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なべちゃんの散歩道
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2006/02/19のBlog
ここで具体的な日本列島全体の動きを観察してみよう。
 「表」と「裏」、それは多くの場合、日のあたる場所と日のあたらない場所の別称である。

 所謂、表日本の太平洋ベルト地帯が、とりわけ東海道メガロポリスに象徴される巨大な経済集積ゾ-ンに栄光の変容をとげる裏側で---つまり、裏日本の日本海沿岸に接した一連の地帯は殆ど例外なく、過疎現象の加速に追われて既に二十年、この舞台裏をめぐっては、交通体系や情報通信網はいうに及ばず、その他の社会資本投資の軽重や、大規模な地域開発作業の格差が年一年と積み重ねられて来た。それは地域住民一人一人の格差を誘発、更に社会的生活環境の水準格差まで大幅に押しひろげ、亀裂化の状況を見せて来た。

 しかも問題は単なる格差にとどまらず、今度は逆に表日本では、日のあたりすぎから極限に近づいた人口過密、環境破壊とまでいわれる産業公害、等の過熱症状が、予想をこえて太平洋岸は正にスラム化すると呼ばれ始めた。並行して起こった前述の物から心への人間的根源的な流れが、スラム脱出を覚醒し、裏日本---日本海ベルト地帯へ大きく目をむけさせることになったのである。

 開発の遅れた、しかしいいかえれば自然というか人間の本源的なものというか、を残し得た日本海ベルト地帯に新しい価値をつくり出す。先進太平洋岸の二の舞をふむ事なく、観光によし農業によし、工業によし、住宅によし、教育によしの今となっては、その価値を保存して来た裏日本に、人間の生活優先の新しい調和のとれた生活圏の創造が呼ばれる様になった。正に日本海時代の到来でなくて何であろう。
2006/02/18のBlog
さて、人間調和都市の成立の先ず前提条件となるものは、当然の事乍らその都市を包む美しい自然の存在でなければならない。

 第二にその都市の歴史性である。この自然や歴史にひかれる由縁のものは、根源的不変的なものへの憧憬、永遠に対する人々の希求であり、うつろいゆく人間がうつろわない自然あるいは自然的なものに寄せる心情、そこにこの世の安住の地、憩と「やすらぎ」を求める人間の気持ちが強く働くのである。所謂それは「ふるさと」そのものであろう。

 この本源的なものをペ-スに、仕事---人間経済(くらし)が見事にミックスされた生活圏こそ、真の未来都市の型として断言出来るのではないか。

 こうした都市は、前にふれた如く大都市ではなく地方の中小都市、むしろ今まで「後進」あるいは「過疎」の汚名をこうむって来た都市に、従って本源的なものを逆に未来の前提条件として残し得た都市に、保存と開発といった姑息な二元的なものでなく、新しい創造という一元的な可能性があるといえよう。
 所詮、「先進」と「後進」の概念は相対的なものでしかない事に気付かねばならない。

 経済至上主義から人間主義へ、物から心への価値観の変化を大きくはらんだ未来社会の変革が予測される今日、後進都市の「開発されずに取残された」という宿命的制約条件と見られていたものが「破壊されずに残った」という成長条件への転化の可能性にひらけつつある事は決して不思議な事ではない。

 後進都市の開発戦略の視点は、後発利点の発揮であることに注目せねばならないのである。
さて、こうした日本の未来の上に立って、人間のすみか「都市」は当然「物」や「経済」の縦走構造でなく人間の心を中心とした、人間を解放する空間として見なければならないであろう。

 現実「ふるさと」は最近「家つき、カ-つき、ふるさとつき」といわれ、交通ラッシュ、交通禍、公害、住宅難等々の全く凄惨な都市生活で疲れた心身をいやしたり、盆正月には家族を連れて帰る「いこい」の場としてとらえられたり、更に又、所得が増え、余暇が増大する未来には、人間性を回復する旅行地としての評価も高まりつつある。ある雑誌は又「サラリ-マンが大都市から移動開始」と題し、「地方転勤や転職を希望する人達や、都会における仕事を投げ出しても田舎に帰りたいという人が激増し始めている。

