ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
なべちゃんの散歩道
Blog
[ 総Blog数:4052件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2005/10/12のBlog
[ 06:59 ] [ あやべの文化財 ]
「木祖殿神社」の神輿行列、元気な子供たちの旗行列を先頭に、続々とやってくる。
子供旗行列、皆笑ってる
太鼓を曳いた子供たちの行列が続く
太鼓を担った行列と大きな矛を立てた行列が続く
皆の待つ広場に到着
2005/10/11のBlog
[ 19:05 ] [ あやべの文化財 ]
「福田神社」HP
祭神:火産霊神、植山比売神
甲ケ岳登山口にある「馬場」で両神社の神輿が出会い、合同祭礼が行われる。
ここには「山の神神社」など小宮が建つ。
薬師如来像が祀られている。
馬場入り口の薬師堂前には、テントが立ち準備が行われていた。
馬場広場には両神輿を収める囲いが設けられ、祭壇が用意される。
「木祖殿神社」岡町の綾部高等学校前にある。
祭神:久久能知神(くくのち神)
このお宮は昔から舟の宮と呼ばれ、往古、舟に乗って大杉木祖神が流れつかれ、ここに斎を祀り、境内を舟の形になぞらえたのでこの名がある。
御土御門天皇、明応2年、位田の乱に兵火にかかり社殿古記録を消失。
今の社殿は元禄16年の建築である。木祖神は、日本書紀に伊弉諾尊の国生みの時、海山川の神々の火に□□、久久能知を生むとある。
「福田神社」の祭神とは夫婦の関係にあるとされて、「福田神社」の神輿が通過後に遅れて通過し(神輿休憩所)、最終地のここでも、福田神社が先着で待つところに、遅れて到着する習わし。
[ 15:08 ] [ あやべの文化財 ]
福田神社の神輿がやってきた。
全ての写真はクリックすると拡大します。
上り坂先頭は引っ張っている。
汗にまみれた顔、顔、顔
広場に入って曲がり角で一人転んだが無事に脱出、良かった。
最後の見せ場、力をそろえて御神輿わっしょい!見事持ち上がり、ポ-ズが決まった。
一足お先に待ち受けの囲いに納まる。隣は子供神輿。
[ 13:34 ] [ あやべの文化財 ]
もう少しだ頑張れ!
登山口を回って広場へ到着
やっと行列から解放され、売店に群がる
預けておいたリュックを銘々で受け取る
2005/10/10のBlog
[ 16:41 ] [ あやべの文化財 ]
「福田神社」と夫婦関係にあると伝えられる「木祖殿神社」の両神輿が出会う馬場(甲ケ嶽登山口広場)に、子供旗行列を先頭に続々やってきた。
旗行列の次は、子供太鼓の行列
子供が乗って太鼓を叩いている。
お次は子供神輿の行列
少し上り坂、疲れたのか重そうだ。
[ 11:15 ] [ あやべの文化財 ]
中筋ス-パ-「ふくや」前を行く子供たちの旗と太鼓の行列
「ふくや」駐車場前の子供みこし
神輿がいく
担ぎ手も一休憩で元気回復
中筋交差点前の川筋を西に向かう。一度に回れないので、行き過ぎて、道幅一杯に切り返して、また切り返して新方向に向かっていく。そのたびに方向を変え神輿を担ぎ直す、大変だ。
[ 08:36 ] [ あやべの文化財 ]
神輿出発、福田神社境内
大鳥居前を整然と
肩に重荷をしっかり担って若者たちが行く
最初の休憩地をさらに西の岡の段に向かい出発
折り返して府道へ出て東進して巡行
2005/10/09のBlog
[ 21:49 ] [ あやべの文化財 ]
快晴の日曜日9時、福田神社前に整列の行列、出発前
全ての写真はクリックすると拡大します。
子供たちの旗行列。七五三の時に自分の名前の入った旗を作ってもらい、奉納する習わしがあり続いている。
子供の曳く子供太鼓の先頭
太鼓を叩く子供を乗せて、子供太鼓が行く
元気に子供たちに担がれて子供神輿が行く
[ 14:40 ] [ あやべの文化財 ]
わたあめ食べてる
全ての写真はクリックすると拡大します。
こんな店もある
宵宮で買い物
こちらはお餅の売り場
腰掛けて食べる縁台も人が一杯
[ 08:35 ] [ あやべの文化財 ]
太鼓をたたく親子
賑わう屋台店
