩の心は白処に住す」と云う意味があり、室町時代に京都の東福寺に住した有名な画僧・明兆の弟子・霊彩の描いたものですが、保存上の問題で、京都国立博物館に寄託されています。
 もしパソコンをお持ちでしたら当会のホームページの玉泉寺で見て下さい
2008/08/25のBlog
[ 19:16 ] [ 文化財を訪ねて ]
綾部の文化財 会報67号編集組替
春の研修旅行 1号車常任幹事 鍛治屋町 塩見次郎氏
 綾部の文化財を守る会の第四十回春の研修旅行が青葉若葉の目に染む六月五日、天気も少し心配されましたが、一日を通してまずヽの空模様で開催されました。
 今回は久しぶりに滋賀県(国宝の数は多さでは全国で四番目)=湖南三山国宝文化財を訪ねて=①善水寺、②常楽寺、③長壽寺へ。参加総数七十名の会員が京都交通の二台のバスに分乗し、朝八時綾部駅北口を出発、一路近江路へ。
 車中においては一号車では渡邉敬治先生が、二号車では四方事務局長からそれぞれ各訪問する寺院の由来、更に主な国宝に関する説明を詳しくお聞きしました。
 叉、バスガイドさんの美声による重要地点の案内をうけている間に、早バスは第一番目の研修寺院である善水寺へ到着。
 直ちに国宝の本堂を背景にご住職と共に記念撮影。そのあと本堂に詣でて、住職様よりお寺の由来等についてのお話を聞きし、十一過ぎ昼食場所の「鮎屋の郷」へと向かいました。
 次に二番目の研修寺院の阿星山常楽寺へ。当山においても国宝の本堂にお参りし、住職様より由来等ユーモアたっぷりなお話をお聞きして、国宝の三重塔を本堂裏山に見て、次の研修寺院・阿星山長壽寺へ。
 この寺でも国宝の本堂にて住職様より詳細にわたり説明を頂き、当山を辞す。
 以上で今回の研修旅行もとどこおりなく終了。
 二台のバス共々事故もなく無事予定通りの時間で綾部へ帰着することができましたのも御参加下さった皆様方全員の御協力あってのことと思考いたします。 
有り難うございました。
最後に今回の研修旅行に参加させて頂き、
私なりに感じました事柄につきまして少しばかり申しあげます。
 まず一見、各伽藍の見事な建築物は申すに及ばず、本尊薬師如来像を初めとして十二神将に至る、各々の仏像の精巧な創作技術はどこから発信されたものか、一、000年以前の時代において、その製作にあたられた仏師の方々等の創造力「おそらく当時においてモデル的なような物があったとは考えにくい」そのような現状の中で、仏様・神将等一躯ヽそれぞれ異なる様相が表現されていることに関し、誠に感激を覚えたものでした。 昔の人々の偉大さを改めて感じた一日であったと思いました。
写真:常楽寺の国宝本堂と国宝三重塔をバックに若林師と共に
第四十回春の研修旅行 綾部の文化財会報67号編集組替
新緑の善水寺 2号車常任幹事 味方町 井田眞理子さま
 初めに訪れたのは、湖南三山のひとつ天台宗善水寺。岩根山の東端、その中腹の木々に抱かれるようにたたずんでいる。
 宮殿風の趣をもつ荘厳な本堂は南北朝時代に再建されたもので国宝である。
 泰山木の白い花が一輪、梅雨曇りの境内に清々しく咲いている。
若いご住職に出迎えていただき、記念写真を撮ったあと、さっそく本堂を案内してもらった。堂内にはたくさんの仏像が安置されていて厳粛な雰囲気がある。
梵天、帝釈天、四天王、十二神将等、三十余躯が本尊の薬師如来像(秘仏)を守るように居並ぶ様は圧巻である。
ご住職のお話によると、織田信長による比叡山焼き討ちの際、このお寺も焼き討ちを受け、多くの僧坊と堂舎を失ったが、幸いにもこの本堂は難を免れたという。
そのお話の中でも特に興味深かったのは、明治時代の終わり頃に仏像の修理をされた時、仏像の中は空洞になっていて、そこに籾米がいれてあったとのこと。
きっと五穀豊穣の願いをこめてのことであろう。
その中に入っていた籾米は、現在のものより少し細長く、チョコレート色に変色しているものの、まさしく籾米であった。今の世なら冷凍保存というところであるが、仏像の胎内に千二百年もの間、腐らずに眠っていたとはおどろきである。
さらに驚いたことは、その籾米を蒔いたところ、稲が生長したということである。どのようなお米が実ったのであろうか。すぐには信じられないような話であったが、その時に収穫した稲藁が堂内に保管されていた。千二百年前の古代米が息を吹き返すとは居並ぶ仏像もさぞかし驚かれたことであろう。
 境内に筧よりほとばしる清水がある。
京の都で桓武天皇がこの霊水を飲んで病気平癒されたので、その縁で「善水寺」と寺号を賜ったそうである。飲んでみると、思ったほど冷たくもなく、まろやかでおいしかった。豊かな文化財、新緑のなかの澄んだ空気と由緒あるお水に心を癒され、初めてとは思えない親しみを感じつつお寺を後にした。

