ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
なべちゃんの散歩道
Blog
[ 総Blog数:4052件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
ジャンル:丹(に)の国・綾部
Blog数:97件
11~20件を表示   <<   <   1  2  3  4  5  6  7  8  9  10   >   >>
2006/03/10のBlog
生活の革新8 -天則と自然を無視した、悪食、悪衣、悪居のなかに生活-
 また日本の場合、理想とする都市人口は10万人を基準とし、その居住地は、草木がよく繁茂する高原地帯で、よい水の湧く日当たりの良いところに、平屋建ての木造建築に住むことが、気候風土にあった最もふさわしい所であると説く。家屋の用材についても詳しく教えている。
 こうして見ると、みずから招いた災いとはいえ現在の人々が、いかに天則と自然を無視した、悪食、悪衣、悪居のなかに生活しているかがわかる。これでは病気をしないのが不思議というほかはない。
 そこには、人生の理想と物の本質を見失った人間の無智がある。人智と技術と欲望におぼれた人間の奢りがある。だがその根底を探れば、民衆の生命と生活を犠牲にして、巨大な富を蓄積している国家独占資本と大企業群のあくなき野望にゆきあたる。
 正食、正衣、清居が良いことだと判っていても、巨大なメカニズムのなかで、民衆が手にし実行することは難しい。
 社会の変革と救済をとなえる民衆の宗教が、この矛盾にみちた現実に当面して、生活の革新に熱情をそそぐのは急務である。まず生活の悪弊をうち破って、正食、正衣、清居の理想と原則に立ち、天則と技術と人間の調和した社会をみずからの内に実現する。それは生活センタ-を通して民衆のものとなる。
 綾部は豊かな自然に恵まれている。この地域共同体のなかで、生産、流通、消費の分野にわたり、自主的な打開の道はないものか。重化学工業化しつつある風潮のなかで、あえて生活関連産業、軽工業、平和産業に誇りを持ち、育成してゆく方策はないか。
生活の革新7 -清居とは-
 最後に、清居の問題にふれておこう。今日、土木、建築技術と建築材料の発達は、目を見張らしめるものがある。たちまちのうちに山を削り、海岸や凹地を埋め、住宅群が出現する。高層住宅がニョキニョキと立ち並び、プレハブ住宅化が進行する。
 何処を見てもコンクリ-トと鉄の冷たい色が跳ね返ってくる。だが果たしてこれでいいのだろうか。王仁三郎は次のように主張する。

 「天地は呼吸している。万物一切はイキ物である。したがって大地もまたイキ物である限り呼吸している。人間も地気をうけて生活しなければならない。地上をコンクリ-トで塗りつぶすと地気が昇らないから、土をはなれた生活様式は人間の健康にいつとなく害を及ぼし、地気がうっせきしてきた時には、災害の導因となることがある。とくに住居の下などは赤土などのねん土に石灰をまぜたタタキにすれば気も通って良い。人間の住居は、本来3階以上に住むことは不適当である。その理由は、大地の霊衣は地上三尺であるから、地上を高く離れれば離れるほど、地の霊気が薄くなる。人間は、天と地の霊気が交流する接点に生活するように創られている」と。
生活の革新6 -正衣とは-
 次ぎに正衣とは何であろう。正食の場合と同様に、身土不二の天則に従って、理想としては日本の国土に算出する生糸や植物性の糸を草木染にして織り上げ、愛情を込めて縫い上げたものがよいとされる。
 大量生産、大量消費が支配している今日、この正衣は高嶺の花となったが、じつは先人が日常の生活の中で考え、織りあげ身に着けていた生活の知恵なのである。
 たとえば紫根(しこん)、藍、紅(べに)花、鬱金(うこん)など、すべて植物で染め上げた織布は、見た目が美しいばかりでなく、健康のためにも良く、医学的に見ても薬用効果がある。
