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2006/07/12のBlog
[ 20:36 ] [ 文化財を訪ねて ]
下鴨神社境内
式年遷宮と文化財の社殿五十五棟
当神社は、ほとんどの社殿を二十一年ごとお社を造り替える式年遷宮の制度がが定められています。現在はすべての社殿が国宝・重要文化財に指定されているため、大修理をもって遷宮とされています。ただいまは、第三十三回式年遷宮が平成六年に東西両本殿のご遷宮がおこなわれ、つついで各社殿やお社の修理がおこなれています。
社殿はいずれも、平安時代の様式を史実に伝え、本殿二棟は国宝、五十三棟が重要文化財に指定されています。
国宝の東西本殿はいずれも「流造(ながれづくり)」という様式です。この流造は全国の神社で最も多い様式ですが、そのはじまりの形をそのまま伝えています。
式年遷宮と文化財の社殿五十五棟
当神社は、ほとんどの社殿を二十一年ごとお社を造り替える式年遷宮の制度がが定められています。現在はすべての社殿が国宝・重要文化財に指定されているため、大修理をもって遷宮とされています。ただいまは、第三十三回式年遷宮が平成六年に東西両本殿のご遷宮がおこなわれ、つついで各社殿やお社の修理がおこなれています。
社殿はいずれも、平安時代の様式を史実に伝え、本殿二棟は国宝、五十三棟が重要文化財に指定されています。
国宝の東西本殿はいずれも「流造(ながれづくり)」という様式です。この流造は全国の神社で最も多い様式ですが、そのはじまりの形をそのまま伝えています。
橋殿 (重要文化財)
御蔭祭(みかげまつり)のとき、御神宝を奉安する御殿。古くは御戸代会(みとしろえ)神事、奏楽、里神楽、倭舞(やまとまい)が行われていた。
また行幸、御幸のさい、公卿、殿上人の控え所と定められていた。
現在は、名月管弦祭、正月神事等、年中祭事のときに神事芸能が奉納される社殿。
式年遷宮寛永五年度(1628)造替後は、二十一年ごとに解体修理が行われる。
入母屋造、檜皮葺、桁行四間、梁間三間。
御蔭祭(みかげまつり)のとき、御神宝を奉安する御殿。古くは御戸代会(みとしろえ)神事、奏楽、里神楽、倭舞(やまとまい)が行われていた。
また行幸、御幸のさい、公卿、殿上人の控え所と定められていた。
現在は、名月管弦祭、正月神事等、年中祭事のときに神事芸能が奉納される社殿。
式年遷宮寛永五年度(1628)造替後は、二十一年ごとに解体修理が行われる。
入母屋造、檜皮葺、桁行四間、梁間三間。
[ 20:16 ] [ 文化財を訪ねて ]
[ 07:43 ] [ 文化財を訪ねて ]
新緑と葵祭(五月)
糺の杜がいちばん美しいと言われる若葉の季節、五月には葵祭が行われます。
行事は、三日の流鏑馬神事からはじまります。平安時代の騎射の伝統により公家装束で行われ、普通の流鏑馬とは趣を異にします。新緑の馬場で人馬一体の妙技が繰り広げられます。五日には武家装束による歩射神事もおこなわれます。
そのころ、斎王代禊の儀がみたらし川の畔で行われます。当神社には、古来「斎王」と呼ばれる特別な制度がありました。ときの天皇の内親王が、当神社の神事に奉仕される制度です。現在もその伝統を継承し、葵祭には市民の中から、その代りの「斎王代」が選ばれます。禊の儀は葵祭に先立ち、十二単衣姿の斎王代が身を清める儀式です、女官役の女性たちも、きらびやかな平安時代の衣裳の姿で参加します。
十二日に御蔭祭(みかげまつり)がおこなわれます。東山三十六峰二番目の御蔭山に鎮座の御蔭神社から、本社のご祭神の荒魂(あらみたま)(新しい年を迎えて若々しいおちからをもたれた神霊のこと)をお迎えする行事で、平安時代の衣裳をつけた百数十人のお迎えの行列は、日本最古の神幸列といわれています。途中、糺の杜・切り芝(きりしば)での還立の儀では、神馬(じんめ)の背に移られたご神霊の神前で、東遊(あずまあそび)とよばれる古代の歌舞が奉奏されます。
十五日には、いよいよ葵祭(正式には賀茂祭)が行われます。葵祭は欽明天皇五年(545)よりはじめられました。平安時代には「まつり」といえば、この葵祭をさし、『源氏物語』や『枕草子』など、さまざまな文学に登場する、日本の代表的なおまつりです。