写真:善水寺の国宝本堂をバックに梅中師と共に
[ 18:46 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財会報67号 HP編集組替 会長:村上高一氏
 私の住む位田町に、御手槻(みてつき)神社という氏神様があります。氏子は八十余戸あります。この神社の御輿の傷みがひどく、早急に修理しなければならなくなり、資金積立てという氏子の協力を得て、その計画を立てました。そして様々な経過の後、格段に安い価格を見積もられた秋政仏壇㈱(大阪府高槻市)に、修理を依頼しました。作業は平成十七年に始められ、翌年三月に完了しました。素人の眼ですが、御輿は立派な姿によみがえっていました。御輿の修理が無事に終わった後、作業が始る頃から気になっていた他業者との価格差について、この秋政さんを度々訪問した時に尋ねてみました。そうするとやはり塗料のことを挙げられました。即ち秋政では漆だけではなく「カシュー」という塗料を下塗り用として多く使っているとのことでした。
カシューという樹は原産地が北東ブラジル、西インド諸島の熱帯性漆科植物で、現在では移植されて、アフリカ、インドその他の国にも見受けられます。この樹は常緑の広葉樹で、大きな木は九~十二米の高さになります。これは若枝の先に咲いた花からカシューナッツが実り、次いでナッツに接する花柄部分が発育して写真①のように、カシュー林檎となります。これは指頭大の勾玉に似た形をし、その断面は写真②のように核を包む殻の部分で厚さが約三ミリあって、ピーナッツの殻に似ています。この殻の中に暗褐色をしたカシューナッツシェル液が含まれており、これがカシュー塗料の主原料となります。さて、カシューは成分・性能とも殆ど漆と同様です。違いは乾燥に当たって湿気を必要とするか否かで、カシューは自然乾燥です。叉、カシューは塗装法が容易なそうです。しかし最も大きな違いは価格です。漆の十分の一といわれています。その理由は漆に比べて生産法が容易で、その量も多いからだと思います。秋政の修理費の安さは全てが塗料のカシューとは考えられませんが、かなりの安さの原因と思慮します。尚、漆かカシューかの使用については素人の目では区別がつかないのだそうです。私は現在の美しい御輿の英姿が長く続くことを望んでいます。
写真②カシューナッツ断面図
2008/08/24のBlog
[ 07:26 ] [ あやべの文化財 ]
2008/08/21のBlog
[ 10:35 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
[ 08:14 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
[ 08:14 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
四方八洲男綾部市長綾部踊りの連に入り踊っていられる
2008/08/20のBlog
[ 11:26 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
提灯で飾られたやぐらの中、歌い手と囃子方四人で
http://city-news.ayabe.ne.jp/ayabeodori/ayabeodori_top.htm
「綾部踊り」踊ってみませんか あやべ市民新聞 on web記事より引用--
 綾部踊り保存会は、 昭和21年ごろから綾部踊りを楽しんでいた市民グループのいくつかが一つになって出来た。 現在の会員は35人で、 この踊りを多くの市民に伝えようとの思いで活動している。

