ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
なべちゃんの散歩道
Blog
[ 総Blog数:4052件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
ジャンル:あやべの文化財
Blog数:535件
371~380件を表示   <<   <   38  39  40  41  42  43  44  45  46  47   >   >>
2005/10/21のBlog
[関連したBlog]
聖塚・菖蒲塚古墳の秋の草刈がやっと終わりしたので写真に撮りました。
1.吉美地区多田町のこの古墳は古墳時代中期
平成4年5月国指定文化財となった。
2.ポイント ・並ぶ大型方墳
・特殊な造りだし構造
・段築、葺石、埴輪、周豪をもつ
3.聖塚・菖蒲塚は吉美盆地の北東部にある大小2つの方墳である。両古墳については明治時代に一部が発掘されたとの記録があるが,墳丘の保存状態は良好である。
昭和58年(1983)、綾部市教育委員会によって周囲の水田部分が発掘調査され,墳丘規模と周豪の存在が明らかとなり、合わせて多量の埴輪の出土をみた。聖塚は1辺54.2メートル、3段築成の方墳、菖蒲塚は1辺32.3メートル、2段築成の方墳であることが明らかになった。
また、両古墳とも南側に造出しがあり、そのうち菖蒲塚の造出しは東側が2段に突出する特殊な構造であることも明らかになった。両古墳とも段築、葺石、埴輪といった外表施設を持ち、また周豪をめぐらすなど古墳時代中期の大型前方後円墳と同じ手法をとっており、綾部地域髄一の有力古墳である。両古墳の築造年代は埴輪の形式から古墳時代中期,即ち5世紀の前半と考えられている。
(綾部市資料館発行「あやべの歴史のみち」より抜粋:綾部の文化財を守る会:四方續夫記
平成2年度国指定文化財 記念物(史跡)として、聖(ひじり)塚・菖蒲(あやめ)塚古墳を答申
 平成3年4月12日、市内多田町にある聖塚・菖蒲塚古墳が、国の文化財審議会から史跡として指定(答申)きれた.府内の史跡指定はこれで14件目である。
 両古墳は綾部市街地から北東約2.5㌔、吉美盆地のはぼ中央に約百㍍はなれて位置する古墳時代中期の大型の方墳である。
 明治24年、聖塚からは、鏡片・冑片・短甲片・鉄刀・玉類などの遺物が多量に出土している。
 昭和57年、圃場整備事業に伴い、綾部市教育委員会により、周壕部の発掘調査が行われ、その規模が明らかとなった。
聖塚は、二段築成で、葺石・埴輪列があり、南辺に造り出しを設けた一辺54㍍余、高さ7㍍の大型方墳である。埴輪は円筒埴輪のほか朝顔方埴輪、蓋(きぬがさ)、短甲形埴輪などが出土している。
 菖蒲塚は一辺約32㍍の方墳で、聖塚と同じく南辺に造り出しがあるが、その基部に更に台形の張出しを設けるという特異な形態をしており、高さは約5㍍である。葺石、埴輪列があり、円筒埴輪や朝顔形埴輪などが出土している。出土遺物から5世紀前半頃の築造と考えられ、築造当時の形態がよく残されている点は貴重である。
 聖塚は方墳としては大型古墳に属しており、築造が段築・埴輪・葺石という中央政権と密接なつながりを有すると考えられる三セットからなり、更に両古墳の築造された位置、墳形、出土遺物に共通性が見られる点など、その歴史的意義は高く、古墳時代社会を考える上で貴重である。
 丹波・丹後で既指定の史跡(古墳)は、千歳車塚古填(亀岡市)・蛭子山古墳・作山古墳(加悦町)・銚子山古墳第一第二古墳(網野町)・神明山古墳・産土山古墳(丹後町)である。
青々として広がる水田のかなたに古墳がある。
史跡 聖塚・菖蒲塚古墳
平成4年5月6日 文部省指定
形状:方墳(周辺に造り出しを付属)
規模:聖塚古墳 一辺 54m
菖蒲塚古墳 一辺 30m
築機:古墳時代中期前半(五世紀)前半)
2005/10/12のBlog
[ 19:31 ] [ あやべの文化財 ]
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、学業成就、健康長寿などの祝詞をあげられる宮司さんを囲んで一同拝聴。
全ての写真はクリックすると拡大します。
粛々と儀式が進んでいく。空に向かってそびえる幟と矛、日に映える神輿。
両神社宮総代などの玉串奉奠
最後に今日の晴れの舞台で主役の一端を担った子供たち、両神社の男女4人による玉串奉奠
[ 18:55 ] [ あやべの文化財 ]
「福田神社」神輿:手前、「木祖殿神社」神輿:奥側の並ぶ前に用意される祭壇
子供たちは太鼓の前に集まった
参列者が囲う中で拝礼される大島 基宮司(両神社の宮司を兼務)
御幣を手に祭殿に向かい清めのお祓い
参拝者に向かい清めのお祓い
[ 16:25 ] [ あやべの文化財 ]
「木祖殿神社」の神輿がやってきた。福田神社と同時刻に出発して最後に登場。長丁場をご苦労様。
急に走り出した。上り坂をワッセワッセと駆け足で勢いがよい。さすがだ!
