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2007/04/19のBlog
2007/04/18のBlog
[ 16:51 ] [ 文化財を訪ねて ]
2007/04/17のBlog
[ 16:43 ] [ 文化財を訪ねて ]
[ 09:14 ] [ 文化財を訪ねて ]
パスポ-トの交付事務が土曜日は休みと、金曜日の朝になり判明して急遽京都に走った。園部駅前の駐車場に車を置き、何時ものように500円のお礼を預ける。JR快速列車で京都駅に着き、JR伊勢丹8Fの旅券事務所でパスポ-トを貰った。
地下鉄で四条大丸のカッタ-シャツ・オ-ダ-メイドに行きサイズを測って貰い、襟や袖口の形を決める。(持って行ったギフトの生地は、後で傷んでいると連絡あり別の生地に変更)
京都市地下鉄東西線に乗り換えて醍醐に着いたのは12時前だった。食事を済ませコミュニティ・バスで醍醐寺に行く。花見の人手で大混雑であった
地下鉄で四条大丸のカッタ-シャツ・オ-ダ-メイドに行きサイズを測って貰い、襟や袖口の形を決める。(持って行ったギフトの生地は、後で傷んでいると連絡あり別の生地に変更)
京都市地下鉄東西線に乗り換えて醍醐に着いたのは12時前だった。食事を済ませコミュニティ・バスで醍醐寺に行く。花見の人手で大混雑であった
2007/01/16のBlog
[ 09:04 ] [ 文化財を訪ねて ]
旧開山堂・礼堂東室
三面僧坊東室の遺構(鎌倉時代)で、南半分は解脱上人釈迦念仏会の道場(礼堂)に改造されている。僧坊は上代寺院が全寮制の学問寺だったことを示す名残で、かって多くの律僧たちが戒律きびしい起居をしたところである
三面僧坊東室の遺構(鎌倉時代)で、南半分は解脱上人釈迦念仏会の道場(礼堂)に改造されている。僧坊は上代寺院が全寮制の学問寺だったことを示す名残で、かって多くの律僧たちが戒律きびしい起居をしたところである
2007/01/15のBlog
[ 06:17 ] [ 文化財を訪ねて ]
歴史の道 歴史街道 奈良市
雨の中「薬師寺白鳳伽藍」の興楽門を出て玄奘三蔵院伽藍に沿ってまっすぐ北に向かう。近鉄の車窓からアルミニウムの大きな建物が見えていたが、この道路からも行く手に白く光る大きなアルミニウムのビルディングが見える
雨の中「薬師寺白鳳伽藍」の興楽門を出て玄奘三蔵院伽藍に沿ってまっすぐ北に向かう。近鉄の車窓からアルミニウムの大きな建物が見えていたが、この道路からも行く手に白く光る大きなアルミニウムのビルディングが見える
唐招提寺南大門
この門から真正面に解体修理中の金堂が見えた。
お願い:金堂解体修理のため・・金堂内陣の盧舎那仏と千手観音像、薬師如来立像(国宝)は修理工房に移しております
金堂北側の講堂で本尊弥勒如来像の他・・講堂内陣の諸仏は拝観できます
新宝蔵で特別展を開いておりますので御観賞下さい
この門から真正面に解体修理中の金堂が見えた。
お願い:金堂解体修理のため・・金堂内陣の盧舎那仏と千手観音像、薬師如来立像(国宝)は修理工房に移しております
金堂北側の講堂で本尊弥勒如来像の他・・講堂内陣の諸仏は拝観できます
新宝蔵で特別展を開いておりますので御観賞下さい
2007/01/14のBlog
[ 20:13 ] [ 文化財を訪ねて ]
金堂
金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺きの建物で各層に裳階をつけた美しい堂で、竜宮造りと呼ばれています。薬師寺白鳳伽藍は金堂を初めとして東塔の意匠ですべて統一されています。また「堂内の荘厳は美をつくし、灯火がなくても金色に光り輝いた」と伝えられています。
金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺きの建物で各層に裳階をつけた美しい堂で、竜宮造りと呼ばれています。薬師寺白鳳伽藍は金堂を初めとして東塔の意匠ですべて統一されています。また「堂内の荘厳は美をつくし、灯火がなくても金色に光り輝いた」と伝えられています。
薬師三尊像く国宝・白鳳時代)
薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩、あわせて薬師三尊と申します。薬師如来は、東方浄瑠璃浄土の教主で、またの名を医王如来とも言い、私たちの身と心の病気を救ってくださる仏さまです。脇侍の日光・月光両菩薩は、動きのある美しい姿で、理想的な写実美を完成した仏さまといわれています。あたかも今造られたかのような美しいお姿は、世界でも最高の仏像と仰がれています
薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩、あわせて薬師三尊と申します。薬師如来は、東方浄瑠璃浄土の教主で、またの名を医王如来とも言い、私たちの身と心の病気を救ってくださる仏さまです。脇侍の日光・月光両菩薩は、動きのある美しい姿で、理想的な写実美を完成した仏さまといわれています。あたかも今造られたかのような美しいお姿は、世界でも最高の仏像と仰がれています
東塔(国宝・白鳳時代)
各層に裳階(もこし)をつけているため六重に見えますが三重の塔です。この特異な形が、全体として律動的な美しさを保ち、“凍れる音楽”という愛称で親しまれています。相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天か透かし彫りされています。
各層に裳階(もこし)をつけているため六重に見えますが三重の塔です。この特異な形が、全体として律動的な美しさを保ち、“凍れる音楽”という愛称で親しまれています。相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天か透かし彫りされています。
2007/01/13のBlog
[ 08:51 ] [ 文化財を訪ねて ]
薬師寺略縁起
薬師寺は天武天皇により発願(680)持統天皇により本尊開眼(697)さらに文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。
当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の荘美を誇りました。すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、なかでも裳階(もこし)を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは「竜宮造り」と呼ばれて人々の目を奪いました。
