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2007/12/15のBlog
[ 09:19 ] [ 文化財を訪ねて ]
[ 09:03 ] [ 文化財を訪ねて ]
おもかるいし
丸い石が2ヶ胸の高さに供えてある。2列に並んだ人が順番に持ち上げている。
石を持ち上げてみて、自分の予想したよりも重く感じた人。予想したよりも軽く感じた人。それでその人の健康を占うのだそうだ。
丸い石が2ヶ胸の高さに供えてある。2列に並んだ人が順番に持ち上げている。
石を持ち上げてみて、自分の予想したよりも重く感じた人。予想したよりも軽く感じた人。それでその人の健康を占うのだそうだ。
2007/12/14のBlog
[ 19:18 ] [ 文化財を訪ねて ]
[ 08:58 ] [ 文化財を訪ねて ]
先方に2つに分かれ並んだ鳥居が見える。
いつも拝見している「Doblog:乙姫神社 by 柚木雅妃(ゆずきみやび)様のTOP写真」と同じところ?だと思いながら通り過ぎる。
いつも拝見している「Doblog:乙姫神社 by 柚木雅妃(ゆずきみやび)様のTOP写真」と同じところ?だと思いながら通り過ぎる。
[ 08:26 ] [ 文化財を訪ねて ]
2007/12/13のBlog
[ 10:07 ] [ 文化財を訪ねて ]
伏見稲荷大社
稲荷大神は元々五穀をはじめとする全ての食物・蚕桑のことをつかさどる神として信仰されていた。平安期に至って、東寺の鎮守とされてより朝野の尊崇をあつめ、宇迦之(うかの)御魂(みたまの)大神(おおかみ)(下社・中央座)、佐田彦(さたひこの)大神(おおかみ)(中社・北座)、大官能売(おおみやのめ)大神(おおかみ)(上社・南座)を主神として祀り、田中(たなか)大神(おおかみ)(田中社・最北座)、四(しの)大神(おおかみ)(四大神・最南座)を合祀する。全国四万社余の稲荷神社の総社で、和銅四年(711)秦伊(はたのい)呂(ろ)具(ぐ)が三社を祀ったのを起源とすると云う。平安時代には「延喜式」明神天社に列し、天慶五年(942)には正一位が与えられている。本殿(国重文)は明応三年(1494)の建立で、五間社流造桧皮葺、前方に内拝殿(神饌所)を持つ稲荷造りである。本殿右手の御茶屋(国重文)などもある。大社後方の稲荷山の「お山めぐり」は4キロメートルもあり、とても我々には行く時間がないが、手前の壮観な「千本鳥居」は見て頂きます。
稲荷大神は元々五穀をはじめとする全ての食物・蚕桑のことをつかさどる神として信仰されていた。平安期に至って、東寺の鎮守とされてより朝野の尊崇をあつめ、宇迦之(うかの)御魂(みたまの)大神(おおかみ)(下社・中央座)、佐田彦(さたひこの)大神(おおかみ)(中社・北座)、大官能売(おおみやのめ)大神(おおかみ)(上社・南座)を主神として祀り、田中(たなか)大神(おおかみ)(田中社・最北座)、四(しの)大神(おおかみ)(四大神・最南座)を合祀する。全国四万社余の稲荷神社の総社で、和銅四年(711)秦伊(はたのい)呂(ろ)具(ぐ)が三社を祀ったのを起源とすると云う。平安時代には「延喜式」明神天社に列し、天慶五年(942)には正一位が与えられている。本殿(国重文)は明応三年(1494)の建立で、五間社流造桧皮葺、前方に内拝殿(神饌所)を持つ稲荷造りである。本殿右手の御茶屋(国重文)などもある。大社後方の稲荷山の「お山めぐり」は4キロメートルもあり、とても我々には行く時間がないが、手前の壮観な「千本鳥居」は見て頂きます。
2007/12/12のBlog
[ 09:53 ] [ 文化財を訪ねて ]
伏見稲荷大社 本殿前にて
バス1・2号車:84名 SKYガイド:木村彰男、馬場茂氏、バスガイド2名
全員で90名近い大人数の集合記念写真を、バックの背の高い建造物(文化財)と一緒に撮る。人物を撮るだけ、あるいは建造物を撮るだけなら簡単だが、カメラの焦点に入っていない人物にピントと露出を合わせ、三脚で構図を決定して撮影する。
どうしても建造物との遠近があり、明度の差がある。人物は画面の下部1/3にしかならない。並んだ人々をどのように大きく撮るかの工夫がつかめない。広角28mm。
バス1・2号車:84名 SKYガイド:木村彰男、馬場茂氏、バスガイド2名
全員で90名近い大人数の集合記念写真を、バックの背の高い建造物(文化財)と一緒に撮る。人物を撮るだけ、あるいは建造物を撮るだけなら簡単だが、カメラの焦点に入っていない人物にピントと露出を合わせ、三脚で構図を決定して撮影する。
どうしても建造物との遠近があり、明度の差がある。人物は画面の下部1/3にしかならない。並んだ人々をどのように大きく撮るかの工夫がつかめない。広角28mm。
2007/12/11のBlog
[ 20:37 ] [ 文化財を訪ねて ]