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なべちゃんの散歩道
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ジャンル:丹(に)の国・綾部
Blog数:97件
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2006/02/23のBlog
春の岩王寺(しゃこうじ)(七百石町) 18p
古屋の初夏(奥上林) 19p
古屋二軒家(奥上林) 20p
水車(位田町) 21p
弁天の滝1(奥上林) 22p
2006/02/22のBlog
四ツ尾山全景 13・12p
長宮峠:いにしえの主要道 14p
綾部の霊山 弥仙山々頂よりの展望 15p
弥仙山登山道(於与岐町) 16p
弥仙山々頂より 17p
[ 11:18 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
丹の国・綾部 エピロ-グ 著:綾部JC十周年実行委員長:塩見 清毅(故)

終わりなき終わりに

綾部青年会議所の
十年の歩みは
その「綾部」なるが故に
その「青年」なるが故に
わが愛する郷土---
綾部という町の
理念の追求と
輝しい未来像への
挑戦の歴史であった。

幾多の屈折と
試行錯誤をくりかえし乍ら
その長い苦しい
模索の中で
文字どおり 血を吐く思いで
この一冊が出来上がった。

作業のくるしみは
創造をこえていたが
とりわけ
我々を
なやましつづけたのは
長い間
陽の目をみなかった
歴史の
怨嗟の声であった。

「知識」の場からでなく
「生活」の場からの
問題提起や
思想の展開は、
「矛盾」と「撞着」を
現実
その「からだ」に感じているだけに
「知識」の場からの
それ等のように
明晰ではないであらう。
しかしそれだけに
切実な訴求を
こめたつもりである。

この我々の
思想の提起が
綾部のあらゆる人々の
熱っぽい
わきたつような
「ふるさと」への
情熱と指向に
火をつける事を願いつつ。

さらに
日本列島の中で
「過密」にあえぐ人々のためにも
「過疎」でなやむ人々のためにも
その心の中に
「ふるさと」を よみがえらせ
真に
日本としての日本の
未来への凝視を うながしつつ。

終りなき終りの結びとする。
2006/02/20のBlog
補 論
 現在、「後進」と「過疎」故に、綾部の思想と生活がある種の諦観と沈滞に追いやられている現状は否定出来ないが、要は逆にこの「ふるさと」という未来都市論理の確認と、先取りする心がまえさえあれば、あとはテクニックというか、行政なら行政による調和のとれた集落と土地の再編成--線引きであり、合意に立った社会資本の導入と参加等であり、容易に逆転するチャンスがあるのである。

 従って先ず、綾部のふるさと的価値が、未来都市たり得るという確認と、そしてその方向にむけての市民の意欲的な意思統一が大切である。

 このふるさと意識という前駆的精神面の開発が、眠っている綾部の赤々としたナショナリズムを覚醒し、そのプライドとエネルギ-が現実「ふるさと」未来都市を夢に終わらせる事なく、実現具体の原動力となるであろう。
即ち先ず、本書全体から感じられる、古く美しい豊かな自然と風土、更に掘下げて大和以前の出雲精神文化圏の一大拠点。住民の土着信仰の中になお生きる、天津神以前の国津神々の真の日本の原像としてのパタ-ン。

 その二つが長い風雪に耐え乍ら、地下水の様に脈々と継承され、人間を育て、文化を作り、遂には大本教の「世界の中心」発想。更には近年世界連邦都市の第一号宣言に見られる、その精神的な日本の中心的位置づけを想えば、日本のふるさととして、真の人間調和都市としての大前提は他に類例を見ないのである。

 この根源的基盤に立って、産業や教育や住宅等々の「仕事」「暮し」のバランスを考察して見ると、夫々にその未来的萌芽の可能性が多面的にある。

 その未来的展開論は別冊にゆずるとしても、例えば当然「ふるさと」は農業や観光を真の本源的意味で未来づけるであろうし、工業に就いても、日本の工業が従来の労働集約的、加工生産的なものを超えて、知識産業、装置産業に志向するとなれば、又教育や住宅の未来的環境を思えば「ふるさと綾部」はその基盤的条件を具備しているし、地域地場としても、日本海時代の到来を背景にすれば、丁度日本海ベルト地帯の中心であり、それが更に日本列島の中心近畿圏と重なる極めて枢要な位置にあるのである。

 それ故にこそ、大都市に、又他の都市には見られない、真の意味の調和都市たり得ると考えられる。従って、今はやりの広域経済あるいは行政圏の構想が具体化したとしても、その中で割拠する個性偏向都市群(例えば臨海工業都市、商業都市、農林業都市、内陸工業都市、観光都市等々)を、綾部はその調和性の故に求心的につなぐ中核都市として動きをなすに違いないと考察出来る。

