Blog
2004/11/25のBlog
[ 19:56 ] [ あやべの文化財 ]
やっと「綾部の文化財」の35周年記念のHPづくりに区切りをつけて、コピ-の式典会場張り出しとスライド傾斜のレジメを作った。
ホームページ「綾部の文化財」紹介とお願い
綾部の文化財を守る会のホームページを、創立35周年の記念事業として実施しました。
綾部の文化財についての情報発信が、開始されましたことに感謝しています。
ホームページ「綾部の文化財」は、学術的な文化財の紹介にとどまらず「まちづくり」 の一端として、人々との交流のあるものにしたいと念じています。
取材に当たっては、人の存在する内容となりますよう留意しています。また、掲示板、 画像掲示板、投稿写真ギャラリーなどの交流ページも設けています。
「ホームページはみんなで創るものです」綾部の歴史や文化財を愛し大切にする人々の
意識によって、綾部の豊かなふるさとの自然が、環境が大切に守られていくことを祈念し
ています。
記事の内容については、情報公開とプライバシー尊重の両原則を遵守し、取材先や資料
館、綾部史談会の先生方の指導をいただいています。
パソコン、インターネットという情報技術を用いていますが、技術的な部分は慣れてい
る人にまかせていただき、皆様には資料の提供をお願いいたします。手書きで十分です。
「あなたの街のお地蔵さんや鎮守の森、お祭りなどの様子をお知らせください。」
本日は作成したHP「綾部の文化財」をプロジェクターで映写して紹介します。
歴史や文化財に門外漢の私が説明しますので、文化財などの読み間違いも多々あることを
まずお詫びしておきます。
1.まちづくり:人々との交流を求めて
表紙、写真ギャラリー(投稿)、投稿掲示板、写真も入る投稿掲示板
2.会報(機関誌)創刊号の頃 設立総会、研修旅行、駒札建立について
新聞で見る綾部の文化財、会報1号「安国寺」2号「光明寺」
3.足利尊氏関連の特集について
京都尊氏ゆかりの寺院を訪ねて研修会、安国寺と文化財、岩王寺、記念講演会
4.駒札建立社寺について
駒札で見る文化財:光明寺、長松寺、東光院、八津合八幡宮、阿須々岐神社・・
5.無形文化財(祭礼)について
嶋万神社(太刀振り、てんてこてん)高倉神社(ひやそ)於与岐八幡宮(天狗鼻高舞)
6.研修旅行について
湖都:大津の国宝を訪ねて、丹後一周研修旅行、感想文
7.資料館建設と民俗民具資料館について
私市円山古墳、忠左衛門代官日記特別展、民俗民具調査風景
8.綾部九鬼藩関連の特集について
九鬼霊園、奥津城、綾部八幡宮、高津八幡宮、正暦寺、広畔堂跡、グンゼ博物苑
9.世界連邦平和都市宣言第1号都市・綾部
「平和を願い、祈りのあるまちにしよう」
ホームページ「綾部の文化財」紹介とお願い
綾部の文化財を守る会のホームページを、創立35周年の記念事業として実施しました。
綾部の文化財についての情報発信が、開始されましたことに感謝しています。
ホームページ「綾部の文化財」は、学術的な文化財の紹介にとどまらず「まちづくり」 の一端として、人々との交流のあるものにしたいと念じています。
取材に当たっては、人の存在する内容となりますよう留意しています。また、掲示板、 画像掲示板、投稿写真ギャラリーなどの交流ページも設けています。
「ホームページはみんなで創るものです」綾部の歴史や文化財を愛し大切にする人々の
意識によって、綾部の豊かなふるさとの自然が、環境が大切に守られていくことを祈念し
ています。
記事の内容については、情報公開とプライバシー尊重の両原則を遵守し、取材先や資料
館、綾部史談会の先生方の指導をいただいています。
パソコン、インターネットという情報技術を用いていますが、技術的な部分は慣れてい
る人にまかせていただき、皆様には資料の提供をお願いいたします。手書きで十分です。
「あなたの街のお地蔵さんや鎮守の森、お祭りなどの様子をお知らせください。」
本日は作成したHP「綾部の文化財」をプロジェクターで映写して紹介します。
歴史や文化財に門外漢の私が説明しますので、文化財などの読み間違いも多々あることを
まずお詫びしておきます。
1.まちづくり:人々との交流を求めて
表紙、写真ギャラリー(投稿)、投稿掲示板、写真も入る投稿掲示板
2.会報(機関誌)創刊号の頃 設立総会、研修旅行、駒札建立について
新聞で見る綾部の文化財、会報1号「安国寺」2号「光明寺」
3.足利尊氏関連の特集について
京都尊氏ゆかりの寺院を訪ねて研修会、安国寺と文化財、岩王寺、記念講演会
4.駒札建立社寺について
駒札で見る文化財:光明寺、長松寺、東光院、八津合八幡宮、阿須々岐神社・・
5.無形文化財(祭礼)について
嶋万神社(太刀振り、てんてこてん)高倉神社(ひやそ)於与岐八幡宮(天狗鼻高舞)
6.研修旅行について
湖都:大津の国宝を訪ねて、丹後一周研修旅行、感想文
7.資料館建設と民俗民具資料館について
私市円山古墳、忠左衛門代官日記特別展、民俗民具調査風景
8.綾部九鬼藩関連の特集について
九鬼霊園、奥津城、綾部八幡宮、高津八幡宮、正暦寺、広畔堂跡、グンゼ博物苑
9.世界連邦平和都市宣言第1号都市・綾部
「平和を願い、祈りのあるまちにしよう」
2004/11/20のBlog
[ 20:00 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財を守る会の35周年記念講演として、山崎巌綾部史談会会長の
「綾部九鬼藩歴代藩主とその藩士たち」に関連して、歴代九鬼藩主と藩士の
信仰が厚く菩提寺であった「正暦寺」を取材しました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/syorekiji/syorekiji.htm
