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なべちゃんの散歩道
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ジャンル:女人禁制
Blog数:10件
1~10件を表示   1 
2005/11/05のBlog
大峰山の女人禁制について、ジャンル「女人禁制」を設けて色々な意見、情報をお知らせして来ましたが、今回、下記に報道の行動により、このDoblog で当ブログ以外の初めての投稿がありました。それらを含めて紹介いたします。なお、Doblog から移転された方、当報道の前日にコメント交換しました「DV」についてのブログも含んでいます。詳しくはそれぞれの「ブログ」「ホ-ムペ-ジ」をご覧ください。Doblog 以外のブログやHPも調べると、沢山あると思います。
1.大峰山女人禁制の開放を求める会 ホームページ
>私たちは、「大峰山女人禁制」の開放が、ただ山に登るということに終始するのではなく、女性に対するあらゆる差別撤廃への起爆剤となることを信じています。 「大峰山女人禁制」の開放を求める会

注記:ブログの仕様でHPリンクを一番上に置きました。下記の記事との関連は不明(記事関連ではありません)こんな会もあるという紹介です。とともに「女人禁制」についての歴史的経過、四ケ所ある「女人結界」の写真、周辺地図など資料盛りだくさんです。是非ご参照ください。
11月4日 朝日新聞
大峰山、女性ら3人登山強行、対話は続く
 女人禁制が1300年間続く修験道の聖地、奈良県天川村の大峰山への登山を目指すと公表していた性同一性障害を持つ人ら35入のグループが3日、現地を訪れた。女性の立ち入りを禁じる結界門の手前で地元住民約100人と議論した結果、改めて話し合いの場を設けることで合意して解散したが、その後にメンバーの女性ら3人が登山を強行した。
 住民側が結界門前で待ち構える中、午前9時50分ごろにグル-プが到着、地元・洞川地区の桝谷源逸区長(59)は「先人から受け継いだ伝統や生活がある。地元の心情を理解してほしい」と登山中止を求めた。グループ側は今後も話し合いを続けてほしいと要望、約30分後に双方が解散した。
 しかし、午後0時半ごろ、メンバーのうち女性2人と、女性として暮らしている戸籍上男性の弁護士の計3人が結界門をくぐって山に入った。その1人は「宗数的慣習にかこつけた性差別がある。問題提起をしたかった」と説明した。
写真: 結界門をくぐって山に入る女性ら=3日午後0時30分、奈良県天川村で
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2.五分後の世界 (3)kazuki2005様
2005/11/04のBlog
大峰山女人禁制に思う
> 女人禁制とされている大峰山に登山しようとしていた性同一性障害、女人禁制反対のグループが女人結界のところで地元住民の説得に応じて登山を諦めたとの記事があった。・・・後略
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3.『平成鸚鵡籠中記』(土岐正造)様
2005/11/04のBlog
女性差別?
>【女人禁制の山への登山を断念】/日刊スポーツ:女人禁制を守る修験道の根本道場、奈良県天川村の大峰山(山上ケ岳)登山を計画した性同一性障害の男女らを含むグループは3日、禁制維持の立場から登山しないよう求めた地元住民の説得に応じ、登山口の手前で計画を中止した。・・・後略

>政治的な部分や社会生活の中での、性差別は解消されて然るべきでしょうね。それに関しては自分はまったく反対しません。ですが、こういう行動によって女性差別の何が解消されるのか。女人禁制という概念自体が差別を助長するというのなら、その統計的なデータを出してみたらどうでしょうかね。・・・後略
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4.キララ☆ネット ~ひとりひとりが自分らしく輝くために~ キララ様
2005/11/05のBlog
女人禁制 性同一性障害は?
>「女人禁制 性同一性障害は?」という記事が11月3日の朝日新聞朝刊に掲載されました。記事によると、約1300年続く修験道場、奈良の天川村の大峰山系山上ヶ岳へいわゆる性同一性障害と言われている人たちが登山する計画がありますよ~、ということでした。・・・後略
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5.ゴンゾー・レボリューション:ミローチ ゴンゾー様
2005/11/06のBlog
女人禁制 性同一性障害は?
>大峰山は中学の頃、林間学校で行ったので、女人禁制と言うことは知っていましたが、日本で唯一女人禁制を貫いている山であること、それも明治政府が女人禁制廃止令で指定し忘れたから残っているらしいことは知らなかった。指定し忘れたってことは余り重要な山では無かった?・・・後略(詳しくはこのブログを拝見ください)
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6, 夜のパトロール日記:弥生町開発庁長官さま
2005/11/05のBlog
ジェンフリが宗教と伝統を冒涜
>性同一性障害だかジェンフリだか知りませんが、他人の心情を慮ることのできない連中が他人から理解を示されることなどないでしょう。女人禁制というそこだけをクローズアップして「問題提起したかった」などと寝言を言ってますが1300年という歴史に裏打ちされた宗教的・伝統的バックボーンへの配慮がまるで欠けてしまっています。そんなに問題提起したいのならイスラム圏にいって大通りを水着で闊歩してみればよろしい。他人の宗教観を無碍に犯すということがいかに恐ろしく、失礼で、犯された人の心を傷つけるのか身をもって知ることができるでしょう。・・・後略(詳しくはブログ参照))
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7.REI auf der Erde :REIさま
2005/11/08のBlog
女人禁制 - 山上ヶ岳
>一応社会人として日本の社会で生きていると、色々不便な事、理不尽な事が多い。が、男性社会にまともにぶつかっていく程の力も胆力も気力も無いので、ややこしい事は出来るだけ避けて、結果オーライで生きて行く様にしている。現代の社会で男性と互角の社会的地位を得ようとすれば、余程優れた能力があるか何かを犠牲にしなければ、かなり難しい事だろう。とは言いながら、「女人禁制」なんて言葉がまだ堂々とこの世の中に存在している事が愉快な訳は無い。 男女性差はあっても、尊卑は有り得ない。・・・後略、詳しくは上記のリンクからブログをご覧ください。TB記事、有り難うございました。
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8.Tomorrow is Another Day 結城水葉さま
2005/11/03のBlog
この国の、男女共同参画の行方
>県の男女共同参画推進委員3名(私を含む)で、ラジオ出演したのだけれど、その中の1人のオバチャンが、パーソナリティからの「男女共同参画って何ですか?」との質問に、「男女平等とは違うんです。男と女が思いやりを持って、互いに支え合っていく社会のこと」と答えたのだ。・・・後略(詳細はブログ参照ください)

私の下記に追加してのコメント、差別・人権論でなく、男女の思いやりを前面に立てて、運動を進められてはの意見に対し、次のResをいただきました。
>思いやりはもちろん大事だと思うのですけれど、思いやりを前面に出すと「努力目標」に留まってしまうのが難しいところですね。DVは「人権侵害」=「犯罪」と捉えるべきだと私は思っています。「努力目標」じゃなく「罰則規定」がないと、社会は変わっていかないのですよね・・・。
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私がコメントで送った意見の要約です。
男女平等や男女の思いやりは、人間性に基づいた普遍的な反駁のしようのないことですが、人権、差別の概念は、一神教の西洋文明の結果として理解される部分があります。今日、日本的な宗教概念の方が、未来的調和社会づくりに向くのでは、という価値観の多様性が云われるようになりました。
宗教者の信仰の世界と人権論が噛み合わず、この問題に対し平行線をたどるようです。女性の修験者自身、信仰登山を支えてこられた地元の人々自身の問題として、未来社会に女人禁制の(存続/廃止)をどのように価値づけし、社会に理解を求めていくべきかであろうと思います。
追記:「修験道が世界の恒久平和に対しどのように貢献できるか」の吉野山人さまの理念を基にした文章です。社会とは、宗教者自身、地元、日本、世界を含む概念です。
2005/08/28のBlog
[関連したBlog]
★ 山仲間には、日本に一つぐらいは聖域があっても・・わざわざ登らなくても山は沢山あるし・・という方もあります。(フリ-百科では、キ-ワ-ド「聖域」はありませんでした)

★ 一方、大峯山の女人禁制が解けるまでは、奈良県(奈良県境の山々)へは一歩も足を踏み入れないと公言されている、fさんのご意見の要約を次に記します。
文明国の日本に、今なおなぜ「女人禁制」が・・、世界にはびこる「女性差別」や「人身売買」、「性的奴隷」、「売春」、「配偶者からの暴力:DV」・・などの不正行為、また近年日本でも続発する「児童虐待」などの取り組みにおいて、先進国となるべき日本ではないのか・・。

>皆さん天下泰平・・・未だ、無神経に痛みを貰ってそれに耐える立場にはなられたことが無い方ばかりで、一番基本的な平等と言うところに話が行かないところが、現在の日本の平均の感覚を表しているのでしょうか・・・?

