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なべちゃんの散歩道
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2006/10/04のBlog
[ 16:01 ] [ あやべの文化財 ]
新田常任幹事より10月15日午前に行われる諏訪神社祭(物部町)の資料を頂きましたので取材の下見に行ってきました。現地では久木康弘さんから練込みのコ-ス、時間などの説明をいただきました。
例祭日:今年は10月14~15日
宵宮:10月14日夕刻、社頭で宵宮の祭典を執行、終わって宮川町のお旅所まで宮遷しを奉仕、お旅所祭りを執行後本宮発興地点まで巡行
本祭:15日の本祭当日は、早朝本社で宮司が例祭の式典を執行後、祭列組供奉の人達が練込みの発興地点まで行列する。この行列の囃しが「川渡り」という軽快な囃しである。屋台は前夜のうちにここに運ばれ、お旅所として鎮座されている。いよいよ練込み開始の柝が打たれると、先ず傘鉾が先頭を行き、次いで剣鉾、秋葉神社御旗、古槍と続いて立道具となる。これは江戸時代の参勤交代の様を模したもので、先ず挟箱が二人、次に立傘、台傘、大鳥毛、中鳥毛と続き、奴姿の若衆が「エッエッ」と毛槍を振り回しながら進み、最後は屋台である。提灯、見送りに飾られた屋台の後は囃子方で締め太鼓、鉦4人笛8~10人が続く。曲は京都祇園祭の囃子を模したもので、幽雅な曲が屋台の止まる要所毎に奏される又この曲とは別に軽快なリズムの「しぐるま」という曲があり、これは余興的に途中休憩場所等で囃される。こうして練込みは三時間程を要して下市の町を練り、諏訪神社へ還幸されてお神楽は終わる。午後は獅子舞が氏子の各戸を廻る。(物部村誌より)
[ 08:56 ] [ あやべの文化財 ]
昨日、綾部の文化財を守る会の役員・常任理事会が行われ、会報63号を受け取り手分けして会員宅に配布した。会報は四方事務局長の手作りB5版18ペ-ジのカラ-写真入りの手の込んだもので、会員には何よりも喜んでいただけた。
朝子会員宅の前に立派な栗の木がたわわに実をつけていた。
みどりの玉が黒くなり栗が覗いているのもあった。
ブログ背景写真
道路際に柿の実もなっている
蕎麦畑があり白い花がいっぱい
弥仙山の麓、於与岐町の吉崎会員宅にも届け、吉田会員の会報を取り次いでいただくよう依頼。
あわせてHP「綾部の文化財」の今週の巻頭写真(京都府指定無形民俗芸能:天狗の鼻高の舞い)に、於与岐八幡宮の秋季大祭(四方續夫しの文化財日誌)記事にそえて、観光協会デジタル部門大賞をとられた吉崎氏の日誌投稿写真をお借りした旨、ご確認いただいた。
2006/10/03のBlog
文化財を訪ねて(綾部以外の文化財研修旅行記)目次
投稿日を変更しましたので連番でご覧になれます。「次のペ-ジ」「前のペ-ジ」で移動ください。
・世界文化遺産「京都の国宝を訪ねて」東寺(金光明四天王教王護国寺)115 上賀茂神社(賀茂別雷神社)1 献上・紀州梅道中に遭遇1 下鴨神社(賀茂御祖神社)119 アミタ本店 感想記1 感想記2

世界文化遺産「奈良の国宝を訪ねて」興福寺 1 なら和み館 感想記2
東金堂・五重塔・国宝館・南円堂・北円堂・三重の塔・猿沢の池・記念写真

世界文化遺産「奈良の国宝を訪ねて」東大寺 記念写真20 感想記1
南大門:阿吽の金剛力士像・石造獅子・中門: 宝珠院々長兼勧学院々長:佐保山堯春師と共に記念写真撮影・鐘楼: 梵鐘・念仏堂・開山堂・法華堂(三月堂):不空羂索観音像・執金剛神像・金剛力士像・月光菩薩像・二月堂・東大寺大仏殿: 盧舎那仏・ 蓮華蔵世界・ 如意輪観音菩薩像・ 虚空蔵菩薩・ 多聞天像・広目天像・金銅八角灯籠

