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なべちゃんの散歩道
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ジャンル: 文化財を訪ねて
Blog数:331件
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2006/03/19のBlog
秋の史跡学習会に参加して 神宮寺町 U・Y 様
 前日まで、冷たい秋雨が降り続いていましたのがまるで嘘のように晴れ上がり、素晴らしい秋晴れに恵まれた「なにわの国史跡見学」の一日でした。
 やや早い午前6時45分、綾部駅北口に集合。高速道路で一路南河内郡へ。最初の訪問地は聖徳太子・磯長御廟で雨上がりの澄みきった秋空の下にありました。この御廟をお護りするために建てられたお寺が叡福寺で、そこのお坊さんから故事来歴について、懇切丁寧な説明を受けた上で参拝させて頂きました。
 京都市内のお寺にも、天皇陵や皇族たちの御廟・お墓のあるところは少なくありませんが、こんなに立派に整備されている所ばかりではありませんので、太子信仰の大きさを痛感させられました。バスの中からでしたが、近くの推古陵(磯長山田陵)も拝することも出来ました。それは、聖徳太子・磯長御廟とともに、歴史書や教科書の写真では、しばしば目にしてきましたが、直接訪ねることが出来て感慨も一入でした。
 続いて大阪府立近つ飛鳥博物館を見学。主にこの近辺で発掘されました古代・古墳時代に関する遺物や関連模型が展示されていました。専門家の村上副会長のご推奨とか、時間を掛けて丹念に見学していくと「この道の虜にされる」のではないかとおもいました。

 午後は四天王寺を参拝。ここは交通機関も便利ですから、何時でもお参り出来ると思いながら、ついついその機会に恵まれませんでしたので、感慨も格別でした。「大阪みなみ」のど真ん中でこれ程広い境内、そして歴史上重要な伽藍と立派な庭園。そしてその静寂さに本当に驚きました。
 同じ聖徳太子の関わる古刹でありながら、戦災のために灰塵に帰したものを復興したもので、建物にも仏像にも、あの法隆寺のような歴史の厚みはありませんでした。しかし我が国最古の仏教の伽藍配置の様式といわれる中門、塔、金堂、講堂を一直線上にならべた「四天王寺式」を目の当たりにすれば、それはそれなりに、重要な史跡としてお参り出来たことに感謝しました。

 最後は大阪市立東洋陶磁美術館の見学でした。ここには二点の国宝を始めとして素晴らしい陶磁器の展示を見学できました。ただ茶道を嗜まれる方々には、特に時間的な余裕が無かったことが残念だったのではなかったかと思われましたが、それも今回をその序曲として、改めて十分に時間を掛けてお訪ねになれば宜しいかと思いました。またそのような方々は、多分これまでにも何回か入館されているかもしれません。
 何れにしましても、短い時間の間に、大変盛り沢山の日程を無事達成していただきました役員・事務局の各位に感謝申し上げます。
2006/03/18のBlog
[ 19:32 ] [ 文化財を訪ねて ]
西国第十三番 東寺真言宗大本山 石山寺
西国十四番天台寺門宗総本山 園城寺(三井寺)
近江神宮(祭神天智天皇)時計博物館
日吉大社(山王総本宮)
湖都・大津の文化財を訪ねて 位田町 M・K 様
 まず、初めに訪れたのが紫式部が源氏物語の構想を練ったところと言われている西国三十三ヶ所十三番であり、「石の秋月」として有名な八光山・石山寺。
 いかめしい仁王像が盻(にら)みをきかす東大門をくぐると、両脇の塔頭の白壁の間に参道が開け、「大理石のくぐり岩」が興味を誘う。天平時代からあるこの奇岩は胎内くぐりの岩とされ「石山詣」で多くの人がくぐった名残を岸壁のすり減り具合で示されていた。
創建当時よりそびえる老杉に見下ろされながら石段を登ると、目に飛び込んで来たのが、広場の正面、天然記念物の硅(けい)灰(かい)石(せき)が作る岩塊で、この寺が石山寺と呼ばれる所以も実感できた。
