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なべちゃんの散歩道
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2006/10/16のBlog
[ 07:47 ] [ あやべの文化財 ]
尚、当八幡宮境内には「綾部の古木名木100選~緑と文化遺産~」に四本の神木等が指定されております。
ニレ科のケヤキ(幹周3.98メートル、樹高36メートル)、ヒノキ(幹周3.10メートル、樹高は35メートル)、アスナロの木は幹周2メートル、樹高20メートル、又、珍しいツブラジイの木は幹周3.7メートル、樹高28メートル)であります。
 又、八幡宮は戦国時代の「高津八幡山城跡」もありますが、割愛させていただきます。
(参考資料)綾部歴史のみち(綾部市発行)中筋村誌、高津の文化財を尋ねて(大槻義一著)、日本歴代天皇大鑑(皇室図書刊行会)、日本神祇由来辞典(川口謙二編著)、京都府の地名(日本歴史地名大系平凡社)、八幡宮概誌(前々宮司故清水芳之氏)
(写真提供)綾部市資料館、大槻和巳、「守る会事務局」
高津八幡宮 宮司 大槻正明

(事務局より)写真:高津八幡宮本坂鳥居の桜(四方續夫氏提供)
高津八幡宮の拝殿・本殿の彫刻以外にも四季の風景も素晴らしく、四月上旬の桜、五月の藤、秋の紅葉をも是非見て頂きたいものです。尚、マイクロバス・乗用車なら自動車参道で拝殿すぐ近くまで行くこと出来ます。駐車場も無料で数十台が駐車可能です。又、当会のホームページでより多くの写真等を見れます。
 ホームページは次ぎの通りです。 http://ayabun.net/bunkazai/annai/takatu8/takatu8.htm
[ 06:55 ] [ あやべの文化財 ]
紙本著色八幡縁起絵(1巻)
木造獅子・狛犬同様平成11年綾部市指定文化財となり綾部市資料館に寄託。文明17年(1485)の室町時代のもので、神功皇后の新羅・百済・高句麗遠征の内容で、この部分は鎮西(九州)へ出陣の模様。幅:29cm、長さ:1,370cmもある。

前ページの写真外は四、五で、文亀元年(1501)室町時代の紙高31.5センチメートル、長さ236センチメートルの「紙本墨御山高津八幡宮勧進状(一巻)」と江戸時代の縦87.8センチメートル、横30センチメートルの大槻辰高像とその曾孫為高の寛永十三年(1636)の賛文の入った「紙本淡彩墨画大槻辰高像(一幅)」が綾部市指定文化財で保存の関係上、綾部市資料館に寄託しています。
2006/10/15のBlog
[ 19:17 ] [ あやべの文化財 ]
綾部市指定文化財
一. 本殿(一棟、昭和60年4月1日 市指定、写真参照) 
二.木造獅子・狛犬(一対、写真参照)(以下二から五まで平成11年6月22日市指定となる。)
三.紙本著色八幡縁起(一巻、、写真参照)
四.紙本墨書高津御山八幡宮勧進状一巻)
五、紙本淡彩墨画大槻辰高像(一幅)
写真:角のある吽形狛犬(60.5cm)
狛犬(1対)
市指定文化財で綾部市資料館に寄託。
南北朝時代の勝れた又珍しい木造りの像。
写真:口を開けた阿形獅子(60.5cm)
[ 06:53 ] [ あやべの文化財 ]
神楽
中筋村誌によれば高津八幡宮には昔から神楽があり、氏子約十人が楽人として伝統を伝えている。以前は吉備楽であったが昭和の中頃から雅楽となったとある。高津八幡宮では毎年春秋大祭、祈年祭、新穀感謝祭にこの雅楽が奏上される。曲目は御扉開閉の時は、越天楽、献饌及び撤饌の時は五常楽となっている。楽器の種類及び現在の楽人構成は笙(四人)篳篥(五人)、竜笛(四人)、太鼓(楽太鼓一人)である。高津八幡宮でお神楽がいつから奏上されたか、起源は定かでないが、綾部福知山地方唯一の雅楽であるので、他神社の特別祭典にはしばしば招聘されていた。しかし現在では楽人の確保が難しく今後の課題となっている
