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なべちゃんの散歩道
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2005/11/01のBlog
歓迎! なべちゃんの散歩道 -11月のお知らせ-
[ 20:00 ] [ ブログ関係 ] [ スライドショウ ] [ 編集 ] [ 削除 ]
11月に入り晩秋に近づきました。ブログのご訪問有り難うございます。
このたびDoblog「ブックマ-ク・ランキングリスト・ベスト百」に入りました。これも一重に皆様方のご厚情、お引き立ての賜と、心からの感謝を申し上げます。
皆様からいただきました「ブックマ-ク」は、一覧表で確認次第に、私の方でも「相互ブックマ-ク」を行い、毎日の「訪問先」にさせていただいています。
今後とも拙いブログに一層のご支援、ご指導の程をお願い申し上げます。
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2005/10/31のBlog
丹の国・綾部---ふるさとへの回帰とその未来

第二話 民話・杵の宮伝説 --編:故波多野 穣君

丹波に一丈二尺の乾鮭(からざけ)の宮あり・・・。(江戸時代、諸国の伝説珍奇なるものを集め書いた、井原西鶴の”諸国咄(ばなし)大下馬”に丹波を代表して出てくるお話の書き出しです。)

 その昔、天王平の谷裾から本宮山の麓にかけて野田川の流れる一帯は、丁度ひょうたんの形に似たドエライ大きな池でございました。

 このあたりは丈なす雑草や老樹生い茂り、昼なお暗く、それはまことに鬱蒼としたところでございました。

 須知山峠を越え、京の都へ通じる要路にあったこのあたりに、ぼやあきあかねが戯れはじめんも、薄穂が白くたなびき、あかあかとした晩秋のある日のことでございます。

 丹波から、みるからに漁夫を想わせるほど真っ黒に陽焼けした一人の乾鮭売りの男が、京への往路、寺村の山道を登りつめた、この池のほとりで一息いれようと背の荷物をおろし、キセルのひざらへ火をつけようとした時でございました。

 うしろの茂みでバタバタッと異様な物音に驚いて振り返ってみますと、村人が仕掛けておいたのでございましょう、罠に一羽の雉子(きじ)がかかって、もがいているのでございます。

 この男、生まれついての海育ち、海で獲れるもののほかは、すべてが珍しいのでございましょう。
 ”ほほ。こいつは珍しいものにお目にかかれたもんや、ひとつ京都への土産に貰うていっちやろ・・・”とばかりにこの雉子を失敬したのでございます。がこのままでは罠の主に申し訳が立たぬと想ってか、商売道具の小売り三分五厘也の乾鮭をとり出して置き、やがてスタコラサッサと急ぎ足で峠の方へと出掛けていったのでございます。

 やがてのどかだった一日もすぎ、夕焼けの陽も落ちはじめた頃、罠を仕掛けた村人が今日の獲物は・・・と、はやる気をおさえおさえやってまいりました。と、どうでしょう罠には思いもよらぬ魚がかかっており、その魚が何と鮭だったものですから、びっくり驚天、只々唖然とするばかりでございました。と申しますのもこのあたりは、大原天一位大明神(丹波国天田郡川合村)の氏子でございまして、鮭と鱒は手だに触れ申せぬ物の一ツだったのでございます。

 ”これは何ぞ神さんの思召(おぼしめ)しかも知れんぞ”と、しばらくは考えこんでおりましたものの、別段ほかによい思案も浮かばぬ事ゆえ、村人は”まあ成仏して、この池の主にでもなっとくなはれ・・・”と軽い気持ちでこの乾鮭を池の中へほうり投げたのでございます。

 くだんの鮭公、しばらく腹をみせては浮きつ沈みつしておりましたものの、やがて村人をば睨む様な目つきをしたかと思うとやがて沈んでいったのでございました。
 その光景たるや、まことに気味悪くゾッと悪寒を覚えたものですから村人はソソクサと、逃げ帰っていった様な事でございました。
 
 それから一年余り経ったでございましょうか・・・・・この池のあたりでは時々妙な事が起るようになったのでございます。
 小雨のしょぼふるある日の夕暮れどきでございました。一人の村人がこの池の端を歩いておりましたところ、何やら凄まじい姿をした異様なものを見たとかで、這々の体で家へ逃げかえったのでございます。

 そうしてその夜から突然得体の知れぬ高い熱にうなされだしたものですから、となり近所の人々が大勢あつまり、”何ぞの祟りかも知れんぞ・・・””こりゃ一体どないしたちゅうんや・・・”等と不安げに話し合っていたのでございます。とその時かの男、俄にムックリと起きあがり、おもむろにしゃべりはじめたのでございます。

 ”我大池の主なり、こののち我が言う如く、我を祀るにおいては別儀あらじ。言う如くにせざれば、彼の池のほとりの道筋を通るほどの者一人たりとも率直には通さじ、その上、近郷近在へも祟りをなすべし---。即ち、年々秋の末に至り、少女を一人づつ人身御供にそなえ申すべし。万一、この儀怠るに於いては、さまざまの祟りをなすべき事堅く申し渡すぞ---。”というやそのまま、又々夢路にさまよい、翌日は何ごともなかったかの風にて、すっかり元気な様子でございました。

 さて、寄り集まっておりました近所の人々、”こりゃどえらい事になったわい””いやそんなこと、気にする事はないて”等々、口々に話しておりましたものの、”やっぱり祟りは恐ろしいで・・・”という事になり結局、くじ引きでその年の不運とあきらめようという事になったのでございます。