>私の感覚では女性差別地が聖域と平気で言えること自体、信じられないのですが・・・。

>子供時代に差別や偏見を知らずに多くの友人たちと過ごし、成人してからそのことを知り、ずいぶん恥ずかしい思いをしました。

>私のボランティアや平等感には、その時の反省と償いの気持ちが少しは残っていると思います。多分、気にされない方たちは、自分が被差別者になったり、DVの被害者になったりしたときのことを考えてまで、発言は出来ないのでしょう。

>危機管理と同じで負の想像力を持って、自分をその環境に置いての発言が、これから少しでも多くなればと思います。

>山に登り始めてまだ初めのころに、立山の極々普通の縦走路を少し外して、腹から直登したときに、掴んだ石が抜けて20mほど転がり落ちました。それ以後の私の山行きは 、いつも最悪の事態を想像しながら歩く癖がつき、それが日常生活にも根付き、外見やセレモニーで命が守れないと思うようになって、・・・
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★ 用語解説です。出典はフリ-百科事典、入力すみ、デジタル・デ-タ-で非常に便利です。
これを印刷物から収録するのは、余程の暇人でないと出来ません。作成者に大感謝!!

性差別:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性差別(せいさべつ)とは、性別に基づく差別のこと。基本的には女性差別をさすが、近年は男性側から男性差別を主張される事が激増している。また性的少数者に対する不利益も性差別の一つである。

現代においても一般的に男性、女性間の生物学的な性に基づく扱いの違いが性差別であるとして糾弾されることは少ない。多くの場合性差別であるとして問題になるのは「社会的な性差」(ジェンダー)を理由とした差別についてであり、そのため性差別解消の手段の一つとしてジェンダーフリーが主張されることもある。

歴史的背景
選挙権の有無
公の場で女性が意見を述べる機会は、長らく無かったと言える。これに対してはさまざまな考察があるが、結論には到っていない。現代の日本社会においては、女性にも被選挙権が与えられるなど、女性の社会進出に対して好意的に受け入れられていると考えられる。
1906年のフィンランドがヨーロッパ史上初となる女性への参政権を認めた。反面、17世紀アメリカのインディアンのある部族においては、女性にのみ選挙権を認めており、男性への選挙権は認められていなかった事例がある。
宗教観
特に中世盛期から後期において、キリスト教は長らく女性を抑圧してきた。13世紀カタリ派のように女性を司教に採用したり、男性を統率する立場に就任する事もあったが、ローマ教皇庁の命令で破門や虐殺を受けている。プロテスタントの生みの親ルターも「女児は男児より成長が早いが、それは有益な植物より雑草の方が成長が早いのと同じである」などという言葉を残している。
キリスト教によって女性差別が緩和された例も少ないながらある。たとえば売買婚を禁止した(そもそも売買婚はなかったとの説もある)。ただし、奴隷との性行為に関しては、教会自身が多くの奴隷を保有していたため禁止できなかった。ローマ帝国の法律では、既婚女性の財産の所有権や発言権には非常に制約が課せられていたが、これも緩和された。つまり、一定の相続権や離婚の請求権などを得たのである。姦通の罪は女性のみに適応されていたが、男性も罪に問うた。このように、主に結婚に関係して女性の権利が部分的に解放された。しかし、こういった解放は、中世初期において集中的に発生し、後期においては逆に厳しくなったりもした。
全体的な流れとして、女性は宗教界では弾圧され、世俗界では尊重されたと言えるだろう。

イスラムにおいて一夫多妻制などを男女差別の根拠とするのはお門違いである。イスラムの故郷中東は、内紛と十字軍などの侵略者により、長らく戦乱の時を過ごしてきた。そして未亡人が大量に発生した。そのため作られた制度が一夫多妻制であり、これは本来女性を保護することが目的であった。体中を布で覆わなければならないと言う教えも、敵兵に見つかった際に性的暴力を受けないようにするためである。
しかし、現在では形骸化し女性を弾圧する組織も少なからずあり、一口に語ることは出来ない。

関連項目
ゲイ
レズビアン
バイセクシャル
男女雇用機会均等法
ウーマン・リブ
セクシャルハラスメント
国際女性デー
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人身売買:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
人身売買(じんしんばいばい)とは、人間を売買すること。トラフィッキング(Trafficking)とも。

人身売買禁止議定書
2000年、国際組織犯罪防止条約を補完する議定書として国際連合国連総会で採択、2003年に発行された条約。日本は未批准。 そのため、外国人労働者の観光ビザでの不法就労や、日本国内における人身売買もどきや差別などが横行している。

人身売買に関する年次報告書
アメリカ国務省が毎年発表している人身売買に関する報告書で、142の国と地域を、TIER1(基準を満たす)、TIER2・TIER2 WATCH LIST(基準は満たさないが努力中)、TIER3(基準を満たさず努力も不足)に分類している。TIER2 WATCH LISTとTIER3は監視対象国。2005年、日本はTIER2に分類されている。

人身取引対策行動計画
2004年、日本が「人身取引対策に関する関係省庁連絡会議」を経て発表した計画書。

関連項目
奴隷
性的奴隷
売春
外国人労働者

外部リンク
人身売買禁止ネットワーク
人身売買に関する年次報告書2005年 英語(アメリカ国務省)
子どものトラフィッキング(国際労働機関)
人身取引対策行動計画(内閣官房)
女性のトラフィッキングについて(内閣府男女共同参画局)
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性的奴隷:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性的奴隷(せいてきどれい)とは、不当な理由により、性的行為を強要される状況下に在る人、またはその状態を指す。状態に関しては性的搾取とも呼ばれるが、本項にて述べる状況に於いては、その状態が継続的な物であるとされる。

概要
これらの人々は自由を奪われ、奴隷的状況下で性的な行為を強要されている。人身売買や不当搾取といった人道上にて問題視される人権蹂躙が絡み、これを成す事や看過する事は多くの社会で忌み嫌われている。一方、貧困や社会情勢の問題により、まだ社会的地位の弱い児童などがこれらの犠牲者となるケースも見られ、国際的にも問題視されている。

特に暴力によって拘束するケースも多く、これらでは日常的に暴行される事により精神的に疲弊し、逃げる気力を喪失している場合もあり、心的外傷と呼ばれる心理的なダメージの治療は、長期に渡るケースが多い。

性風俗産業
セックス産業(性風俗産業)に従事する者のうち、十分な報酬を与えられず、また勤務外でも身体の拘束を伴うなどの奴隷的環境で働かされる者をさす言葉。世界各国でも多くの場合、人身売買などにより外国や国内の未発達地域から連れて来られ、法律上の根拠が無い債務を背負わされて身体を鬻ぐのが普通である。一般には拘束期間が明ければ解放されるが、性的に魅力的な者、または所属する性産業に十分な利益を齎さなかった者は、拘束期間を延長されることがある。

紛争地域
紛争地域において、集落を襲撃した武装集団が自身の身辺を世話をさせると共に性的な欲求の捌け口とするべく、未成年者を誘拐するケースが見られる。これらのケースでは、被誘拐者は常時武装集団により監視され、精神的にも追い詰められるケースも見られる。

誘拐事件
児童を誘拐し、それらに性的虐待行為を繰り返す犯罪者(変質者と呼んでも良いだろう)のケースがある。これらでは特に都市の匿名性により犯人が特定されにくい事件も発生しており、日本では新潟少女監禁事件のような事件が2000年に発覚した訳だが、これに伴い模倣犯の発生も見られた。

関連項目
児童買春(ペド)
監禁
外国人労働者
配偶者からの暴力(家庭内暴力)
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売春:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
注意: この項目は性風俗関連について扱っています。未成年の方や不快感を覚える方は閲覧を控えてください。
★省略します。
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配偶者からの暴力:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』定義
配偶者からの暴力(はいぐうしゃからのぼうりょく、英語: Spousal abuse)、ドメスティック・バイオレンス(DV)とは、配偶者(届出をしていない、いわゆる内縁関係にある者を含む)から受ける虐待をいう。ここでいう虐待には身体的虐待、精神的虐待、性的虐待の3種があるとされる。

