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なべちゃんの散歩道
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2005/01/25のBlog
[ 19:46 ] [ あやべの文化財 ]
山家城趾からこの参道を上がったところに建つ。
社の後ろには、盤座(いわざ)と呼ばれる大岩が立っている。
この「伊也神社」から更に山道を辿ると「岩ほこら」があり、「左衛門屋敷跡」「照福寺址」があるが、平坦地まで行ったがまだ先のようで、雪中で人を待たしていたので引き返した。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/yamagajo/iya.html
2005/01/24のBlog
[ 21:27 ] [ あやべの文化財 ]
[関連したBlog]
山家城趾公園は、梅、桜、緑、紅葉などの名所でもある。
秀吉から所領をもらった山家谷藩のいきさつなど、谷霊神社のHPです。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/yamagajo/tanirei.html
2005/01/23のBlog
[ 09:24 ] [ あやべの文化財 ]
会報より西村会員の「毎国庵のこと」をhpに収録、写真がないので電話をかけ、場所を教わり取材してきました。
御堂の内部には仏像や位牌が並んでいました。少し前まで公会堂の押入に場所をとり並べられていたそうです。本尊の仏像は、山家の照福寺に預けられ、お祀りされているとのことです。HPアップしました.。
http://www.ayaco.net/bunka/kaiho/bfor/maikokuan.htm
2005/01/22のBlog
[ 18:54 ] [ あやべの文化財 ]
山家城趾公園の梅の写真撮りに友人を誘い出ました。
途中、西原の西村会員さまに電話して、HP「毎国庵のこと」のコピ-を
渡し、下記、西原の所在地を教えてもらいました。
窯跡も教えてもらいましたが、雪が降り始めたので、窯跡は次回に回しました。
山家史誌の大冊をお借りしました。

山家西原町の古墳跡、正光神社、毎国庵、熊野神社。
山家城趾の谷霊神社、伊也神社、梅苑の写真を撮ってきた。
梅は、まだ早く紅梅が少し開いていたが、白梅はまだ咲きかけであった。
以前に故林貞美山家資料館館長に、この城趾に建てられた資料館を案内いただいた時も雪が積もり、梅が見事であった。
来週あたりの好天気が最盛期か。まだ少し早かった。
2005/01/21のBlog
[ 20:26 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の誇る丹波焼収蔵庫「守田コレクション」に関連して、文化財の会報より2点の解説を収録HPにしました。
丹波焼きの窯元を訪ねて、写真は立杭の登り窯の内部です。
丹波ほおずき-丹波焼の話し-
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/tanbayaki/tanbayaki.html
2005/01/20のBlog
[ 21:04 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
神宮寺公会堂、東神宮寺と中神宮寺の2自治会が使っている。西神宮寺自治会には別に公会堂がある。この公会堂から真南に波多野祈念碑参道が延びており、東・中神宮寺の境である。
公会堂の前には、この像が建っている。背中に薪を背負い本を読みながら歩いている。
2005/01/19のBlog
[ 20:27 ] [ 花だより・紅葉だより ]
波多野記念碑に梅の開花を見に行ったが、まだ咲いている花はなく、つぼみふくらむの状態だった。
参道で子供達が元気に走っていた。
2005/01/18のBlog
[ 09:45 ] [ あやべの街 ]
(社)綾部青年会議所の新年記念式典に参加してきた。昨年度の山口雅之理事長から、今年度理事長の武田 誠君(写真)に理事長バッチの引継があった。
四方八洲男市長をはじめ来賓多数、松下耕樹歴代理事長代表以下JCOB、シニアクラブなど参加、盛会であった。
2005/01/17のBlog
[ 13:41 ] [ あやべの文化財 ]
[belage]様から須波伎部神社の雪をかぶった狛犬のことでコメントを頂きましたが、丹後半島一周研修で鑑賞した籠神社の狛犬(重要文化財)のHPを紹介したら鎌倉期の作品の話になった。今回会報からさらに、阿吽の狛犬一対について、獅子と狛犬の一対であるとの解説を得たので収録した。
歴史や文化財の門外漢には思いもよらなかったことだが、記事を書かれた故山下潔美先生も知らなかったといっておられる。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/takatu8/komainu.htm
2005/01/16のBlog
[ 07:52 ] [ あやべの文化財 ]
本殿は三間社流造の建築で、元文四年(1739)に淵垣村の氏子講中が再建したものである。身舎と向拝の各柱間に備えられた幕股は、割合良く整った形を持ち、この地方における江戸中期ごろの特色をよくしめしている。
 この社殿の注目される点は、一部に江戸時代以前のかなり古い細部形式を持った古部材が遺されていることである。HPアップしました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/futigaki8/futigaki8.html
国道27号線を味方から舞鶴に向かい、JR淵垣駅のかなり手前右側にこの参道が1直線に見える。突き当たりが郷社淵垣八幡宮本殿、京都府登録文化財である。
一般的に古い木造の社殿は、保護のため覆い屋に収納されており、ひとまわり大きいだけの建家なので写真撮りが難しい。
2005/01/15のBlog
[ 11:05 ] [ あやべの文化財 ]
会報「綾部の文化財」より「山家の館址に立って」伊藤喜久氏。同じく綾部市資料館建設促進協議会の視察研修で、故林貞美山家資料館長にご案内いただいた時の記録「山家資料館」をHPに収録しました。