幕府京都御大工頭中井氏系図 中井家について お墓について 絵図から 中井家文書

柏原歴史民俗資料館・栢原藩陣屋跡・田ステ女記念館 111
柏原歴史民俗資料館・ 織田信包・織田信勝・宇陀騒動・織田信休・栢原藩の領地・田ステ女記念館・元禄の四俳女・尼僧 貞閑・ 柏原藩陣屋跡・表御殿・長屋門

さんだ歴史資料集蔵の先進地視察 11514さんだ空襲
さんだ歴史資料収蔵センター:民具の展示・さんだの空襲・さんだ学入門・三田の九鬼氏歴代藩主・心月院・歴代九鬼氏霊廟・武家屋敷跡・九鬼藩城館跡・旧九鬼家住宅資料館・さんだのくらし資料冊子抜粋紹介

世界文化遺産「吉野の国宝と文化財を訪ねて」 122 感想記1 感想記2 
如意輪寺 後醍醐天皇陵・竹林院群芳園・勝手神社・吉水神社 義経潜居の間 書院 後醍醐天皇玉座・金峯山寺 金剛蔵王権現像 仁王門・銅の鳥居 ・黒門

丹後半島一周研修旅行 1  感想記1 感想記2
 豪商稲葉本家・如意寺・浦嶋神社・籠神社・丹後郷土資料館・旧永島家住宅
「綾部市文化協会後援」第十二回 秋の文化財・史跡学習会 参加のご案内 事務局 四方續夫
今回皆様のご要望に答え、又、今回の見学先は副会長のご縁で実現するもので「高台寺(北政所・ねねの寺)四百年祭と太閤秀吉ゆかりの地を訪ねて」と称し次の要項にて募集をします。ご家族、ご友人をお誘いの上、ご参加下さい。
 記
一、期日 平成十八年十一月十六日(木)
二、集合場所・時間 JR綾部駅北口 午前七時二十分(出発七時三十分)山家バス停七時三十五分
三、見学箇所
 豊国神社とその宝物館、方広寺の大釣鐘、午後、高台寺とその塔頭「圓徳院等
四、参加費 おひとり九千円(バス代 拝観料、昼食代、手作り記念写真二枚を含みます。)なお会員外の方は、年会費1千円必要です。
五、募集人員 九十名(京都交通貸切バス2台予定)(但し、満員になり次第締め切ります。)
六、申込方法 十月三十日(月)までに参加者全員の〒番号・住所・氏名・電話番号を記入し葉書にて申し込み下さい。特別緊急以外の電話申し込みはお断りします。
七、申込先
〒番号:六二三―000四 綾部市多田町後路二八 四方續夫 宛
八、受付と出発案内は申し込み締め切り
綾部駅北口====山家バス停===京都縦貫道====南丹PA==7時30分出発 7時35分(時間厳守)====東山区・方広寺の大梵鐘、豊国神社及び宝物館見学===== 10時頃 11時出発==東山区・高台寺駐車場内「洗心亭にて羽柴の昼食」徒歩にて高台寺へ。 11時30分 12時30分迄昼食及び自由行動高台寺(表門)集合 ・高台寺及び圓徳院の国指定名勝庭園等見学12時35分(記念写真)高台寺駐車場出発==丹波町・やまがたや==山家バス停==綾部駅北口午後3時30分 5時~5時15分 5時50分 6時頃到着予定
後、葉書にてお知らせします。尚、 この会報を持参の上ご参加ください。
写真上:豊国神社の唐門
「綾部市文化協会後援」 第十二回秋の文化財・史跡学習会 事務局 四方續夫
見学箇所の概略とコースの紹介
 今回の学習旅行は、「綾部が民俗・民具・文化財の宝庫」なら、「京都・奈良は国宝の山」です。
 京都府の国宝の数は254件で正に日本一です。延歴十三年(七九四)に桓武天皇は長岡京から、この地、京都に平安京を遷都されました。京都の最盛期はこの平安時代ですが、源平・鎌倉・南北朝・室町・安土桃山、そして江戸時代へと政権が武士の幕府に移りましたが、なお隠然たる勢力をもち、経済、特に文化上は日本の中心であり続けました。特に安土桃山時代、即ち、豊臣秀吉の時代は京都を「おどい土居」で囲み、又、伏見城、聚楽第など数々の桃山文化の華を咲かせています。
私達は今回「高台寺「(北政所・ねねの寺)四百年祭と太閤秀吉ゆかりの地を訪ねて」と称し、豊臣家滅亡の原因となった「方広寺」の「国家安康君臣豊楽」の銘のはいった大釣鐘や豊国神社の国宝・唐門や宝物館、国史跡・名勝指定の高台寺とその有力たっちゅう塔頭であり又、国名勝指定の「北庭」のある「ねね終焉の地」圓徳院を特別参拝・見学いたします。これら両寺は隠れた紅葉の名所とも言われています。

