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[ 09:44 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財歳時記に追加するため、萩の寺・綾部西国観音第一番:那智山正暦寺の「萩まつり」の取材をしてきた。先般、綾部の文化財を守る会の会報を届けたときに、玉川住職様にお出合い出来たので法要の取材をお願いしておいた。
2008/08/30のBlog
[ 08:34 ] [ あやべの文化財 ]
[ 08:04 ] [ あやべの文化財 ]
2008/08/29のBlog
[ 17:06 ] [ あやべの文化財 ]
今週に入り急に雨が続いている。綾部の文化財を守る会の常任理事会が開催され、「上林谷の文化財を訪ねて」の特別企画に参加者募集のため、例年より早く秋の「綾部の文化財会報67号」を会員に配布して回った。
栗の大木がたわわに実り雨に濡れていた。
野田町の会員宅まで来たついでに「9月7日(日)の山家観光やな祭り」の取材下見に行ったが、まだ何の準備もされていなかった。
「9月13日(土)の正暦寺はぎ祭り」の取材について、玉川ご住職にお出合い出来たのでお願いしておいた。
栗の大木がたわわに実り雨に濡れていた。
野田町の会員宅まで来たついでに「9月7日(日)の山家観光やな祭り」の取材下見に行ったが、まだ何の準備もされていなかった。
「9月13日(土)の正暦寺はぎ祭り」の取材について、玉川ご住職にお出合い出来たのでお願いしておいた。
[ 16:34 ] [ あやべの文化財 ]
元陳はこれを受けて、寛政三年(1791)9月完成した。
画題は墨画獅子図十二面、豊干寒山拾得図四面、四季花鳥図六面、竹林七賢図四面、淡彩四季山水図八面の計三十四面(二十四本)です。
この襖絵には「寛政辛亥夷・法眼元陳画」の款記がある。元陳は姓は吉田、いみな諱は守清といい、法眼は画家として第二の位であり当時の屈指の画家である。寛政二年(1790)の御所造営には円山応挙など共に活躍しており、この襖絵は晩年の大作として貴重なものであると云われている
尚、襖絵は昭和59年(1984)から三ヶ年かけて全面修理しており、元の原画が良く判ります。
写真:寒山と拾得
画題は墨画獅子図十二面、豊干寒山拾得図四面、四季花鳥図六面、竹林七賢図四面、淡彩四季山水図八面の計三十四面(二十四本)です。
この襖絵には「寛政辛亥夷・法眼元陳画」の款記がある。元陳は姓は吉田、いみな諱は守清といい、法眼は画家として第二の位であり当時の屈指の画家である。寛政二年(1790)の御所造営には円山応挙など共に活躍しており、この襖絵は晩年の大作として貴重なものであると云われている
尚、襖絵は昭和59年(1984)から三ヶ年かけて全面修理しており、元の原画が良く判ります。
写真:寒山と拾得
[ 13:31 ] [ あやべの文化財 ]
写真:吉田元陳の竹林の七賢人
叉、本堂や玄関の鐘や、そして現在「綾部市指定文化財」となっている本堂の襖絵三十四面も素晴らしいもので「藤懸山客伝襖絵記録」とする寛政三年(1791)の詳細な記録がある。それによると永勝寺には昔から襖絵があったが、長年月の間にねずみ鼠やしみ紙魚のため破損がはげしかったので、当寺十七世・見龍和尚はこの襖絵の修復を発願し、処々奔走の上、この寺の本山・京都の南禅寺に由縁ある元陳に依頼しました。
叉、本堂や玄関の鐘や、そして現在「綾部市指定文化財」となっている本堂の襖絵三十四面も素晴らしいもので「藤懸山客伝襖絵記録」とする寛政三年(1791)の詳細な記録がある。それによると永勝寺には昔から襖絵があったが、長年月の間にねずみ鼠やしみ紙魚のため破損がはげしかったので、当寺十七世・見龍和尚はこの襖絵の修復を発願し、処々奔走の上、この寺の本山・京都の南禅寺に由縁ある元陳に依頼しました。