写真は、数年前に撮った山家城趾の桜祭りの風景です。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/yamagajo/yamagajo.htm
2005/01/14のBlog
紫王山 金剛寺は、上林温泉に入る交差点を、ほんの少し若狭方面に通り越した所から橋が架かり、洞峠への府道があるが、橋を渡ったすぐの所の左手にこの門柱が建っている。
参道を入って少し小高いところにこの本堂が建つ。HPは下記をクリック
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/kongo/kongo.htm
2005/01/13のBlog
[ 13:23 ] [ あやべの街 ]
昨夜は綾部鉄工工業協同組合の新年互例会を早めにエスケ-プして、あやべ塾の自主防災組織の説明会に顔を出してきた。阿須須伎神社の「みょうがさん」と篠田神社の「竹の子さん」の2月3,4日の取材で、日程を出席の自治会長さんから聞くことが出来た。当日の積雪、道路状況の問い合わせ先も分かった。
昨年の台風、地震、火災などの後だけに、熱心に自主防災の組織作りへの取り組み意欲が伺える会合であった。
2005/01/12のBlog
上林の睦合町、府道1号線の左手にこの寺門が建っている。上林禅師、八津合八幡宮の手前、綾部寄りになる。
寺門の後ろは小さな空き地で、少し離れて寺が建っている。
HPアップしました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/hozozenji/hozoji.html
2005/01/11のBlog
上林(じょうりん)禅寺は、府道1号線若狭に向かう上林街道の大町交差点の少し手前、左手に寺の標柱がある。
名木「シダレザクラ」の名所、石段を覆うように枝が重なっているので、冬場でなく桜の季節にもう一度訪れたいと思った。
しかし冬ではあっても山茶花など多くの花が咲ききれいだった。青い毛糸の帽子をかぶったお地蔵さんが2体立っていて印象的であった。
HPアップしました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/kanbayasizen/kanbayasizen.html
2005/01/10のBlog
大江町に向かう府道を北進し、三叉路で少し右に曲がりながら物部への直線道路に入るとすぐに、右に入る道路がついている。すぐに須波伎部公会堂があり、その先に須波伎部神社参道の常夜灯と山の手に鳥居が見える。
神社は、参道を回り込むように上がった所にあった。人一人居られなかったが、参道の雪面に無数の踏み跡が残っていたので、午前中の参拝は村人こぞって行われたのではないかと想像される
。「文化財と人とのふれあい」のエキストラに孫を連れて行ったのでその風景を撮った。
HPアップしました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/suhakibe/suhakibe.htm
2005/01/09のBlog
滋賀の七不思議の一つ「竹の子さん」で有名な志賀郷・篠田町の篠田神社初詣風景です。神社の裏に「御ミノシベ」竹林がありました。二月四日の節分に行事が行われるとのことです。
元旦午後でしたが、参拝者も次々と見えていました。HPアップしました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/sinoda/sinoda.html
2005/01/08のBlog
[ 19:29 ] [ あやべの文化財 ]
[関連したBlog]
四方續夫さま
>「神能(の)子の真心をうけて 拡めたる 御苑(みその)清(すが)
> しも 石の玉垣 苔生(はえ)して 神を飛び立ちる ときわ木の
> 松にしるけし 水無月の宮」
> 大正十年十月 王仁謹書
ですか、大勢の方にお世話になり有り難うございました。

追伸:綾部の文化財を守る会の会員、出口三平氏から、更に「苔生(む)して 神さび立てる」であり、木札にも不備があるとの、ご指摘がありました。
王仁三郎聖師の句、やはり大本の経綸(しぐみ)が詠みこまれて
いましたか。常緑樹(ときわ木)は、読めなくても推測できましたが、
神氏子でなく、神能子でしたか。門外漢、素人には読めるはずも
なく、古文書や変体仮名の専門家の先生方の出番でした。
おかげさまで、一つ謎が解け、すっきりした幸せな気分です。
有り難うございました。
神能(の)子の 真心をうけて 拡めたる 御苑(みその)清(すが)しも
石の玉垣 苔生(む)して 神さび立てる ときわ木の 松にしるけし 水無月の宮 大正十年十月 王仁謹書


