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なべちゃんの散歩道
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ジャンル:あやべの文化財
Blog数:535件
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2005/11/11のBlog
創業の精神
創業に必要な資金は、何鹿郡の養蚕農家の人たちから、一株20円で集めることにしました。しかし20円は、当時の農家の年収に相当するほどの大金であったため、集金が完了するまで2年を要しました。
 資本家から大株主を募らず養蚕農家にこだわった理由は、養蚕農家の人たちが株主になることにより、会社から配当が入るからです。またその子供たちが会社で働くことにより、
給料が入る、会社に繭を売ることにより繭代が入る。さらに良い繭を作れば、高価な値段で取引されます。このように何鹿郡の人々の暮らしが豊かになると共に、会社も発展し、ひいては何鹿郡全体も発展すると考えたのです。
 このことから郡是の創業の理念は「人間尊重と優良品の生産を基礎として会社をめぐる、すべての関係者との共存共栄を図る」としています。そして会社も農家の人たちも良いものを作ろうと努力しました。
検尺器
繭の絹糸の長さを測る道具
展示されていた品物の紹介、グンゼで使われていた道具です。
蚕種秤量器
1グラムの蚕種を秤量する器具
糸巻き器
糸くり器
繭を煮銭後、ほぐした生糸を巻き取る道具
創業の精神
この写真から文章を筆記して、順次ご紹介する予定です。
世界品質を目指して
世界で認められた品質
表から見れば工場、裏から見れば学校
朝礼風景
福利厚生
地域との関わり
貞明皇后の行幸
2005/11/10のBlog
郡是の設立
蚕糸業組合の活動により何鹿郡の養蚕は発展してきましたが、さらなる発展のためには近代的で大規模な 製糸会社が不可欠と波多野鶴吉は考え、地元の人たちに説きました。そして1896年にいよいよ機が熟し郡是製糸株式会社が誕生します。この「郡是」という社名の由来は、元農務省の次官であった前田正名の「一国に一国の方針(国是)を定め、その下に府県是、郡に郡是、町村には町村是を定め・・」という演説に、波多野鶴吉は共感し「何鹿郡の蚕糸業を復活させることが、まさしく何鹿郡の方針(郡是)と考え、社名を(郡是)としました。」
組合長としての活動
波多野鶴吉は何鹿郡蚕糸業の第一人者であった梅原和助と出会いました。梅原和助は波多野鶴吉の将来性を見抜き、何鹿郡蚕糸業組合の組合長に推薦しました。
組合長に就任した波多野鶴吉は、品質向上のため人材育成と技術の向上が不可欠と考えました。そこで養蚕の先進地域に高倉平兵衛や新庄倉之助を派遣して技術を学ばせたり、高等養蚕伝習所を設立、新しい技術を実践するため、製糸工場の「羽室組」も創り品質向上を目指しました。
粗の魁
1885年東京で開かれた全国五品共進会に京都府は、繭と生糸を出品しましたが、「粗の魁(そのさきがけ:一番悪いもの)と最低の評価を受けました。京都府は、この汚名を返上すべく蚕糸業組合をつくり、よい繭、生糸づくりに力を注いでいくことになりました。翌年何鹿郡蚕糸業組合が誕生し、波多野鶴吉が組合長となりました。
2005/11/09のBlog
波多野鶴吉と蚕の出会い
1858年、羽室家の次男として生まれ、8歳の時波多野家の養子となりました。学生時代は、京都や大阪で数学、英語を学びました。そして古本屋や塾を営みましたが、ことごとく失敗しました。そのため波多野家のお金を持ち出し、ついには波多野家の財産を使い果たしてしまいました。
失意のもと綾部に帰って来た波多野鶴吉は、妻「はな」と共に羽室家に身を寄せました。知人の紹介で小学校の先生になりましたが、そこで子供達や、その家庭で行われていた養蚕の様子を見て問題を感じ、養蚕の勉強を始めました。
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波多野鶴吉の生い立ちを見てみましょう。
1858年 羽室家に生まれる
1866年 波多野家の養子となる
1875年 旧制京都中学入学 数学を学ぶ(17歳)
1876年 はなと結婚する(18歳、16歳)
1881年 綾部に戻り小学校の先生となる(23歳)羽室家に寄宿
1885年 梅原和助により「蚕糸業組合」設立に参加、翌年何鹿郡組合長に就任(28歳)
1887年 製糸工場「羽室組」を設立(29歳)
☆32歳の時、洗礼を受けてキリスト教信者となる、その教えは鶴吉の考え方の処所となりました。
1893年 高等養蚕伝習所を設立する(35歳)
1896年 郡是製糸株式会社を設立(38歳)社長は実兄
1901年 社長就任(43歳)
1918年 永眠(60歳)
2005/11/07のBlog
若い頃の波多野鶴吉氏
波多野鶴吉氏が使っておられた愛用品
波多野鶴吉氏の歩まれた軌跡を図解
郡是綾部本社工場(本社および本工場全景)
養蚕、製糸に使われた道具
[ 11:34 ] [ あやべの文化財 ]
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綾部から世界へ、世界連邦平和都市宣言第一号の綾部市制55周年を記念して、様々な行事が展開されている内の一つ。グンゼ博物苑・集蔵(つどいぐら)において、11月3~13日の機関に開催されている。
綾部の誇る「郡是:グンゼ」創始者の「波多野鶴吉」氏と大本教の開祖「直:なお」、2代目教祖「出口すみこ」、聖師「出口王仁三郎」の作品、遺品、愛用品を展示。
綾部から「ものづくり」「世界平和」「精神の輝き」を世界に発信した上記4人を中心とした活動をパネルなどで展示。
パネル展示
パネル展示
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