 東京都人口統計係の調査によると、昭和43年度東京転入者70万人、転出者74万人、はじめて転出者が転入者を上まわる人口逆転現象が起こった」と人口動態のUタ-ンの始動を論じている。

 人間は所詮自然的存在である。従って如何に科学技術が進歩し、物質文明を謳歌しても、自然人としての基本的摂理からそう遠くはずれることは出来ない。昨今のレジャ-やセックスやファッションのブ-ムは、一種のつくられた狂気さえ思わせるものがあるが、それでも尚、その根底にひそむ人間の自然回帰---ふるさと回帰への強い欲求を見逃す訳にはいかないであろう。

 工業化社会の中で、そこなわれない自然と過去のすぐれた文化のかおりにふれ、人間性を取戻すオアシスとしての「ふるさと」は今や脚光をあびようとしているのである。

 人間の生活機能として、自然的精神的充足と経済的物質的充足の二つの要素があり、元来都市は、この二つの要素を原始的にとりこんだものであったが、経済のあるいは物質文明の発達は、その二つの要素を分化させ、前者をおさえて後者が急速に膨張し、その結果が生態的環境破壊とまでいわれる都市の危機を生んだといえるであろう。

 都市の理想型、未来型としては、この二つの要素の見事な近代的調和---調和都市でなければならないが、極端に都市化物質化の進行した大都市には、これを求める事は至難である。その復元は無論の事、拡大均衡的調和もそのスペ-スの限界から不可能であろう。
2006/02/17のBlog
世の中の無限の経済拡大を夢見る人達は見るべきものを見ていない。そもそも拡大とは何のためか、拡大は拡大のためのものではない筈である。こうしてこれから歩み始めるのであろう日本は、欧米に師を求める訳にはいかない。始めて強制をはなれ、日本自ら独自の道を探し求めて歩む日本、解放された日本、即ち自由なる日本となるのである」

 又「世界的に物質文明が壁にぶつかり、これから人類が精神文明の方向にハンドルを切ることになる。この事は単に当て推量でなく理論的にもいえる」と立石一真氏(立石電機KK社長)は、自社開発の未来予測論「シニック理論」をベ-スに断言する。

 更らに「日本は西洋と東洋の接点に立って中道の歩みを進めて来た。唯心的といっても、中国の様に産業面での革命よりも先に文化革命を起こすという程極端でない。明治維新以来産業重点で、つっ走るかと思えば、早くも「生きがい論」が出てくる等、極端に流れる前に軌道修正をする国民性がある。中道というのは、追いかける時は一歩おくれるが、その先行者が壁にぶつかる以前にカ-ブを切れるという利点がある。 この事は、変化への対応という面で欧米人にない強味になるといえる」しかも、「結局精神中心の日本人に有利な時代を迎えようとしている」と。木内信胤氏とは、多少の展開の相異はあるにしても、日本人の可能性と日本の未来に就いては、全く同じ事をいっているのである。
2006/02/16のBlog
では一体、今の日本のコ-スには、どの様な変化が起ころうとしているのか。それは今までのあわただしい性急な日本から、より静かな、より内向的内省的な日本となり、国民的努力の目標は例えば、公害の排除といった事がその主座を占める事になるのである。そして公害を排除しようとする気持ちは、自ら国土美化に通じるから、これからの日本人はその総力を傾けて、傷つけられた祖国の自然を復元し、進んでその美化を図ろうとするであろう。そしてこの様な志向は、実は日本人の本来の気質にピッタリなのである。

 戦後の日本人の願望は、ともかく物量を増大する事であった。当時文字通り飢餓の日本国民であったのだから、物への憧憬は当然のことであったし、極く最近まで豊かな物をさえ獲得すれば、大概の事は成就すると信じて来た。ところが(近年の先進アメリカの状況、最近の日本の状態を見るにつけて)物への執着のむなしさが次第に分かりかけ、「生きがい」の再検討をせまられて来たのである。