2005/01/07のBlog
熊野権現十二所本地仏を隣の別当寺である願成寺と分置する。綾部の文化財を守る会の建てた駒札がある。それによると平安時代に流行した浄土教の教えの影響で広まったとのこと。志賀郷が荘園であったことの影響か。

竹の子さんで有名な篠田神社の手前を北に入り別所町、突き当たりを東に進むと、高速道高架橋の手前左に鳥居が建つ。
HPアップしました。前回紹介の新熊野神社(並松町)の駒札一覧表記載は、誤りで修正しました。
HP公開しました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/kumano/kumano.htm
2005/01/06のBlog
[ 19:32 ] [ あやべの文化財 ]
熊野神社迷走記:
歴史、文化財の門外漢のHPづくりで苦労しています。疑問点が続出中。
・HP作成に当たり、綾部の文化財を守る会の事務局長の四方續夫氏から預かった資料。
駒札設置個所一覧とその現況報告では、「綾部、熊野神社、並松町」とあり、そのままHPに収録しました。井根町の日園寺が抜けていることに気がつき追加。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/komafuda2.htm

・この他に綾部市観光協会が独自に建てられた黄色い駒札、綾部八幡宮
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/ayabe8h/ayabe8h.htmlなどがあるようですが、その他の設置個所の詳細は掴んでいません。

・志賀郷別所町の熊野神社に取材に行くと、駒札が立っていました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/kumano/kumano.htm
・熊野十二所権現の本地仏が隣の願成寺とに分置されていて、藤原時代に流行した浄土教の影響であるということです。

・黒谷和紙会館の川沿いの道を奥に進むと突き当たりにも熊野神社があります。参拝されていた和紙透きのご婦人に伺うと相当古い由緒のある神社のようです。
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/snk/kurotaniyama.htm・神社の前で黒谷川をわたりすぐ先に峠の地蔵があり、山中を志賀街道が蓮華寺峠に通じています。その河原に平家の落ち武者の「切られ」があり祠が祀られているとのこと。
蓮華寺峠には鳥居印があり、権現さんがあったとのことです。

・八代町には奇妙な形の岩を2ケ並べた浦島神社があり、その二つの岩から蓮華寺峠の権現さんを拝むとのことです。
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/snk/seto.htm
・丹後半島一周研修で浦島伝説で有名な浦嶋神社に行きましたが海辺でした。
http://www.ayaco.net/bunka/kensyu/tango/2DSC04638.jpg
・何故山の中に浦島神社があるのか。真北の舞鶴市境は、三角点名:瀬戸=字名です。山の中なのに何故、瀬戸。
http://cpservice.gsi.go.jp/kijunten2k/snk_inf2k.asp?tcode=5335027301&mode=1&sele_code=26203&tcode1=5335025701&tcode2=・三角点の近くに丹後と丹波を結ぶ道標(風化して文字が読めない)があります。昔の交通の要所であったのかも。
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/snk/seto2.htm・この八代町の山上にも、平家の落ち武者の「キラレ」があるとのことです。
・浦島神社の川向かいに八代神社があります。安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)兄弟が前九年の役(1051年)で源頼義に敗れたが、真倉の不動さんがここの裏になり、そこから宗任は落ちのびてこの地で死んだという伝承があり、八代神社に祀られているとのことです。
・並松の熊野神社も平重盛卿の勧請と伝えられていますので、平安時代の浄土教の流行の影響が市内各所に及んでいた野だと思われます。
・並松の新熊野神社もこの正月に取材しました。九鬼藩の陣屋跡で綾部封土後、間もなく火災で焼け、九鬼藩は以後、陣屋も城も造らず、綾部小学校に門があった九鬼館に住んだと言うことです。(山崎巌先生に確認済み)
・子供の頃、美空ひばり、雪村いずみ、江利ちえみショーなど、大きな会館?が建っていて見た覚えがありますが、この新熊野神宮社殿は何時ごろ建てられたのでしょうか。
・大本弾圧(第2次)で弥勒殿、月山不二の聖地まで悉くの建造物、石碑に至るまで時の官憲の暴挙により破壊されたと言われています。
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/ninokuni/omoto/omoto25.htm

・この大正十年十月 王仁謹書の石碑は、無事難を逃れたものでしょうか。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/kumanoa/3DSC05580.JPG

