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なべちゃんの散歩道
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ジャンル:あやべの文化財
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2005/09/26のBlog
綾部の文化財を守る会35周年 記念公演 平成16年11月30日 西町ITビル 
綾部史談会々長 山崎 巖先生(当会の創設メンバ-) 

本日は、「守る会」の四方事務局長さんの方から演題の様に九鬼藩(くきはん)について話をせよということで、宿題を貰っておったわけなんですけれども、私も長い間教壇をはなれておりますので、話が上手にいくかどうか知りませんけれども、常日頃好きな道なので、いろいろ九鬼藩についての話を時間一杯、レジメに従いましてお話させて頂きたいと思います。」

(1)佐藤家文書について
 「歴代藩主履歴集」と「藩士録」
お隣りの福知山藩は明智光秀以後、明治維新まで7度も殿様が変わっておりますが、綾部は、寛永11年(1634)に九鬼氏がはいって来ましてからずっと廃藩置県の明治まで260年間綾部の地にいて、その間10人の殿さんがかわり、色々な事が起こっていますが、レジメで大体のことはわかって頂けると思います。

 それからもう一つは、かっての何鹿郡(いかるがぐん)今の綾部市全域を九鬼藩が全部支配しておったように思われる方が随分あるんですが、そうでないのです。綾部はその点で非常に不幸であったと思うんですが、十数人の支配者が入って、バラバラな支配を受けています。そういう点に於いては、一国までいかなくとも、せめて一つの郡を一人の大名が支配しておれば、農民政策も、あるいは治水対策も三百年の間にいろいろなされていたと思いますけれども、二百石、三百石位の大名や旗本領、天領の飛地がいりくんでいて殖産政策も全然なされなくて、年貢だけ持っていくという点で綾部は非常に貧しく、不幸であった。その故か徳川三百年間で綾部出身者で歴史の人名辞典にのるような人物は一人も出ておりません。

 その反発・反動か、とにかく、明治・大正の近代社会になりまして綾部人は生き生きと活躍していきます。その証拠に、政治経済の面、あるいは宗教の面において近代以降活躍され、人名辞典にも綾部に関係する人が十名も載っております。この方々については後で述べさせてもらいます。

 時間の都合から綾部の徳川時代について早く進めさせていただきますが、大正15年に何鹿郡に何鹿教育会というのがありまして、四方源太郎先生やら物部の人見勝衛先生などが中心となって学制頒布五十周年記念事業として「何鹿郡誌」を出版されていますが、この何鹿郡誌をご覧になったら分かりますように、綾部の歴代の殿様の名前と綾部藩のいわゆる支配した場所やら石高が記載されているだけで、詳しいことはまだ十分でなかったようです。

 その後、30年経った昭和33年に村上佑二先生が「綾部町史」を書かれた時には、天保11年(1840)綾部に来た農学者で且つ経世家であった佐藤信淵(のぶひろ)の著した「巡察記」三冊が発見され、綾部の事情がわかり、又綾部藩士の沼田家に残る「沼田家文書」とか、あるいは断片的ではありますが、藩の記録というようなものを基にして綾部藩のことがかなり詳しく分かってきます。

 それから20経って昭和51年に綾部市史編さん委員会から「綾部市史」上巻が出ますが、その時にはいわゆる「役所日記抜書」というのが、野田町の朝子三郎さんの家で見つかりました。明治維新のときに朝子さんの先祖が綾部の骨董屋さんで手に入れられたとのことですが、これは九鬼藩のことが記述されていて、非常に重要な文書なので、「綾部市史」の中巻の「資料編」に「役所日記抜書」の全文が出ております。まあ、そうゆうふうにして段々綾部の藩政がどうゆう内容であったかということが分かってきたわけです。

 又、私は昨年・平成15年に綾部藩士であった佐藤五郎左衛門と言う方の子孫で、現在京都で弁護士をしておられる佐藤義彦さんが、貴重な綾部九鬼藩の資料を多数持っておられるということを聞き、お話しすると随分ややっこしい経緯があるわけですが、最終的に連絡がとれ全部の資料をお借りすることが出来ました。

