ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
なべちゃんの散歩道
Blog
[ 総Blog数:4052件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2006/01/10のBlog
キリ番(111111)について、スキ-ツァ行きでブログ休みのため、遅らせようと試みましたが到底無理でした。その間いただきましたコメントは一件だけでした。
☆:+:。☆・゚:*:YUKI-emon's Diary゚゚:*:゚・☆:+。☆: [YUKI-emon] 様 [2006/01/09 10:46] >とっくにキリ番過ぎてました^^;訪問者の数にいつもびっくりです!!
ご連絡のコメント有り難うございました。
結果分析すると、9日0時:+217件の(111328)だったので、8日夕刻?に通過したようです。
またブックマ-ク1件いただきましたので、帰宅後直ちに私からも相互ブックマ-クさせていただきました。
次のキリ番は(123456)です。一日500回として約20日間なので、今月末に到達する可能性があります。その次は(222222)ですので、大分先になります。
志賀高原での樹氷やゲレンデ、雪山のブログ背景写真です。準備中
やはり3日間出ていると用件がたまり、ブログのための時間不足で、撮ってきた写真の整理など着手に少し時間が掛かりそうです。とりあえず少しづつ消化していきますので宜しくお願いいたします。
2006/01/09のBlog
綾部市スキ-協会の志賀高原スキ-・ツァに参加のため、「7~9日の3日間」ブログを休みます。その間「ブック・マ-ク」をしていただいた方は、帰り次第に「相互ブック・マ-ク」いたします。またキリ番の「111111」が早ければ「8~9日」到達の予定です。10日以降に遅らせるための少し早めからの予告ですが、もし踏まれた方があればお知らせください。お礼としてささやかですが、いつもの通り、私からの「ブック・マ-ク」です。すでに相互BMすみの方は、ご容赦ください。
赤い実
白い南天
朱い南天
水仙
[ 13:44 ] [ あやべの文化財 ]
山家城址・武家屋敷・覚応寺の金剛力士像について6
覚応寺の金剛力士(仁王像)について
右掲載の旭町「覚応寺」の仁王像の写真を参照ください。
 現在、京都国立博物館に保管されほぼ、十年に一回陳列展示される。
(1)金剛力士像(阿形)・覚応寺伝来
 木像彩色・鎌倉時代
 京都府綾部市の覚応寺に伝来。筋骨などの部分を誇張しながら穏健にまとめ上げている。丹波地方を代表する仁王の一例。
(2)金剛力士像(吽形)・覚応寺伝来
 木像彩色・鎌倉時代
 口を結ぶ阿形に比べて力感表現を主とし、それ故に全体のまとめ方に失敗した感もある。力み過ぎが一種の滑稽味を生んだ。(いずれも京都国立博物館の解説による。)
[ 13:40 ] [ あやべの文化財 ]
山家城址・武家屋敷・覚応寺の金剛力士像について5
(4)覚応寺の金剛力士(仁王像)について
 もと願成寺と言ったが、廃寺同然となっていたものを、第二代藩主衛政が谷家の菩提寺として小さいお堂を改修し、塩谷山覚応寺と命名した。第三代藩主広公の帰依厚く、方丈、庫裏、阿弥陀堂、仁王門、鐘楼を造営し寺観を整えた。阿弥陀堂は明治三十年大改修を行ったが、その後、堂の守りが難しく、福知山市興の人・日本茶道会の田中仙氏に買われ、現在も汽車から見える青い屋根の「法輪殿」として大切に保存されている。
 仁王門にあった金剛力士像は願成寺の遺物で、運慶の作と伝えられているが、昭和四十四年危うく海外流出となるところ、京都国立博物館に買い上げられ保存されている。事実この仁王像の事件を契機として「綾部の文化財を守る会」が結成されたと聞いている。イギリスには「国立美術品蒐集保存基金」があり美術品の海外流出を防いでいると聞く。綾部にもこのような公的基金が必要なのではなかろうか。
2006/01/08のBlog
[ 13:50 ] [ あやべの文化財 ]
山家城址・武家屋敷・覚応寺の金剛力士像4
(3)山家唯一の武家屋敷
 城址公園への手前左側に道家邸がある。もと添田邸であったが、道家勧氏が買い取り、さいわい長男の嘉之助氏が一級建築士であったため原型に忠実に修復された。
 山家藩の高級武士の邸宅がどのようなものであったかを如実に知ることができる。
 しかし、維持管理には相当の困難が伴うと思われるので、「文化財を守る会」が中心となって文化庁等の補助金の交付を働きかける等、その保存に協力する必要があるのではないかと思われる。
(注)山家谷藩道家家の上席家老を示す「一番槍」左上の写真の一番槍の上部の「金の蕪巻(かぶらまき)」がそれを示している。
[ 13:32 ] [ あやべの文化財 ]
山家城址・武家屋敷・覚応寺の金剛力士像について3
慶長五年(1600)関ヶ原の役が始まると谷衛友は西軍の一翼として舞鶴田辺城に細川藤孝(幽斎)を包囲したが、かねてから幽斎と親交があったらしく、弾丸を込めず空砲を撃った。「谷の空鉄砲」と呼ばれている。
