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なべちゃんの散歩道
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2007/05/21のBlog
[ 10:16 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
高倉公園につくと道路が車で溢れていた。狭い駐車場は満杯で、公園入り口のエントランス広場も車が並び、周辺道路も駐車が並び入る余地のない状態であった。
公園運動場では、ゲ-トボ-ル大会が開かれ、準備中ではあったが参加者が溢れていた。ゲ-トボ-ル大会受付の隣で、混合ダブルステニス大会の受付ブ-スを設けた
テニス選手と語り合うゲ-トボ-ル選手もおられる
綾部テニス協会(主管:アヤベロ-ンテニスクラブ、オムロンテニスクラブ)が世話をされている
どんどん参加選手が集まってきた
寄贈された本大会のトロフィ-
2007/05/20のBlog
[ 10:43 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
平成19年度 第4回 綾部オ-プンミックステニス大会が、5月20日(日)高倉公園テニスコ-トに23ペア(46人)の選手参加で行われた。
開会式では前会長から本大会の優勝杯の寄贈、綾部テニス協会から感謝状ペナントの送呈が行われた。
選手達はこのあと7ブロックに分かれ、各ブロック3~4チ-ムの総当たり対戦に入った。総当たり戦のあと順位決定戦が行われ、参加者には一日中テニスが楽しめる大会である。
写真:本大会トロフィ-と対戦説明を受ける、7ブロックの代表選手
2007/05/19のBlog
福祉法人・あやべ福祉会(知的障害者通所授産施設:あやべ作業所、生活介護センタ-:希望の郷、グル-プホ-ム:ゆうゆう莊)の監査を終えて、監事意見書を書き上げ文書を届けに、中丹文化会館の上映会場に出かけた。作業所の仲間は、土曜日の今日は振り替え出勤日になり、午後に揃ってこの映画鑑賞ということであり、電話を掛けて文書は、作業所の自主製品販売の責任者にあずけた
ヘレンケラ-を知っていますか
みんなちがってみんないい
平成17年度文化庁文化芸術支援作品
老女の過去が少年を救う。少年は老女を乗せて未来へ走る。それぞれの愛に向かって・・
手話の通話を伴い羽室実行委員長のあいさつ
次の京都新聞の記事を紹介された。バリアフリ-の実演ということで、字幕投影が行われ、映画も副音声つきでの上映であった
避難指示届かず聴覚障害者団体に。丹波の施設。発火装置、予告電話対応
京都新聞平成19年5月11日記事より
 京都府京丹波町須知のスーパーなどが入る「丹波マ-ケス」に「発火装置を仕掛けた」といういたずら電話があった先月21日、施設内で行われていた聴覚障害者らの集会には避難指示が届かず、三十人ほどが一時、取り残されていたことが十日、分かった。参加した聴覚障害者からは「もし、本当だったらと思うと不安になる。情報を得るのに不目由な人たちがいるということを忘れないでほしい」という不満の声が上がっている。
 口丹波2市1町の聴覚障害者や手話通訳者らでつくる「京都聴覚言語障害者の豊かな暮らしを築くネットワーク口丹ブロック委員会」の総会。いたずら電話が入った午後一時半ごろから聴覚障害者と難聴者計八人を含む二十八人が参加して施設内のホールで行っていた。
 丹波マーケスは買い物客ら約四百人を避難誘導したが、ホールには館内放送が流れず、スタッフが来て避難を直接、指示することもしなかった。
 「警察への説明に精いっばいで、気が回らなかった」としており、駆け付けた南丹署員に総会のことを伝えなかった。
 同日午後二時四十分ごろ、遅れて来た総会の参加者が避難した客で騒ぎになっている様子を見て、携帯電話で連絡。ホール内の障害者らは事態を知り、自主的に外へ出た。参加者の1人で口丹聴覚障害者協会の山田忠昭会長(57)は『設備だけでなく、意識の面でも『バリアフリー』を進めることが大切だと思う」と訴えている。
暖かな光・そして愛
 日本には推計1万3千人のヘレン・ケラーが存在し、その中には、いまだに座敷牢で過ごしていたり、福祉施設などに人所されている方もいます。一方では、同じ盲聾者とはいえ、活躍されている東京大学先端科学技術研究センター准教授の福島智氏などもおられます。この映画を創りあげた監督は、かつて、ハンセン氏病の問題を描いた中山節夫氏です。彼が金子みすゞの生誕百年の時期に、映画の主人公であるモデルの女性に出会ったことがこの映画誕生の背景になっています。