 それから又、矢の如くに時が経ちました。丹後の乾鮭売りが、ふたたびこの綾の郷へやって来たのでございます。由良川で獲れる鮎の塩焼や地酒が大層楽しみなものの一つであったこの男、やがていつも馴じみの青野の宿に泊まりを乞うたのでございます。

 やがて夕膳も終り明朝の出立も早いことゆえ、寝所(ねどこ)へ入っておりましたところ、まもなく襖ごしにさめざめと、すすり泣く声が聞こえてくるのでございます。
 何事かと亭主をよんで仔細を尋ねましたところ、亭主曰く”大池の祟りのこと、人身御供のこと。又その不運が今年は我が家の順に。”等々、涙ながらに話したのでございました。

 黙って聞いておりました丹後の鮭売り、”さては”と思い当たる事があったものですから”ご亭主!!いかさま事情はよう分かりました。実は今の話し、少々思い当たるふしもあるんで、すべてはこの私めに任せて頂きたい。即ちその日は私も池の端までいって、必ずやご息女はお守りいたしますゆえ、どうか心配めされるな!ところで何か力草となる様なもんはないやろか”という事で、宿の亭主自ら、家中、村中を探しまわりまして、何処からか米かち杵をもってきたのでございます。
 ”こりゃ誠に結構々々・・・”とその男、腕をたたいて、その日のくるのを待っておったのでございます。

 愈 々その日がやってまいりました。朝から池の淵には高壇を築き、香華もそなえてのでございます。ももなく、恐ろしさにうち震える娘を一人高壇に残し、父母は勿論、近所の者皆がもの陰にかくれ垣間みておってのでございます。
 かの鮭売りの男、一人で「米かち杵」をかついで高壇の下に忍びこみ、息をひそめておりましたところ、やがて池の真中あたりが次第に波立ちはじめたのでございます。と、

 何やら得体の知れぬ怪異なものが姿をあらわし、ゆっくりと高壇の方へ近づいてくるのでございます。
 ようやく池の端までたどりついた怪物が水面をはね、あわや、娘をひき込まんとした時、くだんの鮭売りがおどり出て、、”この池の主は一体何物かと思うとったら、やっぱりあの時の三分五厘の乾鮭やないか!身の程知らずにも程があるわい。”と大声で怒鳴りながら、「米かち杵」で怪物の頭をメッタメタに、力の限り打ちのめしたのでございます。

 やがて波も静まり、物陰から急いで駈け出した父母は勿論、村の衆たちもしばらくは声もなく、ただただ肩をたたき合い、涙ながらに喜び合ったのでございました。

 ひとときが過ぎ、さて怪物の正体は?と近づいてみますと、何と五六尺はあるでしょうか、頭は鬼瓦の如しで魚の怪物でありながら翼の様なものが胸のあたりから生え、それはそれは、誠に恐ろしげな文字通り化物(おばけ)でしたから、漸くは身震いが止まらなかったと申します。

 さて、宿の亭主をはじめ村人達も、乾鮭売りがこうも易々と災いの根を断ってくれたのは、偏に氏神さんの変身であろうと、神仏の如くに敬ったのでございますが、鮭売り曰く”めっそうもない、この池の主を退治できたのは決して私の力と違いますのや、これは偏にこの「杵の威徳」やと思いますんで、どうぞこの「杵」を神さんとあがめて下され!”と、
 のちになって池田を見下ろす本宮山の中腹に祠を築き、神と仰ぐ様になったのでございます。 あなかしこ。
現在でもそうですが、本宮山と正歴寺のある那智山との間は、俗に、くら谷と呼ばれた位、陽の影さえ届かぬ誠に鬱蒼とした所でしたが、その間を切り開き、池の水を由良川へ流したところ、その跡は誠に広々とした田畑となったものですから、これを池田と名づけ現在に至っております。
 又それより少々高い所の諸木を伐り、明るい野原としたのが今の上野町一帯であります。

 その後、遙かに時移り、慶安年間に九鬼隆季(たかすえ)公の館が大火災により、坪の内下市場(現在の綾高校舎付近)より上野へ移された頃、
 杵の宮神社は、現在の若宮神社の境内に、鎮守の神様として崇められ、そののち三代藩主九鬼隆直(たかなお)公も、伊勢内外両宮の神明をも合祀され、九鬼一門の繁栄と武運長久を祈願されたと・・・記録にのこっております。
あとがき;
 杵の宮神社の由縁:「杵で鮭の化け物を退治した」というだけの伝説をもとに、綾部青年会議所十周年実行委員会の「丹の国・綾部」編集部会で話し合い、私の同級生の故波多野 穣君(西町:波多野書店)が書き上げてくれた創作民話です。
 このブログ再録を、謹んで故波多野 穣君の御霊前に捧げます。
2005/10/30のBlog
丹波はまた古代より蚕桑の適地であった。五世紀以後大陸との交渉が激しくなると、その地から帰化する人々の数も増え、その中でも養蚕機織りをおもな仕事とする漢氏(あやし)、秦氏(はたし)などが、この地に住みついていった。

 大和朝廷に属する品部の一種として、漢部(あやべ)が織物をもって朝廷に奉仕する部曲として成立する。雄略天皇の十五年には、秦氏一八〇部、一八,六七〇人あり、翌十六年七月勅して、桑に適せる国縣に命じて桑を植えしめ、秦氏を分かちて、これに住居せしめ庸調を献ぜしめ給いき、冬十月勅して漢部を集め、その伴造(とものみやっこ)を定め給うと記録に見える。

