Blog
2005/06/01のBlog
[ 11:59 ] [ あやべの文化財 ]
2005/05/28のBlog
[ 10:43 ] [ あやべの文化財 ]
2005/05/26のBlog
[ 21:11 ] [ あやべの文化財 ]
蓮田の側に立てられた大賀ハスの説明。HPを持って住職さまに会いに行き、不明な御堂、石塔の写真キャプションを尋ねるとともに、この看板の文書をいただくつもり。印刷文書だとOCRで読めるので、入力に楽が出来る。写真からのOCR解読は、どうも上手くいかず全滅の状態である。最悪の場合、モニタ-で写真を拡大して筆記し、打ち込む。かなり面倒な仕事。といっても今まで、大抵これをやってきた。写真をクリックすると拡大しますが、読めないでしょう。
2005/05/02のBlog
[ 19:31 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財を守る会の会報を会員に分担して配布して廻った。ページ数が片面刷りの29枚というもので、四方事務局長の力作。1枚づつカラープリンターで刷っていられる。会報配布と同時に1千円の年会費も頂いたが、これは振り込みの手間と振り込み料金を配慮しての措置。会報は年2回発行なので、こんな枚数の多い重いものを郵送したのでは、印刷費だけでも不足気味なので送料の出せる余地がない。
私の届けたのは21件。行く先々でHPの取材を兼ねて写真を撮った。
写真:正暦寺の見事な白藤と本堂
私の届けたのは21件。行く先々でHPの取材を兼ねて写真を撮った。
写真:正暦寺の見事な白藤と本堂
2005/04/28のBlog
[ 18:17 ] [ あやべの文化財 ]
昨晩、於与岐在住の吉田晃さまから文化財を守る会の会報の督促があり、今日の役員会で受け取り次第お持ちしますと返事。9時半より会合あり、午後一番に、於与岐の吉崎孝典会員宅にお届けした。弥仙山が綺麗に見え、花の咲く於与岐八幡宮の写真をと取材に行った。
薬師堂の「もみじ」がもう赤い新葉で見応えがあり写真を撮った。ご婦人方が大勢居られ、私を知っている方から甘酒をどうですかと勧めていただいた。美味しい甘酒の接待をいただき、今日は大本さんの弥仙山岩戸開きの行事ですとの話であった。
弥仙山の「ヤマシャクヤク」について、教祖の紅さまが(母を偲ばれて?)読まれた句を引用して、本当に少なくなったとの会話を交わした。
その後八幡宮を取材していると、東八田自治会連長だった吉田登さまと出会い、今年の「ヤマシャクヤク」は如何ですかと尋ねると、未だ蕾だったとのことで例年よりも遅いようである。
弥仙山の「ヤマシャクヤク」について、教祖の紅さまが(母を偲ばれて?)読まれた句を引用して、本当に少なくなったとの会話を交わした。
その後八幡宮を取材していると、東八田自治会連長だった吉田登さまと出会い、今年の「ヤマシャクヤク」は如何ですかと尋ねると、未だ蕾だったとのことで例年よりも遅いようである。
2005/04/15のBlog
[ 06:53 ] [ あやべの文化財 ]
熊野神社と隣接する別当寺の願成寺には、藤原(平安)時代の作といわれる熊野十二所権現の本地仏が分置されている。藤原時代に流行した浄土教の影響で、紀州の熊野神社に十二所の本地仏が定まり、永暦年間(1160~61)京都に新熊野神社として勧請され、王城鎮護の神として祀られた。吾雀荘(あすずきしょう)志賀郷は、その荘園として寄進され、守護神として別所熊野神社に十二所権現像が祀られたのである。
願成寺本堂に隣接するお宅に案内を乞うと、ご主人が出てこられ、すでに願成寺の名前でなくなり、志賀郷の興隆寺の飛び寺だと云われた。興隆寺にも御住職不在の様子だと尋ねると、西方町の宝満寺の住職が兼務されていると云うことであった。
上記のように吾雀荘(あすずきしょう)志賀郷の別当寺として、隆盛を誇り近在の篠田神社なども統括したように聞いたが、檀家数が少ない(人口過疎)中では寺の維持も大変だと思った。宮津への高速縦貫道が寺の上に走るのが見える。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/ganjyoji/ganjyoji.html
上記のように吾雀荘(あすずきしょう)志賀郷の別当寺として、隆盛を誇り近在の篠田神社なども統括したように聞いたが、檀家数が少ない(人口過疎)中では寺の維持も大変だと思った。宮津への高速縦貫道が寺の上に走るのが見える。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/ganjyoji/ganjyoji.html
2005/04/14のBlog
[ 17:47 ] [ あやべの文化財 ]
志賀郷のJA支所前にある興隆寺の取材をした。花の季節、桜の名木があったがまだ蕾であった。HPアップしました。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/koryuji/koryuji.html
志賀郷JA支所の前に白い酒造会社の倉庫が並ぶが、昨年、登尾峠・城屋揚松明展に行ったときに廃業されて梅の加工工場になると聞いた。先日の報道で「花伝院・志賀郷工房」が完成し、梅干し製品加工販売の工場となった由。
その近くの府道に興隆寺と案内看板が立っているので入ると、府道と平行に寺参道の前に町並みが通っていた。旧道か?