 現代は、心療内科受診は特別なことではなく、あたりまえになりました。親が子供を殺したり、中学生の集団自殺が発生するなど、複雑で即、解決といかない厳しい時代ともいえます。この映画では、愛の力の素晴らしさを学びます。老女のさりげなく寄り添う心によって、生きるエネルギーの高まりを若者に見るとき、つくづく、愛の反対は無関心。その問題発生の根源を考える知恵を持ち合いたいものだと思います。人が人に寄せるゆるぎない信頼や愛の心を大事にしていきたいと思います。
 身体機能を失うことで(目が見えない・耳が聞こえないなど)、日常生活において、出来ないこともありますがが、闇を光にかえていくことの大事さを思います。さりげなく通わせあう心の交流を通じて、共に生きる人々を見つけ出し、新たな人生構築ができうる社会的な環境を私たちは心を合わせて作り上げていかねばと思います。

金子みすゞの詩
明るいほうへ 明るいほうへ。
一つの葉でも日の洩るとこへ。
やぷかげの草は。
明るいほうへ 明るいほうへ。
はねはこげよと灯のあるとこへ。
夜とぶ虫は。
明るいほうへ 明るいほうへ。
一分もひろく 日のさすとこへ。
都会に住む子らは。
財団法人 綾部青年会議所・綾部JCシニアクラブ・OB交流会(5月定例会)
テ-マ「絆(きづな)」担当:交流委員会に出席しました。
挨拶する玉川理事長
綾部JCシニア・クラブ代表幹事:福田君のあいさつ
三分間スピ-チ 野口交流委員長
三分間スピ-チ
乾杯のスピ-チ 松下歴代2~3代理事長
2007/05/17のBlog
[ 16:38 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
昨夜は綾部市テニス協会の「テニス教室2回目/10回」に参加した。四都市体育大会テニス競技で活躍した若手選手達が指導員として球出しなど頑張ってくれており、コ-ト二面を使い初心者と中級者コ-スの指導を行っていた。2時間の教室だが、雨が降り出し寒くなったので少し早めに終了した
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
[ 08:43 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
室内大会は板張りのフロアをバウンドする球速が速いので、強力なサ-ブが効果抜群。どの選手もファ-スト・サ-ブに渾身の力をこめて叩き込む
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
2007/05/16のBlog
[ 08:42 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
対戦表、敗者ち-むによるコンソレ-ションも第2体育館で始まった。
対戦の終了握手
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
2007/05/15のBlog
[ 11:57 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
13日(日)に行われた第55回四都市体育大会テニス競技の試合記録(詳細)が綾部テニス協会事務局から送られてきた。
■第1試合: 綾 部 6-3 福知山 舞 鶴 7-2 宮 津
■第2試合: 舞 鶴 7-2 綾部 福知山 7-2 宮津
■第3試合: 舞 鶴 8-1 福知山 綾 部 4-5 宮津
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/4tosi/4tosi19.xls
都市人口、テニス競技人口、クラブ数がダントツの舞鶴市が四都市テニス競技開始以来優勝している。バトミントン種目を合わせ常勝の状態である。
今回、綾部市(勝点12)、福知山市(勝点11)、宮津市(勝点9)は、それぞれ1勝2敗となったが、勝点の多い綾部市が僅差で準優勝となった。
1対戦試合が男子シングルス2、男子ダブルス2、女子ダブルス2、壮年ダブルス2、混合ダブルス1の9試合(9ポイント)なので、どの1試合の勝ち点も2位獲得に貢献したこととなり、選手諸君には、ご苦労様・やったねと云いたい。、