 古今伝授の継承者である幽斎の戦死を恐れた朝廷からの勅使の勧めにより西軍は囲みを解いた。東軍勝利の後、細川氏のとりなしによって谷氏は所領を満額安堵された。
以後、細川氏と谷氏との間に親交が続き、細川氏が豊前中津へ転封になった時、細川氏自らが資材を持参して山家城下の橋を掛け替えて通り、その後、度々橋が流失した時、肥後の細川氏から資金の援助があった模様で、谷藩ではこれに感謝の意を表すためこの橋を「肥後橋」と呼ぶようになり、今日に至っている。肥後橋から城に通じる坂道も「肥後坂」と呼ばれている。
 谷衛友は一万六千石の内、六千石を三人の子供に分け与え、上杉二千五百石、十倉二千石、梅迫一千五百石の旗本として分家させ徳川幕府への忠勤を示した。上杉二千五百石は子供が無く絶えたが、他の二分家は陣屋を持ち明治維新まで続いた。
 衛友の肖像画が残っているが、農民か木樵のような服装であり、極めて質素な生活ぶりがうかがえる。歴代藩主は家臣団や領民への気配りも怠らず、家臣に与えた自作自筆の和歌や絵画、領民の高齢者を表彰して与えた軸もの等が残っている。
 このような幕府や家臣団、領民への配慮があってか、山家藩は豊臣秀吉以来明治維新まで、減封、転封も無く、ずっと一万石のまま続いた。これは希有のことである。
2006/01/07のBlog
[ 13:24 ] [ あやべの文化財 ]
山家城址・武家屋敷・覚応寺の金剛力士像について2
(2)谷氏館跡(現在の城址公園一帯)
 谷衛友(もりとも)が天正十年(1582)秀吉より丹波國何鹿郡の内、一万六千石をもって山家郷に封ぜられたに始まる。此の内訳は奧上林、口上林、山家、東西八田、位田、吉美、志賀郷、と何鹿郡内全域の山からの運上金であった。知行目録は「山家資料館」にある。 
 この地は上林を通っての若狭ルートと横峠を経ての丹後ルートの合流点であり、丹後から京に通じる主要道路を扼する戦略上重要な地点であった。
 その城構えを見るに、上林川、和知川を外堀とし、西側は上林川からそびえ立つ急斜面であり、敵襲のとき逆茂木とするため樫の木が植えられていた。その一部は今も西北の隅に残っている。北側は空堀を堀り、高い石垣を巡らしている。東側は石垣の外に上林川に通じる二本の堅堀を備えている。 
 当時の武器をもってしては難攻不落の要害であった。
2006/01/06のBlog
[ 13:19 ] [ あやべの文化財 ]
山家城址・武家屋敷・覚応寺の金剛力士像について1
山家資料舘々長・常任幹事 塩見光夫
(1)左衛門屋敷跡
広瀬町伊也神社から徒歩約30分、甲ヶ峯の頂上にあり、戦国時代和久左衛門佐の居城跡である。屋敷跡、空堀跡、和久氏の氏寺であった照福寺跡がある。
 現在は桧の植林地となっており視界は遮られているが、以前は遠く綾部の町並みまで見渡せる一大パノラマが開け、眺望絶佳であった。明智光秀が丹波を平定した時、城の破却を命ぜられたが、和久氏は寺であるとして応じなかったため追討され、和久氏は滅亡した。天正八年(1580)六月照福寺は、その後、馬場町に移り、さらに現在地の鷹栖町小丸山三三に移った。照福寺は代々和久氏を名乗っている。
2006/01/05のBlog
今年は戌年とあって犬に因んだ訓話がたくさん出るようだ。
1日:元旦初日の出・寺山平和祈願国旗掲揚式
桃太郎の話:桃太郎の鬼退治で重要な役割を果たす三匹の家来。犬・猿・雉子の役割は、雉子:情報力、猿:企画力、犬:行動力を分担している。今年は戌年、行動力を充分に発揮する年である。(四方八洲男綾部市市長談)
3日:(財)綾部商工会議所新年互例会、下記資料配付
南総里見八犬伝
時は不詳なれど、物語は安房の国の城主、里見義実の娘「伏姫」と飼犬「八房」との間に生まれ出た、八つの徳を持つ八つの玉に端を発す。八つの徳玉とは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌
然れど「伏姫」の死と共に、この八つの徳の玉は八方に散り消えたのである。
時は流れ、この八つの徳の玉は何処でか玉を持って生まれた八犬士に受け継がれた。
やがて成長した八犬士たちは、正義を重んじ苦難を乗り越え、因縁の糸で結ばれながら合い集い、主君への忠義を尽くし、勧善懲悪の理念を貫き通すと言う。江戸の戯作家、滝沢馬琴の大活劇物語である。梅原陽介編(財・綾部商工会議所専務理事)
コメント要旨:現在これらの徳が、政治、経済、文化、暮らし・・、すなわち産業界、学会、職場、家庭・・など全ての場で軽んじられている。社会が病んでいる。戌年の今年は八犬伝にあやかって、これら八つの徳の尊ばれる社会を構築しよう。・・
2006/01/04のBlog
[ 19:54 ] [ あやべの文化財 ]
大原の産屋
帰りの車中で家内と「誰か地元の勇気のある女性が実際に、この産屋で出産されれば、凄い村おこしきじになるのだが」と話した。今時の日本では自宅出産も恐らく行われないのでは、ホテルのような整った産院で、至れり尽くせりの出産が当たり前。
