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なべちゃんの散歩道
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2004/11/27のBlog
[ 16:13 ] [ 福祉 あやべ作業所 ]
明日の作業所グル-プの「ふれあいバザ-ル」準備
市民センタ-2F体育館に青いシ-トを敷き、ステ-ジ台10、卓球台13、大型テ-ブル77、パイプ椅子24、パネル台6を人手で運び上げ、品目別に売り場を作り、市民から提供いただいた品物をバケツリレ-方式で2階に上げた。
車から次々と荷物を下ろす。2階まで並んでいる行列に手渡していく。
階段に向かい合って並び、手渡しで運び上げる。かなり重い物も混じる。大きなダンボ-ル箱は手が滑って持ちにくい。ポランテイアの皆さん、作業所の職員、障害をもった仲間も協力して頑張る。
一部持てないほど重い物は、車椅子用のリフトで上げる。少し宛しか上がらないので、これも大変。
家具などは1階で販売。
階段を回り込んだあとは、テ-ブルの上を滑らす。
車椅子リフトの分は、2階で下ろし手押しの台車で運ぶ。
ポランティアの連日の値段付けが終わり、種類別に箱詰めされた品物が、台に上げられる。明日10時から箱から取り出し、販売展示に並べ、12時半から一斉に売り出す。
2004/11/26のBlog
[ 19:17 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
[関連したBlog]
ふじもと様から紅葉の配達をいただきました。
「観音寺の紅葉」
「植物園のカンラン」
写真の配達、いつもお世話になり有り難うございました。
2004/11/25のBlog
[ 19:56 ] [ あやべの文化財 ]
やっと「綾部の文化財」の35周年記念のHPづくりに区切りをつけて、コピ-の式典会場張り出しとスライド傾斜のレジメを作った。
 ホームページ「綾部の文化財」紹介とお願い
綾部の文化財を守る会のホームページを、創立35周年の記念事業として実施しました。
綾部の文化財についての情報発信が、開始されましたことに感謝しています。
 ホームページ「綾部の文化財」は、学術的な文化財の紹介にとどまらず「まちづくり」 の一端として、人々との交流のあるものにしたいと念じています。
 取材に当たっては、人の存在する内容となりますよう留意しています。また、掲示板、 画像掲示板、投稿写真ギャラリーなどの交流ページも設けています。
 「ホームページはみんなで創るものです」綾部の歴史や文化財を愛し大切にする人々の
意識によって、綾部の豊かなふるさとの自然が、環境が大切に守られていくことを祈念し
ています。
 記事の内容については、情報公開とプライバシー尊重の両原則を遵守し、取材先や資料
館、綾部史談会の先生方の指導をいただいています。
 パソコン、インターネットという情報技術を用いていますが、技術的な部分は慣れてい
る人にまかせていただき、皆様には資料の提供をお願いいたします。手書きで十分です。
「あなたの街のお地蔵さんや鎮守の森、お祭りなどの様子をお知らせください。」
 本日は作成したHP「綾部の文化財」をプロジェクターで映写して紹介します。
歴史や文化財に門外漢の私が説明しますので、文化財などの読み間違いも多々あることを
まずお詫びしておきます。
1.まちづくり:人々との交流を求めて
 表紙、写真ギャラリー(投稿)、投稿掲示板、写真も入る投稿掲示板
2.会報(機関誌)創刊号の頃 設立総会、研修旅行、駒札建立について
 新聞で見る綾部の文化財、会報1号「安国寺」2号「光明寺」
3.足利尊氏関連の特集について
 京都尊氏ゆかりの寺院を訪ねて研修会、安国寺と文化財、岩王寺、記念講演会
4.駒札建立社寺について
 駒札で見る文化財:光明寺、長松寺、東光院、八津合八幡宮、阿須々岐神社・・
5.無形文化財(祭礼)について
 嶋万神社(太刀振り、てんてこてん)高倉神社(ひやそ)於与岐八幡宮(天狗鼻高舞)
6.研修旅行について
 湖都:大津の国宝を訪ねて、丹後一周研修旅行、感想文
7.資料館建設と民俗民具資料館について
 私市円山古墳、忠左衛門代官日記特別展、民俗民具調査風景
8.綾部九鬼藩関連の特集について
 九鬼霊園、奥津城、綾部八幡宮、高津八幡宮、正暦寺、広畔堂跡、グンゼ博物苑
9.世界連邦平和都市宣言第1号都市・綾部
 「平和を願い、祈りのあるまちにしよう」
2004/11/24のBlog
[ 13:22 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