ちなみに競技全種目の綾部市の優勝は、バレ-ボ-ル男子の1種目に止まった。
また総合成績は、優勝:舞鶴市(得点59)、2位:福知山市(得点58)、3位:綾部市(得点38.5)、4位:宮津市(得点24.5)と都市人口順なった。しかしもし「テニス種目」で福知山がもう1点多ければ舞鶴市と同点優勝。また暖冬でスキ-種目(冬季大会)が開催されなかったが、もし行われていれば福知山市が優勝した勘定になる。舞鶴市と福知山市は、この四都市体育大会では良いライバルを競っている
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
試合進行、記録
2007/05/14のBlog
[ 09:16 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
綾部室内オ-プン・テニス大会・男子ダブルスの対戦風景
2007/05/13のBlog
[ 22:01 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
今日の四都市体育大会テニス競技の結果です
優 勝:舞鶴市 第2位:綾部市 第3位:福知山市 第4位:宮津市
■第1試合: 綾 部 6-3 福知山 舞 鶴 7-2 宮 津
■第2試合: 舞 鶴 7-2 綾部 福知山 7-2 宮津
■第3試合: 舞 鶴 8-1 福知山 綾 部 4-5 宮津
あやべ室内オ-プン・テニス大会男子ダブルスの対戦風景
あやべ室内オ-プン・テニス大会男子ダブルスの対戦風景
あやべ室内オ-プン・テニス大会男子ダブルスの対戦風景
あやべ室内オ-プン・テニス大会男子ダブルスの対戦風景
[ 10:00 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
本日行われている第55回四都市体育大会(綾部・舞鶴・宮津・福知山)のテニス競技の綾部市代表選手団名簿をブログに記載したが、大会の様子は http://www.nkyoto.ne.jp/4tosi/ で見ることができる
あやべ室内オ-プン・テニス大会男子ダブルスの対戦風景
あやべ室内オ-プン・テニス大会男子ダブルスの対戦風景
あやべ室内オ-プン・テニス大会男子ダブルスの対戦風景
あやべ室内オ-プン・テニス大会男子ダブルスの対戦風景
[ 09:18 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
2月18日に行われた「第26回綾部室内オ-プンテニス大会」の様子(一部)を記録しました。綾部市内をはじめ、舞鶴市、福知山市などの選手、男子ダブルス16ペア、女子ダブルス10ペアを集めて行われた。対戦成績は次の通りです。
男子ダブルス 優勝:松長・村尾、準優勝:真下・岩本、三位:余川・山口、塩尻・岡ペア
女子ダブルス 優勝:足立・高嶋、準優勝:山口・松長、三位:前崎・大槻、高田・高西ペア
 なお敗者チ-ムによるコンソレ-ション・ゲ-ムも行われました
張り出された対戦表を見る選手たち
男子ダブルス試合風景
対戦終了の握手
男子ダブルス試合風景
2007/05/12のBlog
[ 13:05 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
5月30日(水)午前0時から午後9時まで、15分間以上運動を
中神宮寺自治会は午後7時に児童公園ブランコ前に集合、15分間程度、町内をウォ-キングします。
・だれでも参加OK ・時間内ならいつでもOK ・綾部市内ならどこでもOK ・体をうごかすことなら何でもOK
事前登録をお願いします。
A:東神宮寺、B:中神宮寺、C:,明智町、D:,西神宮寺、E:月見町(当番自治会)
首記の件、恒例になっております「4ブロック対抗ソフトボール大会」が下記の要領に於て開催されます。
皆様におかれましては日頃大変ご多忙の事と思いますが、ご協力を宜しくお願い申し上げます。
開催日程:平成19年6月3日(日曜日)
場 所:綾部中学校グランド(雨天中止⇒当日am7時に会長へ連絡)
時 間:am8:30開会・開始9:00~終了pm1:00(予定)
参加人員:中神宮寺自治会選手]5名程度(予定)
参加資格:選手は社会人(但し中学生・高校生2名まで可能)
試合要領:①試合は7回戦又はT時間以内
②自治会3役の中1人は必ず1イニング出場する。