なお、「ドメスティック・バイオレンス」という用語は、元になった英単語 Domestic Violence が家庭内暴力全般を意味する言葉であるため、原語と意味にずれのある広義の和製英語に含まれる。

法的な定義としては、日本ではいわゆるDV防止法(正式名称:配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)の中で、配偶者からの身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの又はこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動と規定されているが、同法の保護命令の対象となる暴力は前者のみであり、後者の精神的暴力は対象とはされていない。

被害者及び加害者
DV防止法の適用上は被害者の性別は問われない。

日本においては被害者の多くが女性であるとされているが、平成15年度に於ける配偶者間の殺人事件のうち約4割(215件中82件)と暴行・傷害の約1割は女性による加害であり、女性が加害者となることも稀ではない。また、DV防止法上は、加害者として異性のパートナーのみを想定していると解釈されるが、国によっては同性のパートナーによる虐待もDVとして扱うとする規定を持つ立法例もある。

解決に向けた取り組み
ローマ法以来の家族観や、司法機関の介入により関係が破綻することへの危惧、犯罪性の認識の欠如などのため、「配偶者からの暴力」について刑事介入がなされることは従来稀であった。また、離別しようとしても強引に連れ戻されるなどしてしまうことが多い、女性が被害者となった場合女性側の生活力が乏しいことが多い、配偶者による暴力そのものが持つ依存的構造などのため、被害者が泣き寝入りする結果となってしまう傾向があった。米国では1970年代後半から女性の権利闘争やいくつかの致死事件により、配偶者からの暴力が耳目を集め、「配偶者からの暴力」概念が学問上創られた。

これに対し、現在は徐々にDVを不法行為と認める裁判例が出始め、NPOなどによる被害者保護活動も活発化してきている。日本でも2001年10月より配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律が施行された。

また、加害者は一種の精神疾患であるとして、治療やカウンセリングの対象として捉えるアプローチも試みられている。

関連項目
ストーカー
駆け込み寺
児童虐待
性差別
モラル・ハラスメント
配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律
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児童虐待:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
児童虐待(じどうぎゃくたい、child abuse)とは、こども・未成年者に対する虐待である。
概要
日本では「児童虐待の防止等に関する法律」(平成12年法律第82号)において、「保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(18歳に満たない者をいう。以下同じ。)に対し、次に掲げる行為をすること」
と定義されている(第2条)。そして、同条各号において列記されている行為は、次のとおりである。

身体的虐待 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。例えば、殴る、食事を与えない。冬戸外に締め出す、部屋に閉じ込める。
性的虐待 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。例えば、子どもへの性的暴力。自らの性器を見せたり、性交を強要する。
ネグレクト(Neglect) 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。例えば、病気になっても病院に受診させない、乳幼児の車内への放置、食事を与えない、下着など不潔なまま放置するなど。
心理的虐待 児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。心理的外傷は、児童の健全な発育を阻害し、場合によっては心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの症状を生ぜしめるため禁止される。例えば、言葉による暴力、恫喝、無視や拒否、自尊心を踏みにじる。
その他の児童虐待として、上記法には含まれないが強制労働の問題があり、特に紛争地域等での兵員や性奴隷としての徴発も児童虐待として批判されている。これらの原因には、紛争と貧困・政治体制の不備もあり、一朝一夕には解決しがたい部分である。

要因・状況と対策
現在、良く知られている要因としては

望まない妊娠・望まれない子供への苛立ち
配偶者の出産・子育てへの不協力や無理解に対する怒り
育児に対する不安から来るストレス
再婚者の連れ子に対する嫉妬・憎悪
などが挙げられる。

また、虐待を行う親の多くが、自らも虐待を受けた経験がある事が知られている。しかし再婚者や被虐待者だった保護者が、必ずしもそうなる訳ではないにも関わらず、ある種の社会差別を被ったり、本人のコンプレックスになる等の、付随的問題も発生しており、これらの状況におけるケアを、より難しいものにしてしまっている面もある。なお、性的虐待は各種の統計などから、相当数の存在が予測されているが、発覚し難い事から、実際の発生件数は、非常に把握しがたい部分がある。

また家庭内だけでなく、保育園、幼稚園、児童養護施設内のものもこれに含まれる。こうした子どもが病院を受診した場合、診察した医師は、担当でなくとも速やかに警察に通報する義務がある。(「児童虐待の防止等に関する法律」においては、発見した者全てが児童相談所等に通報の義務がある(第5条)と定められている。)

しかし、いずれも家庭内や施設内などの閉鎖環境において行われている事もあり、その大部分が暗数となっている。児童を保護する児童相談所にしても、事実関係の調査中に親権を盾に両親が保護した児童を連れ去ったり、醜聞を恐れて引越しをしてしまう・児童が親を庇おうとして被害を訴えたがらない・両親の親が介入して児童を親元に戻してしまう等の問題もあって、手遅れになるケースも少なくは無い。

このような問題が浮上したのは比較的近年であり、「親は子供に折檻を行うもの」という常識が世界的に受け入れられ、最近までは全く問題視されなかった部分がある。特に近代以前においては、児童は親の所有物という考えが社会通念としてあったために、人身売買や、果ては口減らしとする殺害すら行われていた。特にそれらの思想は現代においても根強く残る部分も少なくは無い。

躾と体罰においては、現代でこそ度を越した体罰はトラウマの要因として問題視されてはいるが、近年までは全ての肉体的な苦痛を与え得る体罰が有効な教育方針として考えられていた背景があり、特に躾と体罰と拷問を混同する保護者の存在が、事態を悪化させる要因になっている。なお1980年代のアメリカでは菓子の包装紙にすら「ストップ・ザ・チャイルド・アビュゥズ」という標語が記されていたという。

こうした子どもの救済、保護を担当するのは、児童相談所であるが、特に緊急を要する場合は、警察がまず加害者である側から児童を引き離して保護し、しかる後に児童相談所に事態の収拾を預ける事もある。児童相談所では、それぞれのケースを調査し、親に対するアドバイスや援助を行ったり、児童に必要な医療措置を手配したり、必要な場合には、親権の剥奪や児童養護施設への児童収容を手配する事もある。

日本国内の取り組み
日本で児童虐待のニュースが目立つようになったのはここ数年のことであるので、アメリカに対して20年弱の状況認識の遅延が認められる。

このため近年では、増加する傾向にある日本国内の児童虐待に的確に対処すべく、従来は育児全般に関する相談を受け付けていた児童相談所だが、2003年9月に厚生労働省は「児童虐待と非行問題を中心に対応する機関」とする位置付けの変更を決定した。特に事件報道が増えるにつれ、社会的にも児童虐待に対する認識が広まり、隣人などからの通報により、事件が発覚するケースが増えている。

関連項目
被虐待児症候群
児童相談所
児童買春
家庭内暴力
動物虐待
ペットがある、児童虐待の見られる家庭では、その6割に動物虐待行為(内3割は被虐待児によるもの)が見られるとする統計もあり、兎角世間から気付かれ難い児童虐待行為のシグナルとして、これに注目する向きがある。

最近発覚した児童虐待
岸和田中学生虐待事件(2004年)
大阪府岸和田で中学3年の長男に食事を与えず、餓死寸前まで追い込んだ。発見当初、長男は身長155センチに対して、体重が24キロであり、皮膚の一部が壊死、腐敗しはじめていた。また、次男にも虐待をしていた。
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キララ☆ネット ~ひとりひとりが 自分らしく 輝くために~に、
 『性的虐待について共に考える会』発足宣言があります。

性的虐待:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性的虐待(せいてきぎゃくたい)とは、成人と子供等、一定の力関係が発生する状況で例えば成人が幼児に加える性的な行為で、当事者がその行為を強制されたもの、望まないもの、嫌悪感のわく恐ろしい出来事と感じたことを指す。

定義
一般に性的虐待というときには、狭義の性的虐待の意味であり、これは一定の人的関係を持つ者(親族、保護者、社会における関係者)による(広義の)性的虐待を意味する。