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ふじもと様から花の写真の投稿をいただきました。
台風の跡の道路事情が悪い中を精力的に、あちこち走っておられます。大江山の雲海は、鬼稲荷神社までの道が通行止めとか、側道から抜けても稜線の道はアスファルト面一枚で、端部は底抜けの危険性があるとのこと。
昨日の弥仙山の道も崩れた山面が各所で見られました。於与岐林道も入り口までで、奥には車が入れない由。簡易水道の埋設配管が全部むき出しになり埋める工作車が止まっていました。於成神社裏も崩れ社殿まで土砂が来ていました。
2004/11/23のBlog
[ 18:58 ] [ 山と峠と三角点 ]
快晴に恵まれた秋の休日。大勢の参加者で賑わう登山行事に参加した。
頂上から雲海を見る。
頂上の金峯山神社
紅葉に染まる中を遊歩
2004/11/22のBlog
豪商稲葉本家(久美浜)
如意寺 関西花の寺二十五ヶ所・第七番札所 宝珠山・日切不動尊
昼食は丹後半島・間人港・宿坊 魚火温泉「魚火亭」
伊根の船宿 車中から
浦嶋神社(宇良神社・伊根町本庄浜)
元伊勢 籠神社 お伊勢さまのふるさと・丹後一宮
元伊勢と海部宮司家
京都府立 丹後郷土資料館 秋期特別展をみる「人と技術:見えてきた古代丹後
旧永島家住宅
秋の文化財・史跡学習会に参加して 2号車 里町 S・A 様
 去る十一月十六日頭書の学習会に参加しました。
当日は生憎の天気で「秋しぐれ猿も小蓑をほしげなり」名句の通りの薄ら寒い時々小雨の降る日でありましたが、見学は予定通り行われ多大の学習と楽しさを満喫できた旅でした。
 見学箇所は、
1.豪商・稲葉本家(平成十五年国登録有形文化財指定・久美浜町)
2.関西花の寺・第七番札所・宝珠山・日切不動尊 如意寺(久美浜町)
3.浦嶋神社と宝物館(伊根町)
4.丹後一ノ宮元伊勢籠(この)神社(宮津市)
5.「重要文化財指定記念・秋の特別展」京都府立丹後郷土資料館(宮津市)
以上を見学して廻りましたが、それぞれに事務局担当の詳細な解説があり、宮司さんの丹波王国に関する貴重なお話を聞くこともできました。初会以来毎回のように参加しておりますが、所謂観光ルートでは見られない掘り出し物の名所旧跡を案内してもらって心豊かな学習を積み重ねております。その喜びや学習の奥深さは迚(とて)も紙面では語れるものではありません。矢張り直接体験に勝るものはありませんので、是非今後も多勢の方々の参加を期待しております。
[ 21:22 ] [ 文化財を訪ねて ]
秋期学習会に参加して 1号車 位田町 S・K 様
 肌寒くしぐれた一日でしたが、かえって車中からは、しっとりした晩秋の景色を楽しむことができました。久美浜の稲葉本家では地元の「長」として「お上」と民との間で長く続いた大きな「家」を守ってゆくことの難しさもさることながら、まず一番に「そうじが大変やったやろねー」とか「冬・寒かったやろねー」と言いあいながら見学しました。
 同じ久美浜の如意寺では和尚様のお説教が楽しかったです。般若心経の一節をひいて、肩の力をぬいて楽しく生きる極意を話して下さり、一同楽しく「そうそう」とうなずいて共感したことでした。失礼ながら、まるで仏教界の綾小路きみまろか)また、花の寺の花は、豪華絢爛の花々ではなく、和尚様の心と手入れで守られているやさしい野の花々でした。久美浜湾の美しさととけあって、またちがう季節に来てみたいと思いました。
浦嶋神社と丹後一ノ宮元伊勢籠神社では、この丹後(古代では綾部や若狭も含んで丹波といったそうです。)の地が大陸や東南アジアからの人や文化の流入地点であること、その先進文化をもって丹後(丹波)王国を形成し、ひいては大和朝廷成立に深くかかわっていること、また、私がこれまで何とも思わなかった地名や小さなほこらや伝説などにも深い意味や古代からの人々の思いがあることを知りました。
 京都府立丹後郷土資料館では古墳時代から明治までの生活をたどりました。このたびの見学学習会では、人間がその時代その時代を智恵と力の限りをつくして生きのびてきた、その積み重ねが文化や歴史の発展ということなのかなと思いました。 また、丹後という土地には古代が今もまざまざと息づいていると実感しました。充実した一日でした。ありがとうございました。
[ 21:21 ] [ 文化財を訪ねて ]
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綾部の文化財を守る会の秋の研修旅行、丹後半島一周をHPにしました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/kensyu/tango/tango.html
写真は、浦島物語で有名な浦島神社での記念写真、1号車です。