・歴史の門外漢には、謎が一杯に続出。なかなか面白いものです!。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/kumanoa/kumanoa.html
2005/01/05のBlog
[ 19:46 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財を守る会の片山会員より、綾部八幡宮の初詣風景をレポ-トしていただきました。
2005/01/04のBlog
元旦の午後、文化財と人とのふれあい、初詣の人出を見込み取材に行った。豊郷町館町。楞厳寺で道を聞くと、寺の前の道を行って大江町に通じる府道の出口直前にあった。
無人のことも予想できるので、エキストラに千葉から来た孫を連れて行った。
HPアップしました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/akakuni/akakuni.htm
2005/01/03のBlog
安国寺町の村社・石田神社 国道27号線を舞鶴に向かい、安国寺陸橋下を過ぎてすぐに登り勾配の国道を右下に下りる測道がある。安国寺からは国道下を通る村道が通じている。境内一帯は、京都府の環境保全地区に決定。村道から一直線に石段が登っている。
境内社の恵比寿神社本殿は、国の重要文化財。石田神社本殿は、府の指定文化財。
午後2時頃であったが、次々と初詣参拝が見られた。HPアップしました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/isida/isida.htm
2005/01/02のBlog
上林街道(府道1号線)の上林温泉進入路付近で聞くと、上林川の橋を渡り、さらに草壁川の橋を渡り、山の向こうだと言われた。草壁川を渡ると「坂尾呂神社参道」と書かれた標柱と高く続く石段、大きな鳥居が中腹に建つのが見えた。
車を止めて石段を登った。上は下り勾配の平坦地で、一本の道があり、少し行くと鳥居と社殿が見えた。
境内の手前に道が回り込んできており、石段を下りて登ることになった。なるほど山の向こうである。社殿の前には大杉が2本立っており、左の大杉は斜めになり頂上が触れている。山里らしいお社であった。HPアップしました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/sakaoro/sakaoro.html
2005/01/01のBlog
[ 16:08 ] [ 平和 世界連邦 ]
早朝の寺山平和公園から由良川の流れを展望。かなりの大雪、登りついた時にガ-ルスカウトの子供達も上がってきた。綾部市民憲章推進協議会、世界連邦協会綾部支部の共催。主催は綾部ボ-イスカウト。多くの市幹部職員、議員、団体関係者、JC、ガ-ルスカウトが参加。
国旗掲揚:綾部ボ-イスカウト 氷結でポ-ル先端の滑車が凍り付いて、君が代斉唱と合わせるのにかなりの苦労の様子。
四方八洲男綾部市長(名誉団長)から、進級ネクタイを結んでもらう団員達。
追伸:HPアップしました。
http://www.geocities.jp/nabecyan2254/yotuo/heiwa5/heiwa5.htm
[ 10:18 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
NHKの紅白が終わってから、綾部八幡宮の初詣に、千葉から来ている娘夫婦と孫などが出かけた。こちらは早朝の寺山山頂の平和祈願参加で寝てしまい、行ったことがない。
降雪がひどくてそんなに多くの人出ではなかったようである。写真を頼んでいた家内のカメラは電池切れ、娘のデジカメの写真である。インタ-ネットからドライバ-をダウンロ-ドして接続してパソコンに収録した。
2004/12/31のBlog
[ 12:03 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
大晦日に大雪だ。どんどん降っている。
自宅の前は三叉路に小道がもう一つある変則的な四叉路で道幅が広くなっている。
重い雪質の雪掻きで腕が痛い。明日の正月元旦の寺山早朝登山が思いやられる。
[ 09:42 ] [ あやべの文化財 ]
国宝:光明寺の二王門
上林の君王山口というバス停から昔はこの二王門まで、急な坂、山道を息せき切って登るのにかなりの苦行であったが、現在は上林温泉の道が開け、温泉進入路を左手にみながら更に車を奥に進めることが出来、終点の広場に駐車すると、少しの登りでこの二王門に到着できる。
もう一つの道は、若狭へ抜ける上林街道(府道1号線)を大町交差点で右折して少し行くと「君王山林道」の表示があり、その林道を登ると君王山キャンプ場手前を右に、光明寺へ降りる道がついている。光明寺の石段手前広場に駐車し、石段を上がると本堂(指定文化財)があり、宝篋印塔(指定文化財が据えられている。
取材漏れのこの宝篋印塔を撮りに上がった。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/komyo/komyo.html
2004/12/30のBlog
綾部の若狭へ抜ける上林街道(府道1号線)の信号のある、十倉交差点をさらに北に進むと山間にかかり、左手に大きな石段と鳥居が建っている。神牟奈備神社である。
境内は奥へ一直線に伸びる。上林・十倉名畑町
境内の再奥の石段を上がると、鳥居と本殿が建つ。右手に2つの摂社があるが、奥にある阿上社のご神体で、床下に見えるのが、綾部市最古の金石文の石碑(綾部市指定文化財)である。HPは下記。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/kamunabi/kamunabi.htm
2004/12/29のBlog
[ 16:52 ] [ 山と峠と三角点 ]
[関連したBlog]
先のブログで光明寺林道から見た弥仙山を載せたが、美山町境の上林の山は雪が
ついていたが弥仙山はまだであった。昨日の冷え込みで初雪に輝く弥仙山が,自宅から見られた。みぞれが降って寒い中を葬儀に行ってきた。