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2007/11/10のBlog
[ 11:22 ] [ 花だより・紅葉だより ]
丹波霧(たんばぎり)の立ち込める朝は寒い。会社への通勤時刻は、まだどんよりした霧曇りのさなかだ。しかし丹波霧の朝は秋晴れの前兆である。霧が晴れると錦秋の山河が輝きだす。まるで魔法の時間が存在するようだ。
逆に朝っぱから天気の良い日は間もなく崩れ雨になることが多い。
逆に朝っぱから天気の良い日は間もなく崩れ雨になることが多い。
2007/11/09のBlog
[ 10:22 ] [ 同窓会 ]
[ 08:12 ] [ 同窓会 ]
2007/11/08のBlog
[ 07:36 ] [ 同窓会 ]
綾部中学校合唱部の生徒たちも同窓生の中に入り一緒に校歌を合唱♪
綾部市立綾部中学校校歌 作詞:渡辺忠夫先生
1.むらさきの 山脈(やまなみ)わたり
風かおる 明智の丘に
光みち 生命(いのち)あふれて
花ひらく わかき学園(まなびや)
ああ母校 綾部中学
あらたなる 理想に燃えて
挙(こぞ)り立ち 道に励まん
綾部市立綾部中学校校歌 作詞:渡辺忠夫先生
1.むらさきの 山脈(やまなみ)わたり
風かおる 明智の丘に
光みち 生命(いのち)あふれて
花ひらく わかき学園(まなびや)
ああ母校 綾部中学
あらたなる 理想に燃えて
挙(こぞ)り立ち 道に励まん
2.ゆたかなる 広野(ひろの)をとおく
由良の水 きわみもなくて
かがやかに 未来を招く
浩(ひろ)きかな われらが希望(のぞみ)
ああ母校 綾部中学
たゆみなき 力むすびて
ふるさとの 明日(あす)を拓(ひら)かん
由良の水 きわみもなくて
かがやかに 未来を招く
浩(ひろ)きかな われらが希望(のぞみ)
ああ母校 綾部中学
たゆみなき 力むすびて
ふるさとの 明日(あす)を拓(ひら)かん
[ 07:33 ] [ 同窓会 ]
2曲目は季節に因み
小さい秋見つけた 作詞:サトウハチロ-
(1) だれかさんが だれかさんが
だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
目隠し 鬼さん 手の鳴る方へ
澄ました お耳に かすかに沁みた
呼んでる口笛 百舌(モズ)の声
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
小さい秋見つけた 作詞:サトウハチロ-
(1) だれかさんが だれかさんが
だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
目隠し 鬼さん 手の鳴る方へ
澄ました お耳に かすかに沁みた
呼んでる口笛 百舌(モズ)の声
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
合唱部代表の活動紹介
(2) だれかさんが だれかさんが
だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
お部屋は 北向き 曇りのガラス
うつろな目の色 溶かしたミルク
わずかな 隙から 秋の風
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
(3) だれかさんが だれかさんが
だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
昔の 昔の 風見の鳥の
ぼやけた 鶏冠(トサカ)に はぜの葉一つ
はぜの葉 赤くて 入日(イリヒ)色
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
(2) だれかさんが だれかさんが
だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
お部屋は 北向き 曇りのガラス
うつろな目の色 溶かしたミルク
わずかな 隙から 秋の風
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
(3) だれかさんが だれかさんが
だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
昔の 昔の 風見の鳥の
ぼやけた 鶏冠(トサカ)に はぜの葉一つ
はぜの葉 赤くて 入日(イリヒ)色
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
2007/11/07のBlog
[ 08:16 ] [ 同窓会 ]
[ 07:47 ] [ 同窓会 ]
[ 07:46 ] [ 同窓会 ]
2007/11/06のBlog
[ 14:27 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