玉川弘信師のご厚意で、正暦寺沿革、写真説明、文化財の詳細について
お世話を頂きました。心より厚く感謝を申し上げます。
正暦寺の庭園 京都府指定文化財 江戸中期
「綾部九鬼藩歴代藩主とその藩士たち」に関連して、歴代九鬼藩主と藩士の
信仰が厚く菩提寺であった「正暦寺」を取材しました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/syorekiji/syorekiji.htm
玉川弘信師のご厚意で、正暦寺沿革、写真説明、文化財の詳細について
お世話を頂きました。心より厚く感謝を申し上げます。
正暦寺の庭園 京都府指定文化財 江戸中期
2004/11/13のBlog
[ 08:18 ] [ あやべの文化財 ]
2004/11/09のBlog
[ 15:44 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の蚕糸の歴史をたどる資料の一つとして取材した、グンゼ博物苑のHPをアップしました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/minzoku/gunze/gunze.htm
拡大写真をリンクするため、追加の写真をブログに掲載します。
靴下蔵の展示
http://www.geocities.jp/pbdmk569/minzoku/gunze/gunze.htm
拡大写真をリンクするため、追加の写真をブログに掲載します。
靴下蔵の展示
2004/11/08のBlog
[ 19:53 ] [ あやべの文化財 ]
「蚕都を築いた人々」綾部は漢部(アヤヒト)の綾織りに始まり、平安朝以降も絹織物の主要産地であったが、戸時代の禁絹令を経て、九鬼藩家臣の旧弊のため蚕糸技術の改良に遅れ、明治時代に品評会で「粗の魁」と酷評され、郡是製糸の創立で再び蚕都の輝きを取り戻した歴史の資料づくりの一つとして「グンゼ博物苑」の取材をしてきた。
養蚕農家の模型
養蚕農家の模型
2004/11/07のBlog
[ 11:59 ] [ あやべの文化財 ]
近所の加迫神社の祭礼が行われていたので写真を撮ってきた。
ここも綾部藩主九鬼公の崇敬が伝えられるお宮さんだ。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/kasako/kasako.htm
ここも綾部藩主九鬼公の崇敬が伝えられるお宮さんだ。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/kasako/kasako.htm
2004/11/06のBlog
[ 20:10 ] [ あやべの文化財 ]
岩本家古文書:御免相之扣(控)を説明される塩尻千賀良氏(綾部史談会)
最初は農地に立ち会いの上収穫を見て、年貢割合を決めていたが(検見と定免:免率記載あり)、財政の逼迫と共に免率が一定になり(平均して農民の手に残るのは25%の高い賦課率)藩の年貢収納高が斬減傾向(初期2千石→1500石)凶作年は極端に落ち込んでいる。
最初は農地に立ち会いの上収穫を見て、年貢割合を決めていたが(検見と定免:免率記載あり)、財政の逼迫と共に免率が一定になり(平均して農民の手に残るのは25%の高い賦課率)藩の年貢収納高が斬減傾向(初期2千石→1500石)凶作年は極端に落ち込んでいる。
2004/11/05のBlog
[ 11:48 ] [ あやべの文化財 ]
2004/11/04のBlog
[ 11:42 ] [ あやべの文化財 ]
私市円山古墳 古墳祭りのHPアップしました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/maruyama/mkofun.htm
http://www.geocities.jp/pbdmk569/bunkazai/annai/maruyama/mkofun.htm
2004/11/03のBlog
[ 15:13 ] [ あやべの文化財 ]
由良川中流の王:埋葬施設は2基あり、古墳時代の中頃(1500年前)由良川の中流域を治めていた王であると考えられている。
埋葬された王は、名前も、二人が兄弟なのか親子なのかもわかっていませんが、眼下に広く由良川を眺めるこの丘の上を選んで古墳を築いていること、その規模や内容からも、彼らが由良川中流域を治めていた王であることはまちがいありません。
埋葬された王は、名前も、二人が兄弟なのか親子なのかもわかっていませんが、眼下に広く由良川を眺めるこの丘の上を選んで古墳を築いていること、その規模や内容からも、彼らが由良川中流域を治めていた王であることはまちがいありません。
古墳の形は円形で、直径が約70mあり、埋葬に伴うお祭りが行われた、方形の造り出しを含めると、全長80mに達し、京都府下最大の円墳です。
鏡・胡籙などの副葬品 埋葬施設:頂上には王が葬られていて、木製の棺は腐ってなくなっていますが、一緒に納められていた、よろい・かぶと・刀などの武器のほか、鏡・玉類など、たくさんの品々が見つかっています。
王の埋葬は二人分あり、外側の埋葬施設からは、当時としても大変貴重な、金ぱくを張った胡籙(ベルト付き矢袋)が出土しており、葬られた王の力や、他の王との交渉が想像されます。
鏡・胡籙などの副葬品 埋葬施設:頂上には王が葬られていて、木製の棺は腐ってなくなっていますが、一緒に納められていた、よろい・かぶと・刀などの武器のほか、鏡・玉類など、たくさんの品々が見つかっています。
王の埋葬は二人分あり、外側の埋葬施設からは、当時としても大変貴重な、金ぱくを張った胡籙(ベルト付き矢袋)が出土しており、葬られた王の力や、他の王との交渉が想像されます。