バス2台で回りました。記念写真係を務め4ケ所で撮りました。
2004/11/21のBlog
[ 15:14 ] [ 山と峠と三角点 ]
ふじもと様
堀スポ-ツまで熟年テニスの引継を届けに行きました。奥様に聞くと、とれとれセンタ-の手前MINISTOPから参道の掃除に登るとのこと。頂上から別のル-トですね。
駅前さとうに車を置き登りました。随分沢山の方が登っておられます。行き帰りに出合いました。
写真:頂上の石段には、見事な巨木の樹木がたくさん聳えているが、少し手前で台風23号により根から倒れている。舞鶴市街の展望できる所も土砂が流れ丸太橋が渡されるなど、倒木と土砂崩れが目立った。「引土」は赤い山土ですね。
虚空蔵菩薩参道が左からこの石段下に上がっていたが、人に聞くと「とれとれセンタ-ル-ト」のほかにも、裏側にル-トがあり、「西高」ル-トだそうでした。
写真:石段の上の鐘楼門。鐘を突いてきました。気持ちが晴れる音色でした。
写真:愛宕権現 薄いカメラなので格子の間からカメラを入れて撮影。
ただの210mにしては、一気に登ると汗をかきました。頂上では裸になって体操する人も。この石段で毎朝修行されている、ふじもと様の天狗走り納得です。
写真:神変菩薩 上林から鬼住峠を越して岸谷へ、愛宕山詣では一昔前は当たり前のこと。今は片道で帰りは車で済みます。ただし道探しと藪こぎが待っていそうです。
ともかく舞鶴市境の稜線登山の成功を祈ってきました。気持ちの景気づけです。
写真:太郎坊権現、次郎坊権現 ふじもと様「愛宕山詣で」のご紹介有り難うございました。
[ 15:01 ] [ 山と峠と三角点 ]
>ふじもと様、 「愛宕山詣で」今でも人気があるのでしょうか。毎日登られる前山、どんな山?
 私の家の前にある標高210mの山がその愛宕山です。今回の台風で屋根に穴が開いたり、北側の樹木が倒れて軒を潰したりしてます。
 西舞鶴駅正面から真っ直ぐに国道を横断して山に突き当たると、円隆寺と言うお寺があります。山門を入って石段を上がり正面の本堂の左側に細い川があります。その川の左側に参道があります。
写真:円隆寺の本堂 大きなお寺で塔など沢山の建物がある。
全ての写真はクリックすると拡大します。
山門を入った次の石段の右から始まる八十八の同行二人の石像伝いに頂上まで上がると、控えの間が左右についた鐘突き堂があり庭を横切り正面に横長の堂があります。この中に愛宕権現・太郎坊権現・次郎坊権現・神変菩薩が祀られています。
写真:紅葉の美しい道を登っていく。
実家ではつい最近まで年1回は愛宕講と言う祭礼があり、町内代表がかまど用のお札を貰って来て配っていましたが・・・? それに、大浦半島の火電が出来た千歳や大丹生の集落からは今でも月に1度代表がお参りに来ておられます。背広にネクタイの正装で山に登って来られるのでびっくりします。
写真:坂道に並ぶ四国八十八カ所霊場勧請 石仏(同行二人)
現在、そのお堂の壁には登山表が張られ、沢山の方の名前があります。各自で登った時にはその該当の日の場所に○をつけておられます。この方たちが今回の台風被害で流れ落ちた参道の修理や、倒木の伐採などをして下さいました。
 今日も、誰か数枚の瓦を背負って登って行ったと、朝のうちに登って来た家内が話していました。もちろん私のように名前を書かないものもおりますが、だいたい1日30人くらいは登るのでしょうね。
写真:坂道途中の鳥居と石段
石段を登ったところに控えの間と鐘提げを兼ねた建物があり、早い人が朝5時半ごろに突く鐘の音が私の部屋に聞こえて来ます。除夜には一晩中朝まで鳴ります。登った人のすべてが突きますので108回は関係ありません。
 以前、鬼住峠(綾部上林・舞鶴岸谷の市境)で出会った遊里の方は若い頃この山まで歩いて火除け札を貰いに来られたと語って下さいました。
写真:途中の秋葉権現
2004/11/20のBlog
[ 20:00 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財を守る会の35周年記念講演として、山崎巌綾部史談会会長の
「綾部九鬼藩歴代藩主とその藩士たち」に関連して、歴代九鬼藩主と藩士の
信仰が厚く菩提寺であった「正暦寺」を取材しました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/syorekiji/syorekiji.htm

玉川弘信師のご厚意で、正暦寺沿革、写真説明、文化財の詳細について
お世話を頂きました。心より厚く感謝を申し上げます。
正暦寺の庭園 京都府指定文化財 江戸中期
2004/11/19のBlog
[ 20:01 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