 物量が豊かな事は必ずしも真の幸福とは、つながらない。それどころかしばしば邪魔でさえある。例えば飯は三杯食べればそれでいいのであって五杯なら却って病気になるのと似ている。この様に「物」を幸福への手段の一ツと考えて、それ自体を目的と考えない事は、本来東洋では当然の思想なのであるが、明治以来の特に終戦以後の日本は西洋化する事、アメリカナイズされる事が、いわば至上命令、それ以外に生きる方法なしと信じられたのであった。勿論、西洋化、アメリカ化にも非常な長所があり、それ故にこそ今日の素晴らしい日本となったのでもあるが、一面それ以外に道を与えられなかったという意味で、一種の強制であったのである。この強制化の日本、それは本来の日本らしい日本ではなかった。

 今の日本では、この様な点に関する精神的自覚が次第に呼び起こされて来た。
 それと同時に、物質的経済的局面においても「限度に来る」という事が起こってきた・・・・・・。
未来都市の論理「ふるさと」1 丹の国・綾部 実行委員長 故塩見清毅 著(昭和46年(1971)発刊)
 此処では、本書全体がかもし出す「ふるさと」を概念的にとらえ、それが果たして未来的たり得るかの論議をすすめねばならない。一見それは、近代産業基盤をもたない衰微した過疎そのものとしてうつるかも知れない。

 事実、60年代における経済成長の恩恵は少なかった。しかし70年代に入りその極端な高度成長がその恩恵を独占した都市あるいは国土に、生態的な循環にまで影響を及ぼす「公害」を現象として、環境破壊を惹起し始めた。そのメカニックにして非人間的な動きは、確かに生活の物質的豊かさはもたらしたけれども、人間疎外と精神喪失という大きな犠牲代価を支払わねばならなかった。

 さて、このテ-マを追求していく前提として、日本の将来に就いての洞察がなさられねばならないが、この予測に就いては、ユニ-クにして正鵠を射ている木内信胤氏(世界経済調査会会長)の「日本減速論」を全面的に引用展開していきたいと重う。

 「日本の将来を語るにあたっては、特にそれがハ-マン・カ-ンであろうと誰であろうと先ず日本の過去十年なり、二十年なりの驚異的な生長実績を考え、次にそうあらしめた要因を数え、その要因にこれから大きな変化はないと見定めた上は、今後十年二十年同じ様な日本の高度成長が続き、21世紀には超経済大国として世界に君臨するであろうことは容易に推測出来る。そういう考え方に対して、特にそれがハ-マン・カ-ンである場合、その論旨は精緻であるから、敢えて異論はない。

 しかし日本を論ずる場合、外国人である彼の様な人が見落としている別個な要因が働く場合があると考えられる。それは、日本人の国民性の中に「何時でも大きく変わり得る」という特性があるからで、もしもその性質が発揮される事になれば、日本は一朝にして今までとは異なる道を歩き出そう。

 この日本人の可能性が顕著にあらわれた一例は明治維新である。その直前まで尊皇攘夷で固まっていた日本は、それが一度開国と決まるや一夜にして熱心な欧米文化の学徒となり文明開化に酔いしれた。今一つの大きな例は、あの終戦時の日本であった。一億総玉砕は決して嘘ではなかったのであるが、終戦と決まるやこれ又全国民はアメリカ一辺倒の姿勢となりエコノミック・アニマルにまで変貌したのである。この様な豹変の可能な国民は、全世界に日本人以外は絶無であろう」

 「ところで日本人は終戦後二十数年を経た今日、前記二例に較べば、多少小さくはあるが聊かそれに似た豹変を示そうとしている。
 もしそうだとすれば、今までがこうであったからというハ-マン・カ-ン流の経済大国論は全く通用しなくなるのである。
2006/02/15のBlog
丹の国・綾部:別話 未来都市の論理「ふるさと」 はじめに
 次回から連載のブログは、昭和46年(1971=35年前)に綾部青年会議所が10周年記念事業で発刊した冊子「丹の国・綾部」の、故塩見清毅さんが書かれた「未来都市の論理:ふるさと」の再録です。
 未来都市とは、自然と人間が真に調和する「人間調和都市」でなければならないこと。
破壊されずに残った豊かな自然「ふるさと」を持つ「綾部」こそ、「未来都市:人間調和都市」建設の資格があること、人間調和都市と広域圏との関係・・・
故塩見清毅さんの驚くべき先見性と、鋭い指摘のある論説です。