照明の中で買い物
子供連れも多い人気店
境内を行き交う人々
2005/10/08のBlog
[ 20:08 ] [ あやべの文化財 ]
福田神社の宵宮の取材をしてきた。風邪が何とか治まったのでようやくの出動。
夜風に当たらぬように、マスクをかけて行った。
全ての写真はクリックすると拡大します。
近在の人出で随分賑やかであった。屋台が並び納涼祭のように地元の人の手作りであった。
食べ物が並び、行列で買っていた。喜楽焼というのを買って帰った。
祭壇前の御輿。明日の御輿ねりに備えて、きらびかしく照明を浴びていた。
祭壇前のお神籤。大島宮司さんがおられるか尋ねると、近在のお宮さん参りにお出かけとか。(明日の祭礼で神輿同士が出会い待ち合わせする、岡町の神社も祭礼中であった)明日の祭礼取材の時間を確認した。
[ 12:01 ] [ あやべの文化財 ]
聖(ひじり)塚古墳と約100mの間隔をおいて築かれている。この古墳は、一辺30mの方墳で、約6mの周壕を巡らせ、南側に造り出しを有している。
昭和58年度調査により、造り出しは二段に突出する特異な形態であることが判明した。聖塚古墳との前後関係は定かでないが、造り出しの形態などから五世紀前半代に、菖蒲塚→聖塚古墳の順に築かれたと推定されている。平成5年3月 綾部市教育委員会
史跡 聖塚・菖蒲塚古墳
平成4年5月6日 文部省指定
形状:方墳(周辺に造り出しを付属)
規模:聖塚古墳 一辺 54m
菖蒲塚古墳 一辺 30m
築機:古墳時代中期前半(五世紀)前半)
[ 10:19 ] [ ブログ関係 ]
ブログの背景画像用に、Ibmホームページ・ビルダーの背景画像を借用してみる。
program files/ibm homepage builder/color/image/wallppr/
blue_p6b 空
g3b みどり
g2b グリ-ン
pur2b パープル
y7b イエロー
他種類あるので入れ替えると使えるかも?
2005/10/07のBlog
[ 11:42 ] [ あやべの街 ]
市街地から20分程離れた和木町の会員宅に会報を届けに行った。
由良川左岸からさらに南に入る台地の上にある。和木町の一番奥になる。
道路に鉄板が敷かれている。路肩は土が抉られたのか何か危なそうだ。
あちこちこんな鉄板敷きの場所がある。崖の下は川、ずいぶん深い谷だ。
根ざす家が見えてきた。集落の一番上の家だ。
道の終点は大工事中。車を降りて工事人に案内して貰い、狭い工事現場を渡り、谷に架かる橋をわたった。
下を覗くと暗渠工事の最中だった。
歩いて上がり上に立つN会員宅に会報を届けた。
2005/10/06のBlog
[ 17:39 ] [ あやべの文化財 ]
文化財を守る会の会報61号(秋号)を配りに行った。年会費1000円の会で、年2回の会報(一部カラ-刷り31ペ-ジ)を発行している。
送料が出せないので、常任幹事以上の役員が手分けして配布している。
会員には、高齢者も多く、見るのを楽しみにして待って貰っている。
萩の花と大師像
萩祭りはとっくに終わっているが、まだ赤、白の萩が綺麗だった。
会員のおられるお寺境内である。
白萩
赤萩
HP「綾部の文化財」にアップしました。
画像をクリックしても見られます。
本当は記事の最終に入れたかったのですが、イメ-ジのホ-ムペ-ジリンクは、Doblog ツ-ルバ-からのログインしか受け入れず、すでに投稿済みの三番目に入れる方法が分かりませんでした。知っている方あれば、アドバイスください。
[ 09:25 ] [ あやべの文化財 ]
冬「雪中はんぽ反哺の孝」・・・巣立ちした三羽のカラスが、成長し、親に恩返しをする場面。「鳩に三枝の礼あり、鴉に反哺の孝あり」の故事に基づく。
なお、弁財山の池の近くには、一禾画伯が全国各地で用いた筆を納めた筆塚がある。
2005/10/05のBlog
[ 19:45 ] [ あやべの文化財 ]
夏「高野杉に鴉」・・・高野山(真言宗の聖地)の老杉とカラス。「鴉百態」といって、様々なカラスの姿が描かれている。
秋「湖畔の鴉」・・・湖のほとりで休息するカラス、一方、川に通ずる広大な空間を飛翔するカラスで、静と動の対象である。