写真:祭礼時の(神楽)雅楽の奉納
[ 06:46 ] [ あやべの文化財 ]
高津八幡宮祭礼年間行事
1月1日(祝) 午前・歳旦祭
1月(第1又は第2日曜日)家祈祷 ・午前東・午後西
1月(第3日曜日)午前・厄神祭(高良神社)
2月(第1日曜日) 午前・天神祭(天満宮)
2月11日(祝) 午前・祈年祭
2月11日(祝) 午前・稲荷初午祭(稲荷神社)
4月第1日曜日 午前・春季大祭
4月23日 午前・火産霊神社祭(秋葉神社)
6月30日 午後・水無月大袚
9月15日 午後・放生会
10月(体育の日の前日)午前・秋季大祭
11月23日(祝)午前・新穀感謝祭
12月1日 午前・荒倉神社祭(荒倉神社)
12月31日 午後・越年大袚
2006/10/14のBlog
[ 20:37 ] [ あやべの文化財 ]
この高津八幡宮は明治六年「村社」となり同十三年には「創建千年祭」が行はれた。大正五年には「郷社」となり、同十二年には何鹿郡(現綾部市)唯一の「府社」に昇格した。昭和五年には「創建千五十年祭」を行い、同五十五年には「創建千百年祭」を石清水八幡宮故田中文清名誉宮司を迎えて盛大に行った。この時「子供神輿」が新調され例年春の大祭(子供祭り)には子供神輿の町内巡行がおこなわれ現在に至っている。
写真:平成十八年春季大祭と子供神輿
本殿の妻飾の三重虹粱の壮大さ、拝殿の彫刻と一体化した虹粱、支輪天井の装飾的効果が特に勝れ、京都府下有数の迫力ある寺社建築で見応えがある。拝殿は桁三間、粱行二間、入母屋造で向拝一間を付属している。いずれも銅版葺きである。又、表参道の四百余段の長い石段は、天明四年(1784)から文化十三年(1816)までの実に32年をかけて、飢餓、洪水等の災厄のなかで村民、氏子、近隣の人々の篤い信仰により造られた。
 明治元年(1868)に「神仏分離令」の発布により神仏習合の高津八幡宮の別当寺「究竟院」は明治三年廃止となり、檀家は東光院へ移された。なお、今までの社僧は神職となった。
写真:右拝殿から市指定文化財の本殿へ
2006/10/13のBlog
[ 09:30 ] [ あやべの文化財 ]
寛文十年3月23日(1670)には綾部初代藩主九鬼隆李公は高津八幡宮を祈願所として代々高五石の米を寄進されるとともに、自然石の手水鉢を寄進された。
また九代藩主九鬼隆都公は社殿の改築を計画され、天保十二年(1841)から12年の歳月をかけ嘉永五年(1852)に上棟されたもので、現在の拝殿前回廊高欄の擬宝珠に同年銘が記録されている。向拝の竜彫物の裏には「大坂住、相野徳兵衛、彫刻□」とあり、社伝では大工は延村の名宮大工桑原平右衛門で、当社完成後、大原神社の造営を担当したと云われている。
写真:綾部初代藩主九鬼隆李寄贈の手水鉢
[ 09:27 ] [ あやべの文化財 ]
高津八幡宮由緒
 高津に鎮座する(以下高津八幡宮)の地は、奈良時代に法道仙人が開いた密教練行の地であったと云う。第五六代清和天皇の第四皇子・第五七代陽成天皇の元慶五年(881)に山城の国(八幡市)の雄徳山(標高123メートル)にある石清水八幡宮より金色の鳩が飛来してここに止り、種々の奇瑞を表したのでこれを朝廷に奏上し、朝廷では丹波の国司橘良基を勅使として派遣し、調べたところ奏聞の事実と違はずそのことを復奏したので、朝廷は再び橘良基に命じ、石清水八幡宮の如意別宮として社殿を創建せしめたと伝えている。

当初、高津八幡宮の別当寺を極楽寺御所坊と称したが、次に福蔵院、後に究竟院と改め、真言宗醍醐三宝院派に属した。本坊(御所坊)、玄長ノ坊、中ノ坊、谷ノ坊、前ノ坊の五坊があり隆盛時には上高津下高津に千余石の社領を有していたと云う。