 三万六千坪の広い境内には、源頼朝が建立した国宝の多宝塔や本堂の他、蓮如堂、鐘楼などの建物が建つ。仏像や石山寺一切経など国宝や重文も多い。
 また、石山寺は、平安文学の舞台ともなった「源氏物語」の須磨・明石の巻をここで綴ったことをはじめ、「蜻蛉日記」「和泉式部日記」「枕草子」「更級日記」にも登場し、女人を引きつける霊場であったに違いない。丁度訪れた時に、豊浄殿では「紫式部展」が開催されていて、紫式部への思いと理解が一段と豊かになった心地でした 境内には、季節の花が彩り「花の寺」としても名高いので、再び訪れたい感情を残し、寺を後にした。
 次に訪れたのは、眼下に琵琶湖を望める弁慶ゆかりの寺、西国三十三ヶ所十四番長等山・園城寺(三井寺)である。
 仁王門手前の城郭を思わせる穴(あ)太(のう)積(づ)みの石垣を過ぎると、三井寺の境内に入る。今は静寂の中にある三井寺だが、かっては山門派と同門同士で激しい争いが繰り広げられた歴史の一端を、その石垣は語っているようだ。見所は、「弁慶の引摺鐘」「三井寺の晩鐘」として知られる霊鐘堂の鐘、国宝の金堂、三重塔、一切経蔵、食堂など重文建築も多い。札所の観音堂は、大門の左手奥、境内の北部にある。静寂で厳かな寺にあって、庶民的な温かさの漂う一角で、線香の煙が絶えないように感じられ、琵琶湖の眺めに、しばし遠い昔に思いを寄せていた。
 三番目は、一九四0年(昭和十五年)に紀元二六00年を記念して創建された神社で、大津都を造営した天智天皇を祀っている近江神宮である。境内には、祝詞(のりと)殿(でん)、拝殿と棟続きで檜(ひのき)素(しら)木(き)の流造(ながれづく)りの本殿、朱塗りの楼門が厳かに立っていた。時計博物館では、天智天皇が日本で初めて作った漏刻(ろうこく)(水時計)の復元模型や世界最高精度の日時計、世界各地の時計等が展示され時計の歴史やデザインの変遷を肌で感じ有意義であった。
 四番目は、八王子山の麓に広がり、山王さんと呼ばれる日吉大社である。全国にある三、八00以上ある日吉大社の総本宮。2000年の歴史を持つ古社で、延暦寺の守護神として栄えた。40万平方メートルの広大な境内には、東西両本宮を中心に室町時代後期から江戸時代初期に建立された108の社が鎮まっています。桃山期創建の西本宮本殿、東本宮本殿ともに、「日吉造(ひえずくり)」「聖(しょう)帝造(ていづくり)」とも呼ばれ国宝に指定されている。大宮橋、山王鳥居、下殿等、国宝・重文も多い。
特に印象に残ったのは、4月12日から15日の山王祭に使用される神輿の豪華な飾道具で、当時の工芸技術が集められ、見ごたえがあり神宝の美に心を打たれた。
 今日一日、四ヶ所を訪れ、歩く距離も多かったが、ボランテイアガイドさんの豊富で楽しい説明に酔いしびれながら、恵まれた天候の中、心身ともにリフレッシュでき、湖都の歴史の豊かさ、風光明媚、多くの文化財に接し充実した有意義なひとときを過ごすことができました。お世話いただいいた皆様ありがとうございました。
写真:西国十四番天台寺門宗総本山 園城寺(三井寺)にて 2号車
春の研修旅行に参加して 下原町 S・M 様
なるほど石山寺
東大門をくぐり参道を進む。石段を上がり詰めると正面に巨石が立ちはだかる。本堂も巨石の上に建てられて居るとか。石山寺とは単なる固有名詞と思っていたが、まさに名は体を表す。
 紫式部が須磨の巻きの構想を練ったと伝えられる「源氏の間」はこの本堂の横にある。広々とした明るい寝殿造りの部屋を想像していたが実物は窓一つしか無い薄暗い、まるで独房のような部屋であったのにはショックを受けた。そういえばバルザックも昼間でもカーテンを閉め、暗い部屋でランプの灯火の下で数々の傑作をものにしたのを思い出す。こうゆう環境が精神集中に適しているのだろうか。源氏が須磨へ都落ちせざるをえなくなったいきさつ、宮廷内の陰湿な権力争い、朧月夜の君との道ならぬ情事などがこの部屋で構想されたのかと、うたた感無量。
園城寺(三井寺)