 この漢部=綾部の地には、当時すでに蚕桑織物を職とする大集落が成立していたのであろう。そして、この勅によって当地の綾人をはじめとする丹波と、京都の太秦(うずまさ)などの山城地方に住む綾人たちが、大和朝廷下の養蚕の適地に移住していったのであろう。

 丹波はまた王領たる県(あがた)があり、王室とも関係が深く、市辺忍歯皇子が雄略天皇に殺されるとき、皇子であった仁賢、顕宗天皇が難をさけて身をひそめたとあり、当時を示す物部、私部、草賀部、三宅などの地名が残っている。

 五世紀に入り氏姓制度の乱れとともに、有力氏族の争い、中央権力に反発する地方首長の動きが活発になり、武烈天皇の後継者争いが起こった。
 日本書紀には、その時の大臣、大伴金村によって、丹波に住む倭彦王(やまとひこおう)(仲哀天皇の孫)の擁立が画策されたが、王は身に危険を感じこれを受けなかったとある。

 六世紀には、仏教の大和朝廷の礼拝をめぐって、進歩的な尊仏派である大臣(おおおみ)の蘇我(そが)氏と、皇祖神派の大連(おおむらじ)の物部(もののべ)氏の大和朝廷をまきこんで血を洗う争いが起きるが、仏教崇拝派が勝ち、全国に仏教寺院の建立と仏教の礼拝の普及をみることとなる。

丹波綾部には、帰化人文化の集積と、蚕糸業の隆盛による経済力を背景として、当時地方には稀な寺院建築が行われ、美しい仏教芸術を伴う七堂伽藍の大寺であったと伝えられる、綾中廃寺趾などがそれと思える。

 更に六世紀末、政治の革新に当たり聖徳太子は、仏教政策をもって日本統一の絆となしたが、丹波綾部には、太子の開設と伝えられる君王山光明寺がある。
 また当地を何鹿(いかるが)と呼ぶのも仏典によると伝える。

 綾部には、奈良時代に設立された寺院は数多い。僧行基の開設によるものとして高源寺、普門院、日円寺、西照寺、東照寺があり、林聖上人の開基によるという楞厳(りょうごん)寺など、今日に残る由緒有ある寺院が多い。

 また仏教寺院の建設に刺激され、それまで自然物崇拝、あるいは神木、神柱の崇拝だった神々についても神社建築が行われるようになった。
 丹波綾部には、阿須々岐(あすすぎ)神社(和銅六年改祭)、島万神社(天平九年建立)などあり、以後平安時代にかけて無数の天つ神、国つ神々を祭る神社などが建立せられた。

 そして綾部は、この民衆の信仰、国津神々への祈りを基調として、日本神道、仏教、儒教思想などを総合調和し、その思想をもって今日の人間に、世界に問いかけ話しかける、平和宗教、大本を生み出した聖地として、未来に生きつづける心のふるさとである。

 綾部を散策するとき、幾多の古びた神社仏閣が、素朴な石仏達が、のどかな美しい山陰の自然の中にあり、昔の日本人の思考に私達を誘いかけるように静かな姿を見せてくれている。

 美しく目に映える青い田畑の中、新緑の山麓の中、乱れ咲く野の花々、薄紫の山つつじの花、桜、紅葉、白雪の自然に囲まれ、さえずる野鳥の声に包まれて建つ、その姿は、ふるさとの風情そのものである。
この古代日本人の習俗は、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)によく伺える。
 男子は大小となく皆いれずみす。--今、倭の水人好んで沈没して魚蛤を捕え--男子は皆みずらし(けさ衣)木綿を以って頭にかけ、その衣は横幅、但々結束して相連ね、略々縫うこともなし、婦人は被髪屈?し、衣を作ること単衣の如く、その中央を穿ち、頭を貫きて之を衣る。禾稲、紵麻を植え、蚕桑をつむぎ、細紵、?綿を出す。倭の地は温暖、冬夏生菜を食す。皆はだし。--

 この時代の人々の願いは、何であっただろうか。それは死への怖れ、生への願い、豊かな食料の確保、雨雪、暴風、洪水など季節の変化に伴う飢えへの恐れであったろう。

 そして人々の信仰は、高い山、大きな岩、大木、流れる川水などに、この自然のみのりを支配する神々の姿をみ、自然崇拝の祈りを生じたのであろう。

 原始人のものの考え方は、現代人のような科学的、合理的なものと違い、そこから原始人特有の呪術、儀礼、信仰などが発達していった。
 やがて大陸より稲作栽培が伝わり広まるが、その伝播も日本海側地帯を経由して、大陸から流入し、各地に伝播していったに違いない。

 このとき稲作技術とともに高い文化も伝播し、この時代の人々の信仰は、春の耕作前の豊作を願う祈り、秋の収穫のあとの神に捧げる感謝の祈りとなって田の神々への信仰に人々をかりたてたであろう。

 春の訪れ、雪解けと共に輝きを増した太陽の神は高山のいただき、大きな木、大きな岩に下り来まし、火となり、流れる水の神々とともに里に下りおり、田の神となるといった信仰儀礼が行われた。
 それは、高い山で行われた国見の儀式、また儀礼に用いられたという銅鐸が山より発掘されることによっても伺い知れる。

 稲作の普及によって支配階級が発生し、他氏族の統合が始まると、それは氏族統一結合のための神となっていった。
 信仰は各氏族の祖先と結びつき、氏族の守り神となり、その集落の信仰となっていった。ここに国津神々の誕生をみるのである。