寺山の頂上、紅葉の間から綾部市街と弥仙山遠望
弥仙山の三角はよく目立つ。23日弥仙山改心の道遊歩、上林日置谷コ-ス参加予定。好天気を祈って。
2004/11/18のBlog
[ 21:38 ] [ 花だより・紅葉だより ]
つわぶきの花を見かけた。
2004/11/17のBlog
[ 20:17 ] [ 花だより・紅葉だより ]
寒くなってきた、波田野記念碑参道の勢いの良い芭蕉も花を付けて、小さなバナナが房になってついている。実らずに寒さで枯れるのだろうと思うと寂しさを覚える。
2004/11/16のBlog
[ 19:22 ] [ 文化財を訪ねて ]
今日は綾部の文化財を守る会の研修旅行に、写真撮影担当でつきあった。
午前中は小雨、カメラのレンズが濡れないように注意した。
集合写真なので三脚、フラッシュは3600HSを使った。
久美浜の花説法の「如意寺」、伊根の「浦島神社」、「丹後郷土資料館」の3ヶ所は、
バス2台の号車毎。右の写真:82代目宮司海部光彦様と「籠(この)神社」神殿前では、1-2号車合同の写真撮影をした。
印画して参加会員に配布します。
2004/11/15のBlog
[ 11:11 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
郡是(グンゼ)の創立者:波田野鶴吉翁銅像
2004/11/14のBlog
[ 10:42 ] [ 花だより・紅葉だより ]
隣の千手院の紅葉が見頃です。
ライトアップで夜の「もみじ」もまた格別です。
2004/11/13のBlog
[ 08:18 ] [ あやべの文化財 ]
今日から安国寺の紅葉祭り
昨日写真撮影に伺うと、総代の大槻正則氏はじめ総出でテント張りをしておられました。貴賓閣が開かれており、足利尊氏公以下15代の室町幕府将軍のご位牌、安国寺創設の天庵妙受上人像などを拝観できました。
2004/11/12のBlog
[ 12:54 ] [ 美術・芸術・展示館 ]
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JR西舞鶴駅 交流センタ-ホ-ルで開催中へ行ってきました。
ふじもと様の「雪景五題」5枚組写真が展示。その内の2枚です。
舞鶴市テニス協会で、いつも舞鶴市代表チ-ムの総監督を務められている、林正武氏の「浦凪の詩」5枚組写真の前で話し中、ふじもと様
[ 07:36 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
[関連したBlog]
ふじもと様からコメントがありました。前日のブログの写真です。
由良川のゴミのかかった木々の丁度真後ろに見える山の裾付近から手前に国道に出た付近が、例の一躍有名になったバスが水害にあったところです。
 また、土嚢は一旦行政で機械的に土砂を上げてもらった川を、私たちの2町内合同で再度7日の日曜に土砂上げしたときの、土嚢の写真です。先方の町内会長が簡単だと思って急に決まった案だったのですが、土嚢袋を200予定して十分だと思っていたようです。ところが始めてすぐに200はなくなり、途中で購入に走り最終的に千個の土嚢ができたのですが、結局まだ3分の1の土砂は採れずに残っています。
 すぐ近くには知事の許可なく木や石や土砂を動かさないようにと言う大きな看板があるのですが、毎年少し強い雨や雪解けなどで上流から土砂が流れて堆積します。それを春と秋の2回川掃除として私たちが上げるのですが、まだ行政から1度も文句を言われたことはありません。でも、毎年2トンのダンプ一杯から多い時は2杯の土砂を、年々年を取った同じ人間が上げるのは限度が来つつありますので、最近行政に申し入れをしようと言う方向に変わりつつありますが、まだ実現していません。その間水がついたこともありますが、私が住んで35年間1度も行政が土砂を上げてくれたことはありません。そんないきさつを表わしたつもりの写真でした。
2004/11/11のBlog
[ 10:58 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
舞鶴のふじもと様から、赤礁の「ツワブキ」と「ヤマラッキョウ」群生の花の写真の投稿を頂きました。投稿ギャラリ-に収録しました。
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/toko.htm
「ヤマラッキョウ」の群生
樹林が綺麗
23号台風で流れ込んだ土砂の砂揚げなど、まだ地元では後かたづけの作業が終わっていないようです。由良川に引っかかったゴミの写真もいただきました。