熟年大会は、曇り空で小雨も降り傘をさしての応援、少し寒いぐらいの気候であった。小雨にもかかわらず試合は順調に消化され、4チ-ムのリ-グ戦の結果で順位が決まり、さらにA・Bの2グル-プで順位戦が、それぞれに行われた。1-2位順位戦で、ダブルス3の対戦のサ-ビス練習が終わり試合が始まったとたん、相手選手が倒れられ(貧血?)ドクタ-ストップにするというアクシデントがあったが、すぐに落ち着かれ大事に至らなかった。 私は、銀嶺会(シルバ-スキ-・クラブ)の総会が綾部温泉であり、出席のため京都縦貫道で綾部に引き返し上林に向かった。
[ 08:15 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
2007/11/05のBlog
[ 09:38 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
1チ-ム6人編成でダブルス3対戦を行うのだが、私は一人多い7人のチ-ムに入っていた。それで第一試合は休みにまわり写真を撮ることが出来た。第二試合は女性の選手と組み6-2で楽勝した。第三試合は男性の選手と組み、3-3、4-4、5-5とフルカウントに縺れ込み、最後サ-テイ・オ-ルからノ-・アドバンテ-ジになり、相手選手の返球がリタ-ン・オ-バ-してポイントをとり、6-5で勝った。辛うじて2戦2勝。
チ-ム対戦成績は3勝0負で、Bゾ-ン4チ-ムの一位となり、Aゾ-ン一位との1・2位順位決定戦に出られることとなった。
チ-ム対戦成績は3勝0負で、Bゾ-ン4チ-ムの一位となり、Aゾ-ン一位との1・2位順位決定戦に出られることとなった。
2007/11/04のBlog
[ 10:19 ] [ あやべの街 ]
[ 09:36 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
[ 09:17 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
四都市熟年テニス大会は、十数年前に四都市体育大会テニス競技を行う中で、選手の加齢により若い壮年選手に代表選手の座を譲り、次第に選手枠から外れるので別に熟年の大会を持とうとの発議があり、当時の四都市テニス協会の会長サイトの責任で大会が始まった。四市の持ち回りで今年は宮津テニス協会の当番である。テニス協会主管といっても大会コ-トの手配、開催日程の調整が多々ある協会行事の中で整合性を持つよう配慮されるだけで、大会費用、設営、運営など全ては参加選手自身の負担で行われる。
2007/11/03のBlog
[ 20:56 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
2007/11/02のBlog
[ 22:38 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
木曜日の平日、家を出る時は、かなりの雨が降っていた。綾部インタ-から舞鶴高速道に上がり、すぐに京都縦貫道に乗り換えて終点の宮津インタ-で下りる。会場の岩滝町城山テニスコ-トは、どんよりした曇り空だった。4面のオムに・テニスコ-トで今日の四都市熟年テニス大会が行われる
小雨でも舞鶴市、綾部市、福知山市、宮津市から全ての登録選手が集まった。
A/Bの2ゾ-ンに分け、各6名編成の4チ-ム。合計49名の参加。ゾ-ン毎にダブルス3試合の総当たり対戦。順位戦が行われるので、各選手は4試合の対戦ができる。
A/Bの2ゾ-ンに分け、各6名編成の4チ-ム。合計49名の参加。ゾ-ン毎にダブルス3試合の総当たり対戦。順位戦が行われるので、各選手は4試合の対戦ができる。
[ 08:49 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
[ 08:32 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
[関連したBlog]
小雨の中を岩滝町城山テニスコ-トで行われた四都市熟年テニス大会に参加、京都縦貫高速道を引き返し安国寺インタ-で下り、黒石峠を越して上林谷に出て、綾部温泉に到着、銀嶺会の総会終了前に間に合った。懇親会参加の19名記念写真
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2007/10/31のBlog
[ 13:03 ] [ 文化財を訪ねて ]
2007/10/30のBlog
[ 07:30 ] [ 文化財を訪ねて ]
2007/10/29のBlog
[ 15:28 ] [ 文化財を訪ねて ]
旧尾藤家住宅 京都府指定文化財