 丹波という地名はまた、出雲の神である大国主命(おおくにぬしのみこと)の経営する田庭より出たと伝えられ、出雲と共に山陰道の旧国である。

 当初丹波は、出雲文化の影響のもとにあった。そこには豊作を祈る春先に行われる神事であった竹の子占い、みょうが占い、松占いなどの土産神(うぶすながみ)信仰として今日残っている土地の神々や、庶民的な恋をし、いたずらし、事荒ぶる神々といわれた須佐之男命(すさのおのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)その他さまざまな国つ神々が祭られていた。

 古代において祭礼は政治でもあった。姉の巫女(みこ)が、神託を得て祭礼を行ない、部族を統一し、弟が政治を行なう形態が普通であった。

 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に、邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼(ひみこ)が神に仕え、その神託によって弟王が国を治めたとあるように、国津神々を祭る民俗信仰は、部族の団結を培うものであった。

 争乱のつづいた弥生中期を経て、三世紀の弥生後期には、各地に部族国家が統一されるが、ここ丹波にも丹波王国と言うべき独立国が成立した。

 これは、後代の加悦(かや)谷の巨大古墳群の存在、あるいは丹波各地に群在する古墳群によって、この地に大勢力集団があったことは明かである。

 大和朝廷の成立とその勢力拡大と共に、丹波もその勢力下に入るが、当初はまだ土地の神々や国津神々の信仰は、制限されない自治的な関係であった。

 しかしその国津神々の信仰も、それまでの三輪王朝に代わり即位した崇神天皇以後、新たに大和政権の拡大を推し進めた全国制覇に伴う、天津神々の丹波への降臨をもってその座をゆずる。

 古事記は、御肇国天皇(はつくにしらしめすすめらみこと)とよばれた崇神天皇の御代に、軍と共に天照大神を大和から各地に遷座して、新政権への従属をしいたと記している。

 丹波何鹿郡には、四道将軍の一人、彦座(うみざ)命の来臨、また丹波道主命の来臨があったといい、伊也神社にまつられているのを見る。
 こうして丹波は完全に大和朝廷の政権下に入る。

 この時代の日本人は、あげて古墳という巨大な墓作りに熱中していた。

 人々の信仰は、一応の生活の安定を得、強大な政治権力を成立せしめた時代においては、その巨大権力を誇示し、或いは個性の永遠化、永生の信仰、自らが聖なる山、神になろうとする望みとなった。
 政権の世襲化とともに、死者に対する生者の深い愛情がそれを可能にした。

 丹波においても、その有力氏族の長を祭る古墳が、その権力を基に造られた。今日各地に存在発見される大小の古墳、九州西都原の古墳群に匹敵するといわれた以久田野古墳群などがそれである。

 またあやめ塚、聖(ひじり)塚などの日本当初のものと見られる、大陸墓制の形状を伝える方墳が存在することは、当地の大陸文化との関係に何か示唆を与えてくれる。

 この古墳時代もやがて到来する仏教、儒教思想の伝播とともに終わりを告げる。それは、新思想がもはや古墳などによって権力の誇示や永生思想、世界意志の表現をする必要をなくしたときであった。
丹の国・綾部 ふるさとへの回帰とその未来

 第一話 国津神のふるさと --編:なべちゃん-
こころのふるさとというとき、私達日本人は何か自然に宿る神秘なもの、精神的なものの存在にそれを見出すのではないだろうか。

 それは古代日本人より受け継がれて来た山、石、水、火、太陽などに宿る神々への信仰にはじまり、庶民の生活に根づいた道祖神、土産神、あるいは、恋し冒険し土の臭いのする八百万の国つ神々への信仰の中になお強く感じられる。

 又それは今日になお細々と、しかし根強く伝承されて来た庶民の生活の喜び、悲しみ、怖れなどの感情を歌いあげたお祭り、祝事、神事、伝説、神話などに接するとき、又村々の古びた宮社などに接したとき、私達の心によみがえってくる郷愁でもある。

 もちろんそれは、日本を統一した皇祖神の天つ神々の信仰、そして外国より伝来した仏教、儒教などの経典、仏像、寺院などの中にもあるが、それらは歴史の中で政治の主流として、余りにも形式化されてしまったように思える。

 それは今日の物質的西洋文明の合理主義に偏し進んで来た社会。機械化、情報化、非人間化、人間疎外、過密、公害、享楽的なレジャ-、低俗な精神文明などの洪水の中であえいでいる私達の心に、それら日本古来のものは、心のふるさととして、何かひっそりと、しかも高まる情緒をもって語りかけて来るのである。

 そしてここ日本のふるさと、日本人の心のふるさとである丹波(たんば)、何鹿(いかるが)の里、綾部の歴史を回想しながら、この地を逍遙するとき、私達はいたるところでふるさとを発見し、昔(いにしえ)の日本人の大らかな心に感銘を覚える時間が持てる。

 綾部地方は、非常に古くから人が住みつき開けていった。ここは日本のほぼ中央に位置し近畿の北の玄関口といえる日本列島最大屈曲部をなす入り江である若狭舞鶴湾に背面して立地している。

 原始時代の運まかせの大陸からの移住、出雲地方、さらに遠く北九州から海岸沿いの水路による近畿地方への人々の侵入は、ずっと以後の大和朝廷の成立する時代に、大陸から九州、瀬戸内を経由し、大和平野に上陸する海上ル-トが確立されるが、それまでは日本海を利用する短い海上交通を経て、日本海側より行われた。