随分高い位置にゴミが掛かっており、当時の水位の高さが分かります。
それにしても観光バス水没で、屋根に取り残された皆様の無事救出何よりでした。
昨日のあやべ市民新聞の投稿で、於与岐の吉田晟さまの息子さんがバスの前におられ、車が浮き出したので脱出の途中、助けを呼ぶ男女の内、女性を小脇に抱え、男性にはベルトを握らせ、暗闇の中みぞおちまで水に浸かりながら脱出、九死に一生を得ると書かれています。
吉田晟さまとは、23日の改心の道遊歩、日置谷コ-スで一緒の予定です。
2004/11/10のBlog
[ 20:14 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
綾部八幡宮の鳥居の所にある児童公園。
秋の紅葉が散って、赤い落ち葉の地面が綺麗だ。
園児達が思い思いに遊んでいた。
2004/11/09のBlog
[ 15:44 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の蚕糸の歴史をたどる資料の一つとして取材した、グンゼ博物苑のHPをアップしました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/minzoku/gunze/gunze.htm
拡大写真をリンクするため、追加の写真をブログに掲載します。
靴下蔵の展示
版画で見る江戸時代の蚕糸業風景より
錦絵より
錦絵より
版画で見る江戸時代の蚕糸業より
2004/11/08のBlog
[ 19:53 ] [ あやべの文化財 ]
「蚕都を築いた人々」綾部は漢部(アヤヒト)の綾織りに始まり、平安朝以降も絹織物の主要産地であったが、戸時代の禁絹令を経て、九鬼藩家臣の旧弊のため蚕糸技術の改良に遅れ、明治時代に品評会で「粗の魁」と酷評され、郡是製糸の創立で再び蚕都の輝きを取り戻した歴史の資料づくりの一つとして「グンゼ博物苑」の取材をしてきた。
養蚕農家の模型
参観者の多いときに撮らせていただく予定で申し込むと、京都保険会の健康ウォークがあり、久田山天文館まで百名ほどが歩かれた帰着後の見学であった。一度に見えず数人づつのさみだれ見学となった。
イラスト画や錦絵があったので紹介します。
八丁撚糸機イラスト
手織り機イラスト



錦絵:蚕やしない草 寿斎芳員 手挽・繭棚にもたれる

2004/11/07のBlog
[ 11:59 ] [ あやべの文化財 ]
近所の加迫神社の祭礼が行われていたので写真を撮ってきた。
ここも綾部藩主九鬼公の崇敬が伝えられるお宮さんだ。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/kasako/kasako.htm
2004/11/06のBlog
谷藩の藩札:十倉旗本札。これは銀弐分 丹洲十倉、嘉永六年発行・慶応四年検印:かなりの高額で実際に使われた小額の藩札と異なり、信用手形の様なもの。保存状態がよい。日本古札協会理事 井関誠氏所蔵
岩本家古文書:御免相之扣(控)を説明される塩尻千賀良氏(綾部史談会)
最初は農地に立ち会いの上収穫を見て、年貢割合を決めていたが(検見と定免:免率記載あり)、財政の逼迫と共に免率が一定になり(平均して農民の手に残るのは25%の高い賦課率)藩の年貢収納高が斬減傾向(初期2千石→1500石)凶作年は極端に落ち込んでいる。
十倉陣屋の配置などを資料で説明される、川端二二三郎氏(綾部史談会)
忠左衛門の代官就任のいきさつと、残した日記(古文書)を用いて講読中の川端講師
使われた古文書のテキスト
博打の流行と処罰について記録している。
[ 19:16 ] [ あやべの街 ]
久田山の綾部市資料館に行ったが早すぎたので、隣の中丹文化会館が賑やかなので時間つぶしに見に行くと「綾部中学校文化祭」をしていた。全校生徒と父兄で会場は一杯で、立ち見の間から写真を撮った。
3年3組のコ-ラス
学校の講堂でなく、中丹文化会館のステ-ジで行っていることを始めて知った。
会場に入れきれず、ロ-ビ-(ホワイェ)でもモニタ-で写し見られていた。
3年5組のコ-ラス
2004/11/05のBlog
[ 11:48 ] [ あやべの文化財 ]
綾部九鬼藩の霊社・杵の宮神社
若宮神社の境内にある。
九鬼家奥津城 
初代九鬼隆季公以来の宝筺印塔が立つ
HPアップしました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/kuki/kuki.html
2004/11/04のBlog
私市円山古墳 古墳祭りのHPアップしました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/maruyama/mkofun.htm