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なべちゃんの散歩道
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ジャンル:あやべの文化財
Blog数:535件
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2006/05/04のBlog
[ 20:56 ] [ あやべの文化財 ]
(三)「太鼓踊」の音頭詞(一~六番のうちの六番のみ)

六番 忍びおどり
おれを忍ばば(注1)上野の道にお待ちやれ
もしかも誰ぞ(注2)と人、問(注3)はば
うぐいすとると答えさしょ
・・・とろとろと けさの朝つゆ 一度は落ち合うて寄るものに

おれを忍ばば茶園の中にお待ちやれ
もしかもたぞと人問はば
新茶をとると答えさしょ
・・・とろとろと けさの朝つゆ 一度は落ち合うて寄るものに

おれを忍ばば小藪の中にお待ちやれ
もしかもたぞと人問はば
矢の竹切ると答えさしょ (以下同じ)

おれを忍ばば細谷川にお待ちやれ
もしかもたぞと人問はば
洗濯すると答えさしょ (以下同じ)

忍びおどりはこれまでそろ(注4)
おどりの姫はみなつぼみ 皆つぼみ

(注1)ひそかに恋しく思うのなら(注2)もしもしあなたはどなたですか(注3)たずねたら(注4)「そうろう」で「です」の意
[ 17:54 ] [ あやべの文化財 ]
(2)太刀振 正面右側太刀振・小長刀
装束は「太鼓踊」の「親発意・子発意」と同じで、動作をするとき、祭神須佐之男命が大蛇退治をした故事にちなみ、オンヤーとかけ声を掛けるところから、「オンヤー」とも呼ばれる。振り物は六種類あり、子供から大人まで二人ずつで次の順序で奉納する。なお、太刀はすべて真剣で刃がつけてあるので、危険のないように注意しています。

露払い:小学校三、四年くらいの男子が二人、赤・青・白の色紙を巻いた長さ一・五メートルほどの棒(サンヤレという)を振って打ち合う。
妻隠し:約三十センチメートルの刀を、小学校四、五年の男子二人で振り合う。
小太刀:頭に猖々の毛を飾り、小学校六年生か中学生が約四十三センチメートルの小太刀を振る。
野太刀:③と同じ装束をつけた青年二人で約四十九センチメートルの太刀を振る。
小長刀:大人二人で、約三十五センチメートルの長刀を振る。振りながら長刀の石突きにつけてある色紙を互いに切り落とす。
大長刀:⑤と同じように、大人二人で、約四十五センチメートルの長刀を振る。
(注)丹後半島でもこのような太刀振の行事があるが、真剣を使うのは当神社のみであると言われています。又、一人のみの場合は大太刀型、二人で振るのが組太刀型と言われています。

