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なべちゃんの散歩道
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ジャンル: 文化財を訪ねて
Blog数:331件
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2006/06/26のBlog
弘法大師さまのおことば
心暗きときは、すなわち遇う所ことごとく禍(か)なり、
眼(まなこ)明らかなるときは途(みち)に触れて皆宝なり 性霊集

心が暗いときは、どうしても暗く受け取り、どんな幸せもけちをつけて逃してしまう。眼が明らかな時は、どんな道であっても全てが宝物のように光って見える。
いつも「こころのほほえみ」をたたえている人には、この世のことが全て好ましいと目に映る。こころのほほえみは、学歴やお金のあるなしにまったくかかわりなく存在する。不幸せのさなかでも、ぐちひとつこぼさず、ほほえみをたたえている人がいる。ほほえみの人、それは人生のチャンピオンである。東寺
写真:大師堂(御影堂)参拝へ山門をくぐり移動する
京都SKY観光ガイド協会ガイドさんから案内を受ける
国宝大師堂(御影堂)室町時代
創建年代は未詳。弘法大師御在世中の住房で西院(にしのいん)とも呼ばれる。天福元年(1233)仏師康勝法眼が斎戒沐浴して、一刀三禮毎に「南無大師遍照金剛」と唱えつつ彫刻した大師像(重文)と、何面不動堂には大師の念持仏の国宝不動明王(秘仏)が安置され、毎月21日に沢山の参拝者で賑わう(駒札から収録)
お賽銭を供え、手を合わせる会員達
参拝をすませ、太子堂(御影堂)から出る一同
2006/06/25のBlog
金堂を見上げながら京都SKY観光ガイド協会ガイドさんから説明を聞く
南大門-金堂-講堂-食堂が一直線に並んでいる。
写真:手前:講堂、奧:金堂
講堂を後ろに食堂(じきどう)へ向かう
食堂(じきどう) 近代
僧侶が齋事に集まって食事をした場所で創建年代は未詳。896年、理源大師・聖宝により6mの千手観音立像(現宝物館安置)と四天王像を造立。千手堂とも呼ばれ、足利尊氏もここに居住した。昭和5年(1930)12月21日消失、昭和9年4月竣工。春日厨子に納まった十一面観音立像は明珍恒男氏の作である。
入門ゲ-トの側には縁台を置いた、お茶屋さんもあった。
2006/06/24のBlog
講堂内・立体曼荼羅
堂内の白亜の壇上には、大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密厳浄土の世界)です。六躯は後補像ですが、十五躯は平安時代前期を代表するわが国密教像の秀作です(入場パンフレットより
以下同じ)
大日如来像 重文
不動明王 国宝
梵天 国宝
身は高野 心は東寺におさめをく
延暦十三年(七九四)桓武天皇は、動乱の中に奈良から長岡京を経て平安京へと都を遷され、羅城門の東西にそれぞれ大寺を置かれました。現在の京都は御所をはじめとして大部分が東方へずれてしまっていますが、東寺はもとの場所にそのまま残っていて一級史蹟に指定されています。東寺は左寺とも申しますが本格的に活動を始めたのは弘法大師の造営以後であります。
このお寺にはアショーカ王以来の伝統に従って、仏法によって国の平和が護られ、その光が世芥の隅々にまでいきわたるようにということと、それぞれの思想が共に侵さず共存していく原理を見出し仕え、共々に力を合わせ実現されていくようにとの大師の願いが込められています。東寺の伽藍は南大門を入って金堂・講堂、少し隔てて食堂が一直線に置かれ、左右に五重塔と灌頂院が配置されています。塀で区別された境内はそのまま曼茶羅であり蜜厳浄土であります。我々はそこから様々なメッセ-ジを汲み取ることができます。
大師はまた高野山を自らの修禅の場として開かれ、そこで得られた智慧を利他行として東寺で実践されました。生老病死に代表される衆生の苦悩の解決法とその生活への表現が大師の一生でありました。
大師は祈りなき行動は妄動であり、行動なき祈りは妄想であるとの信念から、水なき所に池を据り、橋なき所に橋をかけ、道なき所に道をつけ、食の乏しき者には金を得る方法を教え、病む者のために良医となられたのであります。
 「弘法さん」は毎月21日、大師の今日に催される京の風物詩。境内には千軒以上の露店が並び、20万人以上の人出でにぎわいます。これは大師に寄せる民衆の信仰の深さを表わしているといえましょう。
