市境三角点 蛇ケ谷(405.63m) 中ノ谷(422.70m) あやべ 里山散策 四つ尾山の四季
2/28(土)「山であそぼっ」やまあそ掲示板に投稿;yahoo検索で、やまあそ様のHPは、いつも拝見していたのですが、大先輩からご投稿や相互リンクをいただき大変光栄です。
環綾部市境アルプスと言いますか低山ですが、ぐるっと綾部市を取り巻く山々に登っています。市境南側の−鉢伏山−△奥山−由良川−△三郡山−△蛇ケ谷−△中ノ谷−質山峠−△上殿−△長宮−長宮峠−木の芽峠−△高嶽−由良川−△小西−△空山−のうち、蛇ケ谷、中ノ谷の2点だけが未登です。点の記では三和町からというのを綾部側から登る計画で、須知山ル−トに挑戦しましたが、藪が余りにもひどく△須知山で断念しました。 今回貴殿がMTBでこのル−トを踏破されたHPをご紹介いただき、大変な難路であった由、素晴らしいことをされたと賞賛いたします。 この2つのHP(上原−△三郡山−△蛇ケ谷−大谷柴山−和木/和木−見峯山−△中ノ谷−△須知山−野田)を参考にさせていただき、和木−稜線を東へ−△蛇ケ谷−引き返し稜線を西へ−△中ノ谷−引き返し稜線途中の峠−和木をトライする予定で目下準備中です。 |
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3/4(木)和木に登山口の下調べに行く。日吉神社などの写真を撮り、村人数人と話をする。峠の名前は、大原(obara)峠と教わる。もう一つの峠名は不明。 3/6(土)冬戻りしたのか、昨日の夕焼けを裏切って霙混じりの雨。風もあり雨雲の様子から今日の山行きは中止。 あした天気になあれ! 3/7(日)今朝は15cm程の大雪、三角点標石が見えないので登山中止。 頑張って昨日午後にも上がっておくべきだった。 |
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見峰山行者堂登山口鳥居 | 登山口の見峰山縁由書 | ||
和木村社:日吉神社 | 御神木:スダジイ | 幹周:4.7m 樹高:17m | 随岸寺聖観音堂 |
日吉神社と聖観音 | 路辺の常夜灯 | まだ白梅が盛り | 市境の稜線遠望 |
3/9(火)和木の高台に登る村道と並行して、谷沿いに林道:和木・深山線がある。 この分岐点に和木深山不動さんの案内板が立つ。今回下山ル−トに使う予定なので、下調べに行った。林道を谷沿いに歩いたが、途中から日吉神社などある高台の村に出る道はなかった。残雪の林道終点を越えて、不動さんの案内板を頼りに山道に入り、かなり登ると1枚岩の滝壺に立つお不動さんがあった。三和町桐差に至る峠のある稜線の鞍部まであと高さ100m程か、下山予定ル−トだが、不動さんから続く山道はなかった。 不動明王は、右手に利剣、左手に縄を持ち、岩上に座って火に包まれ、怒りの形相をしているのが一般的な姿である。大日如来の変身で、ものに動じないところから不動と云われている。如来の教命を受けて魔軍を撃退し、災害、悪毒を除き、一切の煩悩を断ち切り、行者を守り、諸願を成就させ、財宝を得るなどの功能により、民間の信仰として、不動信仰は盛んである。元来はインド教のシバ神(病をいやす)の異名で仏教に取り入れられた。 3/10(水)今日も和木へ下山道の下見をかねて散歩に行った。和木の高台から林道に降りるル−トを探して林間を歩いた。林道の見える近くまで行けたので、林道から樹間をこの山道まで登る必要がありそうだ。今日も村人と話した。山は金にならないので、ただでも良いから・・・、藪の刈り込みまでは・・・の様子であった。この土日は、所用があり登山は見送りになる。 |
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林道の案内 | ここから残雪の山道 | 深山不動縁由書 | 滝壺の中の不動明王 |