でも一昔前はこの産屋での出産があったから、産屋が残っているのでは?勿論、衛生上の万全の対策をきちんとやり、救急車や医者にも待機して貰っての「産屋出産」である。全国の報道機関が取材に集まり、世紀の出産報道が行われるのは間違いがない。ジャングルのアマゾン、南洋諸島ならいまでも産屋出産があるのでは。
生まれた子供は、すえながく大原の宝、申し子として人望を担って成長するであろうし・・・と馬鹿な話しをしている内に池に帰り着いた。
全国に産屋はたくさんある。何処かで産屋出産の勇気ある女性があったのかも・・と思う。
大原村落を流れる川の右岸の平地に産屋がある(R123に挟まれた平地の川側)。左手奧に大原神社の巨木が聳えている。その付近一帯の高台が大原神社境内。
大原神社絵馬堂
絵馬堂の中の絵馬の一枚。
三和町指定有形文化財
大原神社絵馬35点
慶長四年(1599)
奉納の神馬図2面をはじめ、生業図、風景図、句額、弓術額などがある。三和町教育委員会
京都府指定文化財
大原神社 末社 水門神社本殿(江戸時代)京都府教育委員会
[ 19:35 ] [ あやべの文化財 ]
大原神社拝殿の欄間の彫り物
大原神社本殿(向かって左面)
火防の社 火之神神社
大原の大杉 樹齢:約700年、幹周:8m
七社
祇園社:素戔嗚尊(すさのおのみこと)
木神社:久々能知命(くくのちのみこと)
若宮:若宮比売命(わかみやひめのみこと)
八幡宮:譽田別命(ほんだわけのみこと)
そう神社:宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)
?山媛社:植山比売命(はにやまひめのみこと)
飛瀧峯社(ひろうほうしゃ) 祭神:鮭魚化神(さけのけしん)
大原神社、此の池に御遷座の時、此の山裾を流れる水門(みなも)の淵に鮭魚浮び出て、吾此の水底に住みて、此の山を守ること数千年、此の山嶺に白和幣(にぎて)青和幣ありて、常に光を放つ。実に大神の鎮まり給うべき霊地なりと申し、此の地に悪しき事あるときは、鱒現れ、又、不浄のことあれば、鮭魚浮かび出る伝え、齋き祀りて飛瀧峯明神と号す。
関連:綾部に伝わる杵の宮伝説
五社
恵比須神社:事代主命(ことしろぬしのみこと)
玉政権現:磐筒男神・磐筒女神(いわづつおのかみ・めのかみ)
大河大明神:?象女神(みづはのめのみこと)
稲荷大明神:倉稲魂大神(くらいねみなのおおかみ)
牛王神社:小童命(おわらべのみこと
2006/01/03のBlog
[ 16:49 ] [ あやべの文化財 ]
親馬鹿の極致かもと思いながら、末娘夫婦の懐妊を祈願するために、肋骨骨折5本の傷みに耐えながらの家内を乗せて、R173質山トンネル向こうの三和町大原村の大原神社(安産祈願で知られる)まで足を延ばし参拝してきた。長女、次女とも、この神社に安産祈願を懸け、合わせて男子四人をもうけている。田野町の松寿苑に母の見舞いもかねてで、丁度一山向こうに当たる。
大原神社本殿
神社の横の急すぎるぐらいの坂を登ると駐車場がある。初詣の参拝者で賑わっていた。若い夫婦連れ、赤ちゃんを抱いた夫婦(お礼参り)も見られる。
一寸した雨模様の参拝。
参拝風景。
安産祈願には受付で申し出ると、祭殿に上がり宮司の祈祷を受ける。帯などの安産のお下がりをいただく。両親の同行参拝も歓迎される。
今回は参拝だけにした。家内はお神籤を引き、大吉だとおお喜びしていた。
今年は戌年である。大きな犬の夫婦の石像が置かれていた。犬は多産・安産の象徴かも。
[ 11:47 ] [ あやべの文化財 ]
絵馬がかけられていた。
八幡宮本殿のうらをまわると沢山の社が祀られている。
猿田彦神・大物主神・大山祇神、天照皇大神宮
八幡宮石段
八幡宮石段について
此の石段は、天保六巳未年八月寄進と刻んだ石柱を留める外、由緒を詳らかにすることは出来ません。過去を推し量ります所、創祀以来の氏子である井倉在中の人々が勧進せられたものと思われ、既に春秋165年を経過し風化が進んでおりますが、古色蒼然趣も床しく椎葉の滴に濡れる青い石段に、先祖の足跡が刻まれていることを創祀するとき、懐古の情を禁じ得ません。
綾部八幡宮の東を綾部中学校に向かうと滝神社がある。
帰りに加迫(かさこ)神社に寄った。
加迫神社(綾部市西神宮寺町加迫に鎮座)
縁起:天地万有を育成せられた祖神「天御中主大神」を祭神とし、綾部藩主九鬼公も深く崇敬され、地方の守護神とし、事業繁栄、総ての災厄の免除、五穀豊穣、武運長久、家内健康安全、心願成就の神(一説には勝負の神様)として、ご加護賜り、参詣者が多い。
2006/01/02のBlog
[ 20:54 ] [ あやべの文化財 ]
元旦の綾部八幡宮大鳥居
綾部八幡宮本殿
八幡宮
 御祭神 応神天皇、仲哀天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰
当社は、治承年中、小松内大臣平重盛卿の勧請創建なる・天正年中宝蔵焼失し、宝物録記等由緒悉く鳥有に帰し祥ならざるも、領主平重盛卿の寄進せし扁額字今に存す。
 寛永十癸酉領主九鬼式部少輔隆季殊に尊崇し氏神となし爾後累代の崇敬篤く社領什宝等の寄進あり
明治4年7月太政官達郷社規則に依り郷社に列せらる