東寺は平安京以来千二百年の間に幾度も台風、雷火、兵火等の災害を受け、堂塔の大半を消失しましたが、その都度、一般民衆の信仰の力によりもとの姿に再建され、とくに五重塔は古都の玄関の象徴として昔の姿をそのまに伝えて今日に至っております。
また大師の遺品をはじめとする、国宝・重要文化財は国民の宝であります。一人でも多くの方がご参拝下さって平安文化との出会いを通し今の自分を見つめ直し、明日への新しい糧を得ていただければ幸せであります。
東寺境内案内図
平成6年12月15日「世界遺産条約」登録
○東寺の年中行事
初詣(五重塔初層公開)1月1日~5日
修正会(牛玉宝印授与)1月3日
後七日御修法 1月8日~14日
初弘法 1月21日
講堂修正会 1月28日
鎮守八幡菩薩会 春3月15日 秋11月15日
春の彼岸会 3月21日
正御影供 4月21日 灌頂院絵馬(朱馬)ご開帳
降誕会 6月15日
万灯会(盆踊り)8月15日 午後6時より
秋の彼岸会 9月21日
終い弘法 12月21日
大般若会 毎月1目
布薩会 毎月15目
御影供 毎月21目
骨董市 毎月第1日曜日

○拝観時間
夏時間/3月20日~9月19日
 (午前8時30分~午後5時30分)
冬時間/9月20日~3月19日
 (午前8時30分~午後4時30分〉
○宝物館特別公開
春季/3月20日~ 5月25日
秋季/9月20日~11月25日
金堂・薬師三尊・十二神将 重文
金堂本尊の薬師如来坐像と日光、月光の両脇侍菩薩像です。光背上には七躯の化仏を配して七仏薬師をあらわし、台座の周囲には十二神将像を配しています。これら三尊像は桃山時代の犬仏師康正の作で密教的な薬師信仰の形をとどめています(入場パンフレットより)
十二神将 重文
金堂本尊の薬師如来坐像の台座の周囲には十二神将像を配しています。
講堂 重文・室町時代
東寺の創建時にはなかった講堂は、天長二年(825)弘法大師によって着工され、承和二年(835)頃には完成しました。その後大風や地震で大破し、度々修理を重ねてきましたが、文明十八年(1486)の土一揆による戦火で焼失しました。現在の講堂は延徳三年(1491)に再興された建物で、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています。
帝釈天 国宝
金堂・講堂など内部は撮影禁止なので、諸仏像、解説などは全て入場の時にいただいたパンフレットより集録しています
講堂内曼荼羅諸尊配置図
両界曼荼羅(りょうかいまんだら)
 「まんだら」は,仏語で本質を有するものを意味する。両界曼荼羅とは金剛(こんごう)界・胎蔵(たいぞう)界の両曼荼羅で,真言密教の二大経典である金剛頂経・大日(だいにち)経を典拠として密教修法(ずほう)のため描かれた絵画である。仏数的世界観を仏像を借りて図式化している。金剛界はかたくて壊れない金剛不壊(ふえ)の仏法世界を,胎蔵界は生成発展を象徴化し,理と智とは別物ではないという意味の理智不二,表裏一体の表現とみなしている。両者とも真言宗の本尊で万物にあまねく通ずる理智の本体大日如来を中心に,諸分身・諸眷族(けんぞく)・護法の諸神を四方に配置する。胎蔵界は累積的,金剛界は同じ大きさの九つの部分「九会(くえ)」からなる。
 両界曼荼羅は8世紀の初め善無畏(ぜむい)・金剛智(こんごうち)によってインドから中国にもたらされたとみられ,のち空海が師恵果(えか)から伝授され、806(大同元)年、唐から持ち帰ったものを正系「現団曼荼羅」とする。現存最古のものは高雄神護寺(たかおじんごじ)のもので,空海請来の転写であるが,彩色されていない。東寺のものは,もと宮中の真言院にあり,「真言曼荼羅」とよばれる。
南大門と金堂の間に立つ、金銅製六角灯篭
木立に囲まれて立つ金堂
金堂の屋根
金堂 国宝・桃山時代
金堂は東寺一山の本堂で延暦十五年(796)創建されたと伝えられています。文明十八年(1486)に焼失し、今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させたもので、慶長八年(1603)に竣工しました。天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れています。(入場パンフレット)
金堂内諸尊配置図
五重塔に向かい、京都SKY観光ガイド協会ガイドさんから説明を聞く一同
金堂に向かう
金堂前で京都SKY観光ガイド協会ガイドさんの説明を聞く2号車の一同
南大門に向かい京都SKY観光ガイド協会ガイドさんの説明を聞く1号車の一同
南大門
瓢箪池の景観
逆光の五重塔
五重塔
五重塔(国宝)の如来像
南 宝生如来坐像 63.8cm
西 阿弥陀如来坐像 65.1cm