午前十時前、豊国神社へ到着です。 京都スカイ観光ガイドさんが待って居られます。トイレは神社前の道を五十メートルほど国立博物館の方へ歩いていきますと角にあります。ここで号車毎に国宝・唐門をバックに記念写真を撮り、号車別に見学です。

豊国神社(ほうこくじんじゃとも云う) 当社は京都市東山区大和大路正面茶屋町、旧方広寺大仏殿遺跡地にある。
 京都の人々から「ほうこくさん」と親しまれているが、正式な名称は「とよくにじんじゃ」であり」ご祭神は「太閤記」で今でも有名な前(さき)の関白太政大臣贈正一位豊臣秀吉公である。 
由緒
 天下の英傑豊臣秀吉公は慶長三年(一五九八)八月十八日、京都、伏見城で六十二年の生涯を終え、遺命により京都東山連峰の秀峰「あみだがみね阿弥陀ヶ峰」に埋葬された。翌慶長四年には山腹の「太閤坦」に日本最初の権現造りで壮麗にして雄大な社殿の造営が成され、後陽成天皇により「豊国大明神」の神号を与えられ神として祀られた。その境内は約三十万坪にものぼり、現在神社の「宝物館」の重文・「豊国祭礼図屏風」(狩野内膳筆)でその当時の規模が想像できるが、しかし、豊臣家滅亡後、この華麗な豊国社は徳川氏によって破壊された。
 ただ、現在は豊国神社の飛地境内として、この阿弥陀ヶ峰に「豊国廟」があるが、皆様ではとても登っていけない。

唐門(国宝)
 神社正面石鳥居をくぐり参道を進むと、前面に厳然と威容を誇る大唐門は伏見城の遺構で国宝である。西本願寺・大徳寺と併せ国宝の三唐門と呼ばれている。
 総欅造りで創建当時は彫刻等には金箔が施され、その形式や彫刻などいずれも従来の規格にとらわれず自由奔放な手法を示し、豪華な気風を表現した桃山建築の中でも代表的なものに数えられている。
 又、唐門正面に高くかかげてある「豊国大明神」の御神号額は後陽成天皇の御宸筆によるもので、旧豊国社伝来の勅額である。

宝物館
桃山風造りの宝物館(大正十四年開館)では、豊太閤ゆかり深い宝物が公開されている。主なものとしては「豊国祭礼図屏風」(狩野内膳筆)、与二郎鉄燈籠(国重文)、桐鳳凰蒔絵唐櫃(国重文)等約八十点が展示されている。

方広寺の大梵鐘 写真上
 天正十四年(一五八六)太閤秀吉は奈良の大仏以上の巨大な木像大仏を建立したが、幾度もの消失で、現在は豊臣家を滅亡の一つの理由とされた「国家安康君臣豊楽」の銘が入った高さ、四・二メートル、重さ八十二・七トンもある巨大な梵鐘と本堂と大黒天堂を残すのみである。
 