*綾部市市民憲章の全文は下記の通りです。
 この前文にある「自然と人間が真に調和する新しい田園都市の実現をめざして」の「新しい田園都市」とは、「人間調和都市」のことです。故岡博先生の元で起草されましたが、当時として全く新しい概念である「人間調和都市」は、塩見さんの造語で、青年会議所内で使っていました。

 起草委員に加わった、JC・OBの塩見清毅、吉田藤治さんに伺うと、市民の憲章なので、苦心の結果「新しい田園都市」の表現で妥協(昇華)したと云われました。私は、ベ-ト-ベンの「田園」のメロディのイメ-ジですねと答えた記憶があります。

綾部市市民憲章
私たち綾部市民は、丹波の美しい山河と豊かな伝統を持つふるさとを誇りとし、郷土愛に燃え、自然と人間が真に調和する新しい田園都市の実現をめざして、ここに市民憲章を定め、これを守り実行することを誓います。
1 平和をねがい、祈りのあるまちにしよう。
1 自治を高め、心のつながりのあるまちにしよう。
1 教育をたいせつにし、文化のかおるまちにしよう。
1 環境をととのえ、健康のあふれるまちにしよう。
1 産業をおこし、豊かな暮らしのあるまちにしよう。
1 計画を定め、輝かしいあしたをひらくまちにしよう。
 (昭和49年[1974年]11月3日・市制定)

*綾部市民の皆様に;
 広域市町村合併について論ずる皆様方は、一人残らず読んでください。
*T君に;
 昭和46年(32年前)のあなたの生まれた年に、発刊された「丹の国・綾部」に、広域圏と綾部のまちづくりについて書かれた、故塩見清毅さんの先見性のある論説をご紹介します。
 日本の未来予想について、ソ連邦の崩壊、パブルの時代とそれにつづく世界同時不況、21世紀は日本の時代といわれた予測は、夢・幻のごとくであったことなど・・、この論説以後の世界の経済社会の変化は、予測を上まわる現実があります。
 しかし、この「人間調和都市」の論理の基本をなす、都市と自然と人間の問題は、永遠の真理を説くものであると信じます。
 行財政上の問題として突然飛び込んできた、広域市町村合併について、いま私達は、どんな「まちづくり」を目指さねばならないかの示唆を与えてくれると思います。過日の若者の意見交流会で話された「アヤヒトの漢部郷」にもふれていますよ。

*O先生に;
 先生には、すでに偉大な先覚者故塩見清毅さんの書かれた、この未来都市への論説を読んでおられると思います。
「日本海ベルト地帯の中心、日本列島の中心の近畿圏と重なる極めて枢要な位置、それ故にこそ真の意味の中心的な調和都市たり得る・・広域行政圏の構想が具体化したとしても、その中で割拠する個性偏向都市群(臨海工業都市、商業都市、農林業都市、内陸工業都市、観光都市等々)を、綾部はその調和性の故に求心的につなぐ中核都市として動きをなすに違いない・・」この時点で遅いかも知れませんが、市民の皆様にも、お知らせするべきだと思い、このHP版を作成しました。

