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なべちゃんの散歩道
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ジャンル: 文化財を訪ねて
Blog数:331件
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2006/06/04のBlog
秋の文化財・史跡学習会に参加して 1号車 上羽寛一郎氏
奈良見学箇所の綿密で興味を唆る紹介を読み夫婦で参加への相談をしました。二人共足腰の調子が良くない、聞こえの悪い者もいる、どうしょうかと云う事です。
 先ず迷惑をかけない事、欲張りすぎない事、印象に残るものを見つけよう、と三つを決めて当日を迎えました。朝の挨拶と皆さんの笑顔で心は奈良へ。
 東大寺駐車場に下りて歩き始めた時「迷惑をかけるのでは」と二人に予感が走り、ついて行くのに精一杯。記念撮影の後、東大寺に入り、椅子に座って眺める緑の芝生と桜もみじの枝越しに青空をバックにして輝く甍の美しさ。その前で本山勧学院々長の佐保山堯春師のお話、もう一寸と声が大きければよかったのにと思いました。しかし後日、事務局の方より聞いた話では、手術後で声が上手に出なかったとの事で納得。
 東大寺の中に入り虞舎那仏の特別拝観、蓮弁の毛彫画の由来を聞き目の前に見て確かめる事の出来たのは幸いでした。
 次に大釣鐘から三月堂へ、坂と石段は苦手で足元が気になり風景を賞でる事も無く三月堂へ。三月堂の前はよく通りましたが、堂内の文化財を拝観するのは初めてです。堂内の不空羂索観音像に接した時には厳かな感じに包まれました。王冠は世界で三番とか。驚きとその時代の文化の高さに感銘しました。
 次には二月堂、テレビ放映でお水とり、松明の火の粉の舞、堂上からの奈良一望の景観が思い出だされましたが石段を見て二人共ギブアップ。ところが救う神ならぬ女性ガイドさんが「折角の文化財史跡の学習ですので私がご案内を」と親切にお水とりの様子、松明やその日の行、宿舎生活等懇切な説明に疲れも飛びちりました。参道を下り振り返り見る景色は印象に残っています。昼は「なら和み館」でなごやかな内に時が流れ、土産物も買い揃え最後の興福寺国宝館へ。
 館内の数々の像の拝観を通し時代の変化の様子をよく理解する事が出来ました。後は自由行動にでかけました。文化財の補修工事が目につきました。完成にはまだ数十年かかるとの由、文化財を守るむずかしさを感じました。
 帰路はお世話になった方々に感謝しながら車の快い響きの中にひき込まれました。史跡学習会の思い出を語り合うのが楽しみです。
2006/06/03のBlog
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第11回秋の史跡学習会 み仏の街―古都・奈良 2号車 顧問 井根町 辻本不二男氏
さわやかな秋晴れにめぐまれた11月17日、会員78名を乗せた2台のバスは、午前七時綾部駅を出発、み仏の街:奈良へと向かった。目指すは古都奈良のシンボルとして、その双璧である東大寺と興福寺。
 近年は体調への不安から、参加を見合わせていたが、今回はこの素晴らしい企画にその懸念も吹っ飛び、喜んで参加した。
 あおによし奈良の都は咲く花の云々、と万葉集に歌われている奈良は、
○シルクロードの東端に位置して「大陸文化の窓」であった街
○仏教文化をはじめ、日本の政治の中心として千三百年の歴史が刻み込まれた街
○国宝や重要文化財が多く犇めいて、「文化財の宝庫」となっている街
等で人々を惹きつける大きな魅力をひめた街である。
 最初に訪れたのは華厳宗の大本山である東大寺、全国に仏教を広める大きな役割を果たした官立寺で大仏さんをはじめ28もの国宝や多くの重要文化財を有する大伽藍である。
 早速大仏さんに詣でて合掌、毎度のことながら世界最大の金銅仏(像高約15米、重さ380トン)の威容に圧倒された。
 副会長・宮本太資氏のお知り合いの誼で寺内の宝珠院住職・本山勧学院々長の佐保山堯春師の御説明をうけ、特別の御取り計らいで基盤に登壇を許され、大仏さんの台座に触れながら、その周囲を廻り、更に詳しいお話が伺えたのは、まことに幸運であった。
 大仏殿は現存する木造建築物では世界でも最大級とされている。江戸中期の再建であるが、良材の確保に苦しみ、日向の国の山深くに在った松の巨木が、最も重要な本柱に選ばれ、漸く建立を可能にしたという。海路や河川は曳航されたが陸路の輸送は困難をきわめ、数千人で数カ月も要したと伝えているので、その柱はどれか興味をもって尋ねたが「一般の人には見えない処に立てられています。」とのことで、まことに残念であった。
 大仏の開眼供養は、日本に仏教が伝来後、奇しくも二百年後にあたり、仏教による国家鎮護と、発展した国力をアジア諸国に誇示する戦略で実現したものであった。使用された大量の銅は、長登(ながのぼり)銅山(現・山口県美東町)で発掘されたが、夥しい多くの人々が採掘夫として動員され、作業は困難をきわめ、過酷な労働から逃散する人が連日跡を絶たなかったと伝え、その後奈良の建設現場では全国から多くのボランテイアが馳せ参じ、作業はいとも快調に進んだという。この明暗二ツの史実を思い浮べながら仰ぎ見た大仏さんは、そんな世俗を越えて超然とし、永遠におだやかできびしくもあるお顔であった。
 大仏殿前に据えられた金銅八角燈籠は、周囲の建造物が消失と再建をくりかえした中で、珍しく天平時代の代表的工芸として残された貴重ものであるが、足を止め関心を示す人が少なかったのは、いささか意外で惜しまれた。南大門の左右に屹立する巨きな阿吽の仁王像は、折悪しく日光の光線が暗くてよく拝見できず、期待外れで残念であった。

