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なべちゃんの散歩道
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ジャンル: 文化財を訪ねて
Blog数:331件
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2005/06/09のBlog
如意輪寺への下り道を歩く
如意輪寺山門
楠木正行公の由縁が書かれた立て札
山門をくぐり抜けて
如意林寺本堂前で
南朝勅願寺であった如意輪寺宝物殿の展示より。
後醍醐天皇御祈りの図、植中直斎筆。金剛蔵王権現に天下泰平を祈願される様子。
後醍醐天皇陵
元弘三年(1333)専横の北条幕府を倒し、建武中興をなしとげた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため京都をのがれ、延元元年吉野に行幸、以来吉野宮に過ごされた。当山は叡信特にあつく吉野町の勅願所となった。延元4年(1339)天皇は病床につかれ「身はたとへ南山の苔に埋むるとも、魂魄は常に北闕の天を望まん」と都をあこがれつつ、ついに崩御された。天皇の御遺骸をそのまま当時の裏山に葬られたのが塔尾稜である。
宝物殿に掛けられた多数の絵画の一部より。
後醍醐天皇と楠木正行
次帝後村上天皇の正平2年12月27日(1347)楠木正行公の一族郎党143人が、四条畷(大阪府)の決戦(足利武将:高師直との戦)に向かうに当たり、吉野の皇居に天皇と今生の別れを告げ、先帝の御陵に参拝の後、
如意輪堂に詣で、髷を切って仏前に奉納、過去帳に姓名を残し、最後に、正行公は鏃をもって御堂の扉に「かえらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」と辞世の歌を残して四条畷に向かったが、衆寡敵せず、弟正時と共に最期をとげた。時に年23才である。
如意輪寺多宝塔、御本尊阿弥陀如来、総欅造りの納骨堂
[関連したBlog]
6月8日にバス2台80名で訪れた、綾部の文化財を守る会の研修旅行「世界遺産登録・吉野の国宝と文化財を訪ねて」のレポ-ト作成が、参加者の記念写真を整理しただけで遅れていた。会社のイントラネットがISDNからADSLに代わり、そのル-タ-の変更に手間取っていたのが原因だが、やっと解決をみた。
如意輪寺宝物殿の天井にある日本最大如意輪観世御菩薩画像(ねおがみの観音)御本尊如意輪観世音をモデルに画いた、日本最大の油絵像である。馬堀喜孝筆
阿弥陀如来木造(重文)
愛善明王木造:江戸時代
三千仏画像
不動明王木造(室町)
写真撮影は許可されているが、フラッシュは不可。ガラスケ-スごしの撮影で、室内は暗く、照明や外光が反射して、まともに撮れないかった。
綾部の文化財を守る会の今春の研修旅行は、心配された梅雨入りが延び、好天気の中で実施されました。参加人数80名。
日本最大秘仏、国宝・金剛蔵王権現像の特別ご開帳を拝観しながら、金峯山寺宗務総長:田中利典師の法話を拝聴し、さらに蔵王権現本地堂に移って、蔵王権現の本地仏:釈迦・千手観音・弥勒の三尊を前に同師のご法話を拝聴、続いて蔵王権現堂をバックに記念写真を田中利典師にも入っていただいて撮影しました。
楠木正行公の遺物のある如意輪寺本堂を前に、一号車の皆さん。
1号車 吉野町観光ボランテアガイド 田原信夫さん
同じく2号車の皆さんの記念撮影。
HP写真撮影の傍ら、記念写真係を勤めました。
2号車 吉野町観光ボランテアガイドの会々長・富田良一さん
2004/12/03のBlog
[ 22:24 ] [ 文化財を訪ねて ]
35周年記念式典に会員の片山・鐙さまが昔の研修旅行の記念写真を持って見え、会場に張り出しました。
スキャナ-撮りしてHPにしました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/kensyu/kirokupic.htm
古い記録写真の初提供です。
安国寺?、第10回氷上の文化、なすのよいち即成院の文字が見える3枚です。
25年前~30年前頃。
私の母や亡父、故木下礼次、故梅原三郎先生なども写っており、現存の方々も含め、皆様の何と若々しいこと!