粋な若者たちの顔が輝いている。
最後の仕上げ、勢いをつけて持ち上げた。さっきの走った勢いでタイミングを崩したのか、残念揃っていない。
神輿を囲いに納める
[ 11:26 ] [ あやべの文化財 ]
獅子舞がやってきた。お獅子は子供たちの人気者
頭を獅子に噛まれる良い子たち。健康のお守り
しっかりお獅子の口に頭を入れて、すくすく育てよ!
お獅子さんと話す子供たちに、祭りと一緒に成長する子供の姿を見る
両神社の子供たちが群がって売店前も賑やか
[ 06:59 ] [ あやべの文化財 ]
「木祖殿神社」の神輿行列、元気な子供たちの旗行列を先頭に、続々とやってくる。
子供旗行列、皆笑ってる
太鼓を曳いた子供たちの行列が続く
太鼓を担った行列と大きな矛を立てた行列が続く
皆の待つ広場に到着
2005/10/11のBlog
[ 19:05 ] [ あやべの文化財 ]
「福田神社」HP
祭神:火産霊神、植山比売神
甲ケ岳登山口にある「馬場」で両神社の神輿が出会い、合同祭礼が行われる。
ここには「山の神神社」など小宮が建つ。
薬師如来像が祀られている。
馬場入り口の薬師堂前には、テントが立ち準備が行われていた。
馬場広場には両神輿を収める囲いが設けられ、祭壇が用意される。
「木祖殿神社」岡町の綾部高等学校前にある。
祭神:久久能知神(くくのち神)
このお宮は昔から舟の宮と呼ばれ、往古、舟に乗って大杉木祖神が流れつかれ、ここに斎を祀り、境内を舟の形になぞらえたのでこの名がある。
御土御門天皇、明応2年、位田の乱に兵火にかかり社殿古記録を消失。
今の社殿は元禄16年の建築である。木祖神は、日本書紀に伊弉諾尊の国生みの時、海山川の神々の火に□□、久久能知を生むとある。
「福田神社」の祭神とは夫婦の関係にあるとされて、「福田神社」の神輿が通過後に遅れて通過し(神輿休憩所)、最終地のここでも、福田神社が先着で待つところに、遅れて到着する習わし。
[ 15:08 ] [ あやべの文化財 ]
福田神社の神輿がやってきた。
全ての写真はクリックすると拡大します。
上り坂先頭は引っ張っている。
汗にまみれた顔、顔、顔
広場に入って曲がり角で一人転んだが無事に脱出、良かった。
最後の見せ場、力をそろえて御神輿わっしょい!見事持ち上がり、ポ-ズが決まった。
一足お先に待ち受けの囲いに納まる。隣は子供神輿。
[ 13:34 ] [ あやべの文化財 ]
もう少しだ頑張れ!
登山口を回って広場へ到着
やっと行列から解放され、売店に群がる
預けておいたリュックを銘々で受け取る
2005/10/10のBlog
[ 16:41 ] [ あやべの文化財 ]
「福田神社」と夫婦関係にあると伝えられる「木祖殿神社」の両神輿が出会う馬場(甲ケ嶽登山口広場)に、子供旗行列を先頭に続々やってきた。
旗行列の次は、子供太鼓の行列
子供が乗って太鼓を叩いている。
お次は子供神輿の行列
少し上り坂、疲れたのか重そうだ。
371~380件を表示   <<   <   38  39  40  41  42  43  44  45  46  47   >   >>