 民族の移住にともなう文化の伝播交流などを考えると、日本海側地帯こそ今日と違い日本の表側であったといえよう。
 丹波は、中国山脈の東端に位置する低い、なだらかな山稜と、その間を流れる大小の河川ぞいに展開する平野、盆地、谷あいからなる非常におだやかな地形のところである。

 丹波唯一の大河である由良川は、京都市北山の分水嶺にその端を発し、清く豊かな水量をもって流れ、丹波ラインと呼ばれる景勝地をなしている。
 その流域の両側には、段丘状の広い洪積台地が発達し、また綾部に入っては広く開けて、綾部盆地より続く福知山盆地の自然美に富んだ沃野を緩流し、再び河守などの広い氾濫原を経て、丹後由良より若狭湾にそそいでいる。
 古代人は、由良川河口より水路を遡上し、川沿いに移住していったと思える。

 丹波は、非常に豊かな山野の稔りがあり、狩猟生活時代の古代人が、季節的に徘徊して食料を得るには、まさに最適の恵まれた自然であったに違いない。

 由良川の大氾濫原に点在する川、湖、沼に住む、あゆ、ます、こい、ふな、なまず、うぐい等の川魚、しじみ、からす貝、たにし等の貝類、河原に群生する桑の実、竹の子、そしてまわりの低い山地は、栗、かし、しい、なら、どんぐり、くるみ、とちの実などの、保存のきく粉食用の堅果類の宝庫であり、稲作農業以前にあったといわれる堅果類栽培農業の立地条件に近い自然であったと思える。

 柿、なつめ、あけび、山ぐみ、野いちご等の果物、わらび、ぜんまい、やまいも、みょうが、さんしょう等の山菜、しいたけ、まったけ等のきのこ類。いのしし、鹿、かもしか、野うさぎ、くま、さる等の小動物。かも、きじ、山ばと、こうのとり等の野鳥。
 これらは今日の丹波を特色づける数々の産物である。また桑に自生する蚕(かいこ)よりとれる糸は、当時より貴重な衣料として利用された。
2005/10/29のBlog
[ 10:15 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
冊子「丹の国・綾部」: 1972年(昭和46)に綾部青年会議所の認証10周年記念事業として編集・出版されました。3千部の限定出版であり、その後JCル-ムが類焼により被災、一切の資料が失われました。それで冊子「丹の国・綾部」の再録を私の課題として取り組んできましたが、まだ半分を終えたところです。
 このプロロ-グ再録を、プロロ-グの執筆者であり、「丹の国」の生みの親:綾部青年会議所 第6代理事長・認証10周年実行委員長 故塩見 清毅氏の御霊前に、氏が、ふるさとあやべに対して限りなく燃やされた情熱と先見性と業績を偲びながら捧げます。
------------------------------------
プロロ-グ 著:故塩見清毅氏
燃えよ 丹の国

太古
丹波は丹の湖であった
赤々とした水面が
果しない拡がりを見せ
その波うつさまは
まるで燎原の火であった

大国主命が
この丹の湖の水を
今の保津川に引きこんで
干拓したと伝えられ
豊饒にして、古い
日本の原像を秘めた
この国の歴史は始まった

既に長い長い年月は流れ
現在---
この国の山も水も邑も
陰湿な濃霧につつまれ
泥土の如く沈み
黙りこくってしまった

文明の海の流れは
誘蛾燈のように
人々を乱舞させ狂喜させたが
そのあとは・・・・・・
いいようもない
虚無と倦怠と残滓に
おそわれ・・・・・・

心ある人々は
眼を細めるようにして
遠い太古の
丹々とした
燃えるような
湖の色を 光を
恋うようになった

丹は 赤
人間のあたたかい心であり
その波よせるところ
丹波の国である
人々のもとめる真実の灯の流れは
実は この陰湿な泥土と化した
この国の地底にある

霧をはらって
ポンペイの発掘の一鍬は
この国の中真
「綾部」の邑から
土着した 自らの手で
今こそ
始められねばならない

虚構から真実へ
物質から精神への
新しい大きな歴史のうねりの中で
渇仰する人々のためにも
そして自らのためにも
始められねばならない

おそらくは
積層された泥土は
深く 厚いにちがいない
しかし 掘りあてた
地下水の 耐えに耐えた
その赤いほとばしりは
一瞬にして
野山を
赤き満々たる
太古の丹の湖に
再現するであろう
2005/10/28のBlog
この数日間に、ブログのランキング・サイト3ケ所に加入しました。
一つめは『 一日一枚 』(S.VANVAN)様のブログを訪問すると、各ブログに「人気blogランキングへ」のリンクが貼ってあり興味を引かれました。早速お伺いして私も会員登録しましたが、仕組みがさっぱり分かりません。ブログ内検索をするとブログ・サイトは表示されるのですが、肝心のブロク記事のリストが示されず、投票するにも数千件はある、そのカテゴリ-内をを探し求めるのは不可能に近く再度尋ねました。すると写真・一般の中にあり、最近はランクキング落ちしてるかもというご返事でした。もう一度探しましたが不明でした。文面からすると、ブログのリンクを踏むだけで良いようなので、以後訪問のたびに踏んでおります。「記事ごと」の得点ではなさそうです。
 リンク・バナ-がありましたが、設定の方法がわからず、TOPのお知らせ最下部と、サイド・メニュ-のリンクに「テキスト・リンク」で入れました。各ブロク記事へのリンクはしない方針です。人気blogランキングへ
二つめは、「キタカンサイ・ばきゅ-ん」です。ここもリンク・バナ-があるのですが、ブログへのリンクの方法が分からず、サイド・メニュ-のリンクに「テキスト・リンク」で入れました。リンクを開くとその出入りが別々に、加点される仕組みです。
三つ目は「丹波鈴」です。タンバリンのロゴがあったので、HPにリンクしましたが、ブログの方は同様に「テキスト・リンク」で入れました。リンクを踏むと加点される仕組みでなく記事の一覧が載り、それをひらくと「記事ごと」に加点される方法のようです。

