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なべちゃんの散歩道
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2006/12/07のBlog
[ 17:47 ] [ あやべの文化財 ]
300年間続く建田の金比羅宮宝永講秋季大祭 綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫氏
京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)武吉町浦入14番地の浦入源伍氏宅で11月10日(金)「建田(たった)の金比羅宮宝永講秋季大祭」が催された。これは今から300年の昔、いわゆる天下分け目の合戦の後遺症で圧政に耐えられず、当時約200戸、武吉(たけよし)・佃(つくだ)・忠(ただ)村の地元民は、子孫と村の将来を考え窮状打破するため生命の危険を冒し、江戸幕府へ直訴(実情を訴える、直訴者は通常断罪)することを決意し、当時唯一集まりが許される神仏の崇敬講に着目し、金比羅講に結集、協議した。直訴には各村から一人ずつ3名の若者が選ばれ、内一人は母子二人暮らしであったが、息子の壮途に憂いを残さないため母親は自決した。3人はこのような村人の信心、あらたかな神の加護、窮状に共感をえて於与岐(およぎ)の素封家:吉崎氏より旅費の供与を受け直訴に出発し、すぐ様、追跡にあったが多くの人々や神仏に助けられ、無事に江戸幕府へ直訴を成し遂げた。このことは当時では全国的にもまれな幸運な成功であった。3人の帰路、藩の追及がその若者に及ぶことを恐れ、国境の通称いなば境で村役達は出迎え、ほんの心尽くしで、大根,柚子、唐辛子の生切れの肴で慰労会を開き、若い三人の身の安全のため、因果を含め今後地元へ帰還することなく潜伏生活を依頼した。ついで三人の偉業を子々孫々に顕彰するため、併せて神の加護を感謝して,今後1千年間金比羅講を続けると約束した。
 今年は11月9日(木)午後5時秋季大祭前夜祭11月10(金)午前6時秋季大祭・遥拝式、それから特別祈願拝(これは、家の中に入り久保宮司様による御祓いを受ける)志納料は各自の自由だが一人千円から、1万円もお供えされる人もある諭旨)午後3時頃秋季大祭終了報告会、その後、佃町からの出迎えを受け「戸渡しの儀式」をえて佃町の民家の講元へ、そこで「遷座式」が行なわれ、平成18年11日10日から翌年の11月10日まで毎月10日に月礼祭が行なわれる。そして、平成19年11月10日には忠町へ、平成20年11月10日には再び武吉町の民家へ遷座される。この浦入家の裏庭には「天正八年(1580)正月廿八日 奉斎 堀 土佐守藤原宗光 」の石碑と巨大な古木の梨の木があった。浦入の地名を姓に持つこの浦入氏は元地方の豪族であったと思慮する。参拝者は昔、数千人だった諭旨、だが今でも1,700~1,800名参拝される。当会の会員吉美地区里町の木下清氏も参拝されたのに出会った。駐車場も地元の消防団の方々の案内で安心で無料です
写真:特別祈願を受けられるご夫婦
3時からの秋季大祭終了式に参加する3ヶ町の代表講員
「戸渡しの儀式」に参加する役員,いわれある大根、柚子、唐辛子の三種を使った膳
[ 08:27 ] [ あやべの文化財 ]
駐車した府道からまっすぐ下ってきた道に屋台店が並んでいた。路肩は畦道で里芋が植えられているのが見える。祭殿を祀った民家は、この田畑の向こう側にある
大判焼き、焼きそば
きれいな小物やおもちゃが置かれている。子供を抱いた家族連れ
おみやげ屋さん
たこやき屋、おもちゃやさん
[ 07:59 ] [ あやべの文化財 ]
絶え間ないお参りの人々。素朴な田舎のお祭りに300年間つづく人々の信仰、情熱を感じる