東 阿閤如来坐像 64.8cm
北 不空成熟如来 64.8cm
江戸時代寛永二十一年(1644)
五重塔は寛永十二年(1635)消失したため、同十八年(1641)明正天皇の詔を奉じて、三代将軍家光が大壇那となって寛永二十年(1643)より復興がはじめられた。過去に四度消失しており、五度目の塔となるわけである。初層内部は極彩色が施され、中央心柱を大日如来とし、四方柱に金剛界曼荼羅、四面の側柱に八大竜王、四方の壁には八祖像が描かれ、これら四如来とともに曼荼羅を形成している。
寺伝では長谷川等竹筆とされている。五重塔の初層は、毎年正月三が日だけ一般公開されている。(駒札より)
五重塔 国宝・江戸時代
東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、天長三年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、しばしば災火をうけ、焼失すること四回におよんでいます。現在の塔は寛永二十一年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。
全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落着いて、江戸時代初期の秀作です(入場パンフレットより)
2006/06/23のBlog
高い樹木の間に広がる瓢箪池の上に五重塔が見える
池の岸に咲くつつじが水面に映える
重文 東大門(不開門あかずのもん)鎌倉時代
創建年代は未詳。現在の建物は建久9年(1198)文覚上人の大勧進によって再建。
建武3年(1336)6月30日、新田義貞が決死の覚悟で東寺の足利尊氏を攻め、危機に陥った尊氏は門を閉めて危うく難を逃れることができた故事により「不開門」とも呼ばれている。のち慶長10年に豊臣秀頼が大修理を加えたものと伝えられる(駒札より)
五重塔から歩いてきた方向を写す。亀の乗った小石が浮かぶ。
さざ波が立ち、水面に映った亀の影が面白い。よく見るとただの小石でなく亀の形の亀石だ!大亀の上に中亀、小亀・・が乗り・・大亀の下に中亀、小亀・・が沈む・・
全ての写真は拡大してご覧ください。
2006/06/22のBlog
京都SKY観光ガイド協会:藤木和夫様を囲んで話を聞く1号車の36名
五重塔が近づいてきた
瓢箪池がきれい
池の畔には菖蒲が咲いている。
池の周りは緑の樹木が茂りその間を行く。京都SKY観光ガイド:奥田不美男さまを囲むバス2号車の41名
綾部の文化財を守る会の春の研修旅行は77名の参加で行われました。
早朝6時半、JR綾部駅北口で出発をまつ京都交通観光バス2台
・このブログはHP「綾部の文化財}の準備・下書きです。多数の撮ってきた写真の選択・サイズ・トリミングなどの写真処理、立て札・入場パンフレット・文化財会報などからの記事収録を行っていきます。
・私のPC時間があまりありませんので毎日少しづつ進めます。最初の投稿後にもブログ写真の組み替え、記事の追加などを頻繁に行っていきます。
・その都度再投稿しておきます。例えば駒札の収録は、写真に撮った駒札の内容を筆記で書き出し、文字入力するという作業です。どうかHP編集作業にお付き合いください。
・研修先の情報など皆様からのコメント大歓迎です。記事修正、編集取り込みの参考、励みにさせていただきます。
・HP編集は最後に行う予定なので、Doblog世界での交流の輪は、それ自体また格別のものがあると期待しています。
写真:バス乗車の最後の確認をする研修旅行世話役たち
東寺(金光明四天王教王護国寺)に予定より早く到着、案内の京都SKY観光ガイド協会のお二人が待っておられた。入門ゲ-トから記念写真の撮影場所をチェック。樹木があり五重塔の上層部しか見えない。予定の撮影場所は完全な逆光が予想され出来れば回避したい。
撮影場所を駐車場に変更、2月の下見の時にはなかった「しだれ桜」が植えられ高く大きな養生の鉄パイプ被いが邪魔になる。何とかカメラ視野の端に出来る撮影位置を確保。ところが駐車場に進入する構内道路をまたぐこととなり(多人数なので整列した被写体と五重塔の背景、カメラ位置までの距離が必要)守衛の注意を受ける。あわてて何とか撮影を済ませる。
日本一高い国宝・五重塔をバックに
バス1号車36名、京都SKY観光ガイド協会:藤木和夫様、京都交通バスガイドさん
バス2号車41名、京都SKY観光ガイド:奥田不美男さま、京都交通バスガイドさん
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