出発は十一時です。豊国神社前の道筋でまとまってバスをお待ち下さい。バスは高台寺前の駐車場にはいります。この反対側には、「霊山観音」や又、南には「八坂の塔」など京都の美しい眺望が楽しめます。
昼食は駐車場内の「洗心寮」にてユバを使った京料理をお楽しみ頂きます。 
ここには電話はありません。
(緊急の連絡は京料理の「羽柴」電話:0七五―五三一―0六六六又は高台寺0七五―五六一―九九六六へ伝言を頼んで下さい。)
昼食は、十二時十五分頃終了、買い物、付近の散策を楽しみ下さい。霊山観音は拝観料二百円で各自払いです。)
(注)十二時四十分には必ず「表門」へご」集合下さい。ここで、京都市観光大使・高台寺執事兼圓徳院のご住職・後藤典生師(ごとうてんしょう)と号車毎に記念写真を撮ります。(注)高台寺入り口の庫裏ではありません。
鷲峰山高台寺(臨済宗建仁寺派)
高台寺由来
東山霊山の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寺寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長一一年(一六0六)開創した寺である。今年が創建四00年にあたり種々の催が実施された。
当初、秀吉の正室北政所が、生母あさひのつぼね朝日局追福のため寺町に建てた康徳寺(曹洞宗)を寛永元年(一六二四)建仁寺のさん三こう江和尚を中興開山としむかえ、高台寺と号し臨済宗建仁寺派に改宗した。 造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助(寺領五百石)を行った、寺観は壮麗をきわめたという。
しかし、寛政元年(一七八九)以後、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失ったが、次のような国重文や国史跡・名勝の庭を現在も保っている。
尚、北政所ねねは天正一六年(一五八八)に後陽成天皇より高台院の号を賜り寛永元年(一六二四)国名勝指定の有力たっちゅう塔頭「圓徳院」で九月六日七七歳でなくなられた。

表門(国重文・桃山時代)
 薬医門の形式で伏見城から移したという。

開山堂(国重文)
 高台寺第一世の」住持、三江紹益禅師(一五七二~一六五0)」を祀る塔所である。左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安置されている。礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の各子天井には秀吉の使った御船の天井が用いられている。

観月台(国重文) 写真上:観月台と庭園の一部分
 庫裏から廊下を廻って行きますと、廊下が続く、檜皮葺きの四本柱の建物が池の上に見えます。三方に唐破風をつけた屋根の下から観月するための建物である。
 
庭園(国史跡・名勝指定)
 庭園は開山堂のが臥りゅう龍ち池、西のえん偃げつ月ち池を中心として展開されており、小堀遠州の作によるもので、偃月池には、秀吉遺愛の観月台を配し、北に亀島、南の岬に鶴島を造り、その石組みの見事さは桃山時代を代表する庭園として知られている。
 この庭園を楽しみながら圓徳院のご住職後藤典生師の特別「法話」や「お茶」のご接待を私達「綾部の文化財を守る会」の参加者のみにして頂きます。

霊屋(国重文)
秀吉と北政所をお祀りしている所であり、厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置している。しゅ須みだん弥壇(仏壇)や厨子には、華麗なまきえ蒔絵が施され世に「高台寺蒔絵」と称され桃山時代の漆工芸美術の粋を集めている。開山堂とこの霊屋を結んでいる階段を龍の背に似ていることから「が臥りゅう龍ろう廊」と名付けられた。
 又、霊屋から更に登って行くと、灰屋紹益と吉野太夫との好みの茶席であり、鬼瓦席と共に高台寺を代表する茶席「い遺ほう芳あん庵」もある。
かさてい傘亭・しぐれてい時雨亭(共に国重文)
利休の意匠による茶席であり伏見から移建したものである。傘亭は内部が竹で放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えるところからその名があり、正式には安閑窟と呼ばれる。時雨亭とは土間廊下でつながっている。
 高台寺から階段を下るとすぐ圓徳院に到着です。

高台寺「掌美術館」
 この美術館は圓徳院の隣の二階にある掌(てのひら)のような小さな美術館ですが、ねね様と秀吉の思いであふれています。
高台院像・江戸時代(国重文)
、まきえ蒔絵の調度品は楓桐菊蒔絵薬味壷・桃山時代(国重文)、竹秋草蒔絵文庫・
桃山時代(国重文)、神号「豊国大明神」桃山時代・後陽成天皇しん宸ぴつ筆など素晴らしいものが展示されている。
圓徳院(秀吉の妻、北政所ねね終焉の地、 臨済宗建仁寺派)
圓徳院由来
 豊臣秀吉没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、高台寺建立を発願し、慶長一0年(一六0五)、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。爾来北政所を慕い大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が訪れたと伝えられている。ねね、五八歳のことである。これが今日の圓徳院の起こりであり、ねねは七七歳で没するまでの一九年間をこの地で余生を送り、この地は北政所の終焉の地となった。
 そのねねを支えていたのが兄の木下家定とその次男・利房である。圓徳院は利房の手により高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされた。寛永九年、ねねの没後九年目のことである。