 次に訪れたのは奈良の中心街にある興福寺で法相宗の大本山である。奈良、平安時代にかけて日本の政治と文化の中心を占め、大いに権勢を振るった藤原氏の氏寺であった。その故にか26の国宝と多くの重要文化財が集中して、国内でも有数の仏教彫刻の宝庫となっている。境内に設置された国宝館にはそれらを展示して参詣者に便宜をはかっていた。
 その中でも一基わ目を惹くのは、天平彫刻の中でも永遠の名品とされている阿修羅像、百済の国から渡来した工人がもたらした脱活乾漆の製法と勝れた職人の業がこの逸品を生んだという。三ツの顔と六本の腕によって立つ姿は、「卓越した技術に支えられ、少年のような清純さと神秘性をあわせもっている」。との識者の解説を思い起こして素直に頷きながら、容易に立ち去り難かった。
 50米の高さでそびえる五重塔は、場所柄も良く実に堂々として古都奈良の象徴としての風格を備え、凛々しい佇まいであった。幕末から明治のはじめにかけて吹き荒れた廃仏毀釈の嵐によりこの塔も風呂屋の燃料として危うく取壊されそうになったという受難の話は有名であるが、天平時代の創建以来、消失、再建を5度も繰り返し、現在のものは室町時代の建築である事等は全く知らなかったが、今回はじめて学んだ。ともあれその外観は奈良の中心街と実によく調和しており、各号車毎の記念写真もその塔をバックに撮された。
 帰途についたバスの中は、酒や唄による乱れがまったくなく、今日一日の見聞を思い起こして温めるのに相応しい雰囲気に満ちていた。
2006/05/03のBlog
綾部の文化財を守る会の春の研修旅行は、6月6日(火)です。
世界文化遺産・京都の国宝を訪ねて(東寺・上賀茂神社・下鴨神社)研修会参加者募集しています。会報からHP「綾部の文化財」に転載しました。
2006/03/23のBlog
平成18年度第38回春の研修旅行は、「世界文化遺産・京都の国宝を訪ねて」と称し、東寺(金光明四天王教王護国寺)古儀真言宗東寺派総本山で正に「国宝の山」であります。特に、講堂の弘法大師空海が仏教で国や人々を救うための「立体曼荼羅」は素晴らしいものです。

 午後は上賀茂神社(賀茂別雷神社)山城の国一ノ宮で、勅旨が訪れる特別な行事にしか拝見できない「国宝・本殿と権殿」を私達、「綾部の文化財を守る会」のために特別なご好意で2回に分け、権宮司様又は禰宜の方の案内で特別参拝をします。
更に、下鴨神社(賀茂御祖神社)では「方丈記」を書いて有名になった摂社「河合神社」国指定史跡「礼の森」を少し、散策しながら、本社へ参り世界文化遺産登録記念でご開帳「大炊殿、御井、カリンの庭」を見学します。