祭殿が設けられた母屋のすぐ外の離れ家が「こんぴら大祭福引き会場
ここも賑わっている
こんぴら大祭福引き会場
こんぴらうどん」を食べる
肩車をするお父さん。子供の頃が懐かしい
2006/12/06のBlog
[ 08:58 ] [ あやべの文化財 ]
建田のこんぴらさん 井上 益一氏 綾部の文化財を守る会会報第12号、昭和52年1月
 すでに「綾部市史」「丹の国綾部」等に紹介されているのでくどいように思うけれど、かわった伝統行事のことで今一度記してみたいと思う。
 建田とは口上林地区内、武吉・佃・忠の頭字タッタをとって建田の字をあて明治初年にできた村名である。
そこに伝わるこんぴら信仰は全員が講員で、正しくは宝永講という。宝永六年(1709)武吉村源兵衛宅よりはじまるといい次のようないわれがある
関ケ原の合戦に西軍に組した藤懸永勝は他の部将と共に田辺城(細川氏)を攻めたかどにより、所領一万三千石を六千石に減ぜられ慶長六年上林谷に入部、石橋城山の麓に陣屋を構えた。其の後子孫を次々に分家させ、禄高は四千石になり財政は逼迫、その上度々の大水害にもかかわらず年貢米はきびしく取立てた。そのため領民は苦しみあえぎ、減免を訴えて出た代表の武吉村、佃村の庄屋年寄などはきびしく処分された。
 たまりかねた農民は暴政を幕府に直接訴えようと計画し、その使を屈強な若者三人が志願した。旅費を日頃修験道などで弥仙詣をして知る、他領於与岐村の庄屋吉崎五左ヱ門にもとめた。三村あげてのこの企を知った吉崎はすべてを覚悟してこれに協力した。
 三人は死を決して出発、和知大簾で宿を借りたり、近路を教えられたり大井川の渡も川止め直前に都合よく渡り領主のさしむけた追手をうまくのがれ江戸についた。そうして幕府に訴え願はかなえられ、代官は罰せられて領民はすくわれた。
 純朴な農民はこの越訴が成功したのは、一に日頃信仰するこんぴら大権現の御加護によるものとし願がけの通り千年の講を行うこととし、其の後毎年盛大な講を営むことになったという

 この講は三町区を輪番にまわり、町区内の組も順をきめているが、神を祀る家つまり講元はその町区の公選により定める。その家の一室を社殿とし一年間、床の間に金刀比羅大権現をまつるのである。毎月十日は例祭、十一月十日は大祭で午後三時頃、講員の遙拝式、午後四時頃、講元交代の戸渡し式を行う。これには昔から引ついできた御正体のおさめられた木箱を宮司から当年の講元へ、それから次年度の請元へ手渡すのである。
 次に膳にゆずの実大根赤とうがらし等のきったものをのせ、それを肴に、ひらわんのふたに神酒をつぎいただいて、当年自治会長講元、次年自治会長講元の順で、それぞれ挨拶があり終る。次に次年度講元の家へ宮司を先頭に行列をととのえ徒歩で行き遷座式を行う

昔は遠方からの参拝者が宿泊したり上講したりで、その世話など大変なことだったが、今はだんだん簡単になった。それでも参拝者は随分多く、進学就職、交通安全、安産祈願等をする人々が多く時代を反映しているようだ。みやげ物や日用品、農具等を売る店も多かったが今は少くなった。こんぴらさんといえば、子ども心に氏神祭よりもはるかに楽しいものであった。
 明治二十年本社讃岐金刀比羅宮の崇敬講社に入り毎年はるばる代参をおくり、地元では式ごとに宝永の頃の気持にかえりうやまって遙拝を行う

時うつり事去り、考え方にも色々な人があるだろう。然し一揆に発したとはいえ伝統的な信仰行事の根強さは、現代人の生活と感情から幾分のゆれはあっても簡単にくずれ去るものではなかろう。筆者は関係町区の自治会長や係として前後七回にわたる戸渡しの式に連なり、そうした感を強く強くいだいたものである。