 それは所謂、八冊の「九鬼藩主履歴集」と「九鬼家歴代系譜」そして「綾部舊藩士系図」で、それは誠に膨大な資料でしたが、綾部にとって貴重な資料であり「綾部史談会」で毎水曜日約1年ばかりをかけて皆さんと読上げた次第です。これにより又一段と詳しい九鬼藩政を明らかにすることが出来ました。
2005/09/15のBlog
[ 09:14 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財を守る会からのお知らせです。会報61号より
後援:京都府・綾部市・綾部市教育委員会
協賛:グンゼ株式会社・大本本部
市制五十五周年記念 
「伝心」~綾部から世界へ~
・・・波多野鶴吉、出口なお、すみ、王仁三郎・・・
1、趣旨
 かって綾部が輝いたころ。綾部から全国に、世界に強力なメッセージを発信した巨人たち。 
 グンゼの波多野鶴吉翁、大本の出口なお開祖、出口すみ教主、出口王仁三郎聖師はほぼ時期を同じくして、人を愛し、地域を愛し綾部から精神のかがやきを世界に発信しました。 
 これらの強力なパワーは今もこの地と地域の人々の中に伏流水のように引き継がれているに違いありません。
 今、地方分権の時代を迎え、私たちの地域は私たち自らで切り開き、ともに汗を かく懸命の取り組みが求められています。
 だからこそ、この精神を共有し、しばし 巨人たちの鼓動に耳を傾けようではありませんか
2.実施主体
 「伝心」~綾部から世界へ~実行委員会
 顧問 四方八洲男綾部市長(以下敬称略)小谷茂雄、広瀬静水、木下芳信、松田安弘、山崎巖、山下正俊
 会長 上原渥美 副会長 平岩敏之 
 委員 平野正明、大槻一博、西尾常樹、田所卓、町井且昌、四方續夫、荒木裕幸、高倉泰秀、武田誠、久木隆哉
 監事 村上克壽、 吉田登
 事務局長 西村之宏 事務局次長 山田松雄 事務局 田中啓文、廉屋巧、相根純一、 上原直人、平井勝
3.期間 平成十七年十一月三日(木)から十一月十三日(日)まで
4、展示会 
(一)主会場 グンゼ博物苑「集蔵」
 第二会場 グンゼ記念館
 同右 大本白梅殿(グンゼ・大本には無料の駐車場が有り、又グンゼ・大本間にはあやバスが運行されています。)
(二)展示物 グンゼの波多野鶴吉翁、大本の出口なお開祖、出口すみ教主、出口王仁三郎聖師、四名の作品、遺品、愛用品等の展示やパネル・イラストを使って展示する。
(五)入場料 大人四00円、 中学生以下は無料
(六)その他 無料茶席設置(期間中毎日)協力・・・綾部淡交会
5.記念講演 
(一)日時 平成十七年十一月五日(土)午後一時三十分~四時
(二)場所 市民センター 中央ホール
(三)入場料 無料
(四)講演 四方 洋氏「今に生きる波多野鶴吉」
 講演 早瀬 圭一氏「大本弾圧事件と現在の大本」
 入場券は皆様の担当の常任幹事、又は担当の役員へお求め下さい。会員特別価格で、お一人三百円です。(但し、先着100名様で、連絡頂ければ自宅へ持参します。
2005/08/10のBlog
昨年8月1日に「HP:綾部の文化財」をテスト公開して、おおよそ一ケ年経ちました。その間みなさまにご愛顧いただき、アクセス数が一万回を超えました。
心から厚く御礼を申し上げます。これからも良いHPづくりに努力して参りますので、倍旧のご指導、ご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い蒸し上げます。

なお、あなたの身近な文化財記事のご投稿(写真・コメント)をお寄せください。
HPは皆んなでつくるものです。巻頭写真投稿写真ペ-ジ掲示板文化財だよりなど
の交流広場を設けています。手書きでお寄せくださればHP作成の作業は、こちらでさせていただきます。取材にも伺います。
綾部の文化財を守る会、ホ-ムペ-ジ委員会・リポ-タ- 一同。
2005/07/24のBlog
[ 17:35 ] [ あやべの文化財 ]
今日は綾部駅前天神町の綾部天満宮の宵宮。いつもは水無月さんよりも先に行われるが、今年は順序が逆になった。
子供みこし
散髪に行き通りがかると準備中であった。駅前南広場でも納涼大会があるのか、テント、売店、舞台、椅子が並べてあった。
本通りには3張りの屋台が並ぶ。
横の路地にも3ケの露天が出ていた。
金魚すくい、ヨ-ヨ-風船つりもあった。
2005/07/19のBlog
[関連したBlog]
二千年の眠りから覚めた大賀ハス
この蓮は、昔、日本各地に生えていたものが二千年ぶりで蘇った古代蓮である。蓮にまつわる話として、故大賀一郎博士のことに触れなければならない。博士は昭和初期に南満州(中国東北部)で、数百年昔の蓮の種子を発見し、育て上げて学位を取り、蓮博士と称せられた学者。この池の蓮の種子も、博士が千葉市で発見した三粒の種子の一粒である。
千葉市検見川(けみがわ)は、大昔、海に近い一面の湿地で、地下は深い泥炭層である。博士は弟子の学生や地元学生の協力を得、毎日々々泥を掘ってはフルイにかけ、水で洗うという作業を続けた。昭和26年は第二次世界大戦後で、機器機械は乏しく、食物も不足な時代、今日見つからねば作業を中止しようと決意した40日目に、地下6米を掘ったところ、フルイに三粒の種子がかかる。昭和26年3月30日の夕方である。その時の博士の顔は涙と泥でグシャグシャだったという。
三粒の種子の一粒は博士の庭で、一粒は地元検見川で二千年の睡りから芽を出し、昭和27年7月18日に花が咲いた時は、生物の奇跡として、世界の学会は驚く。翌28年にはドイツの国際園芸博覧会で開花し、世界で認められ、「大賀ハス」と名付けられ、千葉県の文化財に指定されている。
今、京都府では府立植物園と、ここだけがこの珍しい蓮の花を咲かせている。
はちす葉の にごりにしまぬ こころもて なにかは 露の玉とあざむく 僧正 遍照
この間、中丹文化会館で「火火」の鑑賞に行く車中で、妹に「大賀ハス」の話をしていたので、妹から咲いているよの電話を貰った。午後に見に行く予定が、出かけようとすると家内が今の時刻では萎れている。明朝5時に起こすから、朝露のついたのを撮ればといわれた。行こうとすると自分も行くとのことで、二人してカメラを構えて撮った。一面に大賀ハスが咲き乱れ見事であった。綾部市白道路町極楽寺の住職様に出会おうとブザーを押して、あいている玄関から声を掛けたが不在のようであった。3回訪れたがまだ出会えていない。HP補充しました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/gokurakuji/gokurakuji.htm
2005/06/07のBlog
通勤帰りに通るといつ見ても、西町アイタウン目抜き通りの一等地のショ-ウインドウが空いています。西町商店街の振興にも役立つのではと思い、北都信用金庫西町支店に申し込みました。
6月一杯は空いているのでどうぞのご返事をいただき、四方事務局長に了解を求め、翌日からは用務が重なるので即日の3時からと決定、鐙常任幹事にも急なことでの無理を云い3人で展示しました。2月の大本節分祭以来の展示なのか?蜘蛛の巣は張り、ゴミだらけの状況で、掃除機、脚立、押しピンを北都信金さまにお借りし展示し終わりました。
二間のブ-スがあり思ったより広く、昨年の創立35周年記念式典展示のもの、その後の取材したもののHPカラーコピ-を張り出しました。
南側ブ-スに神社、夜間金庫投入口をはさんで、北側ブ-スに寺院、古墳、遺跡を集めました。地区別にしたかったのですが、急なことで準備不足です。奥上林から於与岐、山家、物部、八田、志賀郷など全市域です。