正門 当院は木下家初代以降歴代藩主の墓が置かれ、木下家の屋敷となっていた。そのため正門は長屋門の形態がとられている。

三面大黒天尊天
 福徳信仰の象徴として、豊臣秀吉が念持仏としたといわれる珍しい尊像である。
 いわば秀吉の出世守本尊である。御堂は京都御苑から移築したものである。

桧垣の手水鉢
 宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その面を凹字形に切り取り手水鉢としたものである。笠石は室町時代の作と考えられている。

歌仙堂 木下家定の嫡男で若狭藩主だった勝俊は歌の才に恵まれ、後にちょうしょうし長嘯子と号し、歌聖とまで呼ばれた。歌仙堂は長嘯子を
祀っている。

北庭(国名勝指定) 写真上
 もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園の一つである。賢庭作で後に小堀遠州が手を加えた。池泉回遊式だが枯山水となっている。原点となるのは東北部で、枯滝石組を二等辺三角形にまとめて数群展開させ、あるいは蓬莱石組を作る。(池泉にかかる数個の橋は見事な巨石をあてているが、その厚さからくる迫力はこの庭の特筆すべき点でもあろう)このように多数の巨岩大石がふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。

障壁画(長谷川等伯「冬の絵」部分 国重文) 
 桐紋などを散らした唐紙には絵は描かないのが通例だが、この襖絵はすべて桐紋襖の上に描かれた非常に珍しいものである。三玄院住職春屋宗園に襖絵制作を
常々懇願しながら許されなかった等伯が、ある日住職が留守であることを知って、客殿に駆け上がり、腕を振るって水墨を乱点し、一気に描き上げてしまったものだと伝えられている。
他にも南庭・しょかん書翰・ふすまえ襖絵など素晴らしいものがある。

最終出発は「高台寺バス駐車場」を午後三時三十分です。トイレを済ませ時間厳守でお願いします。
2006/10/02のBlog
[ 20:36 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
秋の彼岸が過ぎ10月ともなれば、今年の残りをふと思うこの頃である。昆虫たちも秋の風情をかきたてるかのように忙しく立ち回っている。しかしやがて到来する冬のひそやかな気配を表現しているようにも見える。聞こえてくるツクツクボウシの蝉の声も真夏のアブラゼミの忙しさがない
トンボ
夕暮れ前の空をクモが渡っていく
400mmの望遠レンズで撮る
コスモス最盛期
[ 11:59 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
[関連したBlog]
蜂雀(ほうじゃく)なかなか上手く撮れない。夕暮れなのと動きが速すぎる。
蜂雀(ほうじゃく)
蜂雀(ほうじゃく)
紫色のハ-ブが好きなようである
向日葵がまだ咲いている
2006/09/30のBlog
[ 14:25 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
舞鶴市在住のふじもと様からいただきました「滝と山野草」の18点の写真を背景画像と一緒にブログに連載させていただきました。
HP「なべちゃんの試作箱」 「投稿写真ギャラリ-」にも追加してアップしてあります。

Doblog ツ-ルバ-から編集画面に入り、ホ-ムペ-ジを写真と共にリンクできる機能が、Doblogバ-ジョンアップからかなり日が経つのに未だ回復していません。下記のURLをクリックしてご覧ください。http://www.nbcayabe.com/toko.htm

「ハンショウヅル」についてコメントをいただきましたので、ふじもと様に問い合わせると丁寧なご返事をいただきました。
 「ウバユリ」の写真は、例の上林の頭巾山登山口がある古和木の集落より少し手前で、右分岐の林道があります。こちらもすぐ先に2軒のお家があり、その先からは以前は林業会社の山林ですぐ先の左分岐には事務所にされていたと思われる、昔の郵便局風の建物などが残っています。
ここを直進すると次は左に橋で早稲谷林道に分岐しますが、ここも直進して他の左分岐も無視、本流沿いにしばらく進むとチエンのあるゲートに着きます。
このゲートの右の岩上に弁天が祀られており、ゲートのすぐ目の前で林道が分岐しています。ここで右の林道は橋を渡りますが、この橋の上から右下を覗くとS字状に流れる弁天の滝が望めます。(中略)斜面に丁度ウバユリが咲いていました。写真は橋を渡ったすぐ右から滝の流れを見下ろしながら撮ったものです。

