私のわるい耳のこと
 これから1年間、会員の皆様には、私の下手な話、聞きにくい話を辛抱して、おつきあいいただくことになり、本当に申し訳なく思います。
 小学生の頃、ヘレン・ケラ−という四重苦の少女の話を習いました。目、耳、鼻、口の人間のもつ五感覚の四つを先天的に生まれながら失い、見ることも、聞くことも、話すことも、できなかった少女の話です。指導されたサリバン先生の愛情により、流れる水に手を触れたときにはじめて、物の名前、生命が判ったという大変感動する話でした。
 皆様の感覚能力を100点としますと、私のそれは70点くらいと思います。小さい頃は虚弱児で、風邪から3才の頃に慢性中耳炎になり。大阪心斎橋近くの牟田耳鼻科医院に電車で通っていたことを覚えています。耳が聞こえないので、言葉の発育が遅れ、近くの言葉の教室に通い、サシスセスセソ、タチツテツテトと発音の練習をしていました。人に話しかけられると、「なに」と返事する癖が中学生まで続き、この言葉は、今は使われませんが、低脳児と見られていました。
腺病質(体格が貧弱でリンパ腺などの腫脹を起こしやすい小児の虚弱体質)と云いますか、目は結膜炎の連続で中学生の時にとうとう悪化し、神宮寺にあった日赤病院で病巣を焼いてもらいました。それで左眼の視力は0.5です。右眼は2.0なので物が二重に見え、本を読むときは左眼をつむり片目で読んでいます。テニスでは、左のボレ−を返すときにミスが多いです。 喉は慢性の扁桃腺の故か、高い声が出せません。耳が悪いので自分の声の音程がわからず、歌えないのは勿論のこと、人に葬式声とまで云われています。
 鼻は慢性の蓄膿炎で、20才の時手術を受けて、ましになりました。そんな訳で、ずっと種々のお医者様に通っていました。
病弱の私を父は気にかけてくれ、大阪から綾部への疎開と、戦後の食料のなかった飢えの時代でしたが、肝油、養命酒、まむしの黒焼きなどを飲まして体質改善に気を使ってくれました。私が今日元気でいるのも、家族の思いやりのおかげであると感謝をしています。 高校生の頃から元気になり、体も前列三人目だったのですが、大きくなることが出来ました。
 耳はかなり悪く、隣の演壇の講師様のお話が、ほとんどの場合聞こえません。会議中などにも失礼な場合が、多々ありますので、どうかお許しください。
 室木克則幹事には、私のこの悪い耳のことで、特別のバックアップをお願いし、無理を言っております。
------------------------------------------------------------------
耳が悪いので得をした話(1)
 先の例会スピ−チで、私の耳の悪い話をしましたが、なぜ補聴器を使わないのかと、云われることがよくあります。実は私も補聴器をもっています。朝倉龍夫会員が、お使いのと同じ製品で、良い製品であることに、間違いはないと思います。
 何故思うなどと、持って回った言い方をするのかといいますと、実は雑音ばかりが大きくなり耳障りで、とても私には、使用に耐えられないということです。
 耳鼻科の先生に聴力テストをしていただくと、普通会話に使われる音域周波数で耳骨神経を伝わるのが、80デシベルで、私も平常に近いと云われていますが、慢性中耳炎で鼓膜が破れていますので、伝音系の方は40デシベル程度です。
 これが50デシベル以上でないと、必ず補聴器が必要だということです。ところが補聴器をつけると、会話が大きくなるはずのところを、雑音ばかりが大きくなります。紙をめくる音、字を書く音、テ−ブルを引っかく音、足音、体を動かす音。世の中にこんなに雑音があるとは全く知らないで、「雑音のない沈黙の世界」に私は住んでいました。それで雑音慣れしていず、雑音ばかりで神経が参ってしまう現象で、補聴器が役に立ちません。
 また会話も大きくなっているのでしょうが、雑音に負けてしまい、かえって話が聞こえません。補聴器を常時かけておき、雑音に慣れるのが本筋かとも思いますが、なかなか60年間の生活環境、雑音のない世界を捨てての実行に移せません。
 家でもテレビの音量そのままでは、全く聞こえませんので、音量を私が十分に聞こえるところまで上げますと、お父さん音をもう少し小さくして、うるさくてかなわないと必ず云われます。