大正3年神饌幣帛料供進神社に指定せらる
釆女稲荷神社 ・ 豊受姫大神 ・ 御剣大神 家業繁栄 家内安全御守護
寿を売る福娘
たき火を囲む人々
2006/01/01のBlog
[ 11:23 ] [ 平和 世界連邦 ]
寺山山頂の平和祈願:国旗掲揚式から山を下りてくると、やっと日が照りだした。
千手院山門から初日を覗く。
『 スーのCuriosity 』(スー)様 wrote
>日の出ってあっという間にあがってしまうので、狙っていても、山門の間で撮るの難しいですよね。
考えてみればその通りです。本当に幸運なゲットでした。
元気一杯の初日がのぼる
初日に照らされた薬師堂と四つ尾稲荷神社
初日に赤々と燃える山
寺山を下りる直前の由良川展望、東の空が明るいが雲があり、太陽はまだ見えない。
[ 10:37 ] [ 平和 世界連邦 ]
綾部市市民憲章唱和
綾部市市民憲章
私たち綾部市民は、丹波の美しい山河と豊かな伝統をもつ、ふるさとを誇りとし、郷土愛に燃え、自然と人間が真に調和する新しい田園都市の実現を目指して、ここに市民憲章を定め、これを守り実行することを誓います。
1.平和をねがい、祈りのあるまちにしよう。
1.自治を高め、心のつながりのあるまちにしよう。
1.教育をたいせつにし、文化のかおりまちにしよう。
1,環境をととのえ、健康のあふれるまちにしよう。
1.産業をおこし、豊かなくらしのあるまちにしよう。
1.計画を定め、輝かしいあしたをひらくまちにしよう。
名誉団長、四方八洲男綾部市長の挨拶
お年玉を両スカウトにあげる、綾部市市民憲章推進協議会:平野正明会長
四方八洲男名誉団長から進級のネッカチ-フを結んでもらったボ-イスカウトの諸君
世界恒久平和を願って平和の鐘点鐘(平野会長)
[ 10:25 ] [ 平和 世界連邦 ]
夜明けの寺山山頂から由良川流域の日の出方向を展望(暗いので拡大して見てください)
元旦早朝に懐中電灯を手に家を出て、波多野記念碑につくと、ボ-イスカウト、ガ-ルスカウトの皆さんが集まっておられた。懐中電灯で山道を照らしながら上がる。積雪20cmぐらい。日の当たるところが溶けているが、雪上を歩く部分も多く、いずれにしても歩くのにやっとという積雪の狭い坂道。山頂の平和公園にはもうすでに大勢の人が集まっておられた。
暗い中をとぞくぞく市民が集合
(以下の写真の殆どを、明度補正しています)
ガ-ルスカウトの皆さん
ボ-イスカウトの皆さん、国旗掲揚中、敬礼
国旗、世界連邦旗、市旗
2005/12/31のBlog
主宰者:もとい、おぢさんって映画ダ~イスキ (^▽^ケケケ:imonashi様が新設された、ぬ研のちくわぶに入りました。客室研究員です。
大変な勘違いです。ぬ研(ぬくもり研究会)のちくわ部「おでん」に入れる材料の「ちくわ部」とばかり思っていました。次のコメント入れました。
>なべちゃん] [2005/12/30 13:30]
ちくわ大好きです。市境に海産物の特売店(市場)があり、車中のおやつに「鰯ちくわ」、お昼には同じく「焼きちくわ」、そして家内がお出かけの時の保存食は「カレ-」か「鰯ちくわ」のたっぷり入った「おでん」です。JR列車の時刻で少々帰りが遅くなっても、「おでん」を用意しておけば安心というわけでしょうね。
返ってきたResは、
>imonashi] [2005/12/31 00:23] [ MyDoblog ]
なべちゃんさん
う~ん、ちくわぶとちくわは違うんですよ~。とりあえず、客室研究員ということで、違いを勉強してください (笑)
と笑われてしまいました。何故???一晩悩みました。「おでん」に入れる「ちくわ」の部活、ブログ背景写真に「おでん提灯」まで掲載してアピ-ルしたのに何故笑われるのだろう!???
カナダ de 日本語:美爾依さま主任研究員(カナダdeちくわぶ兼外務省ちくわぶ局カナダ担当)のブログちくわぶを見ると、変な歯車の写真が載っているのです。これで、ピンク色がついていれば「梅カマボコ」ですけれど・・
キ-ワ-ド検索「ちくわぶ」で調べました。
【ちくわぶ】の定義
ちくわぶ 東京のおでんに特有のたね。小麦粉のタンパク成分(グルテン)が、もちっとした 口あたりを生む。クタクタに煮たのが好き、という人が多い。
ちくわぶ【竹輪麩】
練物目竹輪科のおでん・煮物用の未確認調理用生物。全長約15cm×幅約3cm、体重150~170g(種によって差がある)。小麦粉を主成分とし、体型は8つの頂点を持つ☆柱形。鋭角状のひだを繊毛運動させ移動する。呼吸器として竹輪状の穴が開いている。関東周辺、主として東京のおでん屋のネタ鍋内、スーパー・量販店店頭のデイリー品売場に棲息している。耐熱性が強く、鍋で煮られるのを好む。関東では食用にされる。

なんだっ!「ちくわ部」でなく「ちくわ麩」なんだ!。何で「麩」「ふ」でなく「ぶ」と発音するのだろう。大体関西(京都北部)では、見たことも食ったこともない食材だっ!(^▽^ケケケ
大恥をかいた「入部」でない「入会」でした。
ほんと、知らないで勘違いって怖いですよね。「ちくわぶ」こわい!!