それから、このゲートのチエンは殆ど開いていますので車である程度は進めるのですが・・・このチエンが開いているということは林道の奥で作業がされているということで、その方がお帰りになられる前に戻っていないと、チエンが掛けられてしまいます。私たちはいつもこのゲートの手前の路肩に車を停めて歩いて奥に入ります。
右の林道は長いですが尾根まで上がると、尾根上の分岐のある場所から天狗畑三角点まで10分ほどで登れます。また、左の林道は最後に崩れていますが、それを一旦降って上り返すと数分で八反の滝が左から落ちています。こちらはゲートから歩いて30分から40分かかります。

 それから、ブログの投稿で「ハンショウヅル」のことがありましたが、以前の投稿で赤紫と白の2種類とも写真を載せていましたので返信しませんでした。ただ、今回のハンショウヅルは説明不足で申し訳ありませんでしたが、先の写真掲載の花が終わってしまうとこんな状態になります。チングルマの花と種のちがいのようなものです。

本当に丁寧なご返事有り難うございました。ブログ編集者の独断で1ケ所(中略)させていただきました。山野草の保存のためです、お許しください。大自然の中に咲く山野草は、額に汗して登って現地で見てこその「地球の宝石」です。盗って帰って百花繚乱の庭に咲かせても無意味です。宜しくご了解ください。「山でのこして良いのは足跡だけ、山でとっても良いのは写真だけ」
なべちゃん追記;
この「弁天の滝」は、私が青年会議所時代に「綾部の秘境を探る:丹の国綾部再発見」でメンバ-の車に同乗して上林谷の滝巡りをし、その時に「弁天の滝」の直ぐ上にももう一本滝があり「幻の滝」として知ったものです。
その後何度か家族で早生谷キャンプをして遊びました。子供をこの橋のあたりの渓流で水遊びをさせたり、少し登ると赤井林産?に至る道が伏流水で道の下に川が流れ、伐採した枝樹が敷かれていたり、テントを張り飯ごう炊さんをしたり・・大自然の天国で毎年一度は行っていました。家族をキャンプ地に残して私は右の山を登り詰めて「天狗畑」に登ったことがあります。先年登った「洞峠」から「天狗畑」「頭巾山」縦走の時よりも若かった理由もありますが楽に「天狗畑」の頂上に立てました。
このふじもと様の文章を読んでよく説明されていると記憶を新たにしました。
2006/09/29のBlog
[ 20:37 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
清純な感じの「白いささゆり」のあとは、今回の山野草シリ-ズのラストを飾る「毒だみ」だぞぉ-!
ふじもと様のユ-モアかも?
「ドクダミ」は薬ですね。「ドクダミ茶」も有るのかしら?
「ヒカゲノツツジ」を見に「向山連山」へ家内も一緒にふじもと様にご案内していただいたことがあった。「五の山」の鞍部で昼食休憩をとり、そこにこの「八重ドクダミ」の群生があり、ふじもと様に教えていただいた。
[ 08:13 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
ピンクのささゆりも乙女の風情を感じますが、白い笹百合も良いですね
2006/09/28のBlog
[ 15:34 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
舞鶴市のふじもと様の撮られた写真です
[ 07:51 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
ガスのかかった伊吹山の大自然は本当に素晴らしいですね
2006/09/27のBlog
[ 19:01 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
ふじもと様からいただいた写真です
[ 09:18 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
ご夫婦で近畿地方一帯の山歩きを楽しまれ、山野草情報に詳しい舞鶴市のふじもと様からいただいた写真です
2006/09/26のBlog
[ 20:14 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
舞鶴市のふじもと様からいただいた山野草の写真です
[ 17:05 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
ふじもと様の撮られた写真です
[ 08:24 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
舞鶴市のふじもと様からいただいた山野草の写真です
2006/09/25のBlog
[ 08:13 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
舞鶴市在住のふじもと様の撮られた写真です
2006/09/24のBlog
[ 21:30 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
ピンクのささゆり
ふじもと様からの写真です。
[ 19:55 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
ふじもと様からメ-ルでいただいた写真です