③順位は高勝率順・同率の場合は得失点差の多い順ぐ=伺点の場合は、最終出場選手9人によるジャンケンで決める。
④金属スパイクは使用禁止
試合開始:am9:00 第1試合・B中神宮寺自治会=A東神宮寺自治会(中神)
 10:10 第2試合・B中神宮寺自治会=C明智自治会
接 待::当日参加者全員に昼食(弁当)を支給致します。(参加登録者)
申込期日:5月20日pm7:00⇒体育部長までお願い致します。
平成19年5月7日
中神宮寺自治会
自治会長:由良 嘉則、体育部長:四方 良昭
[ 10:20 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
綾部市が主管して開催される第55回 四都市体育大会がいよいよ明13日(日)にせまった。テニス競技の会場は、福知山市市民テニスコ-ト(和久市)である。これはソフトテニス競技種目と隔年で高倉公園の大会コ-トを使用するため、テニス競技種目が今年は他市の大会コ-ト借用(8面以上必要)となった。
我が綾部市の代表選手団は次の通り、健闘を祈ります。
監 督:小林 修 コ-チ:梅林憲道 マネ-ジャ-:四方まき子 主将:真下一也
一般男子選手:真下一也、梅林憲道、岩本辰弘、川島稔久、塩見勲生、大志万知之、山本英和、足立尚哉、井上幸紀、吉田虎司
女子選手:足立真理子、青木利子、村山知世、高嶋加代子、相根悦子、村山末世
壮年選手:塩尻秀和、西村善和、諏訪好晴、小林 修、角野敏夫、梅垣和男
2007/05/11のBlog
[ 08:36 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
[関連したBlog]
舞鶴市在住のふじもと様から山野草の写真をいただきました。
若・丹国境尾根(若狭:福井県、丹波:京都府の府県境に走る山嶺)に住む天狗さんも、あっと驚く、ふじもと様の俊足ぶりです。
写真:イワカガミ
ヒメハギ
イカリソウ(堀越峠)
イカリソウ(白)
2007/05/10のBlog
[ 11:58 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
GW前に「ヤマシャクヤク」を見に軽い登山をして、嫌やと云うほど運動不足を味わったので一身発起、「綾部テニス教室」に参加した。スキーで体を痛めてから、もう5年ほども所属している「綾部ローンテニスクラブ」の練習会をさぼっているので、テニス再起動である。現在も「大会試合」にだけは練習不足のまま参加していたが、練習不足では好成績のあげようもなかったので、新規巻き直しではある。計10回の教室に皆出席するだけでなく、土日のクラブ練習にも参加して体力増進をはかり、ふじもと様との「登山・スキー行き」に遅れを取らぬようにしたいと思う。これも今年やっと、テニス協会の役員を辞退させていただけた余禄ではある
パンジー
2007/05/09のBlog
[ 09:34 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
GW前半は末娘が乳児をつれて帰省。豊中の親元に出かけるのと入れ替わりに、千葉から長女一家が孫と帰省。元気いっぱい川遊びに行き「亀」を捕まえて帰ってきた。大きなスッポンもいたそうで噛まれでもしたら大変。次女も孫3人を連れて帰省。中学生になった孫は1人で寝ると云い出し、急遽部屋を空けて移動。5日夕食は子供4家族全員で自宅で会食だった。6日には全員引き上げ夫婦二人暮らしに戻ったが、末娘亭主親戚のご不幸があり、乳児を連れて末娘が再度帰省中(市内の近くに在住)
我が家には、まだGWが続いている感じである。
黒亀・茶亀・子亀。かめ・カメ・甕
かめさんだっ
こがめだぞっ
沢蟹(さわかに)だっ
2007/05/08のBlog
鼻高の舞(王の舞)
木鉾先に小鈴を付けて持つ。木鉾は、素手で掴んではならない。
第一動作 参拝: 神輿の前に進み、足を広げて立ち、各神輿に参拝。これを三回・計九回行なう。
第二動作 捜す: 鉾で四方の地上を打つように。最後は雫を落とすように突き出す。
第三動作 地固め: 鉾を持って北方から地上を掻き回し、掃き均した後、此処彼処と足で踏み固める。北、南から二回
第四動作 舞: 鉾を神輿に面して立てる。大いに悦ぶ客姿で首を傾け。 透かすように鉾を見つつ五六歩後に退き。足摺りで鉾の下に進む。北、南から二回
第五動作 参拝: 神輿に向かい一礼する。 以上