児童に対する性的虐待がもっとも早く社会的な問題として顕在化したが、高齢者に対するもの、配偶者(内縁関係を含む)に対するものについても認識されつつある。

一般には、暴行脅迫を用いた狭義の強姦や保護者としての地位を利用した近親姦(広義の強姦)のイメージが強いが、これに限られず、性器や性行為の見せつけといった行為、被虐待者の身体への軽い性的接触といった、いわゆるセクハラと同様な行為もこれに含まれる。

性的虐待そのものは強姦や児童に対する身体的虐待やネグレクト同様に古くからあるが、抑え込まれてきた事の一つでもあり、被害がおきている事は事実である。

被害児の多くが女児であり、男児の被害者も少数いるが見過ごされがちである。加害者の多くは父親だが、稀に母親の虐待者も存在する。

性的虐待の影響
性的虐待の被害児は、大人に加害されるという異常な状況が繰り返しおこる事によって多くが深刻な心理的外傷を負う。その症状は、抑うつ、不安、自傷行為、自尊心の欠如であり、適切な対応が取られない場合は特に生涯にわたって影響が見られる。

事例
アメリカではカトリック教会でも性的虐待の事実が明るみになったため、大規模な調査が行われた。イラクでは米兵らによるイラク人への性的虐待が明らかになり波紋を呼んでいる。

再発防止への妨害
加害者として訴えられた個人や団体は、フロイトが一時用いた説を用いて否定している。フロイトは当初、ヒステリー患者の女性は幼児期の性的虐待が心理的外傷となり精神疾患を引き起こす説を発表したが、途中で説が変貌し幼児性欲の幻想であると唱えた。この原因について、後のフロイトの手記に本当は当初の心的外傷論が正しかったと触れられると共に、自身の幼い娘に性欲をもち、悩んだ記録が発見されている。この手記の発見により、フロイトの虐待幻想説への転換は、当時の社会な反発と共にフロイト自身が小児性愛者であり性的虐待の加害者になる可能性があった事への関連が指摘された。加害者になりうる立場として、被害児童の証言能力の低下や、「幼児の性欲」を仮定し性的虐待を子供が望んでいるとすることで、小児性愛や性的虐待行為を正当化する目的があったと考えられている。いずれにせよ転換後の説はユングによって否定され、現在の米国の心理学では被害児にとってグロテスクで苦痛であった虐待は、幻想になりえないと結論されている。

反動・発見
子供への強制猥褻を虐待と捉える事への反発は、例えば米国においては小児性愛の肯定をする団体が主張しており、同国で相次いで証明された被害の多さにたいする反動と考えられている。

大人が家庭内で幼児を性的に虐待する時、証拠が残らず又幼児の証言能力が社会的に弱いものである事を利用し、虐待をすることが多い。また立場的に子供は圧倒的に弱い事が多く(腕力と知力も同様である)、大人の権威の下で虐待を否定されれば大人になるまで告発できず、自分のされた事の認識をできるようになるまでには証拠も多くの場合無くなっている。パワーハラスメントとしての側面ももつ。

日本
日本社会において性的虐待の現実に関する認知度は低い。児童の訴えを聞いても、加害者の代わりに被害児童を責めることも多く、心理的に被害児童が訴え出るのが難しい状況にある。まれにある例として、女児が実父、あるいは養父から性的虐待を受け、それが母親に発覚しても、追求した場合の家庭崩壊への極度の恐れ、経済的弱者な故に黙認、ないし女児への理不尽な責任転嫁、また夫を娘に取られたと錯覚し、発覚以来肉体的暴力に走るケースも少なくない。また稀な反例を用いて性犯罪者側を許容、黙認する傾向があり、このことが性的虐待を助長する一因ともなっている。トラウマを負い、精神疾患を発病させる暴行を加えられた被害児童が増えることは大きな社会的損失につながる。

性教育
子ども自身が体と性の仕組みを知る中で自身を権利主体と認識することは、人権を尊重する基礎である。子供が性的虐待にあった時に、自分のされたことが犯罪だと知っていることが重要な意味をもつ。子供が知識武装されていることによって、被害にあった際に他の大人に訴え出るなどの防衛手段をとることが可能になる。人権教育としての性教育は、性的虐待を含めた暴力加害防止のための重要な取り組みとされている。このような事例を扱った小学三年生向けのビデオ教材が東京都教育委員会により「児童の発達段階を踏まえない不適切教材」に指定されるなど対応は難しい。

関連項目
痴漢
児童虐待
児童買春
配偶者からの暴力
性教育
2005/08/27のBlog
[関連したBlog]
★上記「関連したブログ」以後につづく、ブログ記事、コメントの用語解説です。
全体は、サイドメニュ-のジャンル「女人禁制}からご覧ください。まだまだ続きます。

女人禁制:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
女人禁制 (にょにんきんせい)とは、女性に対して社寺や霊場、祭場などへの立入りを禁じ、女性の参拝や修行を拒否する慣行のこと。

女性の生理に関係する特定の期間を忌みとする一時的な女人禁制と、女性を排除して恒常的に立入りを禁ずる永続的な女人禁制がある。

女人結界
特に、霊山における入山規制の結界を「女人結界」と言い、その境界には女人境界石が建てられていた。しかし、信仰心の篤い女性信者のために、結界の外に女性が念仏に励む場所として女人堂が建てられた。また、女性の参拝・修行を許可した場所を「女人高野」という。

明治時代の文明開化以降、多くの山の女人結界が解除されたが、一部では未だに残っており、また近年、女性の社会進出と共に「女人解禁」が議論され、解禁された場所もある。

由来
霊山などへの女人禁制は、修験道による働きかけによるが、これは仏教の女性観に基づくもので、女性が修行の妨げになるためだと言われているが、そもそも日本で最初の出家者は尼であり、この説には異論が残る。一説には、巫女やイタコといった「女性には霊がつきやすい」という観点から、女性を守るためであると言う。

祭りに女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透した江戸時代以降のことであり、古事記には祭りに女性が参加していた記述が見られる。

女人禁制とされている(されていた)場所
山岳・霊場
石鎚山(愛媛県) お山開き(7月1日)
大峰山山上ヶ岳(奈良県) - 山体全域が対象で、登山道には大きな看板が立つ。(反対運動あり)
高野山
後山の奥の院(岡山県)
アトス山(東方正教会の修道院が置かれ、家畜に到るまで全山男性のみ)
祭り
祇園祭の長刀鉾
博多祇園山笠(福岡県)
その他の場所
大相撲の土俵
工事中のトンネル内(現在は女性技術者もおり、問題となることはない)
酒蔵(現在は女性杜氏もいる)
野球場
古代ギリシャのオリンピア競技場
沖ノ島
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★「聖域」では検索が出ませんでした。
聖地:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

聖地(せいち, sacred place, holy ground, holy site)とは、特定の宗教、信仰にとっての本山、本拠地、拠点となる寺院、教会、神社のあるところ、またはその宗教の開祖、創始者にまつわる重要なところ、あるいは奇跡や霊的な出来事の舞台となったところをいう。ユダヤ教ではエルサレム・ヘブロン・ティベリア・ツファットの四聖都をはじめ、シナイ山や聖書の登場人物の墓・各地のラビ廟など、キリスト教ではエルサレム・ローマ、イスラム教にとってはメッカ、インドの仏教では八大聖地、日本の伝統的信仰では伊勢神宮・恐山などを指す。

そこに参拝することは、信者にとって特別なことであり、それへの巡礼は信仰生活にとって特別な意味を持っている。

また英語で"the Holy Land"というと、神がイスラエル民族に与え、イエス・キリストが誕生したとされるパレスチナの地を指す。
2005/08/26のBlog
[関連したBlog]
★ここで言葉の定義を調べてみたいと思います。

「涅槃」のキーワード検索(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から、
ウィキポータル 仏教:三法印(さんぼういん)は、仏教の教えを特徴づける三つの考え。仏教自身と他の教えとの区別を明らかにすると同時に、自身の特徴を示そうとして「諸行無常印」「諸法無我印」「涅槃寂静印」の三法印を説いている。時にはこれらを略称して「無常印」「無我印」「涅槃印」ということもある。とあります。