爾来1300年を経、この間、幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火では、東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰しました。
昭和42年、高田好胤管主により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願されました。失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とし、お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、更には平成15年3月に大講堂が復興され、白鳳伽藍の輪奐美(りんかんび)として蘇りました。
現代の日本人の浄らかな心の結晶が、堂塔伽藍のたたずまいとして未来の人々に継承されることを願い、薬師寺では皆様の更なるお写経のご結縁を願っております
薬師寺は天武天皇により発願(680)持統天皇により本尊開眼(697)さらに文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。
当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の荘美を誇りました。すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、なかでも裳階(もこし)を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは「竜宮造り」と呼ばれて人々の目を奪いました。
爾来1300年を経、この間、幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火では、東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰しました。
昭和42年、高田好胤管主により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願されました。失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とし、お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、更には平成15年3月に大講堂が復興され、白鳳伽藍の輪奐美(りんかんび)として蘇りました。
現代の日本人の浄らかな心の結晶が、堂塔伽藍のたたずまいとして未来の人々に継承されることを願い、薬師寺では皆様の更なるお写経のご結縁を願っております
東塔(国宝・白鳳時代)
各層に裳階(もこし)をつけているため六重に見えますが三重の塔です。この特異な形が、全体として律動的な美しさを保ち、“凍れる音楽”という愛称で親しまれています。相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天か透かし彫りされています
各層に裳階(もこし)をつけているため六重に見えますが三重の塔です。この特異な形が、全体として律動的な美しさを保ち、“凍れる音楽”という愛称で親しまれています。相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天か透かし彫りされています
東院堂(国宝・鎌倉時代)
東院伽藍は養老年間に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、発願建立されたものです。奈良時代の位置は東側(現在の観音池)にあり、南を向いて建てられていましたが、天禄4年(973)の火災で焼失、弘安8年(1285)現在の地に建てかえられた国宝の建物です。
奈良時代は土間が通常ですが、板床を敷き東院禅堂と呼ばれたことを考えると、鎌倉時代には禅の影響があったと思われます。
聖観音菩薩像(国宝・白鳳時代〉
このお像の若さの中に漂う気品と端麗さは、文字通り「祈りが昇華してゆく崇高なお姿」といえましょう。肩のあたりまで幾筋かにわかれて下がる垂髪、二重の首飾り、透きとおるような衣服、花びらのような繊細で美しい指の動き、そして直立不動の直線的な姿勢。これらは、初唐時代に中国を通って流れてきたインドのグプタ王朝の影響を強く受けています。
東院伽藍は養老年間に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、発願建立されたものです。奈良時代の位置は東側(現在の観音池)にあり、南を向いて建てられていましたが、天禄4年(973)の火災で焼失、弘安8年(1285)現在の地に建てかえられた国宝の建物です。
奈良時代は土間が通常ですが、板床を敷き東院禅堂と呼ばれたことを考えると、鎌倉時代には禅の影響があったと思われます。
聖観音菩薩像(国宝・白鳳時代〉
このお像の若さの中に漂う気品と端麗さは、文字通り「祈りが昇華してゆく崇高なお姿」といえましょう。肩のあたりまで幾筋かにわかれて下がる垂髪、二重の首飾り、透きとおるような衣服、花びらのような繊細で美しい指の動き、そして直立不動の直線的な姿勢。これらは、初唐時代に中国を通って流れてきたインドのグプタ王朝の影響を強く受けています。
2007/01/12のBlog
[ 09:57 ] [ 文化財を訪ねて ]
また大唐西域壁画殿は、平山郁夫画伯が30年の歳月をかけ完成させた玄奘三蔵求法の精神を描いた壁画を絵身舎利(えしんしゃり)とお祀りするものです。
*玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿は春季・秋季に一般公開致します
*玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿は春季・秋季に一般公開致します
2007/01/10のBlog
[ 14:10 ] [ 文化財を訪ねて ]
JR特急で京都駅に着き、近鉄特急奈良行きに乗り込んだ。座席指定・特急券を持たない人は別の列車に乗り換えるよう車内放送があったが、車両はガラガラで2人組2席しか人が乗っておらず、車内検札か着駅精算で特急券を払うつもりで居座った。案の定車掌が通りかかったので呼び止めて特急券を購入した。通勤列車は超満員にしても、正月2日目の朝に、こんなガラガラの列車を走らせていて採算が合うのかと心配した。
奈良駅を出ると奈良公園はすぐ近くで興福寺がそこにあった。
奈良駅を出ると奈良公園はすぐ近くで興福寺がそこにあった。