2004/11/22のBlog
秋の文化財・史跡学習会に参加して 2号車 里町 S・A 様
 去る十一月十六日頭書の学習会に参加しました。
当日は生憎の天気で「秋しぐれ猿も小蓑をほしげなり」名句の通りの薄ら寒い時々小雨の降る日でありましたが、見学は予定通り行われ多大の学習と楽しさを満喫できた旅でした。
 見学箇所は、
1.豪商・稲葉本家(平成十五年国登録有形文化財指定・久美浜町)
2.関西花の寺・第七番札所・宝珠山・日切不動尊 如意寺(久美浜町)
3.浦嶋神社と宝物館(伊根町)
4.丹後一ノ宮元伊勢籠(この)神社(宮津市)
5.「重要文化財指定記念・秋の特別展」京都府立丹後郷土資料館(宮津市)
以上を見学して廻りましたが、それぞれに事務局担当の詳細な解説があり、宮司さんの丹波王国に関する貴重なお話を聞くこともできました。初会以来毎回のように参加しておりますが、所謂観光ルートでは見られない掘り出し物の名所旧跡を案内してもらって心豊かな学習を積み重ねております。その喜びや学習の奥深さは迚(とて)も紙面では語れるものではありません。矢張り直接体験に勝るものはありませんので、是非今後も多勢の方々の参加を期待しております。
[ 21:22 ] [ 文化財を訪ねて ]
秋期学習会に参加して 1号車 位田町 S・K 様
 肌寒くしぐれた一日でしたが、かえって車中からは、しっとりした晩秋の景色を楽しむことができました。久美浜の稲葉本家では地元の「長」として「お上」と民との間で長く続いた大きな「家」を守ってゆくことの難しさもさることながら、まず一番に「そうじが大変やったやろねー」とか「冬・寒かったやろねー」と言いあいながら見学しました。
 同じ久美浜の如意寺では和尚様のお説教が楽しかったです。般若心経の一節をひいて、肩の力をぬいて楽しく生きる極意を話して下さり、一同楽しく「そうそう」とうなずいて共感したことでした。失礼ながら、まるで仏教界の綾小路きみまろか)また、花の寺の花は、豪華絢爛の花々ではなく、和尚様の心と手入れで守られているやさしい野の花々でした。久美浜湾の美しさととけあって、またちがう季節に来てみたいと思いました。
浦嶋神社と丹後一ノ宮元伊勢籠神社では、この丹後(古代では綾部や若狭も含んで丹波といったそうです。)の地が大陸や東南アジアからの人や文化の流入地点であること、その先進文化をもって丹後(丹波)王国を形成し、ひいては大和朝廷成立に深くかかわっていること、また、私がこれまで何とも思わなかった地名や小さなほこらや伝説などにも深い意味や古代からの人々の思いがあることを知りました。
 京都府立丹後郷土資料館では古墳時代から明治までの生活をたどりました。このたびの見学学習会では、人間がその時代その時代を智恵と力の限りをつくして生きのびてきた、その積み重ねが文化や歴史の発展ということなのかなと思いました。 また、丹後という土地には古代が今もまざまざと息づいていると実感しました。充実した一日でした。ありがとうございました。
[ 21:21 ] [ 文化財を訪ねて ]
[関連したBlog]
綾部の文化財を守る会の秋の研修旅行、丹後半島一周をHPにしました。
http://www.geocities.jp/pbdmk569/kensyu/tango/tango.html
写真は、浦島物語で有名な浦島神社での記念写真、1号車です。
バス2台で回りました。記念写真係を務め4ケ所で撮りました。
2004/11/16のBlog
[ 19:22 ] [ 文化財を訪ねて ]
今日は綾部の文化財を守る会の研修旅行に、写真撮影担当でつきあった。
午前中は小雨、カメラのレンズが濡れないように注意した。
集合写真なので三脚、フラッシュは3600HSを使った。
久美浜の花説法の「如意寺」、伊根の「浦島神社」、「丹後郷土資料館」の3ヶ所は、
バス2台の号車毎。右の写真:82代目宮司海部光彦様と「籠(この)神社」神殿前では、1-2号車合同の写真撮影をした。
印画して参加会員に配布します。
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