 主な活動はイベントへの参加と市民への指導。 5月の丹の国まつりから11月の文化祭まで、 市内で開かれる各種行事に出演して踊りを披露しているほか、 5年ほど前からは子どもたちへの指導に力を入れるようになった。

 踊りが最も盛んだった昭和50年代、 JR綾部駅前で開かれた納涼大会の会場には3階建ての櫓(やぐら)が組まれ、 2千人もの市民が踊りを楽しんだこともあった。 だが 「最近の祭りはカラオケが主流になり、 盆踊りをする所が少なくなった」 と荻野会長。

 それでも、 毎年8月に開かれる 「あやべ盆踊り大会」 には約600人が参加する。 荻野会長は 「将来、 だれかが引き継いでくれることを願い、 地道に活動を続けていきたい」 と話している。
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
[ 08:07 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
http://city-news.ayabe.ne.jp/ayabeodori/ayabeodori_top.htm
「綾部踊り」踊ってみませんか あやべ市民新聞 on web記事より引用--
 綾部踊りは寛永10年 (1633)、 に、 綾部藩主として九鬼隆季が鳥羽から来綾した際、 鳥羽の隣にある伊勢で流行していた有名な松阪踊りが 「松阪くずし」 として綾部に移入されたと伝えられている。 だが、 それ以前から綾部にあった踊りの手振りも残り、 特色のある踊りになったようだ。

「ヤシトコセ」 の文句があることからヤシトコ踊りとも伝えられている綾部踊りの音頭は 「口説き」 と 「甚句(じんく)」 の2種類があり、 踊りの手振りもわずかに違う。 甚句には、 平和塔や綾部大橋、 水無月、 蚕の都といった綾部の名所や郷土色豊かな歌詞が盛り込まれている。

 一方、 口説きの音頭は節ごとに最後の5文字を繰り返すという珍しい方式になっている。 口説きの歌詞は本来、 江戸時代中期に作られた 「鈴木主水」 などの物語を数時間かけて歌い、 踊っていた。 だが、 それでは時間が掛かりすぎることもあり、 今は全く別の歌詞が付けられているという。

 踊りの動作は7つの足の動きを繰り返すという単純で素朴なものだが、 「トン」 と力強く大地を踏む足拍子が特徴。 胸の高さで物をささげるような手ぶりがあるのは、 九鬼陣屋が高台にあって農民が米蔵に収める年貢米の俵を両手でささげるようにして急な坂道を登る姿を象徴しているという説もある。