 あとになったが、大祭当日、於与岐町吉崎五左ヱ門家の当主及び和知町大簾自治会代表をお招きし心からのおもてなしをするのは、かつて江戸行きに際し、一方ならぬ協力を願ったことに対する感謝の意味である。戸渡し儀式に、なまのゆずの実大根とうがらし等を肴に用いるのは、江戸行きを無事に終え帰郷したのを喜び迎えた時のささやかなさかもりをあらわすものという。
 武吉、佃等の庄屋年寄等が処分されていることの詳細は、残念ながら今のところ研究も不十分であり、又他の都合もあって公表はさしひかえねばならない
賑わう「建田(たった)の金比羅宮宝永講秋季大祭
家の軒に鈴・綱が下げられている。参拝者が列を作っている
すぐ隣でお神籤やお守りが売られている
家のお守りを求める年配者。300年前の昔から、このような祭事に詣ってお守りやお札を求め、持ち帰って家に飾り、家内安全などを願ったのだと思う
洗心は水桶を並べ、手ぬぐいを上からぶら下げたもの。毎年順繰りで、武吉・佃・忠の3町の普通の民家の一室が祭殿になるために工夫された形であろう
[ 08:06 ] [ あやべの文化財 ]
府道の曲がり角を回ると路肩に車が並んで駐車してあり、私もその最後列に駐車する。先を歩いている年配の人々に「たったのこんぴらさん」に行かれるのかと尋ねるとそうだと云われる
前方を人が歩いて行かれる
人が多くなってきた。道ばたの電柱につけられた拡声器から、威勢の良い「こんぴらふねふね・・」が聞こえてきた。エンドレスの終わりのないメロデイだ。 金毘羅舟々 追い手に帆掛けて しゅらしゅしゅしゅ 回れば四国 讃州那珂の郷 象頭山金毘羅 大権現 一度廻れば・・
まっすぐ行くと屋台店が並んでいるところに来た
右手に田んぼがあり、その向こう側の民家に白い幕がひかれ、人が大勢集まっていた
2006/12/05のBlog
[ 19:23 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財を守る会の四方續夫事務局長からたったのこんぴらさん」の取材に時間があれば来てみればのお誘いをもらった。10時すぎに行ったが擦れ違いで帰られたあとで、今さっきまでここに川端先生と一緒に居られたとのことであった。石原理事の姿も見えた
綾部の南を東西に走る国道27号線を山家で北に折れると、府道1号線で小浜に向かう上林街道がある。中上林の信号のある十倉交差点を東に入ると、由良川の支流である上林川もまた蛇行してこの「たった」に回り込み流れている。武吉、佃、忠の3村の頭文字から「タ・ツ・タ」と明治初年に付けられた村名だとのこと
家が建ち並ぶ辺りに幟が見えた。この先は佃町で府道は行き止まり、和知町へは山峠があり抜けられない
田畑の畦道を三々五々人々が歩いてくる
農道を歩いて
一日目の男子シングルス・ダブルスの1~2回戦の後、二日目、三日目が雨で対戦が進まず難航しましたが、四日目からは順調に大会が進行し無事終了しました。選手の皆様には雨天の中を辛抱強く待機いただくなど、大会運営にご協力をいただきましたことを、心から深く感謝申し上げます。
男子シングルス優勝 大谷稚三(舞鶴グリ-ン) 登録80名
男子ダブルス優勝 有本和彦(ユニバ-サル)・三輪弥洲史(府職舞鶴) 登録33ペア
女子シングルス優勝 稲継理央(舞鶴グリ-ン) 登録52名
女子ダブルス優勝 加藤明美(西村テニス企画)・畑中美里(西村テニス企画) 登録36ペア
壮年シングルス優勝 余川 誠(アドバン) 登録16名
壮年ダブルス優勝 余川 誠(アドバン)・山口敦夫(アドバン) 登録9ペア
詳しい対戦ドロ-・スコアは下記の{Xcel}デ-タ-をご覧ください
男子一般シングルス/ダブルス
 http://www.nbcayabe.com/dat/tnsh1.xls
女子シングルス・壮年シングルス・ダブルス/女子ダブルス
http://www.nbcayabe.com/dat/tnsh2.xls