 しかし、第百四代後柏原天皇(応仁の乱から戦国時代)の明応九年(1500)12月19日社殿炎上のため宝蔵・古記録等悉くを焼いたが、翌年文亀元年(1501)勧進状により寄進を募り再建された。
 その後の戦国時代に入り社領没落・社殿荒廃の時代もあったが、豊臣秀吉の時代・慶長四年(1599)2月郡代野々口五兵衛が造営料として田地五反及び山林竹藪等を寄進。又、徳川時代に入り、慶長十一年(1606)8月には福知山城主有馬玄蕃頭から造営料として毎年米五石の寄進を受けた。
2006/10/12のBlog
[ 09:19 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財シリーズ(第7回)
高津八幡宮(元府社・高津鎮座)
 by 高津八幡宮宮司:大槻正明氏
所在地: 京都府綾部市高津町宮の段一番地
境内面積(隣接する宅地・原野・山林を含む。): 56,973平方メートル

御祭神(五柱)
仁徳天皇(向て右端御前第十六代、別名、大鷦鷯)
仲哀天皇(向て右御前、第十四代、別名、帯中津日子命)
応神天皇(中御前、第十五代、別名、品陀和気命)
神功皇后(向て左御前、仲哀天皇皇后、別名、息長帯姫命)
玉依比賣命(向て左端御前)

境内社及び遥拝所
*稲荷神社(稲荷さん)祭神宇迦御魂神
*高良神社(厄神さん)祭神武内宿祢
*天満宮(天神さん)祭神菅原道眞
*岩清水さん(飛来金鳩の留まった所)
*伊勢神宮遥拝所
*橿原神宮遥拝所

写真:祭礼時の高津八幡宮正面拝殿
2006/10/11のBlog
[ 20:20 ] [ 由良川 上林川 ]
そんなに急いで飛ばなくても・・
こちらはじっと止まっている。鳩ぽっぽ
由良川の流れ
丹波の山も秋景色
[ 20:14 ] [ 由良川 上林川 ]
400mm望遠ズ-ム・レンズを持ってきたので由良川の水鳥を捕った
土手に上がっている
水面から飛び立つ
広い水面をゆったりと飛翔
もう鴨の集団が泳いでいる
[ 20:04 ] [ 由良川 上林川 ]
堤防を歩いて福知山河川国道事務所まで帰る
福知山城が近い
河川敷に映えた大木、秋雲の浮かぶ広い眺めが素晴らしい
対岸の三段池の上につづく烏ケ岳の無線塔が見える
2006/10/10のBlog
[ 22:59 ] [ 由良川 上林川 ]
メクラムシ
拡大レンズで目を探す。凄く長い8本足がある
熱心に観察、メモを取る人も
話されたエンマコウロギ
エンマコウロギ
まとめの挨拶をされる「ゆらネット」町井代表
[ 22:49 ] [ 由良川 上林川 ]
数百種はあるという「ゴミムシ」の違いを説明される講師の谷垣岳人さん
頭の大きさや体型の違いなど「ゴミムシ」
エンマコウロギの雌
顔が閻魔さんに似ているからついた名前との説明
エンマコウロギ雄
良い声で鳴き、鳴き方でいろんな情景があるとのこと
雄と雌の違いを産卵管のあることで説明される谷垣岳人講師
[ 22:42 ] [ 由良川 上林川 ]
藪の中を戻る
堤防側の開けた所に出てほっとする
大きな水門がある
水門の上で講師の谷垣岳人さんを囲んで勉強会
拡大レンズなどを持ってきた人もあり熱心に覗いている
[ 22:33 ] [ 由良川 上林川 ]
虫かごや補注網も持参して
マムシ草の実がたくさんある
大きな木も茂っている
川岸に降りる
岸辺の藪に女郎蜘蛛が待ちかまえていた
[ 08:16 ] [ 由良川 上林川 ]
うっそうと茂り混み合った由良川河川敷に広がる「明智藪」に、細い通り道を切り開き通路に沿って、前日にこのような紙コップに餌を入れた「ワナ」が50個ばかり仕掛けられている。餌は、さなぎの粉、バナナ、コ-ラの3種類。
親子連れで探検気分も満喫