 たとえば昔から乳児には鬱金で染めた着物を着せたが、これは乳児が着物をしゃぶっても、鬱金が腎臓の薬となるからである。
 これに反して化学繊維、化学染料の多くは、衣料公害をひきおこす「悪衣」と云うべきであろう。先般西ドイツの染料会社バイエル社が世論に屈して、数百類におよぶ化学染料の製造を中止したという事実に照らしても明かである。
2006/03/09のBlog
生活の革新5 -正食の特性と悪食-
 食べ物に特性があり、薬効があることも知っておくべきであろう。たとえば「米は陽性のもので、是を常食すれば勇気が出る。野菜を食えば仁の心が養われる。魚類を食えば智恵がわく」「肉類、魚類には多大の栄養分があるように思っているが、かなり大きい鯛と大きな大根1本と相当する位のものである」
 「動脈硬化症より免れようとするものは、断然肉食をやめて、菜食に移らねばならない。魚類もなるべく避けた方がよい。ことに刺身の類はよろしくない。たまにあっさりした川魚ぐらいは食べてもよい」「毒ガス除けには、らっきょうと梅干し、松の葉をかむこと、大根やねぎを生で食べるとよい」など、数多の説示がある。
 一方、悪食については、肉食の害がまずあげられる。「獣、鳥、魚などの肉は、いったん食べ物として消化されたものが肉となったのであるから、それを摂取してもあまり益はない。獣肉をたしなむと精欲が盛んになり、性質が獰猛になる。獣食する人は、本当の慈悲の心は持たない。神に近づくときは肉食してはよくない。霊覚を妨げるものである」。
 つぎに、今日流行している食品添加物を上げねばならない。添加物本来の目的は、食生活の健全化を計るためのものであるが、実際は、原因不明の慢性疾患の原因として、いつの間にか人体をむしばんでいる。
 着色剤、防腐剤、漂白剤、人工甘味料などであるが、自然の動植物を原料としているものは少なく、主に石油、石炭が原料となっているからである。その他、白米、白砂糖、白パンの「三白」や化学肥料、農薬による弊害など枚挙にいとまがない。
生活の革新4 -身土不二の思想-
 正食は天地の大恩を知ることから始まる。これは正衣、清居の場合も同じである。人間及び動物は、植物をとおして、太陽、月、空気、水、大地の気のミックスされた精気、エネルギ-を摂取して生きているのだから、この植物中にあるエネルギ-を出来るだけ効果的に多くとり入れ、同化し、血となし肉とするところに正しい食生活の原理がある。
 開祖や二代教主は、つねに神恩を感謝し、お土を大切にし、大根の葉一枚でも上手に料理して美味しく食されていたが、食物が氾濫し食生活が乱れている今日こそ、この天恩を無駄にしない食事法や料理の原則は、改めて見直されねばならない。
 また東洋には古来、身土不二の思想があり、住む土地にできるものが、肉体生命を真に養う食べ物だと考えてきた。
 王仁三郎は、日本の天から与えられた食べ物は、穀菜食であると唱え、この天則を守らなければ天寿を全うすることが出来ず、罪を犯すことさえあると説いている。
 もともと日本人は、米、麦をはじめ、あわ、ひえ、大豆、小豆などの穀物をとり混ぜて主食とし、豊かな酵素、ビタミン、ことに野生酵母を多く含む野菜、山菜、根菜などを常食として、血液を清らかに保ち、健康を増進してきた。
 また河海の魚介や海草などを摂って強壮にし、様々な加工品をつくって食生活を豊かなものとした。大豆からつくった「とうふ」「なっとう」「ゆば」「みそ」「しょうゆ」などは、日本の味を代表するものとして食卓に欠かせない。
生活の革新3 -正食、正衣、清居の必要性-地産地消の原点(なべちゃん)
 この方策は、資本主義的経済組織を根底からゆさぶり、生産、流通、分配、消費の各分野にわたって変革が要請される。