大笑いで汗タラタラです。「笑う門には福来たる」これで良いお正月が来まっせ!
2005/12/30のBlog
[ 08:58 ] [ 福祉 あやべ作業所 ]
今年も身体障害者授産施設「いこいの村・栗の木寮」の仲間が手づくりした「しめなわ:七五三なわ」を買った。
いこいの村の「しめなわ」で楽しいお正月を
≪いこいの村の「しめなわ」は・・≫
その1.今年刈ったきれいな青わらだけを使っています
ぞの2.すべてが手作りです
その3.地球に優しい材質にこだわっています
その4.七・五・三の吉数を大切にしています
そして・・・
その5.みんなで心をこめて|,作っています
新年が皆様にとって良い一年となりますよう、生産者一同お祈り申し上げます。
“いこいの材・栗の木寮”は、自然豊かな綾部・口上林で昭和57年に開所して以来、聴覚とその他の障害を併せもった仲間たちが働き、生活を共にしてきた授産施設です。
 秋冬は51人の仲間全員でしめなわを生産し、また、春夏は有機農業や縫製、木工、創作品等の“人に優しい製品づくり”を行っています。
 ぜひ一度いこいの村にお越しくださいませ。お持ちしております。
 〒629-1242 京都府綾部市十倉名畑町久瀬谷2
 身体障害者授産施設 いこいの村・栗の木寮
電話:0773-46-0101 FAX::0773-46-0903
飾り付け方
玄関用:ごぼう、めがね:付属のごへいとうらじろ(葉の裏側の白い面が表になるように)を本体とみかんの間にはさみこんで飾り付けてください。
日の出:そのまま吸盤ではりつけて下さい。(水引、吸盤ともに燃やせる素材を使っています)
神棚用:そのまま飾り付けてください。
自動車用:つる:そのまま飾り付けてください。
水まわり用、子ども部屋用:一本縄:そのまま飾り付けてください。
2005/12/29のBlog
[ 11:27 ] [ あやべの文化財 ]
関西花の寺二十五ヶ寺第二番
近年富みに訪れられる「花の寺」として、3月の椿、4月中・下旬のミヤマツツジ、7~8月のハスの花等四季折々の花が楽しめます。
楞嚴寺の四季
 春は桜につ丶じ花
 夏は池中の蓮かおり
 秋は紅葉に彩りて
 冬は白光四季の楞嚴

尚、境内の三古木、「綾部の古木名木100選」に選ばれ、緑の文化遺産と言われています。
1、椿(樹齢400年、正面横にあり、白・ 赤・ピンクの咲き分です。
2、菩提樹(樹齢約500年、初夏に白い花が咲き、球形の実が生る。大きいと数珠にできる。)
3、さるすべり百日紅(樹齢約400年、一株から初代、二代、三代の移り変わりがわかります。)
楞嚴寺住職 為廣哲堂
(注)庫裡の「長井一禾」の「四季の鴉」の絵を見たい場合は、是非電話にて予約を入れて下さい。内部参拝の「志納料」は個人で三百円、団体で二百円見当です。
 綾部ICを下り、豊里小学校横の道から大型バスも入ります。
りょうごんじ楞嚴寺電話番号:(0773)ー47ー0043/FAX:(0773)ー48ー0995
[ 11:11 ] [ あやべの文化財 ]
水子地蔵尊
 「生命尊厳」の仏教教理に基づき、水子の霊をなぐさめるため昭和54年(1979)春、檀家・信徒の浄財により建立された。「全国水子供養寺八十八ヵ所」のひとつにも数えられている。

寺宝「絹本著色不動明王像」(国重文・鎌倉時代作の絵)「楞嚴寺縁起」、「敷地紛失状」(は共に室町時代>)、「大般若写経」(平安から桃山時代の181巻)は綾部市指定文化財である。
[ 09:48 ] [ あやべの文化財 ]
[関連したBlog]
日限地蔵尊(ひぎりじぞう)
 日数を限って様々な願いをかけると不思議にかなえられることから「たち舘の日限地蔵さん」として広く知られている。
不動明王像
 本堂横の建物の中に、弘法大師,役ノ行者、白衣観音と共に祀られている。毎年初弘法の1月21日には、その前の広場で「柴燈大護摩祈願」が盛大に行われ、沢山の参拝者でにぎわう。
宝筐印塔