虫除けネットをつけた帽子をかぶり顔の回りをネットで囲む人も。子供達など防虫スプレ-をかけてもらっている
うっそうとした藪の中をそろそろと虫を探しながら進む
ゴミムシの仲間が一杯集まっている
[ 06:45 ] [ 由良川 上林川 ]
NPO<ゆらねっと>>の今秋の行事は<昆虫少年になる!>10月8日午後1時~3時。場所は福知山明智藪。午後1時福知山河川国道事務所駐車場集合です。講師は谷垣岳人さん(龍谷大学里山学・地域共生学)です。
前日藪の中に仕掛けたワナに入った昆虫を観察します。藪の中を歩きます。長袖シャツ、軍手、長靴をご用意ください。だれでも参加できます。事前にご一報ください。
<ゆらねっと>(マチイコンサルタント内0773-43-1352)かホテル綾部(0773-40-5100)まで
集合場所の福知山河川国道事務所駐車場から堤防に出る。子供たちも参加している。
少し下流に堤防を歩き、堤防の斜面を降りて「明智藪」に入る。由良川左岸に繋がる、この藪は人が入ったことがないと云う。
ベンチンコガネ
早速仕掛けたワナに入った虫を講師の谷垣岳人さんに解説していただく、黒光りしている
ゴミムシの一種
さなぎの粉を入れた紙コップが仕掛けられた「ワナ」
2006/10/08のBlog
[関連したBlog]
綾部市市民憲章推進協議会が取り組んできた映画「塔のある街」が完成。来る10月25日(水)午後7:00開演にて中丹文化会館で上映される。入場料は無料
キャストは全て綾部市民、塔のある街製作委員会の作成
愛の前に立ちはだかるものは・・・
【ものがたり】
二つの物語が並行して流れていきます。
一つの物語は、第二次戦時中の日本。その時代の一組の夫婦、手紙のやり取りで始まります。
夫は特攻隊員、妻は生まれたばかりの乳飲み子を育てています。
特攻に出撃するまでの間に夫から残していく妻や子どもに込めた思い、死に行く夫に捧げる妻の愛をつぶさに紹介し、半世紀前の日本人の平和への悲痛な叫びを表現しています。
もうーつの物語は、綾部へ平和学習に訪れた学生達と戦争で父を亡くした元中学校教師の出会いで始まり、学生と初老の元教師は激しく対立します。 しかし、元教師の生い立ちや体験を知るに至り、現代の学生達も次第に心を開き、「平和」の意味を感じ取って行きます。この学生達の心の変化を特攻隊員と妻の手紙と並行させながら展開させています。
平和は、一人の力では決して勝ち取ることはできませんが、一人ひとりの意志が無ければ達成することもまたできません。
 多くの人々の平和への願いを結集することを目的に上映する「塔のある街」。ぜひ、ご鑑賞ください!
2006/10/07のBlog
[ 20:58 ] [ 丹波・丹後の歳時記 ]
車を横に止めて釣り人がひとり。舟の陰で波が届かないようだ
自衛隊桟橋に停泊中の自衛艦が見える
港湾施設と停泊中の特殊船舶
停泊中の特殊船舶か
港湾施設クレ-ン
[ 20:43 ] [ 丹波・丹後の歳時記 ]
行き帰りとも、かなり激しい雨をついて舞鶴市で開催された二つの写真展を見に行った。総合文化会館はすぐ先が前島埠頭なので見に行った。
幸い雨が止んでいたが、風が激しく岸壁に吹き付け、波しぶきが車に被るので手前に駐車して写真を撮った。
激しい波をついて舟が運航している。自衛艦のようだ。
大丹生半島をつなぐ白い吊り橋が見える
岸壁に大波が打ち寄せ、しぶきが上がり、カメラまで届く。
青葉山も雨上がりで姿を見せる
[ 18:17 ] [ 美術・芸術・展示館 ]
第20回中丹文化芸術祭、中丹写真展-新たなる創作-
舞鶴市総合文化会館・小ホ-ル・展示室
7日~8日まで
舞鶴市のふじもと様からご案内をいただいていたが、一昨日綾部市中丹文化会館・中央公民館でテニス協会の理事役員会があり、このパンフレットを入手していた。
展示風景