 本論は、本書の「ふるさとへの回帰」と別冊の「ふるさとの具体的未来展望」の継手の役目を果たすものであるため、ある時は抽象に又ある時はメンタルに傾斜したけれども、所詮「物」から「心」への確証的な未来予測理論ドライブに沿って論じて来たのであるから、当然の論理に帰結したといえると想う。
2006/02/19のBlog
日本の未来、未来都市の理想型、後進都市の開発戦略視点、日本海時代、といろいろな角度から論旨をかなり重複させ乍ら進めてきたが最後に、現実ふるさと綾部にせまらねばならない。

 綾部市は京都府のほぼ中央、東経135度16分、北緯35度18分に位置し、京都市から76粁、大阪から80粁の圏内にある。
 市域は北に舞鶴市、西に福知山市と周囲二市四町と福井県に接する丹波の心臓部である。国鉄山陰本線は綾部駅で分岐し、宮津線、北陸線に接続、又国道27号線が市東部を、国道9号線が市外南部を走り、京都、大阪、舞鶴若狭、福知山、山陰を夫々連絡路としての役割を果たしている。

 市域は又中国山系の山々から流れる由良川及びその支流沿岸に形成された盆地にあり、面積の三分の二は山岳地で占め、特に東北部は五百米級の山が点在し、北桑田三国連山に連なり、中央部より南西に平坦な沃野が福知山盆地まで広がりを見せ、東西36粁、南北16粁、総面積348平方粁、近畿78市中、三番目の広さを有している。

 人口は約4萬4千人を数える・沿革と歴史は、本書の第一話から第六話にわたる歴史を横割りにした物語と、フォトグラフィに見られる如く、古代、出雲文化圏の一つの大きな拠点としてひらけ、大和時代には「いかるが」(綾部市の旧郡名)富緒川(現在の安場川)等と奈良にゆかりの地名に象徴される様に栄え、大陸からの帰化人で綾織りに長じた漢人の集落漢部郷として登場以来、中世には中央貴族や社寺の荘園として富み、

 近世には小藩とは言え、九鬼水軍で有名な九鬼氏の善政の下に推移、明治以後アヤヒトの伝統が蚕都として復活発展、一方長く受けつがれて来た住民の心が、民衆の宗教大本となって結晶具現、昭和十年綾部の黄金時代をむかえるに至る。

 その後、大本教の弾圧、戦争、戦後の混乱と社会構造の激変、加えて日本列島を表と裏にひきさいた跋行的な経済成長により、止め様もない人口流出に見舞われ、明治末期の人口に逆行する程に落込みを余儀なくされ、尚この状態は傾向化されるかに見える。
 事実低生産の産業構造と伸び悩む市民総所得の中で、市財政は極度に窮乏化し、市も市民も綾部の将来を見失なおうとしている。

 しかし、此処で重要な事は、既に論じてきた様に、この「後進」の現状こそが逆に未来的可能性に置換出来る事を確認せねばならない。前述の日本の将来、都市の未来、後進都市の開発視点、日本海時代の到来等々の結論を想起すれば、その気になりさえすれば一転して、今こそ「ふるさと綾部」の出番である。と考えられるのである。
ここで具体的な日本列島全体の動きを観察してみよう。
 「表」と「裏」、それは多くの場合、日のあたる場所と日のあたらない場所の別称である。

 所謂、表日本の太平洋ベルト地帯が、とりわけ東海道メガロポリスに象徴される巨大な経済集積ゾ-ンに栄光の変容をとげる裏側で---つまり、裏日本の日本海沿岸に接した一連の地帯は殆ど例外なく、過疎現象の加速に追われて既に二十年、この舞台裏をめぐっては、交通体系や情報通信網はいうに及ばず、その他の社会資本投資の軽重や、大規模な地域開発作業の格差が年一年と積み重ねられて来た。それは地域住民一人一人の格差を誘発、更に社会的生活環境の水準格差まで大幅に押しひろげ、亀裂化の状況を見せて来た。

 しかも問題は単なる格差にとどまらず、今度は逆に表日本では、日のあたりすぎから極限に近づいた人口過密、環境破壊とまでいわれる産業公害、等の過熱症状が、予想をこえて太平洋岸は正にスラム化すると呼ばれ始めた。並行して起こった前述の物から心への人間的根源的な流れが、スラム脱出を覚醒し、裏日本---日本海ベルト地帯へ大きく目をむけさせることになったのである。

 開発の遅れた、しかしいいかえれば自然というか人間の本源的なものというか、を残し得た日本海ベルト地帯に新しい価値をつくり出す。先進太平洋岸の二の舞をふむ事なく、観光によし農業によし、工業によし、住宅によし、教育によしの今となっては、その価値を保存して来た裏日本に、人間の生活優先の新しい調和のとれた生活圏の創造が呼ばれる様になった。正に日本海時代の到来でなくて何であろう。
2006/02/18のBlog
さて、人間調和都市の成立の先ず前提条件となるものは、当然の事乍らその都市を包む美しい自然の存在でなければならない。