[ 07:26 ] [ 由良川 上林川 ]
帰ってから地図の上に今日の散策したコ-スの軌跡を記入した
ふじもと様からメ-ル添付で送っていただいた写真。昼食をとった「←中ノツボ」付近
[ 07:26 ] [ 由良川 上林川 ]
研究林利用の皆様へ
京都大学芦生研究林は学術研究のために設置されています。この中では大切な試験や研究が行われていますので、研究林を利用される皆様は、次のことを守って貴重な森林の管理にご協力下さい。
1.入林希望者は必ず研究林事務所で入林手続きをして下さい。但し時間外及び休日については、仮入林受付所で入林手続きを行って下さい。なお、ペットを連れての入林は禁止します。
2.歩道・林道以外は立ち入らないで下さい。
3.関係者以外車両(自動車・バイク・自転車)による入林を禁止します。
4.動植物や土石を許可なく採取しないで下さい。
5.林内でたき火をしないで下さい。またタバコの火等火元には充分注意して下さい。
6.ゴミ・空き缶等は必ず持ち帰って下さい。
7.その他、入林者カ-ドに記載してある注意事項を守って下さい。京都大学芦生研究林
京都大学芦生研究林の校舎
京大芦生研究林の地図をみる
今日歩いたコ-ス、駐車場→林道:櫃倉線分岐→林道終点→川渉り→「←中ノツボ標識」→山越え→櫃倉線終点広場
櫃倉谷の林道終点から、U字型に青い色の谷沢を歩き、赤い点線の山道を戻った。
林道:櫃倉線終点→櫃倉谷川渉り→「←中ノツボ標識」→山越え→櫃倉線終点広場
2006/12/04のBlog
[ 08:44 ] [ 由良川 上林川 ]
ブログの背景画像にするために帰路、紅葉の写真を撮る。色彩の変化が面白い
黄色い紅葉も鮮やか
もみじ
林道の道ぎわに沢山ある低い灌木の紅葉
芦生山の家駐車場の上にある神社の紅葉
[ 08:43 ] [ 由良川 上林川 ]
芦生紅葉散策の帰り道で各所で見かけた岩肌を、ブログの背景画像に使うために写真に撮った
一メ-トル四方もあれば、縦横斜めの三次元空間のあらゆる方向に重なる、板状の岩石が見られる。海底で数十億年もかけて水平に堆積されたものだと思える。どんな造山運動が、この様に奔放な方向に岩石を隆起させたのかと思った
横向きに並んだ板状の岩石。大部分は細く揃った板厚が重なっているが、中には幅広いところもある
縦横斜めに自在に薄めの板岩が積み重なっている
板状の岩石
2006/12/03のBlog
[ 19:12 ] [ 美術・芸術・展示館 ]
第5回(2006)美術クラブ会員展
隣の会場では、第5回(2006)美術クラブ会員展が開催されていた。
12月1(金)~3(日):アスパホールB
ご多忙の中、ご高覧賜り誠にありがとうございました。
当、会員展も皆々様御支援のおかげをもちまして第5回を迎えることができました、ご講評、ご意見を受け賜りながらレベルアップを目指し研鎖してまいります。
当、美術クラブは絵画を愛好し日頃より創作活動を続けておられます方々の「交流とレベルアップ」を目的とする集まりで年一回作品を持ち寄り「会員晨」と称し作品発表の場としております、尚入会には何の資格や制限も必要と致しませんので皆様の入会をお待ちしております。
会員名 会長野崎義典 幹事野々垣光雄 (以下省略)
連絡先 野崎義典(0773-42-5850)
アスパBホ-ルで展示中の美術クラブ会員出展47点から
アスパBホ-ルで展示中の美術クラブ会員出展47点から
[ 19:07 ] [ 環境 環境市民会議 ]
通路の両側には「環境子ども作品コンク-ル」で表彰を受けた7校の作品・壁新聞が一面に張り出されていた。
最優秀賞:綾部小学校第4学年5組綾部市クリ-ン・センタ-
日本で4つしかないすごいしくみだよ
もえるゴミ、もえないゴミ以外のゴミは、どうなるの?
