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なべちゃんの散歩道
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ジャンル: 文化財を訪ねて
Blog数:331件
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2007/12/10のBlog
[ 22:10 ] [ 文化財を訪ねて ]
表門(国指定重要文化財)
 元和八年(1622)に徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領してここへ寄進した。特に注目すべきは、正面を飾る中国二十四孝を彫った蠆(かえる)股(また)で向かって右から、楊香、郭巨、唐夫人、孟子の物語順に並んでいる。
大鳥居
拝殿への参道
本殿(国指定重要文化財)
 慶長十年(1605)、徳川家康の命により京都所司代板倉勝重を普請奉行として着手建立された。大型の五間社流造で桧皮葺(ひわだぶき)、正面の頭(とう)貫(かん)木(き)鼻(ばな)や蠆(かえる)股(また)、向拝の手挟みに彫刻を施し、全て極彩色で飾っている。又、背面の板壁には五間全体にわたって柳と梅の絵を描いている。全体の造り、細部の装飾とも豪壮華麗でよく時代の特色をあらわし桃山時代の大型社殿として価値が高い。
拝殿(京都府指定重要文化財)
 寛永二年(1625)徳川頼宣(紀州家初代藩主)の寄進によるもので、桁行七間、梁行三間、入母屋造、本瓦葺の割拝殿。正面軒唐破風は、手のいり込んだ彫刻によって埋められている。特に五三桐の蠆(かえる)股(また)や、大瓶束(だいへいつか)によって左右に区切られている彫刻は、向かって右は「鯉の滝登り」即ち竜神伝説の光景を彫刻し、左はこれに応ずる如く「琴仙人が鯉に跨って滝の中ほどまで昇っている」光景を写している。
本殿、拝殿前の境内
[ 15:28 ] [ 文化財を訪ねて ]
当社の名の由来の清泉「石井の御香水」がこんこんと今も湧き出ている伏見の七名水の一つ。紀州藩祖・徳川頼宣、弟の水戸藩祖・頼房(水戸黄門の父)と尾張藩祖・義直の各公はこの水を産湯に使われた。
御香水をいただく会員
四方事務局長によると、近くに息子様の居宅があり、何度も来たが何時も凄い行列で、御香水をいただけるのは初めてとのこと。
次々に御香水をいただく会員。
ボトルに入れて持ち帰る人より、その場でいただく人を優先下さいと張り紙もある。
それ程の人気の名水!
[ 07:43 ] [ 文化財を訪ねて ]
御香宮神社
日本第一安産守護之男大神として広く崇められている。神功皇后を主祭神として仲哀天皇他六柱の神をまつる。
初めは「御諸(みもろ)神社(じんじゃ)」と称したが、平安時代貞観四年(862)9月9日に、この境内から「香」の良い水が湧き出たので清和天皇から「御香宮」の名を賜った。
 豊臣秀吉は天正十八年(1590)願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見城築城に際し、城中に鬼門除けの神として勧請し、社領三百石を献じた。その後、徳川家康は慶長十年(1605)に元の地に本殿を造営し社領三百石を献じた。
 慶応四年(明治元年・1868)正月伏見鳥羽の戦いには当社が薩摩藩(官軍)の屯所となったが幸いにして戦火は免れた。ここには官軍駐屯の石碑がある。
 10月1日から10日までの神幸祭は、伏見九卿の総鎮守の祭礼とされ、古来「伏見祭」称され今も洛南随一の大祭とされている。
綾部の文化財を守る会の秋の文化財研修は、バス2台84名の参加を得て、醍醐寺の文化財研修の後、黄桜カッパ・カントリ-で昼食を取り、御香宮神社に到着した。平日のことでバスの駐車を境内に予約確保でき、早速本殿の参拝に向かった。
参拝する会員参加者
本殿(国指定重要文化財)
 慶長十年(1605)、徳川家康の命により京都所司代板倉勝重を普請奉行として着手建立された。大型の五間社流造で桧皮葺(ひわだぶき)、正面の頭(とう)貫(かん)木(き)鼻(ばな)や蠆(かえる)股(また)、向拝の手挟みに彫刻を施し、全て極彩色で飾っている。又、背面の板壁には五間全体にわたって柳と梅の絵を描いている。全体の造り、細部の装飾とも豪壮華麗でよく時代の特色をあらわし桃山時代の大型社殿として価値が高い。
拝殿(京都府指定重要文化財)
 寛永二年(1625)徳川頼宣(紀州家初代藩主)の寄進によるもので、桁行七間、梁行三間、入母屋造、本瓦葺の割拝殿。正面軒唐破風は、手のいり込んだ彫刻によって埋められている。特に五三桐の蠆(かえる)股(また)や、大瓶束(だいへいつか)によって左右に区切られている彫刻は、向かって右は「鯉の滝登り」即ち竜神伝説の光景を彫刻し、左はこれに応ずる如く「琴仙人が鯉に跨って滝の中ほどまで昇っている」光景を写している。