[ 09:39 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
ふじもと様の撮られた写真です。メ-ルでいただきました。
2006/09/23のBlog
[ 06:50 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
舞鶴市在住のふじもと様の撮られた写真です
[ 06:48 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
舞鶴市在住のふじもと様の撮られた写真です
2006/09/22のBlog
[ 19:49 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
ふじもと様からいただいた山野草の写真です
[ 19:44 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
舞鶴市在住のふじもと様から滝の写真もいただきました。滝の周辺の草木や花が上手く写し込まれ滝を引き立てています。
2006/09/21のBlog
[ 20:07 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
[関連したBlog]
ふじもと様から、カメラの中に残っていたからと沢山の山野草と滝の写真をいただいた。
高山植物で有名な名山は別だが、近畿一円の普通の山々では、山歩きの好きな人でも山野草は、なかなか見つけにくく、また滝も良く知っている人でないと現地に行けないと思う。
私も来月になれば少しは余裕が出来ると思うが、兎も角今月はろくにブログと付き合う間が取れず困っていた。まず会社の営業システムの修復に手間取った。今日やっとWindows95の再インスト-ルが出来た。古いシステムなのでハ-ドとOSとプログラムが乖離してしまい、昔出来たはずのことが通用しなくなっている。次ぎに自宅でも多事多用で嬉しい悲鳴をあげる多忙状態が続いている。出席する会合も次から次に入った。
 そんな中でふじもと様からいただいた貴重な素晴らしい写真でブログを飾らせていただく。持つべきは友人なり。時のお助け神さまさまなり。感謝!
2006/09/20のBlog
[ 22:36 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
綾部オ-プン・テニス大会の1回戦、男子シングルス、女子シングルスの様子をお知らせしたが、所用のため開始式とその後の8x2=16対戦を取材しただけで失礼した。
フォア・ストロ-ク
選手に焦点を合わせるので手前のフェンスが、かなり透けて撮れるのだが、必ずしも万全でない。今回の300mmズ-ムレンズより、次回からは400mm手振れ防止付きズ-ムレンズを使えるので楽に撮れると思える
サ-ブ
サ-ブ
フォアハンド・ストロ-ク
[ 22:27 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
女子シングルス対戦、奇数回ごとにコ-トチェンジをする。その時にスコアを差し替え、ゲ-ム進行の様子を観客にも知らせる。
サ-ブ
サ-ブ
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2006/09/19のBlog
[ 22:45 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
j女子シングルス対戦の選手
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[ 08:58 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
台風13号が日本海沖を東進して、一気に日差しがさしてきた。風がおさまったので昆虫たちの出番か。
手ぶれ防止機能付きのズ-ムレンズで撮影した。
小型のひまわりに止まり蜜を吸うアゲハチョウ
シジミチョウ
ひらひら舞っているモンシロチョウの止まった一瞬
地蜂も赤い水引の花を巡り密集め
2006/09/18のBlog
[ 19:03 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
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この数年追いかけ回していた「蜂雀:ほうじゃく」をやっとゲット。やはりCanon EF 100-400mm f/4.5-5.6L IS USM レンズ(手振れ防止機能内蔵)の威力である。
まだまだ写真撮影の技術が不十分なので、もっと練習し使い慣れて鮮明な写真を撮りたい。
台風13号が午前中に通過したので、敬老の日の休日、今日は何とか「蜂雀:ほうじゃく」をゲットしようと、しばしば戸外に出て待機したが、まだ風が強く姿を見せなかった。
5時過ぎ少し暗くなり始めた頃やっと飛来し撮影を開始、なにしろ活発に飛び回るので中々の難物。そこに家内が帰ってきて逃げてしまった。さらに待機すると舞い戻ってきたので撮影再開。すると今度は市民新聞の配達員が走ってきてまたもや飛び去る。暗くなり撮影条件も悪くなり撮影を終了した。
青い花が好きなようだが樹木を背景に
ほうじゃく
おしりが大きく膨らんでいる。蜜を貯めているのかも?暗くなってきてこれが撮影の限界