例会スピ−チ    98年9月25日
国際化の理解から地球平和を
 彼岸が過ぎ、秋たけなわになってまいりました。今年は、お盆例会が休会になりましたので、話しそびれたスピ−チをさせていただきます。

 昨年、私の中学時代担任の木下禮次先生から呼び出され、綾部史談会の権威ある例会に行ってまいりました。昨年当クラブの例会でゲストにお迎えし、卓話をされた同じく中学恩師の渡邊忠夫先生の書かれた「カロ−の桜」の主人公の故山崎少尉が、史談会同人の山崎巌先生の兄にあたることを行ってから知りました。
 呼び出された用件は、市民新聞などに「カロ−の桜」が紹介されたこともあり、戦後50年の今、綾部史談会でも太平洋戦争についての評価を、市民から問われることもある。ついては戦後派の見る、太平洋戦争観を聞かせて欲しいとのことでした。

 悲惨なインパ−ル戦記でもある「カロ−の桜」を読んで、極限の状態にありながら、故山崎少尉の優しい心遣いに感銘し、今日の日本の平和は、この人達の尊い犠牲の上でもたらされていることを感じました。

 ただ戦った英国軍は本国兵との戦いでなく、地元のグルカ傭兵であり、ジャングルの中の遭遇戦であり、相手には急降下爆撃機も戦車もあり、日本軍は旧式の三八銃での戦いであり、長い補給線(兵站)を余儀なくされ、何よりも日本は、生産人口を失っていく、悲惨な消耗戦の現実を知らされて愕然としました。
 勇猛果敢な精神主義だけでは勝てない戦争を、何故続けたか。国際感覚を身につけた、時の先覚者達は何をしていたのか。そんな疑問をもちました。

 今日の平成維新といわれる国際的な経済戦争の状態もあります。「日本人の内なる国際化」の問題は、大化の改新以来、日本の歴史に繰り返し登場し、その都度大きな犠牲をはらって、消化してきたと思います。「太平洋戦争」もそう言う意味では、一つの大事件であったのではないのか。

 繰り返し問われる「日本人の内なる国際化」の問題を歴史的に問題提起することで、常に「まずい対応」を繰り返す現状にたいして、効果のある視点が得られるのではないかと思います。

 綾部の「世界連邦平和都市」の実現への取り組みについて、民族、宗教、政治、経済、文化などの相違を超えた「地球市民」としての国際化への理解が、世界平和への道筋であると思います。そのような意見を具申して、活発な討論を聞かしていただきました。
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例会スピ−チ      98年12月11日
知覧特攻隊記念館を見学して
 12月8日は、日本が真珠湾を攻撃した太平洋戦争開始の日です。前に、綾部史談会の例会に恩師の木下禮次会長に呼ばれ、戦後派の見る太平洋戦争についての歴史観を尋ねられた話をしました。

 その時に同席されていた歴史の先生方は、終戦でそれまでの日本の歴史観は一変して、マッカ−サ−司令部の方針である、東京裁判の結果が、唯一正しいと教える、歴史授業をしてきたと話されました。

 私の習った教科書は、殆ど全部が墨で真っ黒に塗りつぶされたものでした。読めるところは殆ど残されていなかった記憶があります。最大の被害者は、先生自身が確信のないままに授業を受けていた、私達子供ではなかったのかと思われます。

 現在ますます低年齢化し、残忍性を増している少年非行の横行を考えるとき、欧米の家庭では、まだまだしっかりした宗教心に基づく倫理教育がされているのに引き替え、日本では個人の放任主義だけが横行していると思います。

 先般のIMの発言でも指摘されていましたように、これは、昔のままの修身教育の復活の問題などではなく、新しい国際理解と民族観に立った社会倫理を、幼少時の子供達に、親に教えなければ、病める日本のこの病状は、益々ひどくなるのではないでしょうか。

 鹿児島の知覧に行き、特攻隊の基地であった記念資料館を見学して驚きました。私は、特攻攻撃は、ごく希な程度の話だと思っていましたが、なんと計画的に数次にもわたり、特攻攻撃が準備され、次々と出陣していったという事実を知りました。

 前の例会でも話しましたが、今日の日本の繁栄、平和は、この方達の尊い犠牲の上に築かれたものですが、このように日本の生産人口を死なせて、どうして戦争に勝てるのか常識外と思います。当時の国際理解のあった先覚者達は、何をしていたのでしょうか。

 知覧は、武家屋敷があり、特攻基地がありの歴史の街です。先般の報道記事によると、子供のいじめの問題で、この街の教育委員会が訴えられています。関係ないのでしょうが、歴史教育は知識のみを教え、子供達に何の役にも立たないのでしょうか。

史談会の会合で、ある会員さんの発言にもありましたが、欧米各国から疎外されて、当時の日本の国民感情は閉塞感の最中にあり、この日の開戦を快挙として、国民全てが大変な感銘を受けたということです。

 次は、12月8日の朝日新聞、天声人語よりの引用です「その日の朝・・四年生より上の子たちは「やった、やった」と大喜びしていた。学校に着くと、僕は100メ−トルのトラックを一周半した、逆立ちで。その後を何人もがついて歩いた」妹尾河童さんとの対談集「少年Hと少年A」で、野坂昭如さんは1941年12月8日、米英などとの開戦の日の自分をそう語っている。・・・

 それに引き替え「現代社会は、国民的な痛みを喪失する傾向がある」と聞きました。高度の知的教育を受けた社会は、人の受ける傷みは、個人の事柄であり、全体の痛みになりにくいと云うことでした。 日本人社会は、なおさらそうではないでしょうか。