翌日、追加補充をすませ、文字は読みづらいので写真ペ-ジを中心に、綾部市の指定文化財、会報記載記事集録の写真追加HPの殆どが展示できました。
年輩者などパソコン、インタ-ネットと縁遠い方も多々おられますが、HPコピ-を展示
するのは、IT(ハイテク)との谷間を埋める試みでもあり、「文化財と人とのふれあい」
を進める綾部の文化財を守る会の趣旨にも合うと考えています。
どうぞ見に行ってください。あなたの村、街の社寺、お祭り、あなたも写っているかも。
[ 06:18 ] [ あやべの文化財 ]
西町アイタウン中央にある、北都信用金庫西町支店のショウ・ウインドウに、ホ-ムペ-ジ「綾部の文化財」のカラ-コピ-を展示した。
「文化財と人とのふれあいを求めて」のHPなので、インタ-ネットに縁のない人にも見ていただける機会になればと願う。
2ブ-スあり、随分広く殆どのペ-ジ、全綾部市内の指定文化財のある、会報記事関係の神社、仏閣、遺跡などのペ-ジが展示できた。
写真の多いペ-ジを中心に展示した。
今日も「綾部の文化財を守る会提供」のタイトルなどを補充する予定です。
2005/06/05のBlog
[ 08:06 ] [ あやべの文化財 ]
東谷山・極楽寺の睡蓮も次々と咲いています。HPを編集、仮アップして、コピ-をご住職さまと会報集録記事の四方さま届けましたが、ご住職さまは留守でポストに入れました。大賀ハス資料やHP校正のお願いなどをしています。http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/gokurakuji/gokurakuji.htm
あやめ
実は、あやべ作業所に今度7月10日に上映される「火火」のチケットの件で行ったついでに寄らせていただきました。四方さまのご主人はハ-ブ園を作るのだと畑で頑張っておられました。広いハ-ブ園が出来そうで楽しみです。奥様の方は、私の家内と翌日、美ヶ原に出かけるので、留守中の大掃除の最中でした。機嫌よく一泊旅行から帰り、目下HPづくりに励んでいます。近日中にアップされる予定です。(このブログの左下の「リンク欄」に記載しています)
青い花です。
テッセン(クレマチス)
フヨウ
たくさんの花が境内に咲いています。
2005/06/03のBlog
[ 19:24 ] [ あやべの文化財 ]
八十八ケ所(大師さん)周辺案内図の経路
極楽寺ー金比羅宮ー白内山(142m)山麓ー愛宕神社ー市道(白道路公会堂そば)
参道脇のお大師さん
八十八ケ所巡り山道の起点のお大師さん
同行二人が次々と
この山道を巡り歩く。
2005/06/02のBlog
[ 20:38 ] [ あやべの文化財 ]
極楽寺本堂前の池のある庭園
本堂横の山水庭園
藤棚 もう花が終わっていた。
鐘楼 大悲鐘の顎が上がっていた。
大悲鐘 どんな音色か
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