現在は最後に子供太鼓をほうのうしている。又、祭礼終了後、「舞楽殿」にて行列参列者は「宮座」の決まった場所で昼食「講」をする。
(参考資料)綾部歴史のみち(綾部資料館発行)、郷土誌・東八田、神社昇格願い(昭和二年発行・相根久左衛門)、於与岐区史(第二章・沿革の部)綾部史談会報第七八号(村上祐二氏)同上一二五号(植木行宣氏)丹波誌何鹿郡之部、会報「綾部の文化財第五五号」等(写真)綾部の文化財を守る会事務局
於与岐八幡宮 宮司 稲葉達夫
於与岐八幡宮祭礼芸能保存会 代表 吉田 晟
獅子頭之舞
一、北方に向かって三拝
二、神輿の一の宮に三拝
三、二の宮に三拝
四、三の宮に三拝
五、御休憩所の注連縄の内を、太鼓の音に合わせて、並みの歩調で一回りする。
六、各神輿に一拝し、早々歩調で一回りする。
七、各神輿に一拝し、走り歩調で一回りする。
八、終わりに一拝し、拝殿に戻る。
平成十八年御旅順序(これは毎年変わる)
 一、白弊 吉崎正博
 一、鳩形 吉崎薫登、吉崎大晟
 一、田楽 吉崎侑仁、田中慎二、吉崎萌里、坂田奈穂
 一、旗 若干名 参拝者より
 一、金幣 滝花五郎
 一、弓矢 吉崎文敏
 一、鉾 吉崎敏明
 一、太鼓 吉田侑弘、井上充
 一、獅子 吉田晟、吉田輝義
 一、鼻高 吉田剛二
 一、宮司 稲葉達夫
 一、一の宮 上野和雄、大久保静雄、岡林孝二、吉田高司
 一、禰宜 上野司
 一、二の宮 坂田幸治、坂田勉、吉田茂実、吉田豊
 一、三の宮 吉崎耕二、吉田成信
 一、禰宜 山口吉隆
 一、饌炊 吉崎文夫(以上三十一名であるが、三基の神輿が重いので、数名が援助している。)
2007/05/07のBlog
一.於与岐八幡宮祭礼芸能について
 一、於与岐八幡宮の祭礼の特色は、祭礼が氏子の株組織と密着して宮座の形をとって伝承されてきたことである。戦後そのしきたりがすたれたが、宮座を残したものとして注目される。祭礼は陰暦では八月十五日であったが今は、十月十五日に近い日曜日に行なわれる。昔は祭礼の三日前打ち合わせの口あけ講をし、禰宜役二名が舞鶴に出向き身を清め証拠に海藻を持ち帰り、他の役は昔あった「いみ屋」で祭日まで精進潔斎をしていたという。今は九月三十日夜八時半頃、一の瀬の「小社」に宮司と神社総代四名が「宮迎えの行」をしている。
 一、大祭当日は朝八時於与岐町の四ヶ村に「ふれ太鼓」でまわる。九時半頃本殿において祭典が宮司、禰宜二名、神社総代、自治会長、棒頭(神輿の責任者)が参加して祭典が行なわれ、三柱の神を神輿に移す「御霊遷(みたまうつし)の儀」がありその時は、幕とじ一般の人はこの儀式は見ることが出来ない。その間、楽殿では「宮座」の形、すなわち一の瀬に創始した時の祭礼役・六役がそれぞれ同族に世襲されている。即ち禰宜役は吉田、上野の二家に鼻長役は吉田株二家へ、獅子役(獅子舞)吉田、吉崎、坂田株四家へ、庭雀役(ムシロを敷いて迎える役)は坂田株一家へ、御饌役(おせん・神にお供えする食事)を炊き奉った者を御饌炊と称し、吉崎株へ、初めて神輿を担いだ者を駕篭丁と称し、山口、吉崎、吉田、井上、滝花、野瀬井、坂田、大久保の十一株へ伝わり、又、昔は奉行役は古小袴と称し、相根・吉崎、吉田株に伝わっていましたが、今は区長、氏子総代が勤めている。
 これらは吉美地区の式内社・高倉神社では宝暦十三年(1763)の記録では有岡町のみが出すのが笛役、太鼓を打つ役、ヒヤソ踊の「ビンササラ」役五名、多田町のみが出す役、天満宮太鼓と打ち手、担ぐ役、「ビンサラサ」役 五人、ビンササラ役は他に、里町七人、小呂町四人、星原町三人の合計二十四人で各自のビンササラは二十四本で首にかけて、一踊り毎何番ソーレと声をかけるのが今でもしきたりである。
 さて、吉美のことはさて置き、儀式が終わり、着替えが終わった頃に、禰宜が舞楽殿へ来て御祓いをし、神社拝殿前に順次そろい、行列を組み、現在では神社の周囲を三回まわる御旅をする。終わって、庭の東方に神輿三基を塀並行に安置し、その前で獅子舞・鼻高の舞が奉納される。獅子舞は二人立ちで伎楽系のものである。鼻高の舞は一人が演ずるもので、白衣を着て天狗の面をかぶり、小鈴をつけた木鉾を持って舞う。鉾で地面をかきならしたり、足でふみしめたりする所作は国生みの神話を形どっている。田楽は、ビンササラ一人、太鼓三人の編成で、神輿の御旅をはやしながら先導するものである。(ア、オーハト)いずれも風化が著しいが、王舞・獅子・田楽をセットとする祭礼芸能を伝えている。この祭礼芸能のあり方は鎌倉時代に京都を中心に盛行したもので、その形を伝えていて貴重である