他に次の仏教用語のキーワードが、サイド・メニューに並んでおり検索できます。
仏教:基本教義:縁起, 四諦, 八正道:三法印, 四法印:諸行無常, 諸法無我:涅槃寂静, 一切皆苦:人物:釈迦, 十大弟子, 龍樹:如来・菩薩:仏の一覧:部派・宗派:原始仏教, 上座部, 大乗:地域別仏教:経典:聖地:八大聖地
さらにこれらの用語解説中に含まれる言葉について、例えば「苦」という文字にも検索リンクが付き、仏教で云う「苦」とは何かを学ぶことが出来ます。

四法印:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三法印に対して、「一切皆苦印」を加えて四法印とするのが『瑜伽師地論』の四法嗢拕南説である。「一切諸行皆悉是苦」と説かれている。
これが、初期経典にいわれる「いっさいは苦なり」をうけたものであることは明らかである。「色は苦なり。受想行識も苦なり」というのが、これである。これは、常執と我執とによって、無常、無我の世界に常住や自我を追い求めるから、すべてに「苦」になるのである。

 仏教は現実を「苦」という。それは現実を生きることは本質的に人間にとって苦であることをいう。本来は平等一相一味である世界、何らの固定性をもたない変化そのものの存在に対して、変化するもの自身をつかんでいなくては生きられない。よりどころとはならないものを、あてにして、我他彼此の妄念差別(しゃべつ)の心を生じ、すべてを対立的にみる。これこそ「苦」である。そこで、この現実が苦であることを「一切皆苦印」として別立するのである。いま、このような四法印によって現される仏教の根本構造は次図のようである。

 諸行無常、諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたである。無常と無我とを自覚して、それによる生活を行うことこそ、煩悩をまったく寂滅することのできた安住の境地である。
 無常の真実に目覚めないもの、無我の事実をしらないで自己をつかまえているものの刹那を追い求めている生活も、無常や無我を身にしみて知りながら、それを知ることによってかえってよりどころを失って、よりどころとしての常住や自我を追い求めて苦悩している生活も、いずれも煩悩による苦の生活である。
 それを克服して、いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すものである。

 差別(しゃべつ)とは、仏教世界において、全ての物が一如平等であることに対する、高下、善悪などを持つ特殊相のこと。★詳しくは下記の付記を参照ください。
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★ 実はこのブログの本来のお尋ね 「大峯山(山上ケ岳)の「女人禁制」と「人間の尊厳」との関わりは?」についての解答が含まれている主題部が、ここに出ています。
 それは、この用語解説が正しいとするならば、
>本来は平等一相一味である世界、何らの固定性をもたない変化そのものの存在に対して、変化するもの自身をつかんでいなくては生きられない。よりどころとはならないものを、あてにして、我他彼此の妄念差別(しゃべつ)の心を生じ、すべてを対立的にみる。これこそ「苦」である。そこで、この現実が苦であることを「一切皆苦印」として別立するのである。
>それを克服して、いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すものである。

★ とあります。釈迦の涅槃の悟りと、大峯山における役行者の解脱の悟りが異なると云われれば、また修験者各個人の目指される悟りも、またそれぞれ異なると云われれば、それまでですが、「女人禁制」:人権論で云う男女平等論は、吉野山人様が信仰の世界と、女性人権論者の主張する男女同権論とは違うと強調されていますので、このブログではとりません。

★ しかし「本来は平等一相一味である世界」とあるに対し、「女人禁制」を「とらわれの心」のひとつであるとするならば、それを修験の悟りのための非日常性環境維持のために必要とされることに矛盾はないのかと、そこで得られた最高の叡智に自己信念の点で足らぬところが残るのではないかと、お尋ねする必要がありそうです。しかし今の段階では、このお尋ねを先送りして、今しばらくの間、話題を広げたいと思います。
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付記:
修験道:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
修験道(しゅげんどう)とは、山へ籠もって厳しい修行を行う事により、様々な「験」(しるし)を得る事を目的とする宗教である。修験道の実践者を修験者という。

山を神として敬う古来日本の山岳信仰と神道、仏教、道教などが習合して確立した日本独特の宗教である。奈良時代に成立したとされる。開祖は役行者とされる。

平安時代ごろから盛んに信仰されるようになった。平安初期に伝来した密教との結びつきが強く、鎌倉時代後期から南北朝時代には独自の立場を確立した。密教との関係が強かったことから、仏教の一派とされることもある。

明治時代初頭政府によって一時禁止された。現在は、奈良県吉野山の金峯山修験本宗 総本山 金峯山寺、京都市左京区の本山修験宗 総本山 聖護院門跡、同伏見区の真言宗醍醐派 醍醐寺三宝院などを拠点に信仰が行われている。
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役小角:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
役小角(えんのおづぬ、えんのおつぬ)は、通称を役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれる修験道の開祖。
略歴
634年に大和国葛木上郡茅原(現在の奈良県御所市茅原)に生まれる。生誕の地とされる所には、吉祥草寺が建立されている。17才の時に元興寺で学ぶ。その後、葛城山(金剛山)で山岳修行を行い、熊野や大峰の山々で修行を重ね、金峯山(吉野)で金剛蔵王大権現を受け取り、修験道の基礎を築いた。

二十代の頃、藤原鎌足の病気を治癒したという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えた。

699年に謀反の疑いをかけられ、伊豆大島へ流刑となり、701年に疑いが晴れて茅原に帰る。

706年6月7日に68歳で箕面の天井ヶ岳にて入寂したと言われる。

後の平安時代に山岳信仰の隆盛と共に、「役行者」と呼ばれるようになった。寛政11年(1799年)には、光格天皇より「神変大菩薩」の諡を賜わった。

天河神社や大峯山龍泉寺など殆どの修験道の霊場は、役行者を開祖としていたり、修行の地としていたりするなど、必ずと言っていいほど、結び付けられている。

伝説
役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという。左右に前鬼と後鬼とを従えた図像が有名である。ある時、葛城山と金峰山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛城山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。

また、役行者は、流刑先の伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていったとも言われている。

また、ある時、日本から中国へ留学した僧が、向こうで経典の講義を行っていると、聴衆の中に役行者がいて、その僧に質問したと言う。
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差別:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
差別(しゃべつ)とは、仏教世界において、全ての物が一如平等であることに対する、高下、善悪などを持つ特殊相のこと。
差別(さべつ)とは、ある物と別の物の間の差異のこと。または取り扱いにおいて他と差をつけること。漢語由来の言葉であり、現代の北京語では「差異」の意味で用いられる。

差別(さべつ)とは、人の取り扱いについて、正当な理由による合理的な対応の差ではなく、不合理・不当な、あるいは無関係な理由によって他よりも低く扱うことによって不利益を与えるような対応のことを指す。かつての日本では、「差別」は2のように主に「区別」の同義で使われていたが、現在はすっかりとってかわって「差別」には、人間の扱いに不当に差をつけることを言う 3.のような意味が附加され、主にこちらの意味で用いられるようになった。本来の意味での「差別」は、今日では「無差別級」や「無差別殺人」などのような一部の用法に残っているのみである。
以下では、3の用法について記述する。
差別の種類
現在、日本国内に存在する差別として以下のようなものが知られている(五十音順)。

家柄差別
階級差別
学歴差別
思想差別:日本においては特に、共産党員及び共鳴者に対し、企業内での各種差別(業務に就かせない、不当に昇進昇給させない、転向を強要する)が公然と行なわれ、“憲法が定める思想信条の自由に対する侵害だ”として訴訟に発展・勝訴する例が度々発生している。
障害者差別
地域的差別
関連項目:欠格事由
収入による差別
勝ち組・負け組(本項スタブ)
職業差別:日本においては特に性風俗産業(アダルトビデオ、ストリップ、風俗店等)の従事者に対する差別が平然と行われている。しかし、これは他の国々でも程度の差こそあるにすれ同様である。中にはイスラム諸国のように性風俗や水商売の営業自体が禁止されている国もある。
人種差別:黒人差別など。逆に白人―欧米人無条件崇拝もみられる
性差別
男性差別
女性差別
性的指向による差別
部落差別
年齢差別:アメリカでは年齢差別が厳しく規制されているが、日本では年齢差別にもとづく就職差別が合理的なものと見なされている。
民族差別:日本においてはアジア系在日外国人、特に在日コリアンへの蔑視が多い。潜在化しているがアイヌの人々に対する差別もあるとされる。
また日本では比較的稀だが、海外における信仰による差別、身分差別、カーストなどもよく見られる。
2005/08/25のBlog
[ 08:56 ] [ 女人禁制 ]
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まずはじめに、ブログで「悟り」の論議をするとはと、熱心な仏教徒さまには叱られるかもわかりません。宗教とは関係のない全くの門外漢の戯言と笑っていただき、またご指導を賜れば非常に光栄です。あくまで門外漢の私見ですので、「悟り」とは、人それぞれの「人生」だと思いますので、ご容赦ください。また決してだいそれた「指摘」などでなく、無知な一市民からの「お尋ね」にすぎないことを、あらかじめお断りいたしておきます。