 耳が聞こえないのでその分、私は音にたいし非常に敏感で神経質です。良く何処ででも眠られる偉大な人がおられますが、私には絶対真似の出来ないことです。 聞こえない分を、人の話を集中して聞きますので、学生時代は、先生の話をその場で記憶し、一定時間以内ですと、ノ−トする事が出来ました。講演会でテ−プ録音が失敗したので、要旨を書き出してくれと頼まれたこともあります。
 学生時代は、先生の話される授業を集中して聞くだけで覚えたもので、特に試験勉強をする必要がなく、テスト週間になると全く退屈でしかたなく、映画を見に行っていたことを覚えています。これは耳が悪いので、逆に得をしたという話です。
-----------------------------------------------------------------------------
 耳が悪いので得をした話(2)
 今日も私の耳が悪いことの激白のつづきを話します。耳が悪いと云うことは、私は自分が聞く気になったものしか聞いていません。この例会の直前にもいろんな連絡を受けますが、よく生返事で受け答えをしていて、後から、言った、聞いたはずだと叱られ困っています。
 また周りの会話を皆様は、ある程度は聞いておられますが、私は全く聞いていません。私のことを云われても、あなたの事ですと云われない限り分かりません。また皆様の会話が聞こえていないので、急に私の意見を求められた時に、困ってしまいます。
 困るのは、皆様が一つの話題で盛り上がっているのに、突然別の話をして、割り込んでしまうことです。これが気になって仕方がありません。逆に話に入るタイミングが分からないので、ずっと言い出せずに、話すタイミングを待っていることが良くあります。
よくそんな状態で私が、いろんな会の役や会議の議長が努まるのかと不思議がられると思います。PTAの地区総会や同和研修会などで、物部、志賀郷、上林など市内各町区や夜久野、福知山、舞鶴までも出ていきましたが、一方的に話す時間が多くありました。
 会話も先ず相手の話したいことを考え、答えを用意してから進めました。また質問の要点が、予備知識から大体わかるので、その周辺の事を話すと回答になりました。それでもときには質問と違う話をしてしまい、横から小声で云われても分からず、メモを書いてもらっていました。
人間には誰でも身体的なハンディに対し、なにか役に立つ代償作用がある云われています。私の場合は、聞こえない分を集中して聞くので、よく記憶していると云うことです。体も弱かったので、体育、音楽など実技は全くの劣等生でしたが、ペ−パ−テストは良く、埋め合わせができていました。
 体育で柔道の型の問題が出たとします。送り足払い、内股など実技はだめでも、筆記試験では正解できます。音楽では、音符が書かれていて、そのメロディの欠けたところを埋めろとか、曲のイメ−ジを書け等の問題で、本当は音痴では答えられないはずと思いますが、正解するわけです。いつも実技は1で、理解度は5で、1と5の同居で、平均点は3になります。
 ここで誤解のないように云っておきますが、5があるよりは、1のないほうが重要で、幸せなことは云うまでもありません。
先般「障害児・者を考える、綾部市民の集い」があり、シングソング・ライタ−の小西達也氏の講演「ここに生きる・ここに咲く」がありました。
 障害者として、病理的ハンディ、物理的ハンディ、社会的ハンディに対し、心の中の壁を取り除いていくことの大切さを、訴えておられました。死を恐れず、自分の障害を、しっかりと知ることが、生きることの確認になる。命の大切さ。今日1日しっかり生きる。
 幸せの秤は、1人ずつ1人ずつ違う。不自由ですね、大変ですねと人に云われるが、不便だ!といいたい。自分の型、1人ずつの人間の生き方、型がある。自分の夢、ペ−ス、型に合わせ、少しずつ前進したい。と大変感銘の深い話を伺いました。
 負けたくないこと、昨日の自分。明日はもっとがんばりたい。人と比べ何が劣るか・・大切なものを見失う、世の中を見失う。自分の中にある可能性を見ること。違っているところを認め合おう。
 福祉:発想は地球規模で、行動は自分のまわりから、となりの仲良しの友達から思いやりを!