2007/12/04のBlog
[ 02:46 ] [ 文化財を訪ねて ]
醍醐寺霊宝館の国宝・重文の参観を終えて
霊宝館
 国宝や重文だけで4万点、未指定の文化財を含めると、約10万点余りに及ぶ寺宝を収蔵。彫刻、絵画、工芸、古文書など、日本の仏散史や美術史上貴重な資料が収蔵されている。春と秋に一般公開を行っている。
世界遺産醍醐寺展-醍醐寺のかくれた逸品を拝観した。
拝観した国宝・重文の絵画、工芸、書籍の一覧;重文:舞楽図屏風、扇面散図、芦鴨図(宗達筆・江戸)、重文:線刻如意輪観音等鏡像(唐)、重文:線刻阿弥陀五尊鏡像(平安)、国玉:薬師如来坐像(平安)、国玉:日光菩薩立像(平安)、国玉;月光菩薩立像(平安)、重文:帝釈天騎象像(平安)、重文:閻魔天像(平安)、重文:阿弥陀如来坐像(平安)、重文:地蔵菩薩立像(鎌倉)、重文:吉祥天立像(平安)、重文:不動明王坐像(快慶作・鎌倉)、重文:不動明王像(平安)、重文:降三世明王像(平安)、重文:軍茶利明王像(平安)、重文:大威徳明王像(平安)、重文:金剛夜叉明王像(平安)、重文:銅造阿弥陀如来坐像(平安)、重文:如意輪観音坐像(平安)
重文:紺紙金泥大般若経巻第17伝菅原道真筆(平安)、重文:紺紙金泥細字三部経(室町)、重文:細字妙法蓮華経(室町)、重文:紺紙金字妙法蓮華経 附摩詞般若波羅密多心経(室町)
この春に訪れた時の写真:醍醐寺霊宝館前の桜の参道
桜の紅葉も綺麗だ。
雨月茶屋前にて 隣がバスの駐車場
[ 02:20 ] [ 文化財を訪ねて ]
三宝院大玄関前にて
三宝院
 永久3(1115)年、醍醐寺第14世座主勝覚僧正の創建。現在の三宝院は慶長3(1598)年、豊臣秀吉により再建されたもので、唐門や表書院は国宝に、その他の建造物は大半が国の重要文化財に指定されている。また、桃山時代を代表する秀吉設計の庭園は、特別史跡・特別名勝に指定され、太閤秀吉の栄華を偲ばせる。
三宝院とその庭園
 三宝院は永久3(1115)年、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正の創建。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊である。
 現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。中でも庭園全体を見渡せる表書院は、寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されている。
 国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3(1598)年豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して、自ら基本設計をした庭であり、桃山時代の華やかな雰囲気を伝えている。
醍醐三宝院(国特別史跡・特別名勝庭園)
一.大玄関(国重文)
一.葵の間(国重文)
 京都三大祭りである葵祭、祇園祭、時代祭りのひとつ葵祭の風景が描かれている。下鴨神社から上賀茂神社へ向かっている様子である。
一.秋草の間(国重文)
 秋の七草が点在する広々とした風景が描かれている。
一.勅使の間(国重文)
 ここの襖絵は竹林花鳥図である。桃山時代の作品で長谷川等伯に連なる一派の作といわれている。
一.表書院(国宝)
 下段・中段・上段の間がある。下段は別名「揚舞台の間」とも呼ばれ、畳をあげると能舞台になる。中段の間、上段の間は下段の間より一段高く、能楽や狂言を高い位置から見下ろせるようになっている。
一.表書院・襖絵(国重文)
 上段の間の襖絵は四季の柳を主題としている。中段の間の襖絵は山野の風景を描いており、長谷川等伯一派の作といわれている。下段の間の襖絵は石田幽汀の作で孔雀と蘇鉄が描かれている。
一.国の特別名勝庭園の、
 「亀島」は太い立派な五葉松が、島全体を覆っていて、亀の甲羅のように見える島がある。この松は雌松で樹齢六百年以上といわれている、天下の名木である。亀の「静寂」を表している。
 「鶴島」は亀島の西隣りにある島で、この松は黒松の雄松で、向かって左側の石橋が鶴の首にあたる。今にも鶴が飛び立とうとしている「躍動感」を表している。「賀茂の三石」池の手前に三つの珍しい形の石がある。向かって左の石は賀茂川の「流れの速いさま」を、中の石は「川の淀んだ状態」を、」右の石は「川の水が割れている様子」を表している。