第20回記念部門「花」(植物を題材とするテ-マ部門が展示されていた。
藤本寿(舞鶴市)さんの作品「雨上がり」などの展示
初心者部門で奨励賞をとられた藤本寿さんの作品「樹影」など
デジタル部門の作品展示も行われていた
[ 17:49 ] [ 美術・芸術・展示館 ]
舞鶴市のふじもと様からご案内をいただいて、舞鶴市総合文化祭、舞鶴市中総合会館・コミュニティホ-ルで9日まで開催の写真展に行ってきました。
出展者22名 各5点出展 合計110点
パンフレットのコピ-です
殆どが「5枚組作品」で久保敦之さんの「晩秋」など重厚な紅葉風景が素晴らしかった
同じくパンフレット2ペ-ジ
中沢寿蔵さんの「漁港彩景」や中西六右衛門さんの「秋・日本海」の各5枚組写真が海をテ-マに撮られ素晴らしかった
パンフレット3枚目コピ-
藤本 寿さんの「源頭の秋」「頂をあおぐ」「雨上がり」「草紅葉」「霧湧く谷」の山岳写真が素晴らしかった。やはり山好きの方の撮られた写真と感心
ふじもと様の5枚組み写真の3点
過去24年間継続してきました「綾部市郷土史自主講座」は平成19年に節目の25年目を迎えます。
平成18年度は次のような講座を実施してきました。10月以降は予定です。一年間で十回程度です。
5月20日(土)「舞鶴の軍港、あれこれ」 講師:舞鶴高専名誉教授・戸祭武先生
 先生著・日露戦争の百年「舞鶴と東郷平八郎」定価五百円を頂き、講義を受ける。
6月 9日金)日帰研修旅行 別途実費6千円(年会費から一部補助)見学先:東海道の宿場、草津、石部、土山等(担当:川端二三郎、八木治男、中村昭美の各氏及び現地ボランテア・ガイドの案内による見学)
7月15日(土)「西福院ゆかりの人々」 講師:綾部史談会々員・塩尻千賀良先生
8月19日(土)「京都府下の大名・旗本」 講師:京都府総合資料館・山田洋一先生
9月16日(土)「古文書に親しむ・遠藤家の女性の手紙から」 講師:一級生涯学習インストラクター:村岡敬公先生
10月20日(金)日帰研修旅行 別途実費6千円予定・見学先:大和郡山城跡・稗田環濠集落・法起寺を予定
11月18日(土)「丹波の所領支配」 講師:福知山市役所:西村正芳先生
19年1月20日(土)「綾部市内の考古遺跡・近年の発掘から」 講師:綾部資料館々長・近澤豊明氏
2月17日(土)「戦後の農会から農協への歩み」 講師:JA丹の国OB渡邊一成氏
3月17日(土)「綾部の近代化にさきがけた人々」講師:綾部史談会長・山崎巌先生
一、会場 綾部市中央公民館視聴覚室(二階)
一、時間 午後1時30分~3時30分
一、年運営会費お一人5千円(研修旅行費は別途実費が必要です、記念写真等除き安い費用で設定します。)
一、連絡申し込みは平成19年3月期中に、代表運営委員 芦田正夫氏:電話47―0333、平成18年度担当:八木治男氏・〒番号623―0031綾部市味方町薬師谷150―11電話:43―3157に平成19年2月以降にお問い合わせ及びお申し込み下さい。
会期:平成18年10月24日(火)~11月12日(日)(会期中無休)
午前9時~午後6時;入館料: 大人千円
本年は聖武天皇の1250年目の御遠忌に当たります。従って、今回の展示内容は正倉院宝物の成立と宝物のたどった歴史を観覧することができる構成となっています。
山のめぐみ 里のめぐみ
会期:平成18年10月21日(土)~11月11日(日)
午前九時~午後四時三十分(月曜日休)(入館料200円、小中学生50円)
常設内容に加えて丹後で,ブナ林と棚田景観を保持する京丹後市大宮町五十河と宮津市上世屋の生活技術が紹介されその意味を考える展示がされる。
京都府立丹後資料館ホ-ムペ-ジ http://www.tangoweb.co.jp/johogura/shiryokan.html