日限地蔵堂前にあり、永正八年(1511)の銘があり、かなり風化しているが頂上の九輪石は他の石に変わっているが、その窪みに溜まっている水を身体にぬると御利益があると伝えられ、すくい取ってしまっても、後に不思議に溜まっていることから霊水として信仰を集めている。
2005/12/28のBlog
綾部の文化財を守る会の友人が、「丹波焼」の蒐集家で有志の協力を得て、「丹波焼デ-タ-・ベ-ス」作成を企画されている。作成手段は、インタ-ネット上のHP「綾部の文化財」などである。
ところで、完成したHPをアップしたその日から視聴者が見られ、HP公開の効果が現れてくるわけで、しかもHP「綾部の文化財」に毎日訪れられる視聴者が基礎にあるから良いものの、全く新規にアップするとなれば、情報過多の中のたった一回の情報にしか過ぎず、衆目を集めること、丹波焼研究者の認知をいただくことが中々大変であろうと思う。
何よりもデ-タ-・ベ-ス完成までの長い年月を無駄に過ぎ去らせる法はないと思える。

私は日々のアップが可能なブログの活用(併用)をお薦めしている。デ-タ-・ベ-ス完成は最後の褒美に取って置き、現在の時点で発表可能な丹波焼を1点(品)づつ、写真と解説をつけて紹介していく。それに視聴者がつき認知される。また次の丹波焼を載せる、視聴者が増える・・・。やりながらデ-タ-・ベ-スの方法も工夫できる。視聴者から寄せられる色々な意見(鑑定)などから素晴らしい発見が得られるかも・・。HPもブログも進化する!。やって行かなければ学べないことが一杯ある。中身も入れ物(編集方法)も始めたときと完成時とでは大違いになるのが常である。ブログの利点は、納得のいくまで何度でも追加、修正、再アップなどが出来ることである。特にペ-ジ毎の連携リンクを付けることが可能な利点は見逃せない。古いブログが新しい内容で常時再生できる。

こうして一年が経ったとき、素晴らしい「資産」が出来ていることに気付く。時々HPにも仕立てるが、最終的にデ-タ-・ベ-スが完成した時点で組み替えればよい。だからブログへの掲示は、時代順など余りこだわらずに行える。解説も間違っていれば変更できる。権威付けは大切なことであるが、継続のなかで評価を得ていけば充分では。
インッタ-ネット情報は、出版物と違い変幻自在である。なにも超立派な刊行物で最初に横っ面を張らなくても、一歩一歩構築していけば、大衆や専門家に支えられた本物の権威が得られると思う。多忙な仕事の合間に行う蒐集活動、ブログで得られた大勢の視聴者に支えられる場合、蒐集意欲もさらに増すのでは。

インタ-ネット情報は万能薬のように思われる人、そして一転して役立たずと思われる人が多い。超一流の楽天、ライブドア・・ならいざ知らず、混在する情報過多のWEB世界で、ネットの中で認知され、その情報自体のネットを構築する必要がある。それには人・視聴者が介在するので、相当長い時間が必要になる。一刻も早く始めて時間を有効に使うべきでないか・・・
こんなことをパソコン、インタ-ネットの超初心者に説明しましたが、なかなか理解して貰えないようです。
2005/12/27のBlog
[ 07:46 ] [ ブログ関係 ]
今日は私の誕生日です。
私の名前が○○師(先生じゃないですっ、技術屋です)なので、師走にはいつも走らざるを得ない気持ちにさせられます。(笑い)それもやっと今日で終わりましたっ。
この一ヶ月を振り返ってみますと、Doblog・BMベスト・ランキング入り(11/18:92位:111件)、キリ番達成(11/30:88888)、(12/21:99999)、BMランキング(12/27:42位:152件)、おまけに昨夜2件のBMをいただき(30日間BMランキング1位)に返り咲きました、と高速列車並みでした。これも私の拙い我流のブログに寄せていただきました皆々さま方のご厚情のお陰と、心から厚く御礼を申し上げます。

<私のブログのコンセプト>
ブログ開設(2004.06.26)の当初の頃から、ブックマ-ク(相互)をいただいています大先輩の「斜め下45度から:tagosaku」様から
>どういった目的でブログを続けていらっしゃるのですか?