[ 13:41 ] [ あやべの文化財 ]
庫裡の「長井いっか一禾」の四季の鴉(襖絵) と「一禾筆塚」
長井一禾は明治2年新潟県水原町に生まれる。東京に出、中野其明、平福穂庵に師事し、円山派の画法を学ぶ。明治37年(1904)に、当時、東京美術学校に招かれていたフエノロサ博士に見出され、博士の帰国と共に渡米。五年間滞在し、日本画の紹介を兼ね、洋画を研究。ポーランド大博覧会では名誉賞を受賞。帰国後、特にカラス絵の技法が妙を得、大隈重信公から「鴉博士」の称号を贈られる。当山には昭和12年(1937)から翌年かけて滞在。庫裡の四座敷に春夏秋冬のカラスの絵を描く。昭和15年(1940)に没。
春「いく育すう雛の間」両親のカラスが巣にえさを運び、三羽のひなをいつくしみ育てている。カラスのオス、メスはくちばしに特徴があるといわれる。
[ 10:04 ] [ あやべの文化財 ]
本堂(本尊 薬師瑠璃光如来、日光・月光菩薩、十二神将)
旧本堂は元禄時代(1688~1703)の建立であったが、柱等の主要部分が松材であった為、総体的に老朽化が甚だしく、遂に全面改築となり平成14年春着工、15年秋、新本堂が完成した。 
 本堂内部は折り上げ格天井で枠数96面の秋田杉の板に岩絵具で彩色された様々の花の絵が描かれている。画家は円山応挙から直系八代目・円山慶祥氏とその弟子・真祥氏である。「瑠璃光華曼荼羅」が現出されている。
梵鐘
 綾部藩・九鬼領内に時を知らせる鐘として寛政四年(1792)に鋳造。「同國天田群福知山住 統領 惣官鋳物師 足立 大和藤原重延」の銘がある。廃藩後、綾部町が保管していたものを、昭和24年(1949)に当山に招致。表面には文化二年(1805)の綾部大火の際、斧で乱打した傷跡が残る。
2005/10/04のBlog
[ 16:48 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財シリーズ (第五回)
(丹波のカラス寺)
塩岳山 吉祥院りょうごんじ楞嚴寺(高野山真言宗)
本尊薬師瑠璃光如来 
関西花の寺霊場第2番(綾部唯一)
綾部西国観音霊場第十四番
「縁起」
 楞厳寺は奈良朝、聖武天皇の天平四年(732)林聖上人の開基である。以後、幾多の時代の変遷と再三の兵火により寺坊は悉く焼失し古記・古文書の多くが散逸し、歴代住職の事歴も不明のまま多くの年を経ている。しかし南北朝時代の楞厳寺敷地紛失状(綾部市指定文化財)によれば、寺領は可成り広大であったことがわかる。
 元禄十六年から宝永五年(1708)にかけて旧本堂が完成され、その本堂建立の時の住職、盛長法印を中興開山としている。尚、これより五十年後の宝暦八年(1758)に現在の庫裡が建築され漸く伽藍が整えられている。
会報「綾部の文化財」61号(35周年記念号)よりのHP収録下書き
「綾部の文化財」「綾部の古木、名木」 会長: 大嶋文隆
6月8日、吉野山へご苦労さんでした。 
世界文化遺産にふさわしい深さと内容に満ちた印象深い研修旅行でした。
 次回は別掲でご紹介していますように、古都・奈良の中心へ参ります。
 今回は、特に東大寺のおはからいにより、特別に、普通一般では参拝、参観できない深奧の奈良の国宝を見学します。
 くわしくは別掲の説明をご覧ください。
 さて、私たちが常々関心を注いでいますのは、綾部の文化財であります。
 それぞれ地域に、町に昔から伝えている文化財は数限りなくあります。
 その一つ一つが大切に守られています。
その中で特に主要なものが、綾部市教育委員会発行の「綾部の文化財(図録)」の
中に、国宝1、重要文化財9、史跡名勝1、重要有形文化財1、府指定登録文化財19、綾部市指定文化財35、計66が紹介されています。
 これらは 神社13ヶ所、寺院17ヶ所、宗教法人1ヶ所、綾部市1ヶ所、公私有地4ヶ所、個人3ヶ所、計40ヶ所に保有・保管されています。
 又、「綾部自然の会」発行の「綾部の古木・名木百選」によりますと、市内にある樹木多数の中から選別された古木・名木百本が紹介されています。
 これは 貴重な「生きた文化財」であります。