 さて、私の活動方針について、かねてから釈迦の教えにある「涅槃」の心に反するのではとの悩みを持っていました。知り合いの禅師様達に尋ねても信仰は理屈じゃないと云われるばかりでした。

ブログでは、『 ★キョンタの森へ行こう♪ 』の禅語に詳しいキョンタ君に「青山元不動」を好きな言葉と書かれていましたので、コメントで尋ねました。しかしキャンプのことも書きましたので、このことにはご指導をいただけませんでした。

今回「大峯山(山上ケ岳)の「女人禁制」と「人間の尊厳」との関わりは?」について、
「飛ばないパンダ:コロコロこころ」様から、ブログのコメントで沢山のご示唆をいただき有り難うございました。

その一つ「涅槃の悟りの心」とはの Q&A の抜粋です。
Q:前のブログで修験道奥駆け修業の山上ケ岳女人禁制について、一市民としての疑問を書いています。

A:女人禁制ですが、西洋でも同じような風習があり調べたことがあります。
どうも、女性の月のもの→不浄→汚れる・・・という発想のようですが、
イスラム世界だったかどこだったかに、男子禁制の場所があったり、様々です。

Q:宗教的な戒律の問題は、伝統もあるでしょうし、当事者の自覚が必要だと思います。聞くところによると女性の修験者もおられる由、役行者の感得された最高聖地を見ずして中途半端な?修験で良しとされる心理もわかりません。習慣だと諦められている?

A:高野山に女人高野というものもありますし、自覚といったものではなく、そのプロセスで何を悟り何を得るかといった、もっと精神世界によるものではないでしょうか?
早い話が性差別ではなく、修行者の気が散ることを避けることから始まったのではないかと、私は思います(笑)
そうではないと、昔は今以上に女性の力が強かったと聞きますので、不浄だから駄目というのであれば、民衆は納得しなかっただろうと推察します。

Q:なるほど、女性の力が強かったから、修業の気が散るのを防いだ。神代の天の岩戸伝説では、たしかに女の方が強いですね。
非日常生の環境構築維持のために有効との論点が出されています。
それなら四半期に分けて、交代に修験期間を設けられてはとも思いますが、素人考えだと怒られますね。(笑い)

A:四半期に分けて、交代に修験期間・・・って無理じゃあないですか?
千日回峰のように、長期間とか一生をかけての修行ですから。
ある僧侶が「色情因縁を取り去ると人間じゃなくなる」といっていたぐらい難しいものだけに、修行に没頭できる環境作りをしたのが『女人禁制』だと思います。

Q:そうなのですか。また四国巡礼講(雑誌で見るくらいで、これもよく知りません)のように、講元が人集めされて信仰登山をされるぐらいに思っていました。
全くの不勉強で申し訳ありません。そうなると自己のための信仰修験が本来の姿、その信仰者にとって、世人の救済とは、どういう意味を持つのでしょうか。

A:どうなんでしょうね、だんだんと難しくなりますね。
浄土系の大衆仏教と、真言・天台等の密教との違いだと思います。
信仰者の数とか地域を拡大することに力を入れている宗派と、悟りというか自己完結してから教えを説くという宗派の方法論の違いではないでしょうか?
私は大学で仏教学序説は履修させられましたが、35年も前のことであまり覚えてません。

Q:中3の担任恩師(故人)が歴史の先生でしたが、その先生に手伝えと云われて「綾部の文化財」に引き込まれました。ところがこちらは経済人、歴史は好きでしたが全くの門外漢です。むしろ「まちづくり」論で資料館建設促進の組織づくりのお手伝い。現在もHPづくりのお手伝いです。そんな関係で、地元の住職様、宮司様は大体知っていますので尋ねると良いのですが、宗教って理屈じゃないんだって答えが返ってくるのが常です。
私の方針は「恐いから、判らないから、難しいから、面白い。」ですが、仏様の「涅槃の心」の正反対のようで、「涅槃」についても教えて貰えません。

A:「涅槃の心」ですか・・・。 
大学出てから30年以上経ってますし、感覚的には理解してても、文章化するには無理がありますね。記憶を辿る時間をいただけるのなら、自分なりに取り組んでみますが、お急ぎなら図書館で『仏教学』関係の本を探してみて下さい。

Q::「涅槃の心」表面的な意味は大抵の解説書にありますね。釈迦の3大教えの一つ、最後の悟りの結論ですね。ところがその表面的な解釈ではただの逃げ、事を起こすな、長いものには巻かれろにしかならず、そんな教えではないと思うのですが・・、最後の悟りの境地が「涅槃」なら、そこに落ち着くまでの諸行無常なりにドロドロの足掻きがあると思うのですが・・どうなのでしょうか。

A:「涅槃の心」って、その辺りの解釈のことですか?
全ての人間的な思考思案を通り越して、その先にある『静』だとか『無』の境地を示した言葉だと思います。
有ると思えば有る、無いと思えば無い・・・という境地が「涅槃の心」だと思います。
で、そこに落ち着くまでの諸行無常なりにドロドロの足掻き・・・ですが、私自身がそこまで至っていないので分らない部分ですが、その涅槃の境地になるように修行するのに、色々なプロセス・方法があり、煩悩の最大の難問である色情因縁を断ち切るための「女人禁制」だと思います。
自分で文章を作っていながら、だんだんと分らなくなってきました(笑)

Q:大分迷いから抜けられた感じです。「涅槃」は「色即是空 空即是色」の境地ですね。
私の「恐いから、判らないから、難しいから、面白い。」は、事なかれ主義、安きに流れる心への自戒です。ミニ冒険派ですが、安全を見切ったなかでのことで楽しもうと云うものです。怪我や事故騒ぎを起こして他人に救援を求め、人に迷惑をかけない中での遊びです。宝探し的要素、達成感などもあり、釈迦の「涅槃の心」をよそにして止められません。お笑いください。

「色即是空 空即是色」には、私の名前にまつわる青春時代の「トラウマ」的な(笑い)因縁があるのです。泣き虫余話(私の名前)もう前に退会した組織での話題集の中の一話です。ご笑覧ください。

A:前略・・現在は天理教で若い方々のお世話をさせて頂いておりますので、仏教とは段々と疎遠になってきています。
ただ最近感じるのは、何教にしても、行き着く先は同じ境地になれるのではないかなぁ・・・と思えてきました。
無駄に年を取って、老化しているだけかもしれませんが・・??

Q:人それぞれに信仰の方法は多様だと書かれ、「女人禁制」は「涅槃の悟り」に専念する環境だということですね。
・悟りは、非日常の中でしか得られない。
・悟りには、日常性は関係がない。童子でも悟れる。
・悟りの公題(と云うのですか)も日常性との連続は必要がない。
ということになりそうですね。
私は、日常活動を行うこと自体が、手段でもあり目的に近づく活力だと思うのですが、日常から完全に遊離した修業に、どんな評価をするべきか判りません。
確かに開祖と伝えられる方々の「悟り」には、大変なドラマがありますね。
一市民の預かり知らぬ信仰の聖域を、尋ねること自体に無理がありそうです。

A:>悟りは、非日常の中でしか得られない…は、仏教では「死後の世界=極楽浄土」という教えがあり、まだ見ぬ世界への憧れともいうか、そのために邪念を払い無我の境地になり易い環境整備のために「女人禁制」という手段をとったのではないかと思われます。
しかし、「この現世こそが極楽」と言われたら、悟りを得るための修行の方法も大きく違ってきたのではないでしょうか?
そもそも「悟り」の存在さえ無用になり、「現世でどう考えどう生きるか」だけが人生のメーンテーマになります。

>日常から完全に遊離した修業…というものが、不必要と思わざるを得なくなりました。
この考えを知ってから真言の行から離れ、天理教に大きく深く傾倒して行くことになりました。
それに、どの寺社仏閣に行っても不浄霊しか見えなかったのが、天理教本部神殿で親神様のお姿を拝したことも、傾倒の一要因になったことも事実ですが…。

Sub:「知的なターザン:アクティブシニア」
3ヶ月の修行頑張ってください。何よりのトレ-ニングですね。
夜遊びもなしの筋トレ?失礼。精神トレですね。
私も地元に大本大道場があり5日間トレ(亀岡・綾部)ですが、行きたくても時間の余裕がなく参加できていません。もち信者でなくても参加可能。貴殿は信者さん?