一.沿革(由緒)
一、伝承によると武内宿祢の遠裔の吉田七朗兵衛なるものが発起し、西暦710年人皇四三代・元明天皇の和銅三年に豊前の国宇佐神社より御分霊を拝受し、勧請し、一の瀬に祀る。
 当時氏子は何(い)鹿郡(かるがぐん)(現・綾部市)の味方村以北、下八田、淵垣中村、安国寺、梅迫、上杉、於与岐に至る七ヶ村の惣社であった。その根拠は現味方町の旧道を綾部側から鉄道のトンネルを越えていくと右手に大正元年八月建立の「於与岐八幡宮第一の鳥居跡」の高さ1.7メートル、方25センチメートルの碑がある。又旧道の淵垣町の二の宮神社の幟立ての横に同様の「於与岐八幡宮第二の鳥居跡」の碑がある。そして、上杉町鳥居野公民館前の左手に大正七年十月再建の「於与岐八幡宮第三の鳥居跡」の碑が現存しています。
 鎌倉時代は幕府の功臣・勧修寺重房が、京都より宗尊親王を将軍として迎えた功より上杉の姓を授与され、そのバックアップにより、又娘・清子を足利貞氏の家女房として迎え、初代将軍足利尊氏をもうけて何鹿郡(いかるがぐん)味方村から舞鶴の田邉までをもその勢力に抑えていたと思慮される。又、渕垣八幡宮は社殿によると1343年(康永二年)造営と記している。当時は足利尊氏が綾部安国寺を建立した時であり、於与岐八幡宮の分霊であるともいわれている。
 一、1441年(嘉吉元年)社殿大火にあう。
 一、1462年(寛正三年)八幡宮薬師如来再興。
 一、1551年(天文十九年)一の瀬八幡宮大水害にあう。(七ヶ村分離する。五ヶ村等にて八幡宮再建)。
 一、1715年(正徳五年)八幡宮社殿再々建(このとき、上杉村以南が分離・於与岐一村の村社となる。)現存する一の瀬の旧祀所の祠は、元お旅所の鳥居野の小社を移したものである。
 一、1748年(寛延元年)薬師如来修 理。
 一、1856年(安政三年)赤獅子頭奉納。
 一、1892年(明治二五年村社に決定、相根久兵衛記録から。)
 一、1898年(明治三一年、相根久兵衛・渡行祭礼護録を記す。)
 一、1907(大正元年)味方町に第一の鳥居跡の碑、渕垣町に第二の鳥居跡の碑を建立する。
 一、1914年(大正七年)指定神社の碑奉納(新五朗、吉美村星原・今井正三郎先生)
 一、1918年(大正七年)上杉町鳥居の公民館に第三鳥居跡の碑建立。
 一、1935年(昭和十年)八幡宮改築。
2007/05/05のBlog
一.現存の文化財・造営物等
 *無形民俗芸能・於与岐八幡宮の祭礼芸能(京都府登録文化財昭和59年4月14日)
 *八幡宮文化財環境保全区(昭和65年5月15日京都府決定)
 *本殿・六間社流造、銅板葺(昭和60年5月15日京都府登録文化財、附棟札二枚も含む。)
 桁(たけ)行(ゆき)七間、梁(はり)間(ま)二間五尺四寸、
 *拝殿・入母屋造、銅板葺 桁行四間、梁間二間半、
 *神輿倉(三柱用三基)、*舞楽殿、*社務所*石玉垣(高三尺壱寸、延長十三間)
 *鳥居・第一は神明造・雨控寸(高三間、 幅二間三尺)
 *鳥居・第二は明神造・(高二間、幅壱間五尺)
注、八幡宮本殿の建立は棟札によると江戸時代の正徳五年(1715)で、大工は若狭大飯郡日置村一瀬喜兵衛、彫物師は丹州(丹波のこと)桑田郡余野村の一瀬一之助である。社殿は府下では例のない六間社であり、平面から見ると中央に柱があるので、三間社を横並び配置した形に見える。内陣には仕切りがなく、神座を中央に寄せ、両端が空いている。造りはやや保守的で身舎(もや)正面に弊軸板戸が六間並び閉鎖的である。身舎向拝の蟇(かえる)股(また)は、足元が大きくふくらみ、松・菊・牡丹等の彫物をいれ、向拝中央の柱は虹(こう)梁(りょう)で抜き、蟇股の変わりに唐獅子牡丹の欄間彫物を加えている。昭和十年(1935)に若干の補修がされているものの、中世の形式を伝えた六間社は興味深いものです。
 *第一の神明造鳥居の横に「指定社」の碑・高さ約2.5メートル、方30センチが大正3年7月10日に吉美村・星原の今井正三郎先生が奉納して居られるのが目立つ。
 *拝殿前の石玉垣の前に「綾部の文化財を守る会」建立の駒札も目立つ。
 *又、八幡宮文化財環境保全区の通り境内やその周辺には樹齢数百年を得た多種多様の古木が目立つ。
於与岐(およぎ)八幡宮
一.所 在 地
 京都府綾部市於与岐町田和28番地
一.境内地所等所有土地等