*Doblog 公開に当たって
 当初、舞鶴市・福知山市(三町合併含む)・綾部市の3市合併構想、および福知山市(同)・綾部市の2市合併構想が議論されてきました。
 今年1月に再選された四方八洲男綾部市長の決定により、綾部市は何処とも合併せずに、既にもつ宏大な市域を基に「小さくとも、きらりと光る、まちづくり」を合い言葉として、今日の行政が行われています。(現在、福知山市は周辺の三和町、大江町、夜久野町との1市3町合併が終了しました)
 昨年の11月市議会において決算報告があり、17年度歳入合計14,467,125千円に対し、歳出合計は15,454,837千円、差し引き△987,712千円の欠損であった。この1億円の欠損を財政調整基金、減債基金を全額取り崩して埋め収支を合わせている。
 今後、地方特例交付金、地方交付税、国庫支出金、府支出金、諸収入、地方債などの歳入の減少が見込まれ、基金残高も4年後の平成21年度には皆無となる財政シュミレ-ションもある。一方、京セラ綾部工場の操業開始、好調の綾部市住宅団地による人口増などの振興策もある。

*ここに、再度このブログ再録版を、本論の編集者である故塩見清毅氏の、偉大なる御業績と先見性を再確認しつつ、先輩を偲び塩見清毅氏の霊に捧げます。(文責:なべちゃん)
[ 10:43 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
腸風邪が流行っているらしい。母を内科医院に連れて行った。
銀嶺会のニュ-オジロ1泊スキ-ツアが、この月・火に予定されていたが、老人ホ-ムへ母の出迎えのために欠席した。
昨年、家内が肋骨を4本折って、母の車いす介護が出来なくなり、3ケ月間、母を養護老人ホ-ムに預かって貰っていた。それ以前にデイケアのために、インフルエンザの予防注射をしていた。
この3月間、風邪も引かずに過ごしてくれて大助かりだったが、帰宅前日になって、吐き下しの腸風邪を引き、食事がとれず、熱もあると云うことで、養護老人ホ-ムに迎えに行ったその足で内科医院に寄り診察をしていただいた。昨夜は自宅で食事も食べ、よく寝られたようで一安心である。
2006/02/14のBlog
[ 08:56 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
冬季スキ-大会閉会式の準備
午前中の大回転滑降競技、午後の距離競技対抗リレ-が終了し、閉会式(表彰)が行われた。
同行の選手や役員の方々は既に食事ずみということであったが、私は昼食を取り損ねたので準備時間を利用して食べに行った。食券をいただいていたが、カレ-、どんぶりなどのご飯物など全て売り切れで、うどんだけが残っていた。
食べ終わって戻ってくると間もなく閉会式が始まった。
各市旗、各市スキ-協会旗を前に整列している。
表彰式、大回転滑降競技(一般男子、壮年1部、2部、女子)、距離競技(リレ-)、および総合成績(1位:福知山市、2位:宮津市、3位:舞鶴市、4位:綾部市)
通年福知山市と宮津市が1位あらそいをしている。舞鶴市は4位であるが、今年は成績が良く、綾部市がラストになった。一日中熱心にお世話になった四方綾部市長が、来年(綾部市当番大会)は頑張りましょうと選手達に声をかけられていた。
閉会式が終わると早々にバスに乗り込み帰路についた。私は結局持参してロッジまで運んだスキ-、スキ-靴など使わず仕舞であった。帰りも峠の坂道で大型バスのすれ違いが出来ないために、対向車の後退の列が待避可能場所まで続き大変であった。
[ 08:56 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
舞鶴市第4走者(1周目)降雪の中を走る。
全ての写真は、拡大してご覧ください。
すでに福知山市、宮津市はゴ-ルすみ。
綾部市第4走者(1周目)
舞鶴市第4走者(2周目)
綾部市第4走者(2周目)
ラストランナ-でこの後、舞鶴市に追いつきかけたが、舞鶴市の選手の走り歩きに逃げ切られてしまった。
2006/02/13のBlog
[ 07:45 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
宮津市第3走者、福知山市第4走者
宮津市第3走者、福知山市第4走者
宮津市第4走者
舞鶴市第3走者
綾部市第3走者
[ 07:44 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
福知山市第3走者、綾部市第2走者
福知山市第3走者、宮津市第3走者
福知山市第3走者、宮津市第3走者