国宝金堂の脇に三井晩鐘の鐘楼がある。「三井の晩鐘」として日本三銘鐘に数えられるそうだが、その音色を聞くことが出来なかったのは残念。テレビを通して除夜の鐘で聞いた音色を思い出すのみ。
近江神宮
 昭和十五年皇紀2600年を記念して創建された神社で壮麗な社殿ではあるが、あまりありがた味は感じられなかった。
日吉大社
 三輪山と同じく山を御神体とする山岳信仰の霊場で日本の原始宗教の原点を見る思い。以上、独断と偏見で感想を述べさせて頂きました。
 使える所はすべて高速道路を利用して、極力移動の時間を切り詰め、研修の時間を確保して頂いたことは大変有り難かったと思います。お陰でじっくり落ち着いて見学でき、密度の濃い研修をさせて頂きました。役員の皆さんのご尽力に感謝いたします。
 ちなみに四方續夫夫人の万歩計によれば当日の行程は一万一千歩とか。皆さんの健脚ぶりに敬意を表します。
写真:西国第十三番 東寺真言宗大本山 石山寺にて 1号車
2005/12/12のBlog
興福寺東金堂
五重の塔
国宝館
南円堂
北円堂
三重の塔
猿沢の池
記念写真(五重の塔にて)
奈良和み館(昼食))
国宝の五重塔を目指していくと、横断道路があります。そこを渡ると目の下に、懐かしの「猿沢池」があります。そこから、更に南へと歩いていきますと今、有名な奈良町センター街へでます。買い物やお茶を一服飲んで休む等の楽しみもあります。
 春日大社の見学も可能で、五重塔へ向かい、そこから東へ向かうと、「春日大社一の鳥居」がありその奥が「春日大社」です。
 又少し、歩いて頑張れば先ほどの東大寺の「国宝・戒壇院・内部の四天王像(国宝)が有名」拝観料500・と「正倉院」外部のみ見学可能へ行けます
写真:興福寺周辺の紅葉を楽しむ。南円堂の石段を下りて。
猿沢の池ほとり
見事な紅葉
黄色もきれい
紅葉ごしに南円堂の屋根をみる
猿沢の池:ポランティア・ガイドさんを囲んで
猿沢の池、かなり広い
亀が沈木に群がっていた。一万年生きる亀は、平城京の昔を知っているのかな。
広々とした猿沢の池。木立が影を落としている
猿沢の池を巡る遊歩道を散策
鹿と遊ぶ
紅葉と鹿
中金堂跡を横切る鹿、五重塔を背景に
南円堂のそばの石段を下りると、祭壇があり参拝されていた。右手に三重塔(国宝)が建つ
猿沢の池に下りていく。バス仲間が集まっている。
北円堂(国宝)
 興福寺の創健者、藤原不比等の一周忌にあたる養老五年(721)に慰霊のため元明太上天皇と元正天皇のほつがん発願により建てられた。興福寺の北西隅に建ち、仏堂としては珍しい八角堂。現在の建物は承元四年(1210)に再建されたもので、創建当時の姿を良く残し、構造の細部は、貫の使用など、鎌倉時代の大仏様の技法を取り入れ強化が図られている。
 総高15.2メートルの規模をもつ八角堂は鎌倉初期の名建築である。
三重塔(国宝)
 南円堂から猿沢池への石段へ降りる途中にあり、平安時代に建立されたものですが、現存のものは、建立年代が定かでないが、鎌倉初期に藤原様式で体験されたもので高さ18メートル。
興福寺北参道
世界文化遺産
記念の石標
南円堂(県文化財)
 西国三十三箇所九番札所。北円堂と対になる八角円堂。現在の堂は江戸時代・寛政元年(1789)に再建されたもので、国宝の像は「興福寺国宝館」で拝見してきた。
南円堂(県文化財)へ向かう
大きなカメラを持って写真を撮っていると、修学旅行の生徒グル-プから写真撮影を頼まれる。気持ちよく引き受けて、各自好きなポ-ズをするように話しかけて撮る。大抵はフィルム・カメラと云うのか、使い捨てが多い。また小型カメラのグル-プもあり、一つのカメラを仲間で使い、互いに写しっこしているが、時には全員で撮って欲しくて、写真に強そうな人を見込んで頼んでくる。大体同じあたりをぶらついているので、帰りに何処から来たのなど声をかける。愛知県など、結構遠くから来ているようだ。
南円堂
南円堂
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