のご質問に答えて・・

ずばり一地方都市に住む地ネズミ(ジモティ)ブログです。まちづくりの一助、地方からの情報発信をと考え、私自身の参加型の町の出来事についてブログしています。時には団体の役員、一委員、一会員、一市民の目で見たこと、出会ったこと、考えたこと、参加した行事、身の回りの風物、山河自然草木暮らし・・などなど
その一つとしてHP綾部の文化財」の編集担当者として、HPの下作り(写真処理・記事収録)をブログでやり、校正を兼ねています(コピ-して関係者にわたす)。文化財については、京都・奈良などの都会地での研修風景も入ります。

<ブログの作成方針>
作成方針としては、HPなべちゃんの試作箱:あやべの山とテニス、文化財など」の巻頭に掲げているとおりです。
1.何時か立派なHPになろう。
2.決してガラクタ箱にはしない。
3.迅速、速報を心がけ、制作途中でも公開する。追加、修正も速やかに行う。
4.粗製・乱造・手抜きを常とし、省時間・省力化を心がける。ロゴ作成など不必要とこころえ、体裁に走らない。(つまり、ブログの中身で勝負の一本槍です)

<ブログのメリットを生かして>
現実として、HP、ブログ、ML、掲示板、市民新聞等への投稿掲示・・を含め、I・Tメディアのそれぞれの特徴を個人で連携させる、相乗効果のメリットが得られます。
地方都市なので、市広報なども含め、I・T情報としては未だ皆無に近い現状があります。
市民新聞の記事掲載は、行事後に編集され発刊日まで待つ。ブログは取材して帰れば、即記事アップです(一時間以内)、しかも市民新聞は、写真一カットだけ。ブログは5枚組の無限回数です。例えば写真に写っている参加市民数が、その枚数だけ多い。
記事の取材力は個人なので皆無です。(お知らせ、レジメ/I・Tキ-ワ-ド検索だけ)、しかし市民新聞の購読者として、写真等のブログ一報の後、記事は市民新聞(報道済み)から収録して追加できます。(新聞など報道記事は報道源を書けば転載可能)
時には市民新聞の開催行事として、新聞に掲載されるまで、ブログ、HPアップを控えることもあります。更に間違った記事内容も即時に修正自在。都合の悪い記事の指摘があれば即取り下げします。
もちろん最初から公序良俗違反や、人に都合の悪い記事は極力避け、根回しの対応の後にアップするように心がけしています。全ての立場の人が満足する記事だけでも、充分お知らせの役に立てるようです。またある程度、まちづくりへの問題提起も出来ていると思います。面白い毒入りブログではありませんが、歴史的教訓入りの薬の苦さを読み取っていただければ幸いです。
取材掲載記事を主宰者に、メ-ル/プリントアウトして渡すよう心がけています。(その団体の広報委員などを兼ねる立場にあります)その事業活動に参加した人が一番、自分の参加した記事を見るのを楽しみにされるのではないでしょうか。
近所の女性から「見たで・・」と云っていただくのが、ブログにいただくコメントと合わせて嬉しい気持ちです。
蛇足:HP作成方針の「決してガラクタ箱にはしない」については、ブログの特質上、不可能に近いです。ジャンル分けしていますので、連載記事はジャンルで見ていただけば、繋がっています。専門的/日常的、堅い記事/ソフトな記事を織り交ぜて掲載していく、一度に連載の全てが準備できません。したがって細切れになります。写真だけ並んでも記事が追加で載ります。時には写真の入れ替え、ブログの分割、再アップもあり得ます。
いろいろな内容が混ざり合う方が、例えば「歴史」一本のブログで閑古鳥が鳴くよりも、きれいな花など入り「遊び」も入れて、いろんな方から「コメント」をいただく。コメンタ-も馴染みが出来て相互訪問する中から、その方の不得手と思われるブログにもコメントをいただけるようになる・・・
ブログは「がらくた箱」の方が、面白いのでは。「歴史」専門ブログを作ろうとも思っていますが、この「がらくた箱」ブログの面白味も捨てがたいものがあります。別途にHPもありますので、それと両立させたいと思っています。
2005/12/26のBlog
[ 13:40 ] [ 花だより・紅葉だより ]
Xmasチックな背景写真として、地元田舎の素朴なものに始まり、都会の豪華な素晴らしい「クリスマス・ツリ-・電飾」の写真の一部を、大勢のブロガ-の皆様から拝借させていただきまして、誠に有り難うございました。
ブログの背景写真(小さな部分写真を、縦・横に連続して模様化)として、切れ目の目立たないもの、しっかりした色合い、シャ-プな部分・・・沢山ある写真といえども採用できる写真は一割程度に思えた。これはもとより、ツリ-、電飾の全体を撮るべしの写真から部分を切り出して借用すること自体に無理があると思える。また全体が分かる大きさで借用させていただくと、当然著作権などに直接影響するので、全体が分からない部分写真にて借用した。
しかし、部分といえども例えば人間の心臓部を借用したことに他ならないので、元の画像写真の方には、コメント、TBでお断りして、元ブログ、写真、記事のご紹介を兼ねて借用し、一種の画像によるTB企画とさせていただいた。
もとより私の個人的な借用であり、他の人に再配布する意図のものでないことは云うまでもない。一方しっかり原画(元写真)を紹介せよとのお叱りもいただき、当初気づかなかったこと、また遠慮半分もあったことであるが、しっかり画像リンクさせていただいた。画像写真に対するDoblog内での「直リン:直接リンク」の問題は、どうなのかの件は、今回は借用先の要望も頂いたと云うことで軽視させていただいた。
ブロガ-同士の交流のあり方として、一つの試み的な行動であり、「なべちゃんのHP試作箱」の流れにあるものとして、お許しを頂きたいと念願する。
代わりの背景写真として、雪の中で咲いていたパンジ-などを撮ってきた。
パンジ- モルフォ
Suntory コンモリ・ビオラ フィオリ-ナ イエロ-&ベルベット
家内が育てている鉢植えである。
ビオラ ナチュラル オレンジ
寄せ植え
2005/12/25のBlog
[ 17:45 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
図書館の帰りに防水用のシリコン・スプレ-を買いに行った。昨年買った市境のBESTONEに行ったが置いてないという。昨年も生鮮食料品など置かれ、食品ス-パ-の様であったが、本来の業務、冬場の必需品がないとは嘆かわしく感じた。
さらに足を伸ばして福知山市内のJAPANに行った。今度は置いてあった。
今年「スキ-馬鹿」の一年で最も日の長い夏至に買ったスキ-・ウエア「DESANT」上下とも防水スプレ-をしっかりかけた。
今まで着ていたスキ-ウエア「SILVY」。昨年志賀高原で外国の女性が近づいてきて、一緒と云ってくれた。一頃は色違いも含め、流行だったが、今は見ない。予備にこれも準備した。
今春に買ったカ-ビング・スキ-「FISCHER 9・9」(フィッシャ-)
スキ-靴「DACHSTEIN PRO77}(ダハスタイン)
今シ-ズン一杯保ってくれることを期待して。
図書館は、市民の本棚です。綾部市に住所を有する方、通勤・通学の方なら、どなたでも利用できます。お気軽に、お家に持って帰って、ゆっくりご覧ください。
まずかしだし券をおつくりください。
赤ちゃんからお年寄りまで、図書館の利用は無料です!