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/koryuji/koryuji.html
志賀郷JA支所の前に白い酒造会社の倉庫が並ぶが、昨年、登尾峠・城屋揚松明展に行ったときに廃業されて梅の加工工場になると聞いた。先日の報道で「花伝院・志賀郷工房」が完成し、梅干し製品加工販売の工場となった由。
その近くの府道に興隆寺と案内看板が立っているので入ると、府道と平行に寺参道の前に町並みが通っていた。旧道か?
2005/04/11のBlog
[ 20:10 ] [ あやべの文化財 ]
2005/04/10のBlog
[ 21:50 ] [ あやべの文化財 ]
上林禅寺の黒川泰信禅師より、桜の見頃と「るんびに苑」の児童たちの観桜会のご連絡をいただき、好天の中を禅寺に到着、引率の先生に断りを入れてから取材しました。子供達は本堂で黒川禅師の点てられる「お薄」を1人1人いただき、羊羹を食べ、日本文化に親しんでいました。禅師のお話のあと、名木:シダレザクラの咲き誇る庭に出て、本堂の縁側に腰かけ、お昼を楽しんでいました。
襖絵も拝見し、花の寺の写真を撮ってきました。HP編集中です。
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/kanbayasizen/jyourin.html
http://www.ayaco.net/bunka/bunkazai/annai/kanbayasizen/jyourin.html
2005/04/05のBlog
[ 17:24 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財を守る会の総会(幹事会)が行われた(25名出席)春の研修旅行「吉野の国宝・文化財を訪ねて」(事務局)、いかるが民俗民具資料館への取り組み(綾部市資料館:近澤館長)など新年度の計画、新役員が決定した。HP「綾部の文化財」もますます充実させていくこととなった。終わってから女性の幹事さん方と「女人禁制」のことについて意見を聞いてみた。
本も読んでおられ、宗教者として真摯にこの問題を自分たちで解決したいとの著者の言葉に理解を示されながら、一方ふじもと様の人間としての尊厳の問題だから、スポ-ツ登山などと分けて考えるのは、やはり一種の逃げではないかのご指摘も、なるほどと頷いておられた。男性よりも女性の方にもっと厳しい意見が有ると思ったが、年輩者と若い方との違いもあるのかも。世界文化遺産のあり方と宗教的な風土との関連を、現地に行ったときに確認してみたいと思う。
本も読んでおられ、宗教者として真摯にこの問題を自分たちで解決したいとの著者の言葉に理解を示されながら、一方ふじもと様の人間としての尊厳の問題だから、スポ-ツ登山などと分けて考えるのは、やはり一種の逃げではないかのご指摘も、なるほどと頷いておられた。男性よりも女性の方にもっと厳しい意見が有ると思ったが、年輩者と若い方との違いもあるのかも。世界文化遺産のあり方と宗教的な風土との関連を、現地に行ったときに確認してみたいと思う。