家電4品目・・
古タイヤ、ペットボトルは
しょうきゃくろ新聞
ゴミのもえのこりは・・
みんなで あやべを きれいにしよう ・・・
ポイステキンシ、リサイクル、クリ-ンセンタ-けんがく・・
[ 18:48 ] [ 環境 環境市民会議 ]
☆☆☆綾部市環境市民会議の紹介をします☆☆☆
市民、事業者、行政が、パートナーとして相互に協力、連携をして、環境保全に対する様々な取組みを部会に分かれて行っています。
《主な内容は》
生活部会:最も身近な環境問題である「ごみ減量」等に取組んでいます。
●市のごみ制度の検討や生ごみをリサイクルし堆肥化する取組
●環境美化クリーン大作戦として毎年9月第1週の日曜日に、全市対象に市民のみなさまと一緒に道路等のポイ捨てごみを一掃
花と緑の部会:花いっばいのまちづくりを推進しています。
●綾部の花と緑の名所を紹介する「花と緑のカレンダー」の作製
●コスモス祭の開催、街道にすいせんを植える花街道や府道綾部福知山線に設置しているフラワーポットに季節の花の植付
産業部会:環境に負荷を与えない事業活動のあり方を考え、環境に配慮した取組を推進しています。
●IS014001取得企業の視察や事業所を対象に環境問題をテーマにした講演会の実施
啓発部会:環境について、市民のみなさまと一緒に学び考える場を創っています。
●環境について学び考える講演会や市内の小学校4年生のクラスを対象にした環境子ども作品コンクールの実施
●「エコねっとあやぺ」を年2回発行、全戸配布
廃食油(使用済天ぷら油)回収事業:家庭から出る廃食油を回収し、軽油に替わるバイオディーゼル燃料の活用の実践について考えています。
マイバスケット持参運動:レジ袋の使用を減らすため、マイバスケット持参運動の推進をしています。
☆私だちとともに活動していただける方、大募集しています!みなさまの入会をお持ちしています。
=環境保全は、21世紀に生きる私たちの大きな課題です。綾部の豊かで美しい環境を守る活動を私たちと一緒に進めませんか。
お問合せ:綾部市環境市民会議(事務局:綾部市環境保全課)・電話:42-1489
写真:満席の参会者を前に来賓あいさつをされる、四方八洲男綾部市長
環境子ども作品コンク-ル表彰式
写真:子供たちに表彰状をわたされる高澤会長
最優秀賞 綾部市立綾部小学校第4学年5組
優秀賞 綾部市立綾部小学校第4学年2組
 綾部市立上林小学校第4学年
 綾部市立西八田小学校第4学年
佳 作 綾部市立綾部小学校第4学年3組
 綾部市立中筋小学校第4年生い組
 綾部市立吉美小学校第4学年
表彰式が終わり退場する子供たち
環境講演会
演題:「ごみを減らすライフスタイル
講師:石川県立大学教授:高月 紘(たかつきひろし)
**プロフィール**
石川県立大学教授/博士(工学)、京都市京エコロジーセンタ館長など
専門は、都市・産業廃棄物処理、環境安全化学。また、「ごみ」と「ライフスタイル」との関係を中心に研究活動をされています。
その傍ら、ハイムーンのペンネームでごみ問題を考える漫画も有名です
スライドで環境マンガ、図表、写真、字幕などを使い、判りやすく環境問題:「ゴミを減らすライフスタイル」の説明をされる高月紘石川県立大学教授
[ 10:02 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
ゆうべは寒いと思っていたが、自宅の窓から舞鶴市境に見える弥仙山に初雪が積もり。真っ白になっている。
2階の窓から400mm望遠レンズで撮った。三脚使用
三角形の秀峰:弥仙山の右手に続く蓮ケ峰の山々も白い。手前が綾部市街中心部
由良川対岸の久田山に建つ天文館「パオ」
[ 08:13 ] [ 由良川 上林川 ]
午前中とは光線の向きが変わったので、帰り道でも紅葉の山々の写真を撮りながら歩く
急角度の円錐状の緑と急勾配に上がる紅葉の様子が面白い
紅葉のグラジェ-ション
赤い紅葉が散らずに残っていた
谷川にかかる紅葉が霞のようだ
2006/12/02のBlog
[ 11:23 ] [ 由良川 上林川 ]
昼食をとった「←中ノ坪」から山越えしてきたが、林道:櫃倉線の終点広場は対岸になる。川幅も広く水深も深い、あちこち渉れそうなところを探して場所を決定。短い長靴の中を濡らさずに渉りきった。