実施日: 6月6日(火)JR綾部駅 朝7時出発、山家バス停7時5分 帰着18:10頃
費 用: お一人9,000円(特別拝観料、昼食代、手作り記念写真2枚込み。)
 但し、会員外の方は、年会費1,000円が必要です。(会報62号、秋の63号を差し上げます。)
申込先: 綾部の文化財を守る会 事務局長 四方 續夫
〒623-0004 綾部市多田町後路28
「綾部の文化財を守る会」事務局 四方續夫 宛
参加希望全員の氏名、住所、電話番号を記入して申し込みください。費用は当日収受します。2・1号車の指定をした葉書を事務局:四方より当人宛出します。締め切りは、5月17日予定。
2006/03/22のBlog
京都・足利尊氏ゆかりの寺院を訪ねて
銀閣寺(東山慈照寺)
相国寺
持院
金閣寺(鹿苑寺)
清明神社
西陣織会館

2006/03/21のBlog
第三十六回春の研修旅行に参加して 2号車 十倉名畑町 K・K 様
 出発前夜、「明日は研修旅行で京都市内に行ける!」特に銀閣寺・相国寺・等持院・金閣寺と懐かしい名前を思いつつ寝付かれなかった。
 京都に生まれ主人の郷里・綾部へ帰綾するまで、51年間この4ヶ寺の近くや前を通りすぎることがあっても、参観する機会がなかった。
 次々と、聞き覚えのある道路を通り、銀閣寺の庭に、降りたった時は良いお天気にもかかわらず、苔の素晴らしい緑にはびっくり。でもどこかで見たような風景、それもそのはず、義政公が身ら、西芳寺へ足を運び参考にして造園されたとか。
 私事ですが、私の実家は西芳寺の近くで、来客が有るときはよく西芳寺を案内した所以でしょう。
 総門から中門にかけての生垣には、またびっくり、始めて目にする石垣、竹垣、椿と三段生垣、椿の見事に咲いた様子を思い浮かべ、相国寺(しょうこくじ)に向かう。
京都に居ながらそう国寺と呼んでいたので、勉強になりました。法堂の狩野光信の「蟠龍図(ばんりゅうず)」を中心に丸く回って、何処から見ても、龍に見つめられていて印象的でした。庫裡の香積院の外観は天竜寺(嵐山)を思い出しました。
 等持院には尊氏公の本当のお墓・宝篋印塔(ほうきょういんとう)が有りここから、関係寺院に分骨されたとのこと。 足利将軍家歴代二百三十有余年の菩提所とそれにまつわる文化財はあまりにも有名でした。
 金閣寺は昭和25年焼失、30年に再建、其の後、書物やテレビで時々登場するのを見ていてあまり私は好まなかった。
 西園寺公から譲渡された時は、侘び、寂の、静かな山荘だった筈。義満公は何故金閣にしたのか等考えながら、金閣寺を前にした。今午後の陽を浴び、少し影を池に落とした金閣(舎利殿)は想像以上に美しかった。今日は最高の一日でした。
2006/03/20のBlog
「守る会」春の研修旅行に参加して 1号車 中筋町 K・Y 様
 当会の研修旅行に参加するのは、昨年の春の第35回「湖都・大津の国宝を訪ねて」に参加して以来、2回目です。家内は友人と毎回参加しておりますが、私の場合は仕事柄特に秋の参加は難しく、昨年の南河内郡の聖徳太子の廟は残念ながら参加することができませんでした。
 今回は友人で事務局の四方續夫君から、銀閣寺の苔の庭園は本家の西芳寺より美しくなっており是非見るべきだ、とすすめて頂いたので大いに期待し、近所の方もお誘いして参加しました。かの有名な三段垣の「銀閣寺垣」も素晴らしく、又、庭園の苔や高台の展望台から眺める銀閣・東求堂も期待どおりの絶景でした。

 更に相国寺、等持院、金閣寺を見学しましたが、相国寺の「宣明(浴室)」は面白く、「宣(せん)明(みょう)」と称せられるのは、皇室、及び将軍家に限られており、足利義満が創建した相国寺の浴室も「宣明」と称せられ、鎌倉時代の禅宗(臨済宗)の寺で唯一残っているもので、「宣明(浴室)は修行の場であった。」と説明を受け、大変興味深く見学させて頂きました。
又、帰りのバスの中で上映されたビデオで見た金閣寺の金箔は、従来の五倍もの厚さや貼り方・漆の塗り方等造形物としての文化財を学び大いに勉強になりました。