3/12(金)やまあそ様 HP「山であそぼっ」の制作者 見峯山行者堂:柵の中の錫杖をもった石仏です。 鳥居をくぐれば、そびえ立つ大岩の並ぶ谷に出てしまい踏み跡をよじ登って行者堂。 △蛇ケ谷も途中行き帰りとも少し迷いました。 貴殿の地図にある「難しい分岐」で迷いに迷い右往左往、雑木の密生でコ−スもままにならない中で、GPSの受信状況が悪く、コ−スポインタ−は全く当てにならず、ポイント距離も数値がくりくり変わる不安定状態。ピ−ク付近に白木のまだ新しい杖が刺してあり持ち帰りました。 拡大コピ−の地図とコンパスでコ−スを定め、やっと峠に到着。昼前になり無理をせずにここで下山。 下山路は、谷沿いのしっかりした山道でした。和木深山不動さんは谷の向こう側に登る道が見え、別の谷水のようです。上の林道の大看板に出ました。 高台の村へ戻る道も、前回下調査で歩いた林間の終点谷をUタ−ンするル−トがありました。 胸や腰を超す倒木と雑木のジャングルをMTBで縦走走破されるとは、まさに怪神(貴公子)ですね。いろいろと、ご指導有り難うございました。 次回、下山路から△中ノ谷を再トライします。 |
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深山1番地:松茸発生環境整備 | △蛇ケ谷山? | 行者堂までの山道は立派 | 鳥居があった |
大岩がそびえ立つ | 大岩の踏み跡をよじ登る | 見峯山行者堂 | 展望:左(綾部市街) |
展望:右(工業団地) | 三角点:蛇ケ谷 | 台頭桐差への峠 | 谷沿いの渓流 |
3/16(火)やまあそ様から「凄い藪コ−ス」との指摘あり、先に下山中に渓流の写真を撮った木橋を渡り、下から回り込む西からの登頂コ−スを準備したが、この迂回コ−スはなかった。 桐差への峠に着き、山際を辿るが、いやでも雑木の密生藪を試行錯誤で登行するはめになり、きつく疲れる。 赤いペンキの塗られた立木の山道に出て一息つく、この山道もコ−スから離れ、また藪こぎ、頂上手前の白い岩石群に出て、間もなく頂上△中ノ谷に到着。早速三角点標石、点名:中ノ谷をカメラにゲット。 下山は、この藪コ−ス往復に気乗りせず、登山用に用意したコ−スで無理矢理に林間を下りる。地図に破線の山道はなく、谷に下りかけては斜行する繰り返しで、立木に赤いペンキの山道に出る。ここにも和木深山1番地:松茸環境整備の立て札あり。 下山コ−スから離れるので、再び林間に入り下ると林道へ出た。駐車した広場から100m下の横谷で、竹藪整備に地元女性2人が車で到着された所だった。 |
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足下が腐り倒れた 裏に峠道 | 峠から西に登り始める | 大岩が見えると頂上間近 | 白い岩石が多い |
落葉したブナ林 | 共同テレビ受信の残骸 | 頂上の展望(綾部市街) | 立派な山道:松茸環境整備 |
○日応山 随岸寺 臨済宗東福寺派安国寺末であるが大正九年東福寺直末 和木町西浦二六 (山家史誌より収録) 本尊:釈迦牟尼仏 聖観音三尺の立像・両側に三十三身の観音がある。 綾部西国霊場番外第四番御詠歌「まつ風の声も妙なり日応のお山にたかしむろうどう」がある。 開山は安国寺六世前浄智大見妙喜大和尚―応永二十四年(1417) 一月十九日寂で本堂と無漏窟を建立した。天文年中、下原の禅定庵を引いたと云われている(丹波志)、寛政年間に火災にあい貫道恵通和尚の代に再建した。 現在の観音堂(無漏窟)は、間口二間、奥行二間半で別棟 昭和二十四年十二月後藤正泰師が退出し無住となった。昭和六十年物部白道寺町の極楽寺老僧後藤謙宗師の構えの時内部改造し位牌堂を作った。現在梅迫雲源寺構えとなっている。檀家:53戸 ○見峯山行者堂 和木町 (山家史誌より収録) 享保十九年(1734)五月山上大権現を講中で寄進した。天明三年(1783)八月手洗いを奉納した。 明治五年拝殿を建立し、翌年四月七日大和国吉野山杉の坊に請うて勧請し、開山には法院が来山している。 山獄の形から見峯山と号している。今は吉野竹林院の構えとなり、講中年々二名代参している。昭和六年九月拝殿改築し、採灯師安村弘道を招き落成式を行った。祭日は五月八日の戸開け、九月一日の戸閉めとしていたが、農事等の都合で日取を決定するようになった。 ○日吉神社 四級社 祭神:大山咋命 祭日:旧九月九日 和木町西浦 境内:2236平米 (山家史誌より収録) 近江国日吉神社を勧請し、山王権現と称したが、明治初年、日吉神社と称し村社となる。 |