 「藤戸石」は庭の中心に位置し、阿弥陀三尊を表している。歴代の武将に引き継がれたことから「天下の名石」といわれている。池の一番奥に「豊国大明神」が見える。是は太閤秀吉を祀る社。三宝院殿舎や庭園を整えただけでなく、五重塔の修復や金堂の再建など醍醐寺全体の修復に尽力した豊臣秀吉。その恩に報いるために建立された。
醍醐寺三宝院門内の松を手入れ中
全員集合して霊宝館に向かう
2007/12/03のBlog
[ 13:35 ] [ 文化財を訪ねて ]
醍醐寺旧伝法学院
真如三昧耶堂 涅槃仏像
真如三昧耶堂
 もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として天暦3(949)年に創建されたが、文明2 (1470)年に焼失。現在の堂は平成9(1997)年に真如三昧堂として建立された。
 平成9年9月11日に落慶した真如三昧耶堂は、間口4間、奥行4問、高さ10メートルの入母屋桧造り平屋建て。桟瓦葺き、扉は蔀戸とし建坪は20坪、敷地面積は100坪。建設地は金堂の東側、法華三昧堂の旧跡地。工法は、埋蔵文化財や史跡を保存する意味から、基壇をそのままに上を覆う耐圧盤方式。この方式は最新のもので、耐震性にもすぐれています。
 奉安される御本尊は金剛界大日如来、真如苑より奉迎する「真如教主謹刻によ
る涅槃尊像」、真如双親さまの御位牌と御縁をおまつりします。
醍醐寺唐門(国宝)前
唐門(国宝)
 桃山時代のもので、三宝院の勅使門である。創建時は、門全体が黒の漆塗で菊と桐の四つの大きな紋には金箔が施されていた。
三宝院山門
2007/12/02のBlog
[ 10:38 ] [ 文化財を訪ねて ]
弁天堂
 紅葉やイチョウが色づく季節には、朱塗りの弁天堂が水面とよく合う紅葉の名所。弁天堂内には、音楽などの学芸や知識の女神である弁才天が祀られている。広く一般には七福神に加えられている。
醍醐寺の紅葉の弁天堂
一.純浄観(国重文)
 太閤秀吉が檜山で花見をしたときの建物を移築したものといわれ、内部の襖絵は、平成に入り浜田泰介画伯が桜・紅葉を描いた。
 その庭園の東南の奥に見える建物が「沈流亭」で、茶室である。茶室の出入口は「にじり口」が一般だが、沈流亭は「貴人口」なのでかがまずに出入できる。内部は三部屋に分かれ南側から上段・中段・水屋の間となっている。柱には棕櫚や栗などの珍しい木が使われている。
一.本堂(国重文)
 本尊は快慶作の弥勒菩薩である。よって別名「弥勒堂」ともいわれ、脇仏として向かって右に宗祖弘法大師、左に開祖理源大師が安置されている。本堂の裏に護摩壇があり「護摩堂」とも呼ばれる。
一.奥寝殿(国重文)
 江戸時代初期の建築である。違い棚は「醍醐棚」と呼ばれ、修学院離宮の「霞棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」と称されている。
池の周りの紅葉が見事
水鏡に反射して浮かぶ弁天堂
[ 10:38 ] [ 文化財を訪ねて ]
醍醐寺旧伝法学院
祖師堂
 真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師・聖宝とが祀られている。弘法大師の誕生日である6月15日には、盛大に降誕会が行われている。
紅葉の参道を歩く
[ 10:38 ] [ 文化財を訪ねて ]
金堂(国宝)
 醍醐天皇の御願により延長4 (926)年に創建された。当時は釈迦堂といわれていたが永仁、文明年間に二度焼失した。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5(1600)年に完成した。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊である。
見事な紅葉の参道を散策
大構堂
 平安末ごろ製作された醍醐寺最大の丈六の木造・阿弥陀如来坐像が祀られている。その他に大日如来坐像や深沙大将、大黒天や地蔵菩薩が安置されている。
醍醐寺山門前の紅葉を愛でる
2007/11/30のBlog
[ 13:20 ] [ 文化財を訪ねて ]
五重塔(国宝)
 醍醐天皇の菩提を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が承平6(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5(951)に完成した。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれている。高さは約38メートルで、
屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えている。
清流宮殿拝殿前にて
清流宮殿拝殿前にて
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