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2008/06/22のBlog
[ 09:43 ] [ あやべの文化財 ]
[ 09:42 ] [ あやべの文化財 ]
「ほたる川」の土手を歩くとすぐに「←ほたるのの通り抜け入り口」の立て札があり、黒い遮蔽幕で作られたトンネルがあった。
道はコンクリートで舗装されており、上の上林山荘周辺の「ほたる祭り」会場への近道だった。昨日の下見では、この「ほたる通り抜けトンネル」を見落としていた。
道はコンクリートで舗装されており、上の上林山荘周辺の「ほたる祭り」会場への近道だった。昨日の下見では、この「ほたる通り抜けトンネル」を見落としていた。
2008/06/14のBlog
[ 11:36 ] [ あやべの文化財 ]
頂上に建つ金比羅神社
頂上は広い空き地になっており、明日の駐車場になるのか裸地に整地されていた。
細い山道が回って上がっている。しかしやっと車が上れる程度の地道。擦れ違いは不可能に思える。またホタル祭り会場への道がない。
頂上は広い空き地になっており、明日の駐車場になるのか裸地に整地されていた。
細い山道が回って上がっている。しかしやっと車が上れる程度の地道。擦れ違いは不可能に思える。またホタル祭り会場への道がない。
[ 11:19 ] [ あやべの文化財 ]
[ 10:55 ] [ あやべの文化財 ]
若狭に抜ける上林街道:府道1号線、上林小学校前の地点で東に入り、上林川をわたり古城山に登る道がある。
上林川の手前にある「観光センター」。「ホタル祭り」の資料はここで入手した。ここの駐車場に車を止めて山まで歩く予定。
上林川の手前にある「観光センター」。「ホタル祭り」の資料はここで入手した。ここの駐車場に車を止めて山まで歩く予定。
2008/06/13のBlog
[ 21:57 ] [ あやべの文化財 ]
[ 21:48 ] [ あやべの文化財 ]
上林城跡
上林城は戦国時代の土豪 上林下総守の居城であったところで、慶長六年(1691)からは藤懸永勝が陣屋をおきました。藤懸(ふじかけ)氏は、これから明治廃藩(1869年)まで上林地区を中心に何鹿郡内22ケ村を支配しました。
陣屋下には、小さい城下町ができ、上林川には大手橋が架けられました。
今日自然休養村事業の実施にともない、昭和53~55年にかけて中世山城遺跡として全面調査を行いました。その結果、建物遺跡や石垣、掘などと土師質の皿、陶磁器、石製品、金属製品が数多く出土しました。
これらにより中世山城のようすや当時の暮らしぶりをしのぶことができます。遺構の大部分は埋めもどされましたが、出土品の一部は、管理センターに展示してあります。
私たちは、文化財を大切にし、永く後世に伝えるように努めましょう。
昭和56年4月 綾部市教育委員会
写真:上林川から古城山を見る
農耕信仰の神奈備山となぞらえる考察もある三角形の山、近くに井根などの地名も多い
上林城は戦国時代の土豪 上林下総守の居城であったところで、慶長六年(1691)からは藤懸永勝が陣屋をおきました。藤懸(ふじかけ)氏は、これから明治廃藩(1869年)まで上林地区を中心に何鹿郡内22ケ村を支配しました。
陣屋下には、小さい城下町ができ、上林川には大手橋が架けられました。
今日自然休養村事業の実施にともない、昭和53~55年にかけて中世山城遺跡として全面調査を行いました。その結果、建物遺跡や石垣、掘などと土師質の皿、陶磁器、石製品、金属製品が数多く出土しました。
これらにより中世山城のようすや当時の暮らしぶりをしのぶことができます。遺構の大部分は埋めもどされましたが、出土品の一部は、管理センターに展示してあります。
私たちは、文化財を大切にし、永く後世に伝えるように努めましょう。
昭和56年4月 綾部市教育委員会
写真:上林川から古城山を見る
農耕信仰の神奈備山となぞらえる考察もある三角形の山、近くに井根などの地名も多い
[ 21:39 ] [ あやべの文化財 ]
2008/06/09のBlog
[ 09:25 ] [ あやべの文化財 ]
「綾部の文化財歳時記」の未取材行事を埋めるため、「あやべ新茶まつり」および「二王公園まつり:二王門登山レース・向日市の森交流ウォ-ク」の取材をしてきた。二王門登山レースは14回目を向かえ773人の選手が10部門で出場。交流ウォーキングは286人(向日市民42人)の参加であったと言う。