 奉納芸能のねらい
(1)太鼓踊(テンテコテン):主に男女の恋愛感情を表現し、地域や子孫繁栄の願いが込められているとされています。
(2)太刀振(オンヤー):太刀で疫病を振り払い、厄除けや雨乞いの意味が込められているとされています。
[ 17:47 ] [ あやべの文化財 ]
2 どういう内容のものか
(1) 太鼓踊 正面左側
真発意(しんふち)(大人一人)を中心にして、親発意(おやふち)(子供一人)・子発意(こふち)(子供二人)合わせて四人で、およそ畳一枚の範囲を動き踊る。それを音頭(男女数名)が盛りたてる。真発意は、着物に紺がすりのタッツケ袴、白たすきを掛け、赤い腰紐を締め、結び端を長く垂らす。頭には陣笠をかぶり、右手に軍配、左手に芭蕉とよぶ二メートルほどの竹に三本の芭蕉の葉の形をした羽二重の旗をさしたものを持つ。親発意・子発意は、紺がすりの着物にタッツケ袴、手甲をつけ、たすき掛けで、親発意は左わきに太鼓を抱えて右手にバチを持ち、子発意は腰に太鼓をつけて両手にバチを持つ。四人とも白足袋をはき、二人ずつ向かいあって踊る。子発意の打つテンテコテンの音調が特徴的なので、太鼓踊を「テンテコテン」とも呼んでいる。音頭は十三番ありますが、現在は六番までを奉納しています。
[ 15:10 ] [ あやべの文化財 ]
7.特に例大祭について
(一)練り込み:祭礼の当日は、氏子が、それぞれの役の服装を整えて「一の鳥居」前に集まり、9時から、約三百メートルの参道を、大太鼓の音に合わせて掛け声をかけながら、約20分かけて練り込み、拝殿の中で、左側は太鼓踊、右側は太刀振と分かれて奉納します。
 練り込みの行列順序―警固(2名)獅子(2)錦旗(1)御旗(各組より)金幣(1)御幣(各組より)剣鉾(1)傘鉾(4)神職、大傘(1)氏子総代(4)自治会長(2)保存会長、来賓、大太鼓(3)囃子方、露払(2)妻隠(2)小太刀(2)野太刀(2)小長刀(2)大長刀(2)音頭、真発意(1)親発意(1)子発意(2)警固(2)
(二)「太鼓踊」と「太刀振」(島萬神社の民俗芸能)
1 いつごろから奉納されているか
 千二百年以上の歴史を持つとされる島萬神社は,当時大流行していた疫病(疱瘡=天然痘)平癒祈願のため、天平九年(737)に本社が再建されたと伝えられ、「太鼓踊」「太刀振」の奉納は、約四百年前(中世末期)から行われてきたといわれています。例大祭当日奉納され、所要時間は、二つ同時に始めて同時に終わるよう調整されて、約一時間。京都府登録、綾部市指定無形文化財第一号(昭和41年)として指定されています。
[ 14:16 ] [ あやべの文化財 ]
6.年間行事
島萬神社で行われている年間祭祀(さいし)について簡単に説明します。
(一)歳旦祭(一月一日):一月一日(元日)の早朝、新しい年を祝い、今年も国民が幸せに暮らせますように、皇室がお栄えになりますように、世界が平和でありますようにと祈る祭祀。
(二)祈年祭・厄除祭:(二月中旬の日曜日)今年の五穀が良く実りますようと祈る祭祀が「祈年祭」。「春祭り」「としごいのまつり」ともいいます。合わせて国家、国民の繁栄・幸福を祈ることはいうまでもありません。「厄除祭」は厄年の方(大厄―男42歳、女33歳とその前後の年及び男―25歳、61歳、女-18歳、61歳)を対象に、今年の厄をのがれさせていただいて、無病息災、家内安全で幸多き年となることを祈願します。
 (三)新入学児童・生徒安全祈願祭:その年の四月から、小学校・中学校に入学する人たちの健康と学力の向上、交通安全を祈願します。
(四)大祓祭(六月三十日、十二月三十日):「おおはらえ」といいます。自分の罪やけがれ、世の中の罪やけがれを祓い去り、清く明るい心に立ち返って、正しく素直な態度でこれからの毎日をしっかり生きてゆこうと決意を固めるための祭祀。
(五)夏越祭(八月一日):「なごしさい」といいます。「なごす」は「和す」で、やわらげる、おだやかにするの意味です。夏は疫病や害虫による被害、風水害などの多い季節ですが、これを悪霊や邪神の活動によるものと考え、この悪霊・邪神の心を鎮め和らげて、病気や災害から免れるために行う祭祀。
(六)例大祭(十月第二日曜日):例祭ともいいます。ご祭神に縁故のある日とか、神社に因縁のある日とかを選んで行われる氏神様のお祭りで、その神社にとって一番重要な祭りです。氏神様に心から感謝し、芸能や作品などを捧げて御心をなごめ、氏子の幸せを祈ります。
(七)勤労感謝祭・戦没者慰霊祭(十一月二十三日):二月の祈年祭で今年の五穀豊穣を祈りましたが、神の御恵みによって、元気に働けた上に収穫も得ることができたので、新穀を神にお供えして、その広大な神恩に感謝するお祭りが 勤労感謝祭です。又、今までの戦争の中で、国のため世の中のために、尊い命を投げ出して尽くされた方々の御霊安かれと、心からの感謝を込めてお祈りするのが 戦没者慰霊祭です。あわせて、国家、国民の幸せや世界の平和を祈念します。
 このほか、社頭での各種祈禱(厄除け、入学安全、宮参りその他)があります。
2006/05/03のBlog
[ 18:06 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財シリ-ズ(第6回)は島萬神社です。宮司:渋谷計二氏のご寄稿、会報からHP「綾部の文化財」への再編集原稿(位置情報削除:おりたたんで写真も文章も重複して表示されるなどHPにならないから平文化作業=非常に面倒)な手間が掛かります。初めからスキャナ-で読み出し編集する方が楽かも・・
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1.所 在 地 京都府綾部市中筋町岩ヶ下十三番地
2.御 祭 神 島萬神社にお祭りしてある神様は「すさのおのみこと」です。漢字で書くときは 素盞嗚命・素戔嗚尊・須佐之男命・速須佐之男命・建速須佐之男命などいろいろに書きます。「古事記」という本によりますとー伊邪那岐命が阿波岐原で禊(みそぎ)をされたときに鼻から生まれた神様。天照大御神の弟さん。荒々しい神さまで、高天原で姉さんが天岩戸に隠れる原因を作り、地上に追放されました。