なかでも御所から下鴨神社へ参向される勅使(天皇のお使)の行列が有名で、現在でも衣冠束帯や十二単衣などの宮人官女が平安絵巻を都大路に繰りひろげます。行列の拝観は京都御所と、下鴨神社糺の杜の緑の中をすすむ雅やかな女人たちを参観することができます(行列拝観席は京都市観光協会にお問い合わせ下さい)当神社に行列が到着すると、社頭では、人々の幸せを析る勅使の御祭文(ごさいもん)(祝詞)奏上、牽馬(ひきうま)(神さまに奉納のお馬をご覧いただく)、東遊(あずまあそび)(舞)がおこなわれ、馬場では走馬(そうめ)(牽馬でご覧いただいたお馬を走らせる)が行われます。(雨天の場合、行列は翌日に順延になります。社頭の儀の参列は当神社社務所にお問い合わせ下さい)
糺の杜の名所(摂・末社など)と四季の行事
賀茂御祖神社(下鴨神社)入場パンフレットより 写真:横山健蔵氏
糺の杜がいちばん美しいと言われる若葉の季節、五月には葵祭が行われます。
行事は、三日の流鏑馬神事からはじまります。平安時代の騎射の伝統により公家装束で行われ、普通の流鏑馬とは趣を異にします。新緑の馬場で人馬一体の妙技が繰り広げられます。五日には武家装束による歩射神事もおこなわれます。
そのころ、斎王代禊の儀がみたらし川の畔で行われます。当神社には、古来「斎王」と呼ばれる特別な制度がありました。ときの天皇の内親王が、当神社の神事に奉仕される制度です。現在もその伝統を継承し、葵祭には市民の中から、その代りの「斎王代」が選ばれます。禊の儀は葵祭に先立ち、十二単衣姿の斎王代が身を清める儀式です、女官役の女性たちも、きらびやかな平安時代の衣裳の姿で参加します。
十二日に御蔭祭(みかげまつり)がおこなわれます。東山三十六峰二番目の御蔭山に鎮座の御蔭神社から、本社のご祭神の荒魂(あらみたま)(新しい年を迎えて若々しいおちからをもたれた神霊のこと)をお迎えする行事で、平安時代の衣裳をつけた百数十人のお迎えの行列は、日本最古の神幸列といわれています。途中、糺の杜・切り芝(きりしば)での還立の儀では、神馬(じんめ)の背に移られたご神霊の神前で、東遊(あずまあそび)とよばれる古代の歌舞が奉奏されます。
十五日には、いよいよ葵祭(正式には賀茂祭)が行われます。葵祭は欽明天皇五年(545)よりはじめられました。平安時代には「まつり」といえば、この葵祭をさし、『源氏物語』や『枕草子』など、さまざまな文学に登場する、日本の代表的なおまつりです。
なかでも御所から下鴨神社へ参向される勅使(天皇のお使)の行列が有名で、現在でも衣冠束帯や十二単衣などの宮人官女が平安絵巻を都大路に繰りひろげます。行列の拝観は京都御所と、下鴨神社糺の杜の緑の中をすすむ雅やかな女人たちを参観することができます(行列拝観席は京都市観光協会にお問い合わせ下さい)当神社に行列が到着すると、社頭では、人々の幸せを析る勅使の御祭文(ごさいもん)(祝詞)奏上、牽馬(ひきうま)(神さまに奉納のお馬をご覧いただく)、東遊(あずまあそび)(舞)がおこなわれ、馬場では走馬(そうめ)(牽馬でご覧いただいたお馬を走らせる)が行われます。(雨天の場合、行列は翌日に順延になります。社頭の儀の参列は当神社社務所にお問い合わせ下さい)
糺の杜の名所(摂・末社など)と四季の行事
賀茂御祖神社(下鴨神社)入場パンフレットより 写真:横山健蔵氏
2006/07/11のBlog
[ 18:15 ] [ 文化財を訪ねて ]
2006/07/10のBlog
[ 19:21 ] [ 文化財を訪ねて ]
[ 06:16 ] [ 文化財を訪ねて ]
賀茂祭御幣物
5月15日賀茂祭に際し天皇陛下からお供えされた御幣物です。
幣物とは、一般的には神様へのお供えの総称ですが、賀茂祭では、平安時代さながらに、あざやかな五色の絹・麻布・麻苧・絹糸・木綿糸などが柳筥に納められ、天皇陛下の思し召しを体された勅使が御神前にお供えになります。賀茂祭は、石清水八幡宮の石清水祭、春日大社の春日祭とともに、日本三大勅使祭とよばれています。当神社の場合、御祭神が二柱のため、毎年二座分を御奉納になられます。
5月15日賀茂祭に際し天皇陛下からお供えされた御幣物です。