綾部市第2走者?(2周目?)
宮津第3走者、福知山市第4走者
2006/02/12のBlog
[ 07:30 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
宮津市第2走者
舞鶴市第2走者
舞鶴市第2走者
宮津市第2走者、2周目
福知山市第3走者、綾部市第2走者
[ 07:30 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
位置について
第一走者(女性)がスタ-トラインに並んだ
ゼッケンの色分け:綾部市:白地青文字、舞鶴市:黄地赤文字、宮津市:白地赤文字、福知山市:青地白抜文字
スタ-ト
一斉にスタ-トする第一走者
スタ-ト直後の綾部市第一走者
2周目の舞鶴市第一走者
撮影のため外周コ-スに移動した。すでに福知山市、宮津市の選手は通過ずみ。
以下の写真は、外周定点での撮影順(選手の走行順)に掲載している。
2周目の綾部市第一走者
[ 07:29 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
距離競技会場集合
大回転競技の行われた普甲峠西山麓(大江山主峰に続く)の峠を挟んで向かい側(東)にファミリ-スキ-場が広がる。その南側山麓に駐車場が設けられ、奧は公園広場になっている。この広場が距離競技(リレ-)の出発点。
スタッフも到着
大回転競技が終了するや直ちに距離競技会場に移動した。計時係6名の内、四市の記録を順送りで計時するよう酒井計時係長の指示があり、綾部市(福知山市走者を計時)の計時当番を同行のOさんにお願いした。
それで私はフリ-になったので写真撮影が出来ることとなった。
練習調整中のランナ-
選手、スタッフ、観衆が集合してきた。
スタ-ト地点のコ-スづくり。四市走者のために出発地点のみコ-ス分けの小旗が射される
2006/02/11のBlog
[ 08:25 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
女子大回転 競技成績(出走24名)
1位:46:03 福知山市 溝口選手 赤1
2位:48:15 宮津市 彦坂選手 赤3
3位:48:96 福知山市 和久選手 赤5
4位:49:71 福知山市 住友選手 赤13
5位:49:73 宮津市 橋本選手 赤19
6位:50:15 舞鶴市 桐村選手 赤2
7位:50:77 綾部市 小前選手 赤12
8位:53:26 福知山市 秋山選手 赤9
9位:53:48 綾部市 上原選手 赤4
10位:55:77 舞鶴市 中垣選手 赤10
男子壮年1部 大回転 競技成績(出走29名)
1位:44:02 綾部市 立藤選手 青4
2位:44:29 福知山市 森下選手 青1
3位:44:78 宮津市 杉本選手 青3
4位:44;87 宮津市 吉岡選手 青29
5位:45:70 宮津市 柏野選手 青23
6位:46:42 舞鶴市 福田選手 青14
7位:46:71 舞鶴市 尾橋選手 青10
8位:46:72 綾部市 田中選手 青12
9位:46:90 福知山市 柴山選手 青9
10位:47:00 福知山市 松本選手 青13
[ 08:25 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
[ 08:25 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
男子壮年1部大回転滑降競技
[ 08:25 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
女子大回転滑降競技選手
女子大回転滑降競技選手
女子大回転滑降競技選手
女子大回転滑降競技選手
女子大回転滑降競技選手
[ 08:24 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
女子大回転滑降競技選手?
女子大回転滑降競技選手
女子大回転滑降競技選手
女子大回転滑降競技選手
女子大回転滑降競技選手
2006/02/10のBlog
[ 11:41 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
選手の大回転コ-スのインスペクション
計時係の準備
酒井計時係長の指示で6人の計時係が、3人づつ2班編制で世話をすることになった。
私は第2班にまわり、青年、壮年2部の計時係を務めた。
光電管リレ-の設置