 出雲の国で八岐大蛇を退治し、櫛名田姫命と結婚しましたが、大国主命はその子孫です。天照大御神・月読命と共に「三貴子」(三柱の立派な気高い尊い神の意味)と呼ばれ崇められている神さまです。
3.境 内 社
*八幡神社
*稲荷神社
*市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ){市寸嶋比売命)(いちきしまひめのみこと)=狭依毘売命(さよりひめのみこと)―須佐之男命の子?}
*招魂社
4.造営物等
*神殿 *神饌所 *中門 *透屏 *神蔵 *拝殿 *絵馬堂 *手水舎 *社務所 *雑品庫 *一の鳥居 *二の鳥居
5.沿革(由緒)
(一)境内の手水舎のそばに、平成六年三月、綾部市教育委員会が立てた説明板には次のように書かれています。
 島万神社の太刀振(たちふり)・太鼓踊(たいこおどり)
伝に、天平八年疱瘡が流行し、翌年(737)疫病平癒祈願(えきびょうへいゆきがん)のために本社を勧請(かんじょう)したとしている。現在も安産・病気平癒の神として崇敬されている。祭礼は十月十日に行われ、氏子中から太刀振と太鼓踊が奉納される。これらは中世末期に流行した風流踊を伝えるものであって、昭和六十年京都府の無形民俗文化財に登録されている。(そして、太刀振の写真一葉が添えられている。)
(二)「改築御造営記念誌」(昭和三年四月一日発行)に次のように書かれています。
 当社は、今を去ること一千二百年寧楽時代以前、即ち飛鳥時代既に鎮座ましませしこと明らかなり、・・(略)・・明治に至り六年郷社に列し、十年式内社の決定書を与えられ、四十年三月指定神社に編入せられ、今に及ぶ。・・(略)・・明治六年郷社に列せられ、今や進んで府社にも昇格せられんとす。然るに元文元年(1736)改築より約二百年、社殿の頽廃腐朽甚だしく、郷社の設備すら闕くる所あり。及ち改築の急目睫に迫れり。
-------------------
上記の文章をHPに編集し直して載せ替えるとこんなことになっています。長すぎて拒絶されるので出だしのみで残りを削除した結果です。
<p class="MsoNormal"><span lang="EN-US" style="font-size:12.0pt;color:blue"><ruby style="ruby-align:distribute-space"><span lang="ZH-TW" style="font-family:"MS 明朝"; mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-font-family:Century;mso-fareast-language: ZH-TW">島萬神社(しままじんじゃ)</span></ruby></span><span lang="EN-US" style="font-size:12.0pt;color:blue"></span><br>
1.<span lang="ZH-TW" style="font-size:12.0pt;font-family:"MS 明朝"; mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-font-family:Century;mso-fareast-language: ZH-TW">所 在 地</span> <span style="font-family:"MS 明朝";mso-ascii-font-family: Century;mso-hansi-font-family:Century">京都府綾部市中筋町岩ヶ下十三番地</span><span lang="EN-US"><br></span>
2006/05/01のBlog
[ 06:52 ] [ あやべの文化財 ]
建田(たった)の金比羅さんについて、平成17年に亡くなられた井上益一先生が昭和52年の会報12号で書いておられますが(ここをクリック)、写真が余りにも古いので(なべちゃん注:記事だけで写真がなかったので、昭和46年(1971=35年前)に綾部青年会議所が10周年記念事業で発刊した冊子「丹の国・綾部」から借用しました。)
現在は如何かと興味を持ち、取材に口上林へ行ってきました。
自家用車で何とかすぐそばへ行けますが。Uターンが大変なので府道から150メートル位なので、府道に車を駐車し歩く方が安全です。
綾部の文化財を守る会:四方事務局長投稿
2006/04/30のBlog
会報61号で紹介しました、綾部の館町の楞巖寺(りょうごんじ)は関西花の寺25ヶ寺の第2番で綾部市唯一の花の寺です。今,みやまつつじが満開。ついでに庫裡の有名な長井一禾(ながいいっか)の鴉の四季の襖絵も見ておきたいものです。個人300円、団体200円で説明案内頂けますよ。
極楽寺(白道路:はそうじ)町のみやまつつじと野村つつじのコントラクトも中々綺麗なので写しました。
以上、文化財を守る会四方事務局長からの投稿です。
2006/04/20のBlog
残雪残る国宝・二王門を持つ真言宗の君尾山光明寺では、例年4月18日11時から「大般若心経法要」が行われる。
光明寺本堂で住職の楳林誠雄師が、最初の1巻と最後の600巻を読み、残りの598巻は市内の僧侶たちが展読する。楳林住職の話では、古来から行われてきており平安時代からかなと言われている。
写真・記事取材:四方續夫綾部の文化財を守る会事務局長
2006/04/16のBlog
[ 21:48 ] [ あやべの文化財 ]
二本の桜のしたに「大原の産屋」が建っていた。国道R173にある公園から写す。冬の写真と大変趣が違う
公園から大原神社:絵馬堂を遠望する
絵馬堂の下にある京都府指定文化財
大原神社 末社 水門神社本殿(江戸時代)も桜に囲まれていた。
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