四つ尾山・アラカルト −四つ尾山一斉登山日の設定を−  里山散策 四つ尾山の四季へ

 四つ尾山山頂の登頂記念誌に、上延自治会長の上原幸一先生をはじめ自治会役員の方々のお名前があった。

 平成9年に綾部中学校が創立50周年を迎え、初めて同窓会名簿を記念事業として作成することとなった。同級生の澤田正一君に替わり四方八洲男氏(府議)が同窓会長となられ、50周年実行委員会の本部役員の一員で私も参加し、同級生の消息調査に関わり、多くの同級生に調査を助けていただいた。

 その10月に、昭和27年卒業生として、初めての同級会を130名の参加を得て、パ−クヒルホテルで盛大に開催した。
 12名の恩師の先生方は、全てご健在であり、生徒の方が、447名中で故人43名以上の約1割を数えた。1昨年の平成13年の同級会では、木下禮次先生が故人となられた。会場は、ITの多目的ホ−ルで盛会であった。

 昭和27年卒業生の恩師は、学年主任:横山節先生、1組担任:野崎辰夫先生、2組担任:大槻宏先生、3組担任:渡辺忠夫先生、4組担任:乾主計先生、5組担任:四方秀夫先生、6組担任:能勢肇先生、7組担任:木下禮次先生、8組担任:石谷郷太先生、9組担任:佐々木保憲先生、学年付き:上原幸一先生、新庄佐和子先生の12名。
 上原幸一先生は、新任早々の若々しさで生徒に大変人気があった。(先生、同級生のフキちゃんを大事にするんだぞ!)

 勉強嫌いの子が、四つ尾山に逃げ込んで、生徒指導の先生が探しに行かれたとのウワサ話しもあった。木造の校舎が1棟だけ建てられ、南側を茶畑にされて世話をした。
 谷が埋められて、運動場が次第に拡げられ、体育の時間に、生徒は横一列に並んで、小石を拾って谷に捨てた。自転車にミカン箱をくくり付け、位田橋の袂から砂を入れて貰い、運動場に運んだこともあった。

 山頂に、田野、安場方面工事中の標識があるが、次回はこのル−トにも挑戦しようと思っている。
 以前、山頂付近から綾部中学校(明知)に下ったことがあるが、道でなく立木の中を降りた。さらに西神宮寺の迫子神社周辺への分岐のル−トも整備されれば、頭巾山が綾部、和知、小浜の3方から同じ日に頂上で会同されるように、自治会等を含めた相談会がもたれ、「四つ尾山一斉登山」が、全ての「登山ル−ト」から実行できれば素晴らしいと思う。寺山の表登山口もあり、旧綾部町のほぼ全域が該当するのではあるまいか。
 あるいは、四つ尾山の登山日を、例えば毎月の第四日曜日の11時と3時に設定し、多く登る切っ掛けを提供されるのも面白いと思う。

 綾部中学校の校歌は、上記3組担任の渡辺忠夫先生の作詞であるが、「カロ−の桜」という故山崎少尉(山崎巌先生の弟様)を主人公とする、戦記を書かれている。

 この1月に、同級生の四方淳策君から電話をいただき、前の綾中の校歌を知らないかと云うことであった。知らないと返事をしたが、実は西中の存在自体を意識したことがなかった。1学年上の昭和26年卒(当時西中2年生)の伴仲博司さま達のご努力で、綾部西中校歌が収録されたとの、あやべ市民新聞の報道が掲載された。
 1番に由良川が、2番の歌詞に、四つ尾山が歌われている。
                                              (未完)

    あやべ市民新聞 5月  日号掲載紙面