ついでがあって、図書館に行きました。本を借りてきました。
ハリ-・ポッタ-と不死鳥の騎士団(上) J,Kロ-リング
(第五巻上のあらすじ)
 復活したヴォルデモートとの戦いはいつ始まるのか?ハリーにはなんの知らせも来ない。そして突然ハリーは吸魂鬼に襲われる。「不死鳥の騎士団」に助けだされたハリーは、「騎士団」が何か重大な秘密を守っていることを知る。
 新学期が始まり、恐ろしい新任教授アンプリッジと黒い扉の夢に悩まされ続けるハリーに、チョウ・チャンが微笑みかける‥‥‥。

ブログで映画の話題が載っていましたので、第一巻目の「ハリ-ポッタ-と賢者の石」は前にこの図書館から借りて読みましたが、今回は、これを借りてきました。
ハリ-・ポッタ-と不死鳥の騎士団(下) J,Kロ-リング
(第五巻下のあらすじ)
 大切なO.W.L. (普通魔法レベル)試験を控えた五年生は、日夜勉強に追われる。疲れきったハリーは、恐ろしい夢を見る。謎の夢は、ハリーの出生の秘密に繋がっていた。ハグリッドの秘密、スネイプの秘密、そしてダンプルドアの秘密・・・。
過去から未来へそれぞれの運命の糸が紡がれる。そしてついに戦いが始まった。立ち上がるハリーと「不死鳥の騎士団」。しかし、悲しい死が‥‥‥‥
アルジャ-ノンに花束を ダニエル・キイス
32歳になっても幼児の知能しかないパン屋の店員テャーリイ・ゴードン。そんな彼に、夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が頭をよくしてくれるというのだ。
この申し出にとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に、連日検査を受けることに。
やがて手術により、チャーリイは、天才に変貌したが……超知能を手に入れた青年の愛と憎しみ、喜びと孤独を通して人間の心の真実に迫り、全世界が涙した現代の聖書

日本のSFは滅多に読みませんが、早川SFマガジンの第2号からの購読者で、この本も何度も読みました。大抵の早川海外文庫(SF/NV/FT)は持っているつもりです。
マガジンも文庫も整理が悪いので、見つけるとなれば、段ボ-ル箱全部を引っ張り出して全てひっくり返さないと駄目です。カバ-は読むときに邪魔になるので、最初に外しすぐに紛失しています。何度も読むものは表紙もちぎれ、ペ-ジも分解しています。
2005/12/24のBlog
[ 13:18 ] [ あやべの街 ]
このところ大雪積雪で車に乗らず、歩いて行動している。長靴姿ではみっともない時もあり、何か体裁の良いスノ-・ブ-ツを買いに「アスパ」に行った。結局、完全防水なのは、長靴しかなく、半防水に近いシュ-ズを買った。志賀高原スキ-ツアに使う予定、去年は短めの長靴を履いていった。雪解け水が解けて溜まっていると長靴、氷っていると何でも良い。長距離徹夜バスでの履き心地も重要な選択ポイント。
二階に上がると第9階綾高ア-ト・ギャラリ-を開催していた。アスパ2階アカデミ-・ホ-ルA・B室。ステ-ジ発表(吹奏楽部、合唱部)、お茶席(茶道部)、作品展示(美術部、書道部、写真部、華道部、イラスト部)の内容であった。
生徒や先生にブログのことを尋ねてみた。現在、中学生や高校生でセンスの良いイラスト、写真、文章、ブログ構成、編集の作品(ブログ)が沢山あり、素晴らしいものがある。総合的な感性、技術、社交性・・などが養われる。・・と話し、ブログをやっている生徒があるかと尋ねたが、やはり田舎の学校か、パソコンはやっているが、ブログのことも知っているが、自分でするまでには至らないようであった。
2005/12/21のBlog
Doblog 写真から Xmas チックな背景写真として、ツリ-の一部を拝借しました。是非元のブログを訪問して、元の写真や説明をご覧ください。
だいちゃんの地域情報局(別館): daichanjakenさま
いよいよ12月、クリスマス・大晦日~より拝借しました。
北陸の城下町金沢ぶらり旅 [ 金沢は今も雪か] 籐五郎さま
金沢の雪が美しい!から拝借しました。
>石川近代文学館(旧制四校)の建物です。見事な松の木に雪つりがされ、雪から松を守り、雪と調和した姿がとてもきれいです!
クリスマス。Doblog写真から Xmas チックな背景写真として、ツリ-の一部を拝借しました。是非元のブログを訪問して、元の写真や説明をご覧ください。
「龍の彫物と絵画」を知ってもらおう: onchanさま</b>
額縁のイルミネーションから拝借しました。
『melody of Life』(jin)さま
Are you ready ?から拝借しました。
なお全国のX'masツリ-特集をされています。100点の素晴らしいツリ-のTBが見られます。