 一方、家に帰り、身に付けて行った万歩計を見ると1万3千歩余りを数えており、「随分と歩いたもんだなあー」とこれ又感心致しました。研修旅行にはまだ2回しか参加しておりませんが、毎回学習目的・テーマを明らかにして資料を整え、下見も行って、十分準備をした上で実施されており一般観光旅行とは一味違う、中身の濃い見ごたえのある旅行であり、さすが「文化財を守る会」の主催であると高く評価するとともに、他の方々にも自信を持っておすすめできる研修旅行であると確信致しました。
 秋の研修旅行「古代丹波の分国、丹後半島一周」コースは文化財・史跡学習に加えて、紅葉の丹後半島や、松葉ガニも目に浮かべ、今から楽しみにしております。
この時代の禅宗の背景と足利尊氏
五山について
慈照寺(銀閣寺・大本山相国寺派)
相国寺(萬年山相国承天禅寺)相国寺派大本山
春の特別展を見る
等持院(天竜寺由緒寺院)
鹿苑寺(金閣寺・大本山相国寺派 山外塔頭・世界文化遺産登録)
2006/03/19のBlog
[ 16:58 ] [ 文化財を訪ねて ]
第九回秋の史跡学習会「なにわの国史跡見学」
叡福寺(えいふくじ)の起源と聖徳太子を祀る御廟
磯長山 叡福寺
推古陵古墳(磯長山田陵)
大阪府立近(ちか)つ飛鳥(あすか)博物館
和宗総本山 四天王寺
大阪市立東洋陶磁美術館
[ 14:51 ] [ 文化財を訪ねて ]
「なにわの史跡一日の旅」 白道路町 U・H 様
 去る十一月十四日、久し振りの快晴の一日「なにわの国史跡見学」に参加させて頂きました。車中、機関誌57号の案内を繰り返し拝読、その上に、別冊子の参考資料を下さり聖徳太子と十七條憲法の解説や四天王寺の説明等、興味を持って読ませていただきました。
 今回もこの様な資料を作り準備をして下さった事務局の皆様や関係の皆様に心から感謝している次第です。ありがとうございました。
 さて、先ず始めは聖徳太子御廟所の磯長山 叡福寺でした。境内の建物はすべて時代を経た見事なもので廟の雰囲気に完全に溶け合っている様に感じました。
 中でも重文の多宝塔や聖霊殿は美しい姿でした。しかし、何と云っても母后穴穂部間人皇女と妃膳部大郎女と太子が埋葬されている太子廟でした。まだお若い住職が説明して下さいましたが直線上に重なる様に配置された三段の屋根は印象に残る建物でした。また、弘法大師が築かれたという490体の結界石のお話も心に残りました。機会があればいま一度訪れたい寺院の一つであります。
 車中推古天皇陵を遙拝し、次に近つ飛鳥博物館を見学しました。安藤忠雄氏設計の見事なコンクリートの造形と敷石による建物の印象が強く仁徳天皇陵の模型や埴輪の数々など記憶が薄れてしまいました。ただ、昭和53年に藤井寺市で出土した「修羅」は何とも見事なものでした。館内急ぎ見学で、大阪の昼食の「づぼらや新世界店」へと移動しました。特においしかったとの印象はありませんでしたが「やっと昼食にありつけた」という感じの時刻となっていました。
 次は聖徳太子が建立されたと云われる四天王寺を見学しました。車中配布して下さった資料など読ませていただき四天王寺について少しだけ勉強させて頂きましたが、四天王寺についてはほとんど知りませんでした。大阪の町中にこの様な荘厳な寺院、境内がある事など不思議な気がします。ましてや幾度も火災や戦火に遭遇しながら、今も不死鳥のように昔の創建当時の姿を伝えているのは驚きであります。資料の四天王寺縁起を読ませていただくと今もその姿を保っていることの意味が分かる気がします。本坊庭園「極楽浄土の庭」も見学させて頂きましたが「白道」の路もその名の由来に興味をそそられました。

 最後の「大阪市立東洋陶磁美術館」では開設にかかわる説明や展示品の案内をしていただいた後、二班に分かれ館員の引率によって展示品の解説を受けながら見学しました。私には陶芸の事は解りませんが、国宝である「飛青磁花生」の端正な美しい曲線とバランスの良さ、肌色の透明な青磁の美しさに魅せられました。
 もう一つの国宝「油滴天目茶碗」も美しく、いつまでも眺めていたい様に思いました。最後になりましたが、今日一日、運転手さんやガイドさんのお心配りにより安全で楽しい見学会とさせて頂き有り難うございました。
(注)「白道」とは二河と云う地獄の真ん中にあり極楽浄土に至る細い道の事を言い、極楽浄土を目指し善根を尽くした人にはこの「白道」が見え進む事が出来ると仏法は教えています。
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