 境内地所:1093坪、宅地:241坪、田地:3反6畝9歩、畑地:1反2畝11歩及び債券
一.御 祭 神(次の御三柱)
比売大神(ひめおおかみ)(向て右、別名、十二社大神とも云う)
八幡大菩薩(中御前、第十五代応神天皇(おうじんてんおう)(別名、誉田別命(ほむたわけのみこと)
大帯姫(おおたらしひめ)(向て左、別名、神功皇后(じんこうこうごう)
一. 境 内 社(八社)
 大神神社 祭神 大日霊命
 三柱神社 祭神 宇津彦命
 一宮神社 祭神 伊邪那美命
 二宮神社 祭神 大己貴命 以上の四社は右側に合社です。
 武内神社 祭神 武内宿祢(たけうちすくね)
 春日神社 祭神 天児根命
 春日神社 祭神 天児屋根命 以上三社左側に合社です。
 稲荷神社 祭神 保食命
秋の史跡学習会」に参加して 2号車 事務局総務 延町 森本一郎
写真:高台寺執事兼圓徳院住職・後藤典生師と共に 2号車
 全体として、ゆったりとした時間の中で講話やお茶席もあり、見るべき物も沢山有って、京の秋を楽しめた一日であった。豊国神社の唐門は、伏見城の特色をとどめる遺構で、重厚な中に金色の装飾がなされ、桃山時代の豪華さが良く出ていると思った。方広寺の例の大梵鐘も、歴史的には野ざらしに成っていた時期もあり、今の鐘楼に百トン近いものをどの様にして吊り下げたのか興味が湧いた。
 でかい事好きの秀吉が、大岩に乗って陣頭指揮をしたと言われる「泣き石」そんな絵をいつか見た気がする。
 昼食は、これぞ京料理と言う様な湯葉料理を美味しく頂く。
 直ぐそこに見える「八坂の塔」がチョット気になって行ってみる。589年に聖徳太子が建てられた、日本で初めて建った五重塔との事。今の物は1440年に建て替えられた「国重文・室町期」で有った。三層まで上れ、境内には木曽義仲公の首塚も有った。
 高台寺では、圓徳院の後藤典生住職の法話をお聞きする。何事にも一生懸命になりなさい。誰とも大らかに真摯(しんし)に付き合いなさい。幸せは自分の心の内にこそ有るのですよ。他人に迷惑をかけないことと、人としての行儀を確立しておく事が、生きる上での基礎だと言われ、今をありのまま受けとめ、精一杯生きる事が仏の教えである、とお話に成りました。
 霊屋の高台寺蒔絵は、奥の方で見えづらかったが、バスの中で辻本顧問提供のビデオを見せて頂いていたお陰で、良く判り有難く思った。開山堂は、北の政所の御所車の天井が使われたそうだが、それから想像される牛車の大きさに少し驚いた。傘亭や時雨亭も趣のある建物で、中で一度静かに座ってみたい気がした。
 ねね終焉の圓徳院は、伏見城の「化粧御殿」と同庭園を移築した物と言われているが、流石に女性の住まわれた所と言う感じで、座敷から眺める国名勝の「北庭」のたたずまいは、実に見事なものだった。もう少し紅葉が進んでいれば最高だったが、好天に恵まれ全員のご協力を得て、予定通り終了出来たことは幸いな事であった
綾部の文化財を守る会第12回秋の文化財・史跡学習会
―高台寺(北の政所(まんどころ)・ねねの寺)四百年祭と太閤秀吉ゆかりの地を訪ねてー 一号車 副会長・位田町 村上高一 写真:国宝・豊国神社唐門 1号車
 晩秋の好天に恵まれた11月16日、標記の研修旅行に参加した。わが一号車は、始発を物部町にしてもらったことから、物部の方が多く、総勢38名で定刻に綾部駅を出発しほぼ2時間で、京都東山七条の豊国神社に到着した。すでに本日の京都スカイ観光ガイド協会所属ガイドの蓮(れん)花(げ)さんが来ておられてご挨拶をうけた。非常に珍しいよいお名前で、これで度々得をしたとのご本人の説明であった。蓮花さんは、マイクを使われずしっかりした力強いお声で、分かり易く説明されて、好感がもてた。
 豊国神社は、秀吉の墓所のある阿弥陀ヶ峯(東山連峰の一つ)の山腹、太閤担(だいら)に建てられた雄大な社殿であったが、豊臣氏の滅亡後、徳川氏の手で、完全に破壊された。ずっと後になって明治十三(1880)年に、旧方広寺大仏殿跡地に再興されたものである。ここでは宝物館と唐門(からもん)を説明を受けながら見学した。宝物館の圧巻は「豊国祭礼図屏風」であり、当時の神社の規模、祭礼の盛大さがうかがわれた。唐門は伏見城の遺構で威容を誇っている。次に方向寺を見学する。方広寺は秀吉によって天正十四(1586)年に建てられ、当時の本尊の木造大仏は、奈良の大仏より高かったといわれるが、度々の災禍で破壊された。現在は豊臣、徳川決戦の引金と伝えられる「国家安康、君臣豊楽」の銘が入った巨大な梵鐘と本堂のほんの一部の大黒天堂を残すのみである。