 「新(さら)つの世」を志す神の警告は、生活様式にたいしても、極めて厳しい。「衣類、食物、家屋倉庫(いえくら)までも変へさして、贅沢な事はいたさせんぞよ」「贅沢三昧は何うしても出来ぬように厳しく変わるぞよ。今迄のやうな生活方法(やりかた)では、世界中がモウ立行かんから、明治25年から筆先に出してある通りの心の持方をいたして居らぬと、大変に困窮事(こまること)が出来するぞよ」と、繰り返し戒められている。
 衣食住が経済や生活の基本であることは言うまでもなく、衣食住の乱れが、社会混乱の原因となっていると云っても言い過ぎではない。
 王仁三郎も「食制の改革が社会改造の第一義」と述べ、正食、正衣、清居の必要性を繰り返し説いているが、日常欠かせぬ事だけに、その影響と結果の違いは、極めて大きい。
 なぜ正食が必要なのであろうか。端的に言って、「食べものは人間の肉体ばかりでなく心まで支配」し、「正食は肉体の栄養になると同時に精神に活力を与え、魂の食物になる」からである。
[ 17:29 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
生活の革新2 -天産物自給(おつちからあがりた)
 そのため「神さまが世界の人民を保護しておられるのを無にして、神の子たる多くの人民を苦しめて世界の地所、資本を独占」してはばからない「世に出ている悪人」「餓という虫」どもが横行し、「世界一切の生産物は一人一人の私有(もの)で無く、皆天地の所管(もの)で、世界の人民が安心と幸福をうけるために神さまのお造り遊ばしたものにかかわらず、世界の宝を横領し、世の中の難儀を高見から見物いたす厄介者、蛆虫人間」の存在を許すに至ったのである。
 そこで、「今の世界のこの有様、神はもう黙っては居れん事になりた」と愛なる神の怒りが爆発する。世界の蛆虫人間や厄介物をたいらげ、「これまでの世の行(や)り方、法律」「これまでの習慣制度(やりかたほじつ)をさつぱり革新(かえ)て了ふ」と宣言して、
 「金銀を余り大切にいたすと、世は何時までも治まらんから、艮の金神の天晴(あつぱれ)守護になりたら、天産物自給(おつちからあがりた)其国々の物で生活(いけ)る様にいたして、天地に御目にかける仕組がいたしてある」と、救済への構想を明示される。
 土地為本、天産物自給の方策が、具体的にどの様なことになるのか、今後の研究に待たねばならないが、基本的には、お土を大切にし、国土、季節、民族性を統一的に把握して、夫々の個性を尊重する理念に根ざし、天産物を開発して、天恵無尽の利沢を人生に均霑せしめることを目的としている。
[ 17:28 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
生活の革新1 -正衣・正食・清居の教え
 現在は、まさに病める社会であり、病める人間のあふれた時代である。一方には「徳義もなければ節操もなく、つねに意気傲然として入りては大厦高楼に起伏し、出てはすなわち酒池肉林、千金を春宵に散じて遊惰、安逸、放縦をこれ事として転化にはばからない」強者があるかと思えば、一方には「営々として喘ぎなおかつ粗雑な食にあまんじ、もってその飢えたる口腹を満たすに足らず痣憊困倒して九尺二間の陋屋に廃残の体躯を横たえる」貧者がいる。
 「我一方で勝手気儘(きまま)の仕放題(しほうだい)、悪い事のやりほうだいで恐いものなしに、奸智恵(わるぢえ)ばかりが働いて」「金さえありたら何もいらぬと申して、欲ばかりに迷ふて、人に憐(あわれ)みといふことをチットも知らずに、田地を求め、家倉を立派に建て我物と思ひ」「毎日毒ばかり飲んだり食らうたりして、皮相の美しいものでさえあれば、後のためにはちっともとんちゃくせんゆえ、われとわが手に毒を食らうて苦しみ悶え」てさらにかえりみようとしない。一体これはどうしたことだろう。