Q:たった5日間の亀岡・綾部の修行道場ですが、心の洗濯と王仁三郎聖師の悟りの場を拝観したいと思ってるのですが、その余裕もない駄目人間です。
聖師:出口王仁三郎
≪高熊山での修行≫明治31年(1898)旧2月、郷里の霊山・高熊山にて1週間の霊的修行を行う。霊界の秘奥をきわめ、天眼通、天耳通、天言通、宿命通、自他心通などの高度な霊能力を体得。救世の大使命を自覚。

大本大道場長日記の(ようこそ、まさとんち:出口真人師)には、綾部でお出あいし霊界の話などを伺いました。
大本聖地の弥仙山のことなどもあり、コメントでは収まりませんのでブログ記事にしたいと思います。

A:3ケ月の修行(実際は修行ではない)ですが、人間の意志によってだけその生活に入られる方はごく僅かで、多くの方は『突然』道が開けるもので(私の場合もそうでした)、思い念じていてもなかなか修養生活には入れません。
その期間が3ヶ月であれ5日間であれ、同じことが言えると考えます。
駄目人間と決め付けるのではなく、また、思い切りがつかないという人間の意志ではなく、まだ機は熟していないのだと考えられるほうがいいのではないのでしょうか?

Q:>まだ機は熟していないのだと・・
なるほど、そういう運命論で考えても良いわけですね。
「恐いから・・・面白い」主義は、逆に常に仕掛け人たろうとしてしまうのです。そこらを「涅槃」の教えの反逆者だと感じるわけなんです。

A:人生はすべて選択できるように錯覚をするのが人間の性ですが、実はビックバンの時から、あるいはそれ以前から、すべて決まっているように感じてきました。
その分岐点に思える箇所で、どう思案しどのような心遣いで定めの道を歩んでいくか?…ということではないでしょうか?
その思案が『涅槃の心』でするのか、『邪気の心』でするのかで、こみ上げてくる喜びとか嬉しさの強弱が大きくかわるように思います。
生きている=当たり前:生かされている=感謝…ということになりませんか?

Q: 物事決定の動機が、善意でするか、悪意から行うかは大切なことですね。常に「生かされている」という「感謝の心」も大切ですね。

以下、省略します。
2005/08/24のBlog
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「恐いから、判らないから、難しいから、面白い。」
上記は私自身の活動方針です。三歳の時に慢性中耳炎にかかり、大阪心斎橋の牟田病院に入院、当時はペニシリンなどなく不治の病となりました。小学3年生の時に綾部に疎開してきて、耳が悪く、腺病質で病気がちで、背も前から3番目と低く、泣きべそで、恥ずかしがり屋で・・人に話しかけられると「なに」としか返事できず、(低脳児)と疑われて(特殊学級)に入れられていました。注:今はこの(言葉)は使われません。劣等感の固まりのような、そんな自分でしたが、高校生位から背丈が伸び始め何とか健康になりました。福井で学卒後、富山で社会人になり、綾部に連れ戻され結婚。人口4万足らずの地方小都市のこととて否応なしに「まちづくり」の活動組織の一員になり、出会う同級生からは「あのおとなしい人が」と云われながら、皆様に助けられて役目をこなしました。
もう退会しましたが、RCの会長を務めるに当たり、自分自身の活動方針としたのが、表記です。事なかれ主義、安きにつく、長い物に巻かれろ、消極的、恥ずかしがり・・を戒め、自分から仕掛け人として行動を起こす気持ちを込めたものです。
 内容は読んで字のごとく単純なことです。スキーで北の壁の上に立ち下を覗き込むと絶壁で足がすくみますが、斜面に入ってしまえばどうってことはありません。コブコブ斜面を上級者のように滑る足技はありませんが、危険を見切ってしまえば、これほど面白いものはありません。怪我して人に迷惑を掛けるならやりませんが、そこは自分の限界の中で楽しめます。里山散策(藪こぎ)にしても、目指す山頂に立てるのか、どこに行き着くのか判らない、ミニ冒険的な面白さがあります。パソコン技術でも未知の謎解き要素があれば、出来たときの達成感が得られます。独学でプログラムを組む努力をしたときに、判らないままに色々とやり、がむしゃらに不確実な情報量が増えたある時点で、壁の向こう側に到着していることを知った喜びは、その技術が自分のものになったという喜びでした。 つづく
2005/08/02のBlog
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この文章は、役行者ファン倶楽部の掲示板吉野山人さまの「役行者・修験道を語る」に投稿しましたコピーです。「女人禁制」に少し理屈をこねてみました。長文でしかも寸足らず、説明不足で申し訳ありません。
「女人禁制」について賛否両論があろうと思います。もしご意見が有れば、メインステージの上記掲示板の方にご投稿ください。

大峯山(山上ケ岳)の「女人禁制」と「人間の尊厳」との関わりは?
先月、綾部の文化財を守る会の研修旅行で、金峯山寺蔵王堂の日本最大秘仏、国宝・金剛蔵王権現像の特別ご開帳を拝観しながら、宗務総長・執行長:田中利典師の法話を拝聴し、さらに蔵王権現本地堂に移って、蔵王権現の本地仏:釈迦・千手観音・弥勒の三尊を前に同師のご法話を拝聴、続いて蔵王権現堂をバックに記念写真を田中利典師にも入っていただいて撮影させていただき、誠に有り難うございました。
記念撮影の写真研修旅行レポ研修旅行バス2台の車中で回覧された週刊朝日の記事紹介です。

なおこの掲示板に書かれた吉野山人さまの「女人禁制」検索記事:36件、A4版41ページの関連資料もご紹介しています。
当日は田中利典師は、会員の知人との会話もありご多忙でしたし、私も写真係で時間がなく、HP連絡とご指導をいただく件で、名刺交換のみ頂くことができました。

Q1.:「女人禁制」は、男性修験者自身の人格、品位、「人間の尊厳」を損ねていませんか?
 まず歴史の門外漢が一市民として、また幼稚な的はずれの独断的意見をもって、多々お尋ねする非礼をお許しください。ご指導を賜れば大変光栄に存じ上げます。
・封建社会において「女犯の戒律」が厳存していたときの「女人禁制」は、当然であったと思いますが、現在は家庭を持つことが良識である時代です。

<経過説明>
・昨年、同期でブログ(日記)を始めた時から関わり合いのできた3組のご夫妻を紹介します。いずれもご夫婦で仲良く登山されている方々です。熟年の夫婦登山は、老齢化社会の時代的背景もあり、微笑ましいことだと思います。
・Pさんご夫妻は、ご主人が「奥駆け修行」をブログにレポートされています。
・Tさんご夫妻は、ご主人が大峯山に登られ、奥様は留守番ブログで嘆いておられます。
・Fさんご夫妻は、隣のM市在住で、足慣らしに神変菩薩(役行者)の祀られる愛宕山登りを夫婦の日課とされ、
山野草を求めては、近江、若狭、丹波、兵庫、岡山などの山々を連日のように、ご夫婦で闊歩されています。
・研修旅行に先立ち、綾部の文化財を守る会からの回覧図書「修験道っておもしろい」田中利典著をブログでも紹介しましたところ、
奈良県には足を踏み入れないの決意表明がコメントにありました。宗教者自身の問題として真摯に取り組みたいとの著者の意をお伝えしたのですが「スポーツ登山は別として」のことで「人間の尊厳」の問題であり、宗教者と登山者を区別することではないとの意見が戻ってきました。

・非日常性を修験の場に維持することは非常に大切だと思います。「葷酒山門に入らず」と綾部の寺院にも出ておりますが、エコ的にも谷川の水を汲み、天水のみで一滴の水も押し頂いて修験されていることと思います。
・叡山の高僧?が焼き討ちに対して「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言ったと聞きます。女人の存在が、修験中の非日常性の確立に支障があるとされるなら、修験者自体が未だ、気が弱く、精神の不統一を表すのではないのでしょうか。
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訂正:「心頭滅却すれば火もまた・・」の叡山の高僧・・は私の不勉強、思い違いでした。訂正します。