幣物とは、一般的には神様へのお供えの総称ですが、賀茂祭では、平安時代さながらに、あざやかな五色の絹・麻布・麻苧・絹糸・木綿糸などが柳筥に納められ、天皇陛下の思し召しを体された勅使が御神前にお供えになります。賀茂祭は、石清水八幡宮の石清水祭、春日大社の春日祭とともに、日本三大勅使祭とよばれています。当神社の場合、御祭神が二柱のため、毎年二座分を御奉納になられます。
勅使祓具一式
小麻をはじめ、人形(ひとがた)・玄米(げんまい)・切麻(きりぬさ)・解縄(ときなわ)で構成される祓具。賀茂祭に際し鳥居内の祓幄(はらいあく)で、勅使みずからお祓いをおつとめされる。人形など陰陽道系の祓具と考えられる。
小麻をはじめ、人形(ひとがた)・玄米(げんまい)・切麻(きりぬさ)・解縄(ときなわ)で構成される祓具。賀茂祭に際し鳥居内の祓幄(はらいあく)で、勅使みずからお祓いをおつとめされる。人形など陰陽道系の祓具と考えられる。
2006/07/09のBlog
[ 19:15 ] [ 文化財を訪ねて ]
大炊殿(おおいどの)重要文化財
寛永五年(1624・江戸前期)の造替。大炊所(おおいどころ)とも呼ばれています。神饌(御供えもの)を調理する社殿で、主にご飯やお餅などの穀物類を調理し、魚鳥類は別棟の贄殿(にえどの)(現在は供御所の一間)で調理するならわしになっていました。
大炊殿は、平安時代の「鴨社古図」にも描かれている歴史的な建造物です。入口の土間には竈(おくどさん)があり、中の間は台所になっており、流し台・用具類・御神料(神饌の材料)などを置きます。ここには「大炊殿の神」がまつってあり、調理をはじめるまえに御祓いが行われます。奥の間は、調理した御神料を盛り付けたり、御神前へお供えする順に配膳棚にならべておく所です。
神社建築のなかでこの種の社殿が現存するのは非常にまれで貴重な社殿です。
写真:奥の間の台盤と配膳棚(資料展示)
寛永五年(1624・江戸前期)の造替。大炊所(おおいどころ)とも呼ばれています。神饌(御供えもの)を調理する社殿で、主にご飯やお餅などの穀物類を調理し、魚鳥類は別棟の贄殿(にえどの)(現在は供御所の一間)で調理するならわしになっていました。
大炊殿は、平安時代の「鴨社古図」にも描かれている歴史的な建造物です。入口の土間には竈(おくどさん)があり、中の間は台所になっており、流し台・用具類・御神料(神饌の材料)などを置きます。ここには「大炊殿の神」がまつってあり、調理をはじめるまえに御祓いが行われます。奥の間は、調理した御神料を盛り付けたり、御神前へお供えする順に配膳棚にならべておく所です。
神社建築のなかでこの種の社殿が現存するのは非常にまれで貴重な社殿です。
写真:奥の間の台盤と配膳棚(資料展示)
2006/07/08のBlog
[ 20:31 ] [ 文化財を訪ねて ]
[ 14:13 ] [ 文化財を訪ねて ]
葵の庭(カリンの庭)
「文明の乱」によって焼失した賀茂斎院御所には双葉葵の自生する「葵の庭」があり、この庭が大炊殿の周りに再興された時にカリンやヌルデ・クチナシ・カツラ・ヤマウコギなど御薬酒用の薬草本も栽培されるようになりました。なかでもカリンの古本が有名となって「カリンの庭」とも呼ばれています。
「文明の乱」によって焼失した賀茂斎院御所には双葉葵の自生する「葵の庭」があり、この庭が大炊殿の周りに再興された時にカリンやヌルデ・クチナシ・カツラ・ヤマウコギなど御薬酒用の薬草本も栽培されるようになりました。なかでもカリンの古本が有名となって「カリンの庭」とも呼ばれています。
御井(みい)重要文化財
寛永五年(1624江戸前期)の造替。上屋を井戸屋、井筒を井戸屋形といいます。正月の「若水神事」をはじめ、神饌料理の御水に用いられました。井戸屋の前に「水ごしらえ場」があります。式内社 末刀社(まとのやしろ)の神が御降臨されるところとの伝承があり、御降臨石に御水桶を置いて神事を行います。
寛永五年(1624江戸前期)の造替。上屋を井戸屋、井筒を井戸屋形といいます。正月の「若水神事」をはじめ、神饌料理の御水に用いられました。井戸屋の前に「水ごしらえ場」があります。式内社 末刀社(まとのやしろ)の神が御降臨されるところとの伝承があり、御降臨石に御水桶を置いて神事を行います。