 第二にその都市の歴史性である。この自然や歴史にひかれる由縁のものは、根源的不変的なものへの憧憬、永遠に対する人々の希求であり、うつろいゆく人間がうつろわない自然あるいは自然的なものに寄せる心情、そこにこの世の安住の地、憩と「やすらぎ」を求める人間の気持ちが強く働くのである。所謂それは「ふるさと」そのものであろう。

 この本源的なものをペ-スに、仕事---人間経済(くらし)が見事にミックスされた生活圏こそ、真の未来都市の型として断言出来るのではないか。

 こうした都市は、前にふれた如く大都市ではなく地方の中小都市、むしろ今まで「後進」あるいは「過疎」の汚名をこうむって来た都市に、従って本源的なものを逆に未来の前提条件として残し得た都市に、保存と開発といった姑息な二元的なものでなく、新しい創造という一元的な可能性があるといえよう。
 所詮、「先進」と「後進」の概念は相対的なものでしかない事に気付かねばならない。

 経済至上主義から人間主義へ、物から心への価値観の変化を大きくはらんだ未来社会の変革が予測される今日、後進都市の「開発されずに取残された」という宿命的制約条件と見られていたものが「破壊されずに残った」という成長条件への転化の可能性にひらけつつある事は決して不思議な事ではない。

 後進都市の開発戦略の視点は、後発利点の発揮であることに注目せねばならないのである。
さて、こうした日本の未来の上に立って、人間のすみか「都市」は当然「物」や「経済」の縦走構造でなく人間の心を中心とした、人間を解放する空間として見なければならないであろう。

 現実「ふるさと」は最近「家つき、カ-つき、ふるさとつき」といわれ、交通ラッシュ、交通禍、公害、住宅難等々の全く凄惨な都市生活で疲れた心身をいやしたり、盆正月には家族を連れて帰る「いこい」の場としてとらえられたり、更に又、所得が増え、余暇が増大する未来には、人間性を回復する旅行地としての評価も高まりつつある。ある雑誌は又「サラリ-マンが大都市から移動開始」と題し、「地方転勤や転職を希望する人達や、都会における仕事を投げ出しても田舎に帰りたいという人が激増し始めている。

 東京都人口統計係の調査によると、昭和43年度東京転入者70万人、転出者74万人、はじめて転出者が転入者を上まわる人口逆転現象が起こった」と人口動態のUタ-ンの始動を論じている。

 人間は所詮自然的存在である。従って如何に科学技術が進歩し、物質文明を謳歌しても、自然人としての基本的摂理からそう遠くはずれることは出来ない。昨今のレジャ-やセックスやファッションのブ-ムは、一種のつくられた狂気さえ思わせるものがあるが、それでも尚、その根底にひそむ人間の自然回帰---ふるさと回帰への強い欲求を見逃す訳にはいかないであろう。

 工業化社会の中で、そこなわれない自然と過去のすぐれた文化のかおりにふれ、人間性を取戻すオアシスとしての「ふるさと」は今や脚光をあびようとしているのである。

 人間の生活機能として、自然的精神的充足と経済的物質的充足の二つの要素があり、元来都市は、この二つの要素を原始的にとりこんだものであったが、経済のあるいは物質文明の発達は、その二つの要素を分化させ、前者をおさえて後者が急速に膨張し、その結果が生態的環境破壊とまでいわれる都市の危機を生んだといえるであろう。

 都市の理想型、未来型としては、この二つの要素の見事な近代的調和---調和都市でなければならないが、極端に都市化物質化の進行した大都市には、これを求める事は至難である。その復元は無論の事、拡大均衡的調和もそのスペ-スの限界から不可能であろう。
2006/02/17のBlog
世の中の無限の経済拡大を夢見る人達は見るべきものを見ていない。そもそも拡大とは何のためか、拡大は拡大のためのものではない筈である。こうしてこれから歩み始めるのであろう日本は、欧米に師を求める訳にはいかない。始めて強制をはなれ、日本自ら独自の道を探し求めて歩む日本、解放された日本、即ち自由なる日本となるのである」

 又「世界的に物質文明が壁にぶつかり、これから人類が精神文明の方向にハンドルを切ることになる。この事は単に当て推量でなく理論的にもいえる」と立石一真氏(立石電機KK社長)は、自社開発の未来予測論「シニック理論」をベ-スに断言する。

 更らに「日本は西洋と東洋の接点に立って中道の歩みを進めて来た。唯心的といっても、中国の様に産業面での革命よりも先に文化革命を起こすという程極端でない。明治維新以来産業重点で、つっ走るかと思えば、早くも「生きがい論」が出てくる等、極端に流れる前に軌道修正をする国民性がある。中道というのは、追いかける時は一歩おくれるが、その先行者が壁にぶつかる以前にカ-ブを切れるという利点がある。 この事は、変化への対応という面で欧米人にない強味になるといえる」しかも、「結局精神中心の日本人に有利な時代を迎えようとしている」と。木内信胤氏とは、多少の展開の相異はあるにしても、日本人の可能性と日本の未来に就いては、全く同じ事をいっているのである。
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