[ワンクリック] [2005/09/11 14:20] [URL]
初めまして。
ちょっと気になりましたので、コメントします。
・叡山の高僧が焼き討ちに対して「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言ったと聞きます。女人の存在が、修験中の非日常性の確立に支障があるとされるなら、修験者自体が未だ、気が弱く、精神の不統一を表すのではないのでしょうか。
とのご指摘ですが、これは山梨県臨済宗妙心寺派恵林寺住職だった快川禅師の言葉だと思います。心頭滅却・・・は禅宗の語録『碧巌録』などで用いられた表現ですから、叡山ということはないと思います。

>心頭滅却すれば. 天正10年と言えば、いまから450年ほど前のこと。織田信長が、甲斐の国に攻め入り、恵林寺を焼き討ちにした際、僧侶 ...
とありますね。大失敗。
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Q2:「女人禁制」は、修験道の「女人から受けている保護策」では?
・女人を排除するつもりが見方を転ずれば、「女人禁制」とは「女人からの保護」を受けている状態です。その保護の元で修験され、得られた最高の叡智をもって、女人を諭される法話に真の価値が有るのでしょうか。論理面でなく修験者ご自身の信念の面で足らないのでは。
・明治維新では、廃仏毀釈など修験道も法難の犠牲を払い荒波をのり超えられました。平成維新と言われる21世紀の変革、国際化、グローバル化の中で、経済も社会も自由化の波に晒され、「保護策」を脱ぎ捨てることを余儀なくされています。「女人禁制」という保護策をつけたままで得られた叡智で、あらゆる保護策を非とする今日の経済社会に対しどの様な説得力が維持されるのでしょうか。同じく論理面でなく、拠って立たれる自己信念の面で足らないのでは。
・伝承文化の点で「女人禁制」が大切な要素であることを理解するにやぶさかではありません。ただ形骸化するに任せず、今こそ「女人禁制」に新しい価値観を創り上げられるべきだと思います。それが出来れば「女人禁制」は生きていると世間も認めうるでしょう。

Q3:山上ケ岳は、地球ガイアの大地では?
・知的生命体が己の自由意識で存在の許されない場所はないと思います。
・例えば大相撲大阪場所の府立体育館は公共建築物で、平素は男女とも利用しています。期間中のみ相撲協会が借り、私的使用権の元で私的な施設を設けて使われる場合に当たり、トポロジー的にはその一角に、一時的に男子施設を設けたにすぎないように思います。
・伝承文化の理由から、国立公園を男子専用に借り上げられている。あるいは、私有地があり居住性のある男子専用の私的施設が設けられている。実際はどちらでしょうか。
・吉野山人さまの言われる「大峯山の尊厳」とは、この部分を言われるのだと思います。「修験者自身の人間の尊厳」と少し異なるのでは、またFさんの言われる「人間の尊厳」とも異なるかも。

・日本で初めて世界連邦平和都市宣言をした綾部市には、万教同根の理念で排他的な宗教戦争をなくして相互理解を深めようとする世界宗教者平和会議などの活動があります。
・吉野山人さまが書かれている「吉野大峯から熊野に至る一帯が持ち得た歴史・文化は日本固有のものであり、大峯修行道や熊野古道は歴然として日本人の営みを今に語り伝えているが、そういうものをきちんと守っていく中での繁栄こそが、真の意味で豊かな国家を築くことにであり、世界各国との共存共生に繋がるものであると確信する。キリスト教やイスラム教のような一神論的なもので世界全体をグローバル化することの綻びは昨年の米国同時多発テロ事件以来、世界も認識するところであり、むしろ多神教的な、互いの価値観を認め合うところにこそ、共生の源があるのではないだろうか。四季の豊かな日本は我々を取り巻くあらゆる恩恵に、神を見、仏を感じてきた。そういう精神性を修験道の思想や儀礼は脈々として今に伝えている。見失いつつある日本人のアイデンティティの覚醒につなげることで、真に豊かで国際的な日本の創造があるのではないだろう」と同じ考えです。綾部ではユダヤとイスラム・アラブの両者の融和の姿が見られるなどの成果も上がっています。
・世界文化遺産の指定を得られた今こそ、世界への文化貢献の道を求められるべきであると思います。
2005/07/30のBlog
[関連したBlog]
綾部の文化財を守る会の研修旅行「世界文化遺産・吉野の国宝と文化財を訪ねて」の80名のバス2台の車中で回覧されたのが、この週刊朝日6/17号です。
時の人、田中利典師は、綾部のご出身で自坊も綾部市渕垣町にあり、参加の会員にも多数の知人がおられました。
なお、上記の[関連したBlog]に、日本最大秘仏、国宝・金剛蔵王権現像の特別ご開帳を拝観しながら、修験本宗総本山金峯山寺宗務総長:田中利典師の法話を拝聴し、さらに蔵王権現本地堂に移って、蔵王権現の本地仏:釈迦・千手観音・弥勒の三尊を前に同師のご法話を拝聴、続いて蔵王権現堂をバックに記念写真を田中利典師にも入っていただいて撮影しました写真があります。

週刊朝日6/17号/60頁
夫婦の情景より
幾重にも重なる山々にこだまする法螺貝の音が、山伏の季節が到来したことを告げている。紀伊半島の霊峰大峯山脈を尾根づたいに行く「大峯奥駈道」は、吉野山に始まる。山伏である夫は、この修験者の道を世界文化遺産に登録させた仕掛け人だった。霊域と世俗を行き来する夫と、彼を支える妻に会いに、修験道の聖地・吉野山を訪ねた。

◆女人禁制
夫「在家でありながら修行するのが山伏の本分。親父は国鉄に勤めながら修行していました。綾部はもともと行者信仰があついところで。昔はもっと厳格で、留守番の家族の者も精進していました。親父は、着々と私がこの道を歩むようにしていったのだと思います」
妻「私も行きたいなと思いますよ。ひざも悪いし、若いうちに行きたいなという気持ちはあります。小学校の林間学校でも大峯山に登ったのは男子だけでした。女も入らせてくださいと毎年訴えに来られる人の意見も同性としてわかる。でも、女人禁制を守っている人たちの意見もよくわかる」
夫「女人禁制によって大峯山の非日常性、聖地性が高められてきたのは間違いありません。ただし女人禁制自体は信仰ではない。大切なのは、今の時代に禁制を堅持することが大峯山の信仰を守っていくのに大事かどうかです。これは、信仰にかかわっている宗教者たちが問い直すべきです。ジェンダーフリーの人たちが、人権問題として開けろと主張する問題ではありません。そんなことをしたら先人たちに申し訳ない」
妻「家でも議論したこともありますが、私が『開けたら』と言って、主人が『開けるわ』と言う問題でもないんです」夫は大学卒業後、金峯山寺に勤めた。吉野山にある東南院の宿坊でアルバイトしていた妻と出会ったとき、妻は高校生だった。
夫「かわいらしいなと思って……」 後略します

なお、HP「役行者ファン倶楽部」
掲示板「役行者・修験道を語る」「吉野山人」のハンドルネームで書かれている下記検索で詳しい内容が伺えます。

最上段の「検索」→キーワード「女人禁制」と入力 →検索領域 中央の「○ログ」をチェック →「検索」ボタンを実行 →36件、A4版41ページの関連資料があります。「大峯山の女人禁制について」「修験道ルネッサンス」など多くの内容です。是非ご一読ください。
注:セキュリティにオカルトを設定の方は解除しないと見られないかも?
2005/06/10のBlog
[ 13:38 ] [ 女人禁制 ]
[関連したBlog]
世界遺産登録記念、日本最大秘仏、金剛蔵王権現像を拝観しながら、法話をお聞きした綾部出身の金峯山宗務総長、田中利典師の書かれた著書です。30歳の時の出版の再販です。
2005/03/18のBlog
[ 13:00 ] [ 女人禁制 ]
綾部の文化財を守る会からの回覧図書
「修験道っておもしろい」田中利典著
修験道修行の魅力、大峯奥駆修行の世界を文章で(写真)紹介されています。
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