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なべちゃんの散歩道
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ジャンル:あやべの文化財
Blog数:535件
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2005/11/16のBlog
売って喜び、買って喜ぶ
1 9 1 0年6月6日、購繭員打合せ会を開いて出席者全員に「購繭員心得」を配り、波多野鶴吉が訓示しました。
購繭員心得
― 購繭員は社長の代人と心得、品行を慎み忠実に働くべし(ただし、いばるなかれ謙遜せよ)
ニ 養蚕家は社長の愛子也と心得、親切に取扱うべし
三 養蚕家を愛せよ、またあまえかすな
四 養蚕家をあざむくな、また養蚕家にあざむかれるな
五 養蚕家を怒らすな。また怒るな
六 まず約束のしてある繭を買え、足らざれば社長の命令したる場所の繭を買え、
 この場合においては決して競争するな
七 繭の鑑定を正確にせよ
ハ 繭の選別に注意せよ
九 繭の価格は社長の命令を守れ
十 一般の相場に注意し売って喜び、買って喜ぶようにせよ
十― 看貫を正確にせよ
十二 諸帳簿、並に日誌は、明細に記せよ
十三 電報料を惜しむな、必ず照校扱にして打電せよ
十四 通信を怠るな
十五 失敗を隠すな
十六 火の元を要慎せよ
十七 各買人の動静に注意せよ
十八 乾燥室は常に見回り、火の元はもちろん乾燥程度に注意せよ
十九 繭籠袋並に金銭は、予算を定め、入用前に請求すべし
二十 その日の仕事の終らざる間は酒を飲むな
ニ一 衛生に注意し、身体を大切にせよ
ニニ 賭事は仮令類似の事でもするな
二三 購繭員は主任の命に従い、決して自儘の行動を取るな
二四 購繭員は互に親密にせよ
二五 金銭その他携帯品は大切に取纏め、紛失盗難等に罹らざるよう注意せよ
嗣子、波多野林一と
鶴吉、はなの夫婦には子供がなかった。はなといとこに当たる林一を養子にして可愛がっていた。写真は1918年2月23日朝のもので、当日鶴吉は演壇に倒れ、60年の生涯を閉じた。
2005/11/15のBlog
地域との関わり
郡是が設立したり強く関わってきた施設は、その後、形を変えながら今も綾部に息づいています。
郡是病院 → 綾部市立病院
城丹蚕業講習所 → 京都府立綾部高等学校
電話架設 → 綾部の約3割の費用を負担 など
福利厚生
郡是は福利厚生にも力を入れました。明治・大正時代には世間一般に結核などの疾病が多く、当時全国の工場では病人が出ると寄宿舎の一室に入れ、ときに医者を呼ぶだけという対応が多かったのですが、郡是では、1901年、病室3室と看護婦室のある隔離医療舎を建設、医者は綾部町内の開業医に委託しました。1911年からは各工場にも養生院を設置していきました。

従業員の食事にも配慮し、栄養面では1916年ごろからは、医学博士の大根ジアスタ-ゼ説に基づき、千切り大根を食事に多用しました。波多野鶴吉が亡くなってからも、この遺志は引き継がれ、1919年にカルシウムに関する講演がきっかけで、わかめを多用、1927年には栄養価の高い玄米食を採用しました。その他にも体力づくりとして1921年、強健術を採用しました。
2005/11/14のBlog
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表から見れば工場、裏から見れば学校
郡是は「表から見れば工場、裏から見れば学校」と云われるほど、従業員の教育に力を入れました。いわゆる「読み・書き・そろばん」の他、裁縫や生け花、音楽、さらに宗教講話(道徳教育)を行い、従業員の教養・品格を高めていきました。また波多野鶴吉自身も率先して勉強しました。

朝礼風景
教育総理として招いた川合信水の指導により、1927年より朝礼を開始した。合同して祈祷・合掌し、聖書の講義があり、当初は宗教的色彩の強い朝礼であった。
現在のグンゼの朝礼においても、朝の歌を歌い、社是を唱和し、黙祷をしている。
2005/11/12のBlog
蚕やしなひ草 芳齋?画
蚕やしなひ草 芳齋?画
蚕やしなひ草 芳齋?画
東海道五十三國會? 袋井? かひこまゆの糸 広重?画
婦人手業禄鏡? 歌麿?筆
女織蚕手葉草? 十一 歌麿?筆
女織蚕手葉草? 十二 歌麿?筆
女織蚕手葉草? 歌麿?筆
また一寸、一服の休憩タイムです。
養蚕、製糸、織物の浮世絵を3回に分けて紹介します。
「伝心」会場に展示のパネルを写しています。前にグンゼ博物苑の展示を紹介しています。グンゼ記念館にもあります。
作者は歌麿?のほか2名、展示説明は「女一人台に上がって桑を積む図、女一人繭をゆで糸を牽く図・・」などの情景でした。未記録です。下のキャプションは、古文書も変体仮名も読めない私が、写した写真から判読したものです。全部?つき、もし合っていれば奇跡だと申し上げておきます。 写真:女織蚕手葉草? 壱? 歌麿?筆
郡是博物苑のレポHPはこちらです。
女織蚕手葉草? 歌麿?筆
全ての写真をクリックすると少し大きくなります。
女織蚕手葉草? 歌麿?筆
女織蚕手葉草? 歌麿?筆
世界で認められた品質
優良品の品質を目指し努力した結果、品質は良くなり、郡是で作られた生糸は、国内外の博覧会で賞を獲得しました。
また1902年、アメリカのウイリアム・スキャンナ-商会から、郡是の生糸を一手に引き受けたいとの申し込みを受けます。輸出先からのメ-カ-指定は、生糸輸出の歴史の中でも初めてのことであり、郡是の名を一層高めることになりました。
世界品質を目指して
当時は国内外で生糸の需要が盛んだったため、多くの製糸会社は質より量を重視していました。しかし波多野鶴吉は、世界に通用する優良な糸を作ることに重点を置き、生産や研究開発に力を入れました。
また「よい人が、よいものを作る」という考えのもと、技術的教育とともに教養教育を重視しました。
従業員は養蚕家から預かった大事な娘さんとして、自分の子どものように大切にしました。
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