 11時頃から再びバスにて高台寺へ向う。大型バスの進行方向の関係で迂回して、約20分を要し、高台寺に到着した。そこで同寺駐車場内の「洗心寮」にて昼食となる。昼食は湯葉(ユバ)を使った京料理をいただいた。その後しばらく買物や付近の散策を楽しんだ。
 午後1時少し前に高台寺庫裏前で記念撮影をした。その後方丈にて圓徳院住職の後藤典生師の法話「秀吉とねね、そして仏心」を聞く。後藤師は約40分間、熱意を込め、具体例を挙げて分かり易く話された。私には、秀吉が低い身分から遂に天下を取ったのは、彼が人の心、立場を理解してその心を掴んだからだ、また仏教の心として、太鼓の音のように、当たり前のこと(普通のこと)が幸せにつながると話されたことが、強く印象に残った。
 ここで高台寺と圓徳院について、ごく簡単にその起源を記す。豊臣秀吉の没後、夫人の北政所(ねね)は慶長八(1603)年「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に秀吉の菩提を弔うため寺院の建立を発願し、慶長十(1606)年、開創した寺が高台寺である。寛永元(1624)年、建仁寺の三江和尚を開山として迎え、高台寺と号した。北政所はこの年に没し、19年の余生を圓徳院でおくられたことになる。
 法話の後、境内の開山堂、庭園(臥(が)龍(りゅう)池(ち)・偃(えん)月(げつ)池(ち)を含む)、観月台、霊屋(おたまや)(秀吉、北政所の木像安置)、傘亭、時雨亭という茶室を見学。その途中で、当会の参加者にお抹茶の接待をうける。大変おいしいお茶であった。その後、階段を下りて圓徳院を見学。諸説明の後、方丈の内外を見学して回る。内には戦国武将の書翰(しょかん)や絢爛(けんらん)豪華(ごうか)な襖絵が置かれていた。外は庭園が注目された。中でも北庭は伏見城化粧御殿の前庭を移したもので、桃山期の代表的庭園といわれる。
 次いで、圓徳院の隣の二階にある掌(しょう)(てのひらのような)美術館を見る。ここには北政所の生活を彩った様々な蒔絵の調度品や絵画その他の美術工芸品が残されていた。特に蒔絵は、高台寺蒔絵として知られ、漆、金粉を平滑(へいかつ)に蒔く平蒔絵として作られているとのことである。以上のようにして、高台寺では実に食事も含めて、約四時間の滞在で、多くの見学や経験或いは散策となった。かくして午後3時半過ぎに、ガイドさんをはじめ、同寺に別れを告げて帰途についた。多くの人々に囲まれ、多くの文化財に接して、かなり疲労を感じたが、大変中味の濃い、よい研修であった。午後6時頃、全員無事に帰りついた。
2007/05/04のBlog
[ 20:07 ] [ 美術・芸術・展示館 ]
綾部グンゼ博物苑集い蔵で開催中の第2回白羊の会水墨画展を見に行った。主宰者の矢田作十路氏の「奔流」120号は、第46回日本南画院受賞作で素晴らしかった。私の友人のふじもと様の作品、立山連山の山嶺を画かれた「秋嶺」50号、「白水鳴渓」50号の大作も矢田先生の隣りなどに架けてあった。23人の方々の作品展で大勢の参観者で賑わっていた。
会場風景のスナップを撮らせていただいたが、、またもやメモリ-を忘れる大失敗!
帰りに綾部市市民センタ-で開催の第24回市展に寄った。日本画の部では白羊の会の会員さんの出品もあり、同じ題材の作品があった。写真の部の作品が多数展示されていた。ここで「メモリ-スティクがありません」の表示が出てカメラのメモリ-忘れに気がついた
ヤマシャクヤクを見に奧上林の山に入った帰り道に食事に寄った。「かんばやし の々」という蕎麦・ラ-メンの店。農家のままの田の字の四部屋座敷が食事場所
かんばやしの々からの提案
このむらの土・風、水と遊んでみませんか!!
・そばの種まきから食すまで
・田植えから食すまで
・川のヨシ刈りから川遊びまで
みんなからこんなことをしたらどうやろ~と提案がほしいのです。奧上林好きずきになってほしいから
玄関の壁には古い民具が並べてある
玄関にも民具や地元産物がならぶ
山に小さな滝がいくつもある。苔むした岩の中を、白いしぶきをあげて水が流れる
滝は数段に分かれて流れている。各所で谷が合流している
谷は曲がりくねっているので、全てを見通せる撮影場所が難しい。立木に遮られることも多い
日の当たる雑木の奧に滝が見える
山を下り谷川の奔流に戻ってきた。もう一度、澤わたりが待っている