丹波屋善右衛門として代々大庄屋などを務めたのが尾藤氏で、江戸時代後期には生糸縮緬商として活躍。明治初期には北国と大阪を結ぶ北前船を所有し、10代庄蔵は生糸縮緬業のかたわら丹後銀行頭取を務め、11代庄蔵は加悦鉄道株式会社の常務・社長を務め、昭和初期には加悦町長を2期務めるなどの名門。旧尾藤家住宅は江戸末期の1863年に着工し、2年後に完成。明治・大正期には蔵や座敷などを増築し、11代庄蔵は洋館を建築。最終的に今日の姿となるのは1941年。(以上、加悦町施設の説明は京都府資料から引用)
丹波屋善右衛門として代々大庄屋などを務めたのが尾藤氏で、江戸時代後期には生糸縮緬商として活躍。明治初期には北国と大阪を結ぶ北前船を所有し、10代庄蔵は生糸縮緬業のかたわら丹後銀行頭取を務め、11代庄蔵は加悦鉄道株式会社の常務・社長を務め、昭和初期には加悦町長を2期務めるなどの名門。旧尾藤家住宅は江戸末期の1863年に着工し、2年後に完成。明治・大正期には蔵や座敷などを増築し、11代庄蔵は洋館を建築。最終的に今日の姿となるのは1941年。(以上、加悦町施設の説明は京都府資料から引用)
[ 10:14 ] [ 文化財を訪ねて ]
ちりめん街道
旧街道に面し、江戸から明治・大正・昭和初期にかけてちりめん産業で町を近代化した建物が集まっている地域です。江戸時代には丹後精好などの絹織物の生産地として機能し、1722年には木綿屋六右衛門が手米屋小右衛門を京都西陣に紹介して秘伝の「ちりめん」の製織技術を学ばせ、まちは大いに発展しました。明治から昭和初期にかけての加悦は、丹後ちりめんの一大生産地としてのみならず、与謝峠を抜けて京都と結ぶ物流の拠点としても発展し、その賑わいぶりは、近隣地域から遠足に来た子どもたちが、「ここは日本か」と言ったという逸話が残っているほどです。中でも、ちりめん街道の中心地区の街道筋にはランプ屋、化粧品屋、牛肉屋、呉服屋、料理旅館、人力車屋、駄菓子屋、床屋、うどん製造店、帽子屋などが軒を連ね、丹後方面から京都に向けて出発するちりめん問屋の主人が人力車を乗り継ぐなど活気に満ちていました。
旧街道に面し、江戸から明治・大正・昭和初期にかけてちりめん産業で町を近代化した建物が集まっている地域です。江戸時代には丹後精好などの絹織物の生産地として機能し、1722年には木綿屋六右衛門が手米屋小右衛門を京都西陣に紹介して秘伝の「ちりめん」の製織技術を学ばせ、まちは大いに発展しました。明治から昭和初期にかけての加悦は、丹後ちりめんの一大生産地としてのみならず、与謝峠を抜けて京都と結ぶ物流の拠点としても発展し、その賑わいぶりは、近隣地域から遠足に来た子どもたちが、「ここは日本か」と言ったという逸話が残っているほどです。中でも、ちりめん街道の中心地区の街道筋にはランプ屋、化粧品屋、牛肉屋、呉服屋、料理旅館、人力車屋、駄菓子屋、床屋、うどん製造店、帽子屋などが軒を連ね、丹後方面から京都に向けて出発するちりめん問屋の主人が人力車を乗り継ぐなど活気に満ちていました。
2007/10/28のBlog
[ 08:07 ] [ ダンス ]
北部ダンス・ネットワ-ク ステップアップ・テスト「ラテン・ダンス部門」の練習。生徒と先生のペアで練習中。兵庫北部、京都北部からのダンス教室の先生と生徒が参加。福知山駅前のファミリ-4階で行われた。1人の先生が数人の生徒を相手にテストに臨まれるので、次々入れ替わっての練習が続く。こんなに多数の先生と選手の参加があり驚いた。
ステップ1は、「ジルバ」「ルンバ」などの初歩からはじまり、「ジャイブ」「チャチャ」「サンバ」「パソドブレ」はさらに上級のステップになる。司会・進行を務めておられる川端先生からVIDEO撮影を頼まれたが、VIDEOカメラを持参していなかったので、スナップ写真を多量に撮り、かわりに差し上げた。
[ 08:06 ] [ ダンス ]
北部ダンス・ネットワ-ク ステップアップ・テスト & ダンスパ-ティのチケットをアスパ・アカデミ- 社交ダンス教室の川端先生からいただき見学に行ってきました。
「スタンダ-ト・ダンス部門」から「ステップアップ・テスト」が行われました。先ず「ステップ1」のテストは、エントリ-選手が数組に分かれて指導の先生をパ-トナ-に「ブル-ス」「ワルツ」の2種目を踊る。テスト用に定められたステップで踊り、3名の審査員の先生(生徒のパ-トナ-を務めるため交替)が採点される。
「スタンダ-ト・ダンス部門」から「ステップアップ・テスト」が行われました。先ず「ステップ1」のテストは、エントリ-選手が数組に分かれて指導の先生をパ-トナ-に「ブル-ス」「ワルツ」の2種目を踊る。テスト用に定められたステップで踊り、3名の審査員の先生(生徒のパ-トナ-を務めるため交替)が採点される。
ステップ2以上は、「ワルツ」「タンゴ」「クイックステップ」「スロ-フォックストロット」などや更に高度なバリエ-ションが入った「ワルツ」「タンゴ」・・・など。年に2回づつ実施されるので、ステップ1から始まり順次ステップ・アップするシステムであり、その段階でダンス種目やバリエ-ションも順次網羅されていく