このブログに対し、加点式の「お踏み・リンク・バナ-」設置の方法について「風に吹かれて:chibisaru」様に問い合わせる予定です。また今回「Doblog 学園」に入園しましたので、生徒番号入りバナ-の作成をお願いしている『 まるたま。のびのび。 』(○まるたま。○)様と以前から相互ブックマ-クいただいている「皆で作ろー♪Doblog図鑑」様と「どぶさぽちゃん - どぶちゃん助け合い書き込み寺 」様が同一人物らしく、こちらにも問い合わせて見ようと考えています。
地元、福知山市に「キタカンサイ・ばきゅ-ん」と云う投稿サイトがあります。
これまでHPの紹介を「画像掲示板」で行ってきましたが、福知山産業フェアの取材記事ブログ6回分を、初めて「ブログURL」で投稿しました。
 同時に「ブログURL」投稿の断りのコメントを「掲示板」に入れました。下記はそのセッション記録です。
 注記:当サイトは「エロ画像厳禁です:某大手サイトでもポルノ画像が掲載されているのに、何故地方の弱小サイトだけが制限を受けるのか・・:公的機関のリンク審査で地方サイトのリンクの存在が、この点で支障となる事例があった」と論じておられます。
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画像掲示板にブログ投稿のこと
名前:なべちゃん 10/23 15:36
キタカンサイ・ばきゅ-ん 管理人様
ご承知のようにブログが流行し、HPよりも作成しやすく、コメントやTBの形で反響も得られ、捨てがたい利点があります。少しずつまとめ、シリ-ズで補います。一回目で投稿するか、一区切りで投稿するか決めていません。
スパム・TBが猛威をふるっていますので、見つけ次第削除していますが、このことのご了解をお願いしたいのです。見つけ次第削除以外に、個人では対処の方法がありません。以上よろしくお願い申し上げます。
なお続々ブログ投稿者が増えますよう願っています。綾部の人間が、福知山産業フェアを投稿するなんて・・ですね。
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001 名前:ひでまろ 10/23 17:55
携帯からです。blogはゃってますね。地域のblogポータルとして丹波鈴タンバリンさんがオープンされました。わたしも企画からお話を聞かせていただき微力ですが応援してい
ます。ランキングもあるのでご利用ください。
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002 名前:なべちゃん 10/23 20:14
早速のご返事有り難うございます。
>地域のblogポータルとして丹波鈴タンバリンさんがオープンされました
行って会員登録してみましたが、ブログがリンクできませんでした。いろいろやりましたが駄目ですね。管理人のメ-ルアドレスもないので中断しました。
ところで、この北近畿バキュ-ンの方でブログ「なべちゃんの散歩道」登録は、出来ないのでしょうか。登録メ-ルアドレスは、同じものを使いたいのですが・・
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003 名前:北関西の名無しさん 10/23 22:51
こちらのシステムは、blogへのリンクも可能です。
サイトURL部分をblogのURLにしていただけるといいです。
blogにバナーを設置するのは、それぞれのblogで違うかもしれません。
アフェリエイト広告等が自由に設置できるのでしたら、その部分を利用するのもいいかもしれません。

タンバリンさんも、これからバグ等の修正などでよくなると思います。また改善されましたら、登録されると面白いかもしれませんね。
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004 名前:タンバリン管理人 10/24 19:16
>なべちゃん様

タンバリンドットコム管理人です。
ひでまろさんからお聞きしました。
ブログが表示されなかったようですね。こちらのサイト内の説明不足もあり、ご迷惑をおかけしたと思われます。
http://www.tanbarin.com/
この事につきましては、本人様メール宛てに再度、RSSの登録方法をお伝えいたしますので、よろしくお願いいたします。また、各ブログサイトそれぞれにおいて、RSSのバージョンや、xmlが表記されるリンク位置がまったく違いますので、探すのに苦労される方もおられる。という事を認識いたしました。

今後、当サイトで、各ブログサイトのRSS取得方法案内ページを作成し、表記するようにいたします。
ひでまろさん、情報ありがとうございます。
005 名前:なべちゃん 10/24 20:51
タンバリン管理人様
Doblog のURLは、なべちゃんの散歩道(ブログ)だけで表示されRSSも探しましたが、index.xmlなど有りませんでした。各ブログは、さらに番号が続きます。(画像掲示板URL参照ください)上記をURLに入れましたがリンクできませんでした。
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006 名前:なべちゃん 10/24 21:10
キタカンサイ・バキュ-ン 管理人様
上記のこと、掲示板を拝借して申し訳ありません。
こちらへのブログ登録は、ハンドル・ネ-ムの変更は当然ですが、やはりメ-ルアドレスも受け付けません(登録済み).他にもありますが、スパムが付くと厄介なので登録メ-ルとして使いたくないのです。
従来のメ-ルアドレスは、種々の登録で使っており変更も出来ず、ソフト+でスパムを削除しています。
やはり別のメ-ル・アドレス必要でしょうか?
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007 名前:なべちゃん 10/25 18:04
キタカンサイ・バキュ-ン 管理人さま
ブログ「なべちゃんの散歩道」ランキングにエントリ-し、設定できました。
当方の登録ロゴを作成し、近日中にセットします。
なお、ブログの方には、貴ロゴのリンク設定が出来ませんので、人気blogランキングへサイドメニュ-のリンクに設定させていただきました。
他の方法が有ればご教示ください。