小川オペレ-タ-の制御で、競技は電子計測で行われた。計時係の任務は電子計測の測定値の確認、補助である。電子カウンタ-の選手スタ-ト合図、シグナル音(ピッピッピ-)に合わせてストップ・ウォッチをスタ-トさせ、選手の踝がゴ-ルラインを切ったときに止め計測する。ほぼ百分の1秒の数値違いで計測出来た。
前走
電子カウンタ-のタイムは記録係が記録用紙に記入し、またチェックしながら選手個人カ-ドに記録される。短冊形の記録カ-ドは、決勝審判によりタイム成績順に大きな掲示板に並べて表示される。
前走
選手の滑降中の写真は、ゴ-ル地点から見上げて撮影。私が計時係の当番からはずれた女子、壮年1部大回転中の一部の選手の写真だけである。午前中は天候不順で、晴れると日光の反射で雪面が眩しく、サングラスが必要であり、また降雪中の撮影もあった。気温が低いので手が冷たく、カ-ド型SONY syber-shot デヂタルカメラでの撮影である。
[ 11:33 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
選手一同リフトで登頂
インスペクション
大回転コ-スを各自研究しながら下りてくる選手
インスペクション
インスペクション
[ 11:24 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
開会式
開会式
表彰
選手宣誓
綾部選手団の気合い。上原総監督の音頭により輪になって気合いの掛け声を発声した。
[ 10:25 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
国旗、大会旗、綾部市、宮津市、舞鶴市、福知山市の市旗の入場
国旗、大会旗、四都市の市旗の入場
国旗、大会旗、四都市の市旗の入場
翩翻と翻る国旗、大会旗
[ 10:06 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
四市の大会役員、選手もそろい集合中
集合中
集合中
集合中の選手
集合中の選手
[ 08:22 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
ゲレンデのコ-ス整備
コ-ス整備中
コ-ス整備中。自衛隊の隊員にもお世話になっている。
自衛隊の隊員にもお世話になっている。
[ 08:11 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
第54回四都市体育大会冬季大会が指定日の2月第1日曜日に開催された。京都府北部の福知山市、綾部市、舞鶴市、宮津市の四市から選手126名が参加。
積雪不足が心配されたが、3日からの寒波で積雪があり、4日の正午に実施と決定。
当日は60cmの積雪であった。競技種目は大回転競技:女子、青年、壮年1部、壮年2部および距離競技(リレ-)。
昨日は所用で大阪市内におり、直ぐ近所のYさんに大会実施の確認電話をいただき、今朝の6時20分に自宅前に出迎えていただいた。念のためスキ-用具一式を積み、綾部振興局前から大型バスに乗り込む。綾部市職員、綾部市体育協会役員、大会出場選手が乗り込んで出発。選手の殆どは自家用車で個々に行かれた様子である。
大江山に入ると随分の積雪で、大型バスが通れる幅しか除雪されておらず、追い越しや対向車の擦れ違い不能。積雪で沿道の樹木の枝が垂れ下がり、バスは慎重にはね上げながら徐行して普甲峠の大江山スキ-場に到着した。
主催:綾部市、宮津市、舞鶴市、福知山市、四市教育委員会、四市体育協会
主管:福知山市、福知山市教育委員会、(財)福知山市体育協会
後援:京都府、京都府教育委員会、(財)京都府体育協会、朝日新聞舞鶴支局、毎日新聞舞鶴支局、読売新聞大阪本社、産経新聞舞鶴支局、京都新聞北部総局、NHK京都放送局、KBS京都
支援協力:陸上自衛隊福知山駐屯地 第7普通科連隊
四都市体育大会趣旨
四都市体育大会は、広く市民の間にスポ-ツを普及し、健康増進と体力の向上をはかり、スポ-ツを通じて、両丹地方相互の友好並びに親睦をはかるものとする。
2006/02/09のBlog
帰りは温泉に直行、天女の湯
R9号線沿いの八鹿町にある
使用済みのリフト券で100円引き。13人の割引券でも同料金だった。
湯上がりは牛乳が美味しい。ホッパ-・クレ-ンが動き目的の牛乳を運んでくれる。
湯上がりの一行。夜久野ドライブインにより、ミ-ティングの後解散
ゲレンデに群がるスキ-ヤ-
O夫人のすべり
K会長のすべり
すべり
休憩のボ-ダ-
雪山風景
ライダ-3人
ゲレンデ風景
初心者の手を取って教えている
休んでみているライダ-