 音頭取りの歌と囃子の合の手、 太鼓や三味線の鳴り物に合わせて人々が踊る。 荻野会長によると、 三味線が取り入れられたのは昭和54年からで、 それまでは太鼓だけだったそうだ。
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
2008/08/19のBlog
[ 14:29 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
車いすに乗り参加の人も手振りでしっかり綾部踊り
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
お茶の接待所も踊りの傍らに
[ 12:34 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
太鼓で拍子を取る人を中に踊りの連がつづく
あやべ盆おどり風景
子どもの参加もちらほら
あやべ盆おどり風景
[ 12:33 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
[ 12:32 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
[ 12:32 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
会場のアイタウン通り中央に並べられた58個の「あんどん」は、綾部小学校の児童の絵を大本通り商店街の方が制作されたものと云う。
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
[ 12:30 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり風景
あやべの繁華街、西町アイタウンの南北の通り2区画を遮断して、東西に通る広小路-市役所前通りの西町交差点も遮断。中央に「あやべおどり」の「やぐら」と「はやしかた」を置き、通りの中心に「あんどん」を並べて、参加した18連が、その両側を「あやべおどり」をおどり周回する。見物客は両側のアーケード歩道から見る。床几を並べた観覧席もあり、松寿苑など高齢者の団体参加も見られた
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
[ 12:29 ] [ あやべの文化財 ]
http://city-news.ayabe.ne.jp/ayabeodori/ayabeodori_top.htm
「綾部踊り」踊ってみませんか
あやべ市民新聞 on web記事より
綾部おどり保存会 綾部踊りの基本動作を写真で紹介
綾部踊りは、 鳥羽から初代綾部藩主としてやって来た九鬼隆季によって伝えられた踊りが原型だとされている。 特徴は、 力強く踏む足拍子のほか、 踊る姿勢が全体的に前かがみであること。 手振りや足運びは、 農民が年貢米を高台に建つ陣屋へ運ぶ姿を表しているという説もある。 囃(はや)し言葉は 「ヤシトコ、 ヤシトコセ」。
写真入りで踊り方を解説
(1)両足をそろえ、手の平を上に向けて立つ
(2)右足を1歩右側へ踏み出す
(3)手の甲を上にして左足を出す
(4)右足で1回、足拍子をする
(5)両足をそろえ、手拍子を2回打ち鳴らす
(6)左足を1歩、左側に出す
(7)右足を1歩前に出す
(8)右足を軸に向きを変え、両足をそろえて1回手拍子する
あやべ盆おどり風景
あやべ盆おどり風景
[ 12:28 ] [ あやべの文化財 ]
西町アイ・タウンで行われた「第34回あやべ盆おどり大会」を取材してきた。雨が心配されたが降らずにもった。市内から18連:450人余りの出場となり盛大に行われた。
資料: あやべ市民新聞 on web より
 http://city-news.ayabe.ne.jp/ayabeodori/ayabeodori_top.htm
「綾部踊り」踊ってみませんか
保存会 綾部踊りの基本動作を写真で紹介
綾部踊りは、鳥羽から初代綾部藩主としてやって来た九鬼隆季によって伝えられた踊りが原型だとされている。
特徴は、力強く踏む足拍子のほか、踊る姿勢が全体的に前かがみであること。
手振りや足運びは、農民が年貢米を高台に建つ陣屋へ運ぶ姿を表しているという説もある。
 囃(はや)し言葉は 「ヤシトコ、 ヤシトコセ」。
四方八洲男綾部市長の激励の言葉
提灯の飾られたやぐらと、下に囃子方が2列に並ぶ。
民謡グループ「みやび会」の囃子に会わせて「綾部踊り」が始まった。
やぐらの上にも囃子方と歌い手が
あやべおどり出場連の受付
[ 12:27 ] [ あやべの文化財 ]
あやべ盆おどり大会うちわを貰った。あやべおどりの見物客に配っていた
あやべ盆おどり大会うちわ裏面
綾部の地酒「綾小町」 若宮酒造のPRが入っている
[ 11:08 ] [ あやべの文化財 ]
[関連したBlog]
安国寺もみじまつり 11用中旬
安国寺の境内には、樹齢80年を越すもみじが100本あまりあり、まつりは背後の山腹と紅葉が見頃になる11月中旬に開催されます。邦楽の流れる中で、野点や、地元特産品の出店などが催されます。(安国寺 安国寺町)

9月1~30日 山家観光やな漁 由良川左岸・下原町(期間中の1日鮎まつり開催)
9月中旬 萩まつり 正暦寺・寺町、岩王寺・七百石町
10月上旬 島萬神社秋季大祭(テンテコ踊) 島萬神社・中筋町
10月上旬 高倉神社秋季大祭(ヒヤソ踊) 高倉神社・高倉町
10月上旬 丹波栗まつり 京都丹の国農協本店・宮代町
10月中旬 於与岐八幡宮秋季大祭 於与岐八幡宮・於与岐町
11月3日 私市円山古墳公園まつり 私市円山古墳公園・私市町
11月6日 大本開祖大祭 大本本部・本宮町
11月10日 建田の金比羅講大祭 武吉・忠・佃町のいすれかの講元
11月第2日曜日 あやべ産業まつり 交流プラザ周辺・とよさか町
11月23日 改心の道遊歩 弥仙山・於与岐町・八津合町