Doblog がこの2日間大がかりなメンテナンス移転作業に入り、アクセス不能です。
入会早々の不手際、深くお詫び申し上げます。

タンバリン管理人さま
お世話になり「ブログ」セットできました。
有り難うございました。貴ペ-ジ・リンクは、上記と同様に、ブログ、HPに張りました。ご了解ください。
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008 名前:管理人ひでまろ# 10/26 23:40
>サイドメニュ-のリンクに設定させていただきました。
テキストリンクでも可能ですので、その方法でOKです。
Doblog の2日間にわたる大がかりな移転のメンテナンスを前に、駆け込み投稿を済ませました。
22日(土)福知山産業フェアを取材:ブログ6回(写真:30)にまとめ投稿。
23日(日)ふれあいウォ-キング大会取材:ブログ3回(写真:15)にまとめ投稿。
23日(日)コスモス祭り取材:ブログ17回(写真:80)にまとめ投稿。
26日(水)移転メンテ6時からの直前に、コスモス祭りの最終回を、「風に吹かれて:chibisaru様」に教えていただきました、先付け日付27、28日付で投稿完了しました。
 直ちに、ふれあいウォ-キング、コスモス祭りのブログをカラ-・プリントして、綾部市環境保全課の広報に届けました。(エコネット・あやべ編集委員)プリントに記載された本日と昨日の訪問者数数の合計数860件余りを示して、全国から当記事の訪問者がこんなにあり、コメントも頂いていて、行事のPRになっていると説明しました。
 本日の訪問者数がこの時点で、500件に近い数値になっていました。ここ数日は人気ブログ・ベスト100の末席にランキングされていましたが、500に近い数字はこれまでの最高記録です。メンテが終わり昨日の人気ブログ・ランキングが、当然空白となっていると思われますので残念です。
追伸:やはりゼロでしたが、全て3位でベスト・ランキングに並んでいました。
2005/10/27のBlog
[ 19:04 ] [ 環境 環境市民会議 ]
都市緑化募金 園芸なんでも、オ-クション。
「セリ市」が始まった
沢山の植木が用意され、囲む人々に声をかけ、つぎつぎセラれていく。格安で買えるので皆一生懸命
雨にも負けず値段を付けていく。運び込む人も大変。
裏から見たセリ市風景
堤防の上からテント越しに見たセリ市風景
[ 16:10 ] [ 環境 環境市民会議 ]
「菊」
「菊苗」
「懸崖菊」
[ 16:06 ] [ 環境 環境市民会議 ]
「ジャコバ・サボテン」
「ミニバラ」
「レ-ス・ラベンダ-」
[ 16:01 ] [ 環境 環境市民会議 ]
「大文字草」
「初恋草}
「ココヤシ」
「三色すみれ」
「ミニ盆栽」
[ 15:48 ] [ 環境 環境市民会議 ]
「スプレ-・菊?」
「ガ-デン・シクラメン」
「クランべり-」
「ポントラマム」
「?」
[ 15:38 ] [ 環境 環境市民会議 ]
菊?
「マリ-ゴ-ルド?」
「アメジスト・セ-ジ」
「ミニ・シクラメン」
「ポントラマム?」
[ 15:23 ] [ 環境 環境市民会議 ]
コスモス祭りで売られていた花苗と名前を一部、写真・メモをした。
はたして花と名前が合うかお楽しみなのだ。
盆天菊、アメジスト・セ-ジ、ミニ・シクラメン、ピラカンサス、秋桜センセ-ション
カラニコエ八重咲き、スプレ-菊、ポントラマム、ニオイ桜、ウィンタ-・コスモス
レ-ス・ラベンダ-、ミニ・バラ、ジャコバ・サボテン、クランベリ-
耐寒性桜草、ガ-デン・シクラメン、大文字草、菊苗、初恋草、ミニ盆栽
これは「盆天菊」
「秋桜センセ-ション」
「カラニコエ?」
「ウインタ-・コスモス?」
菊?
2005/10/26のBlog
花前を物色する人々
植木市にも人が集まっている。
花苗市
バザ-ル
[ 13:38 ] [ 環境 環境市民会議 ]
コスモス祭りの会場入り口は、植木市。ここも人が集まっている。
真ん中にコスモス祭りゲ-トが設置され、食べ物などのバザールのテントが並ぶ。
こちら側は環境市民会議・みどり公社のてんと。テント前に花苗市がある。
降雨で水たまりが出来ている。花苗に人が集まっている。
色々な花苗が並んでいる
[ 13:25 ] [ 環境 環境市民会議 ]
こちらはフリ-マ-ケット。昨日の福知山産業フェアほどは盛大でなく、テントもないので雨の中、シ-トを広げたり苦労されていたが、たくさんのお客さんが訪れて賑わっていた。
上の土手は由良川河川敷の堤防道路、駐車場になっている。フリマのパラソルが目印
衣類関係のフリマ
こちらも衣類関係
いろんな雑貨が売られている
[ 09:10 ] [ 環境 環境市民会議 ]
うどん、ぜんざい、農産物、まこもたけ、ふじつるグッズ・・・の販売と食事テントが並ぶ
雨も小降りの中、人が集まって賑やか。昼食に「うどん」と「ぜんざい」を食べる。
バザ-風景
藤づるを使った作品を売っている。
環境植物「まこもたけ」、テンプラなどにして食べると美味しい。
2005/10/25のBlog