 これらは神社境内25ヶ所、寺院境内15ヶ所、山・森林・川岸10ヶ所、公有地9ヶ所、個人17ヶ所、計76ヶ所で数百年から一千年の時間を刻んでいます。
 その内容は植物科目31、植物種類58に上ります。
 その中、「文化財」と「古木・名木」が重なって共存している場所が11ヶ所あります。
 内訳は神社4ヶ所、寺院6ヶ所、宗教法人1ヶ所であり、そこに文化財22点、古木・名木26点が共存しています。
 これらの文化財、古木・名木は、その地に生きた先人達や、自然が作り出した貴重な財産であり、大切に後世に伝えなければなりません。
 何よりも先ず、お互いの周辺、近くの文化財、古木・名木に関心を注いで、親しく見聞して、認識を深め、その歴史の深さ、先人のご努力、自然の偉大さを知って、みんなの力で ふる里の貴重な財産を守り、支え伝えていきたいと念じます。
[関連したBlog]
先に行われた両丹地区の古希を迎える会の記念写真が送られてきた。中に下記の新聞記事の切り抜きが入っていた。

両丹地区の古希迎えた人集う 「干支頭(えとがしら))の会」結成し今後は毎年開催
 綾部や福知山、舞鶴など近隣市町に住む、昭和11年生まれの人たちが10日、味方町のホテル綾部で「両丹地区・古希を迎える同年会」と銘打った同級会を開いた。
 綾部高校の昭和30年3月の卒業生たちが、中心となり、来年度に古希(70歳)を迎えるのを記念して開催した。(中略) 綾部在住者が世話役を務めた。
 丹波や丹後地域に住む同級生に広く参加を呼びかけたところ、当日は60人が来場。物故者に黙とうをささげたあと、歓談を楽しんだ。
 また同級生たちは、子(ねずみ)年と丑(うし)年の生まれであることから「干支頭(えとがしら)の会」というグループを結成、来年からは毎年、同級会を開くことを決めて散会した。
懇親風景
テ-ブルごとに記念写真も
随分賑やかに交流
懇親風景
2005/10/03のBlog
[ 16:10 ] [ あやべの街 ]
ゲ-ムがすんで食事を食べる。
成績発表順に大槻理事長より賞品を受ける
大きな賞品、重そう。色々と用意されている。
参加企業からの各社提供の賞品も混じる。自分の出した賞品が、偶然にもずばり自分に当たり苦笑の経営者も出た。皆大笑いの和気藹々。
用意された賞品も行き渡った。参加賞ももらい、一同解散。
[ 16:01 ] [ あやべの街 ]
ストライク
低い位置でボ-ルをリリ-ス
ディスプレィは、ストライク、スペア、ガタ-、ダブル・ストライク、トリプル・・の色々なアニメ-ションと鳴り響き交差する音で賑やかだ。
宮本副会長のお礼のあいさつ
各社の若い社員が仲良く
[ 15:27 ] [ あやべの街 ]
中央に突入
ボ-ルをリリ-ス、腰が高いか?
中央ピンを外した
左手でバランスをとったポ-ズ
熱心に見守り声援をおくる
[ 11:54 ] [ あやべの街 ]
かなり左にそれてる
家族参加、お姉さんの方
ストライク・コ-スのようだ。
ボウルを高く引いて本格派
4人の順番だと、かなり早く投球が回ってくる。
2005/10/02のBlog
[ 14:50 ] [ あやべの街 ]
ボウリング大会開始に当たり、綾部鉄鋼工業協同組合大槻理事長のあいさつ。
主管、運営は、同組合青年部の若者たち。毎年の定例行事となっている。
以前は、各社対抗のソフトボ-ル大会で、バベ-キュ-なども企画されていたが、近年不景気の影響で、社員数も減りソフトボ-ルでは参加できる企業が少なくなり、以後ボウリング大会となった。
組合傘下の各企業から集まった社員たち、家族同伴もおられる。ゲ-ム参加は、60名。4人づつあらかじめ分けられ、15のレ-ンに分かれ、2ゲ-ムを行う。女性、子供、高齢者のハンディあり。
残念左寄りだった。
子供さんの家族参加もある。
[ 14:42 ] [ あやべの街 ]
ボ-ルと反対側のピンが逆さま、その左は立っている。理屈がわからん。
慎重に投球
ボ-ルラックから物色中。
ゲ-ム機もある、大体人も揃った。
[ 14:34 ] [ あやべの街 ]
[関連したBlog]
綾部鉄鋼工業協同組合ボウリング大会受付
待合い風景
ストライク
ピンの底が見える。
丁寧に投球