歴史は蔵の中 ―羽室家収蔵品と綾部の文化―
会 期:平成18年10月28日(土)~11月26日(日)
開館時間:午前九時~午後五時まで (入館料一人二00円、中学生以下無料)
 綾部藩綾部組大庄屋であった羽室家は、綾部一の豪商として藩財政を支え、近代においても綾部の経済界の一翼を担ってきた名家です。
 その羽室本家を今に引き継ぐ広小路羽室家の蔵に収蔵されてきた資料は、各種道具類・軸物・屏風・古文書など数千点にもなり、この質・量ともに豊かな資料はまさに綾部の近世~近代の町の歩みを物語るものです。
 今回、羽室家のご協力を得て、初めて蔵の封印が解かれ、綾部市資料館で展示公開されることとなりました。
 ぜひ、この機会をお見逃しなく、みなさまのご来館をお待ちしております。
綾部市資料館 電話:0773-43-1366 FAX:43―2134
電子メール アドレス : a-siryoukan@mxc.nkansai.ne.jp
ホームページ http://www5.nkansai.ne.jp/off/a-siryoukan/
2006/10/05のBlog
[ 17:10 ] [ あやべの文化財 ]
物部城址 上原氏の居城
源の頼朝は平氏を滅ぼすや国々に守護地頭を任じて幕府の支配下に置いたが、建久四年(1193)物部郷の地頭として頼朝の家来信濃諏訪神党の上原成政(上原氏由緒書では右エ門丞景正)が来て、初め高屋山に城を築いたが後にここに築城し、鎌倉時代以来の在地豪族として、戦国時代丹波の守護代となって威を振るった。
元亀二年(1571)上原右エ門小輔の時、氷上郡黒井の城主、赤井直政に攻められて落城した。城山の南麓の諏訪神社は上原氏が故郷諏訪から勧請した氏神である。諏訪神社
諏訪神社境内には、稲荷神社、天満宮社、厄善神社がならぶ
諏訪神社前右には正慶山・常福寺がある、向かいは物部小学校
清正公大神神社が寺の右にある
なお物部地区西坂町にはもう一つ諏訪神社がある。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/156.html
2006/6/24「延喜式内社・高蔵神社と諏訪神社」 綾部の文化財
諏訪神社由緒縁起
 京都府綾部市(物部地区)西坂町にあるこの「諏訪神社」は源頼朝の命で建久4年(1193)に信州上田城主の上原右ェ門丞景正が丹波の国何鹿郡(いかるがぐん)の地頭職に任ぜられ、物部町高尾に城郭を築き、信州一ノ宮・諏訪明神の分霊を祀ってこの「諏訪神社」を建立。何鹿郡では「地頭職」の名前はこの上原氏のみ判明している。御祭神は「建御名富神と姫神八坂刀売神」であり、境内社は稲荷神社もあり、十月十七日の秋祭りには「高蔵神社の神輿」が立ち寄り、宮司、自治会長等が参拝する。
2006/10/04のBlog
[ 16:09 ] [ あやべの文化財 ]
綾部市観光協会編纂の冊子「ふるさと・あやべの・おまつり」に里部で最大の祭りと聞く「小畑のやっこさん」が載っていない。四方事務局長に調査を依頼したところ15日正午頃に旧小畑村小学校付近で小畑の三社から出た行列による祭礼披露があると判明した。当日は「於与岐八幡宮秋季大祭」取材に四方事務局長、「諏訪神社祭」に私が午前8時に南田連合自治会長に出会い取材、正午にこの「小畑のやっこさん」取材に廻る予定である。
一宮神社(鍛冶屋町八塚ケ谷付近)
様子を聞きに元豊里西小学校の「里山ネット」に行き、職員の塩見直紀氏に場所、様子を伺い地図をいただいた。小畑村小学校は豊里西小のことでなかろうかと云うことであった。
二宮神社(鍛冶屋町宮谷付近)
三宮神社(小西町)
この三神社から繰り出した御輿など行列が会して「やっこふり」を披露する模様である詳しい資料の提供を四方事務局長など知人に依頼している。