渡渉した地点から撮った櫃倉谷の上流
同じく渡渉地点から撮った櫃倉谷の下流
澄んだ水面に紅葉が被さりきれい
帰路を行く
2006/12/01のBlog
[ 22:38 ] [ 由良川 上林川 ]
櫃倉谷林道まで出るために山道を登る
尾根に出ると「イワカガミ」の群生が見られた
さっき澤渡りして来た「櫃倉谷」を見下ろしながら尾根道を歩く
山道から見下ろす紅葉と櫃倉谷の流れが美しい
山道の樹林の間から紅葉した山を見る
[ 14:58 ] [ 由良川 上林川 ]
「櫃倉谷」と「中ノツボ」から来た谷は、ここでは合流せずに二筋になって流れている。
先ほど、女性の方が上流の方に行かれるのが見えたので、山歩きコ-スになっているようだ。川筋に沿ってこの平坦地は拡がっているが幅も広い
風もないのでここで昼食をとる。食後地図を広げて現在値の再確認をされた
また1人男の方が白い傘を持ち長靴を履いて歩いてこられた
櫃倉谷と中ノツボから来た谷の間の山から下ってくる山道が見える
ふじもと様がコ-ス確認に身軽に山を上がって行かれた。すぐ下りてこられ櫃倉谷沿いの山道であり、沢下りして戻らなくても帰れるとのこと
[ 14:57 ] [ 由良川 上林川 ]
谷は川筋をS字型にうねるように流れるので交互に深いよどみがあり、川岸を詰めて遡上すると急峻な崖で行く手を阻まれる。そこで対岸に渡河する訳ではあるが、時には急峻な崖をへつるように巻いて渡りきる必要な場所がある。かなり崖の上部までせり上がり巻いた方が安全ではあるが、また立木や岩につかまり足場を確保しながら、川辺をへつり渡りをする場合もある。家内はふじもと様に靴の袋を持っていただき渡りきった。私もカメラを首から提げて両手を自由にして渡り始めたが、どうもカメラが揺れ邪魔だ。下がった木の枝やツタをくぐり抜け、かわす必要もある。見かねたふじもと様がカメラを首から抜き取り持っていただいた。その後はカメラを腰に巻いたポ-チ・バックにしまい行動した。
ふじもと様は凄く身軽で全く崖にしがみつきもせず、ひょいひょいと渡ってしまわれる。不思議な人だ。
考えてみればスキ-場でスキ-を付けていれば、この位の傾斜は楽に横切れるのだが・・・足場が悪すぎる。上林谷の上流、鳩ケ峰などの沢登りでもこのように崖をへつり渡ることが屡々だが、やはり芦生の由良川源流地帯はスケ-ルが違う。もっと上流なら沢登りも楽だと思いながら歩いた。
長靴の上にいくらも残っていない水深を慎重に浅いところを拾いながら渉る
ここは深そうだ
渉れるところを見ている
「←中ノツボ」の標識がある合流点で記念撮影
[ 07:35 ] [ 由良川 上林川 ]
家内は持参した長靴に履き替えふじもと様の先導で川を渉り始めた。流れもかなり速く水深もある。持参の長靴では短く、やっとの渡河になった。ふじもと様は要領よく膝まであり、紐で縛るカバ-付きの長靴を履いていられる。しまった!軽く考え気にもしていなかったが、もっと長い長靴を持ってくるのだったと反省する
川を渉ると流石で覆われた河原を歩く
何回も谷の両岸の間を渉る。水中の石は磨いたようになり乗ると滑るので、水深の浅いところを選びながら砂地の部分を歩く。
谷川の流れ
靴をふじもと様に持っていただいて、水深の浅いところを選びながら慎重に渡渉する。
長靴を川の流れに真っ直ぐ立てて渉る。横向きにすると水流が長靴に当たり盛り上がるので水が入る。私は深いところを避けるため足幅を広げすぎ、慌てて片足を引きよせてしまい水を寄せて長靴に水が入ってしまう。「ドジ!、冷たい!」しかし大したことはなく歩く内に乾いてしまった
2006/11/30のBlog
[ 12:53 ] [ 由良川 上林川 ]
錦織りなす見事な紅葉が山を染める
様々な色合いが混じって幻想的な光景だ
ここで林道(櫃倉線)も行き止まり終点、ちょっとした広場になっている。さらに直進する落ち葉の積もる細い山道に入る
少し行くと細道もなくなり谷川の岸辺に出た。ここで小休憩をとり間食のパン、チ-ズを食べ、お茶を飲む
川幅も広く、先日来降った雨で水量が多い、勢いよく流れている
[ 07:39 ] [ 由良川 上林川 ]
櫃倉林道の紅葉も真っ盛りだが、早くも葉が落ちてしまった樹も混じる。高いところから紅葉が舞い舞いしながら降りてくる。滞空時間を計ると面白そうだ。