[ 21:03 ] [ 環境 環境市民会議 ]
環境市民会議生活部会の生ゴミ堆肥処理の相談コ-ナ-
色んな資材も売られている。一例
EM廃油セッケン:100円、セラミック:525円、ぼかし:150円、EMW:1050円、EMI:2100円、バケツ:2000円
木酢液、米のとぎ汁、糖蜜、テラC、魚粉油かす、生ゴミ堆肥など
みどりのジャンパ-姿は、環境市民会議のメンバ-
リ・ユ-スの取り組みで、再利用の品物を置いている
親子環境教室も開かれた。テレビ取材を受けるご家族
[ 20:37 ] [ 環境 環境市民会議 ]
食用油の回収
家庭から持参の食用油を用意されたポリタン容器に移す子供
環境クイズとアンケ-トに協力する人々
環境クイズ・アンケ-トに協力の人、子供たちに、ポン菓子の接待
押し花ポスト・カ-ドづくり
押し花をハガキにあしらって、アイロンで固定して出来上がり。無料講座。
チュ-リップの球根のつかみ取り。一回200円。容器の丸い穴から手を入れて、球根を掴んで外に出す。案外難しく穴の口で落としてしまう。6ケしか取れなかった。女性の手の方が沢山掴みだしているようだ
[ 20:22 ] [ 環境 環境市民会議 ]
カ-ブを描いて植え込まれている
花の色変わりが面白い
これは混ざって咲いている
花の向こうにフリ-マケット会場が見える
こちらは環境市民会議の主催会場のテント
[ 19:41 ] [ 環境 環境市民会議 ]
オレンジのコスモス
赤いコスモス
黄色いコスモス
ピンクのコスモス
クリ-ム色のコスモス
[ 15:21 ] [ 環境 環境市民会議 ]
コスモス畑(花壇)の中を歩く女性
白いコスモスと教会
公園の石像物
由良川堤防の巨木
由良川対岸の久田山には、PAO(パオ:天文ド-ム)が見える
[ 12:36 ] [ 環境 環境市民会議 ]
白いウィンタ-・コスモスとキリスト教会
綾部市制55周年のことし、由良川花壇公園に咲き乱れるコスモスの中で「コスモス祭り」が盛大に行われた。日曜日は時々晴れ間も見えたが雨で、出足が悪かった。
写真をクリックすると、大きくなります。
広がるコスモスの帯と白瀬橋、位田高城山が背景
広がるコスモス畑と由良川河畔の大木
オレンジの花から教会を望む
花に面してテントの会場が建てられている
2005/10/24のBlog
コスモス祭り会場が体操をする参加者の向こう側に広がる。
京都府ウォ-キング協会会長様の激励。30kmコ-ス、手を挙げて完走するぞで出発。
続いて20kmコ-スもかけ声のあと、出発。
最後に10kmコ-ス参加者120名が、一斉に誓いのかけ声のあと、列を作って出発。
河川敷から堤防に上がり、列をつくって由良川に架かる白瀬橋を渡っていく。
時々雨脚が激しくなる中を、申し込み300人を超える人々が、遅れながらも連れだって参加している。
主催者、四方八洲男綾部市長の歓迎の挨拶が始まった。
続いて大会コ-スの説明。10kmコ-スは幾田野の楞厳寺、ふれあい牧場を通っての周回コ-ス。20kmコ-スは、豊里小学校までは同じだが、さらに西の福知山境の私市円山古墳の下を通り北上して小西町の茶畑を巡り、東進して大畠作業所の脇から南下、ふれあい牧場チェックで10km組と同コ-スで戻ってくる。30kmコ-スは、その戻る途中から東進、北上して吉美小学校の下を通り、高倉神社で南下、あやべ桜ヶ丘団地の中を通り、味方から西進して由良川の対岸を経て会場に戻る。
雨が降るので傘をさしている。
柔軟体操が始まった。
コスモス祭りの朝、健康長寿の里、第3回「あやべふれあいウォ-キング」が開催された。綾部市制施行55周年の記念事業である。
雨が時々降る中を集まってきた人々。しっかり雨具の用意もされている。
受付をすませて、コ-ス地図などを受け取る。
登録受付中。
集合時間になった。コ-ス別に並ぶ。
2005/10/23のBlog
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金属折鶴: ばるじゃん様からTB記事でブログの紹介をしていただきました。前のブログの写真は、金属製の竜頭をメインにしてトリミングしています。別途撮った写真が有ると思いましたが撮影できてなく、トリミングした写真の片隅に写っていたものです。
先の記事は、金属折鶴のブログ、その活発なコメントを拝見して、それを意識して金属折鶴もありますと書いたものです。
>福知山ということは、京都府板金工業組合のものでしょうか?のお尋ねについても、一枚物のパンフレットに展示ブ-スおよび出品者目録が有ったと思いますが、チラシのことで取り紛れています。何かの機会に見つかれば補充したいと思います。
隣の舞鶴市でも昔の沢山ある赤煉瓦の倉庫を活用して、「赤煉瓦博物館」ができており、「クラフト展」が毎年開催されています。間に挟まれた綾部市にも陶芸家、ガラス細工、木工細工、織物・・などの手芸芸術家グル-プが誕生し活躍されています。
又の機会に紹介したいと思います。
なお、金属折鶴: ばるじゃん様には、ブックマ-クをお世話になりました。私からも相互BMさせていただきました。今後とも宜しくお願い申し上げます。