 これは金銀為本の経済政策に根本的欠陥があるのではないか。金銀の価値を人間の上におく結果「人世は戦場なりとして、自他ともに経済的戦争を是認するにいたり、その究極するところ国家の存亡を賭し、幾千万の生霊を犠牲となし弱肉強食、優勝劣敗の淘汰をもって人間社会の条理なり」となすにいたった。
[ 17:27 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
教育の杜(もり) 2
 日本では、こうした理想を実現するため第一に大学の設置を考慮し、(出口王仁三郎聖師は、すでにこの事を考慮されて、北九州小倉に東筑紫学園(東筑紫短大付属幼稚園、照曜館中学校、東筑紫学園高等学校、東筑紫短期大学、九州栄養福祉大学)を設置し、礼儀作法、躾に重きをおく全人教育の学府づくりを実践されている。このことは、あまり綾部市民に知られていないと思われる)当面は農業、芸術、医学、語学などの部門が予想される。農業は公害の根源をたちきって人命を尊重し健康を増進するため農薬や化学肥料の弊害をさけた農法の研究、普及につくす。芸術では陶芸、機織、八雲琴など民族文化の伝統を基礎とした新たな創造を指向し、また医学は東洋医学に力点がおかれる。
 大学構想は、研究と育成指導の二面をもち、大学、高校、中学、小学などタテの体系と同時に、いわゆる市民教育として、青少年の夏季学級、文化教室、市民大学、母親学級などヨコの体系をもふくめて、幅広く総合教育センタ-の役割が果たせるよう配慮される。
 綾部の少年夏季学級はすでに23回を数え、信徒や市民の子弟が数多く参加して着実に実績をあげつつある。これが糸口となって高校生、大学生学級も発展して行くにちがいない。これらの根底では、徹底した人間教育に力点が置かれることは言うまでもない。
 そこには豊かな自然がある。生き甲斐ある学問がある。充実した生活がある。教師と学生の人間的ふれあいがある。鎮魂道場も設置されよう。何よりも神の恵みの下、人間の和がある。
「学校」と呼ぶより、あえて「教育の杜」といった方がふさわしいかも知れない。
 平和な環境と自由な人間のむれ、これを夢で終わらせたくはない。
[ 17:26 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
教育の杜(もり) 1
 日本における学校教育の普及率は、今後10年以内に後期中学校教育が90%、高校教育でも30%を超すものと予想されている。だがその中味が従来通りの立身出世のための受験教育だとしたら、その弊害は大きい。
 「園児450人の半分が塾に通っている幼稚園まであらわれ、0才からの英語教育、3才からの漢字教育など異常な早期教育」に熱中する傾向まであらわれている。
 今日の学校教育は、経済成長に適合させた極端な能力主義にゆがめられ、人間の成長を促す真の教育は影を潜めたともいえる。そのために先ず教育の姿勢を正すべきでないか。
 そのためには「教育が倫理的基礎、それも神よりきたる絶対的倫理のうえに統一」されねばならない。そして勇気をもって社会の方向を企業中心から民衆生活中心にきりかえ、人と自然と技術の調和した社会の造成へ向けねばならぬ。
 今日こそ「平和、文明、自由、独立、人権を守り、これを破る者に向かってあくまで戦う」人間を必要とし、「人の心にかんながらに内在する愛善の力を発揚せしめて、もって国家社会を正しくする道」としての教育、政治、「物質に内在する愛善の力を正しく利用する道」としての科学や産業が要請される。
 小学校から大学までこの方針で貫き、従属でなく自律と自治の教育、模倣でなく創造の教育、暗記でなく思考の教育が尊重されねばならぬ。
 こうした全人的教育の前提として、胎教、幼児のしつけ、女子教育を忘れることはできない。この目的を果たすためには上からの行政的画一化をさけて、地方自治、住民参加のシステムが配慮されねばならない。
11~20件を表示   <<   <   1  2  3  4  5  6  7  8  9  10   >   >>