紅葉
②渓の流れに散り浮く紅葉
 波にゆられて離れて寄って
 赤や黄色の色様々に
 水の上にも織る錦
谷にそって紅葉に彩られた林道がつづく。立木にツキノワグマの注意書きが付けられていた。
ツキノワグマ調査中
この林にツキノワグマ調査用の有刺鉄線枠(ヘ?ラップ)を設置しています。有刺鉄線が約50cmほどの高さで張られているのでご注意下さい。またこの地域は、ツキノワグマが生息する地域です。入山にはご注意ください。京都府農林部森林保全課
側面から小さな滝が合流している
先月末に同窓会で輪唱した「もみじ」の歌を思い出す
紅葉
①秋の夕日に照る山紅葉
 濃いも薄いも散ある中に
 松をいろどる楓や蔦は
 山のふもとの裾模様
谷の合流地点、砂州が広がっている
[ 07:35 ] [ 由良川 上林川 ]
青緑色の深いよどみから直角に折れ曲がり、散在する川石の間を白波を立てて流れる
鹿に樹皮を食べられる被害よけのテ-プが巻かれている育成樹林が各所で見られる
鹿の食害にあった樹皮。痩せて枯れ木状態だ
櫃倉林道を奥に詰めていく
谷川を取り巻く景観も様々に変わる
2006/11/29のBlog
[ 15:13 ] [ 由良川 上林川 ]
全山紅葉のなかに常緑樹が点在して、起伏する山肌を強調してくれる
植林帯と対面して紅葉林が広がる。清流が境をわける
清流に覆い被さるようなもみじ
道ばたの枯れススキが興をそえ、秋の深まりを感じさせる
振り返ると今来た道は、まさに秋まっさかり
[ 11:20 ] [ 由良川 上林川 ]
曇天から太陽が顔を見せる。ぽかぽかと暖かい。先日来の悪天候という天気予報に惑わされた気持ちだ(この後曇天に戻り、気温も下がってきた、前線の通過と思われる)
日光が水底まで透過して、澄んでいる流れが綺麗だ
紅葉の山も太陽を歓迎している。紅葉の中に点在する緑が引き立つ。あの稜線に上がっていきたいなと思う
女1人稜線に向かって、緋色に敷き染まる山道を行く。なんちゃって?
写真をクリック拡大すると右下に人物が見えます
全山燃えるようだ
巨木が谷岸に横たわっている・・・と思わせるような丸太状の岩石。薄い板状の岩肌が走っている
[ 09:41 ] [ 由良川 上林川 ]
木立の中に「しいたけ」栽培のほだ木が並べられている。各所に見られ、高圧電流を流すワイヤ-、バッテリ-、ネットが設置されている
栽培樹林の間から紅葉と山並みを見る
流れるままに川の表情が豊かだ
橋を渡ると、櫃倉(ひつくら)線:2.1Kmと内杉線(中山8.5Kmの分岐標識
林道:ヒツクラ線
当該林道は、条例に基づき美山町が管理しており、林業の目的に反する使用は固く禁じます
[ 07:25 ] [ 由良川 上林川 ]
芦生の美しい樹林を流れる由良川の源流、真っ直ぐに立つ幹を写して真っ直ぐに流れる
紅葉を映して流れる
苔むす岩肌を舐めるように深く沈殿して流れる
小滝が岩肌を噛んでかかる
折れ曲がり砂州をつくり流れる
[ 07:24 ] [ 由良川 上林川 ]
芦生の紅葉の間を流れ下る由良川
紅葉する落葉樹と緑濃い植林が織りなす対比、流れる水面が光る
さざ波をたてる川面
林道の通る岩肌は、細い千枚岩を思い思いの方向に重ねて造型している
暗い木立の間に滝が見える
2006/11/28のBlog
[ 09:48 ] [ 由良川 上林川 ]
天候の悪化が予報される中で出発時間を8時に設定する。秋は日が短いので早く行動開始するに限るが、問題は不連続線の通過時間だ。午前から午後にかけどんな天気回りになるか心配しながら朝を迎えた。未明に一雨降ったようで濡れているが曇天だった。天気速報も降水確率20%に変わっていた。
8時にふじもと様が来られ出発する。紅葉の見事な和知町「大野ダム」周辺を通り、小浜から京都へ向かう周山街道・美山ル-トに入る。朝早いので無人に近い「かやぶきの里」を通る(帰りには観光客で混雑していた)。見事な紅葉を愛でながら「芦生山の家」駐車場に到着。長靴に履き替える。家内はポリ袋にいれて手に持った
紅葉の山々をぬって流れる清流が美しい
由良川の源流地帯といっても、ここは芦生の入り口なので水量が多い
家内のデジカメ(ミノルタ)が電池切れになり、私のSony Sybershot を貸す。Canon一眼レフに切り替えた。
全山が紅葉の真っ盛り