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2008/05/07のBlog
[ 08:02 ] [ 花だより・紅葉だより ]
[ 07:40 ] [ 花だより・紅葉だより ]
2008/05/06のBlog
[ 17:34 ] [ 花だより・紅葉だより ]
[ 17:33 ] [ 花だより・紅葉だより ]
[ 17:33 ] [ 花だより・紅葉だより ]
[ 10:26 ] [ 花だより・紅葉だより ]
[ 08:28 ] [ 花だより・紅葉だより ]
[ 07:18 ] [ 花だより・紅葉だより ]
2008/05/05のBlog
[ 22:25 ] [ 花だより・紅葉だより ]
[ 22:10 ] [ 花だより・紅葉だより ]
古来より美しい女性を「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花
」と表現するが・・・
5月GW、花の一番綺麗な季である。先週のブログ:四つ尾稲荷の「シャクヤク」につづき、花の寺「千手院」など自宅付近の「牡丹」「石楠花」「つつじ」を激写する。
5月GW、花の一番綺麗な季である。先週のブログ:四つ尾稲荷の「シャクヤク」につづき、花の寺「千手院」など自宅付近の「牡丹」「石楠花」「つつじ」を激写する。
[ 07:39 ] [ 山と峠と三角点 ]
鍛冶屋から良く見える赤い屋根の寺、綾部西国観音霊場第16番:慈雲山・普門院
2008/05/04のBlog
[ 14:30 ] [ 山と峠と三角点 ]
空山(351.9m)頂上からの下山は、麓の普門院からの登山道を降りた。しっかりした登山道であるが、前に登ったときは「これから坂」「がんばり坂」「あと○m」などたくさんの案内が建てられていた。最近は地元の子供達も空山に登らないようだ。小畑(鍛冶屋)の豊里西小学校が廃校になり、豊里東小学校に統合されてからは「里山」は犀川の西側になり中心から離れてしまった。
[ 10:32 ] [ 山と峠と三角点 ]
[ 08:07 ] [ 山と峠と三角点 ]
お茶畑を麓に鍛冶屋の正面に目立つ空山(351.9m)の頂上。三角点標識がある。子供達の登頂記念名札が立っているが、昔は毎年の学校行事で「空山登山」があったとのこと。今は途絶えてしまったそうで古びた名札が並んでいるだけであった。
[ 07:10 ] [ 山と峠と三角点 ]
小畑六左衛門が報恩寺の嫁の実家に往復した「三坂峠(175m)」から鍛冶屋(小畑村)の正面に聳える「空山(351.9m)」に向かい稜線を登る。初めは少しきつい登りであったが、間もなく緩い傾斜地になる。尾根道は藪も少なく樹間を登れる。
2008/05/03のBlog
[ 17:43 ] [ 山と峠と三角点 ]
GPS軌跡地図:鍛冶屋から西南に峠道を通り、山中に入ってからはGPSの赤い軌跡が人工衛星受信不能となり切れる。「三坂峠」から、以前に登った「小西町-袋池-袋峠-三角点:小西」を目指し稜線を東南に移動したが、「袋峠」へのル-ト確保に失敗した。頭上に覆い被さる樹木によるGPSの感度不良と探したが袋峠への山道を見つけられなかった。
「三坂峠」に引き返して「空山」に向かい福知山-綾部市境の稜線尾根を登る。
地図をクリック拡大してご覧ください
「三坂峠」に引き返して「空山」に向かい福知山-綾部市境の稜線尾根を登る。
地図をクリック拡大してご覧ください
[ 15:53 ] [ 山と峠と三角点 ]
とうとう倒木が連続しだし、十数カ所は身をかがめて倒木の下を這いずって通過する。行く手に稜線が見え出すと、ほどなく「三坂峠」の目的地に着いた。鍛冶屋交差点から写真を撮りながら徒歩30分の近距離であった。
峠頂上には地蔵も建造物も何一つ見あたらなかった。ただ福知山報恩寺に向かって山道が下っていた。
峠頂上には地蔵も建造物も何一つ見あたらなかった。ただ福知山報恩寺に向かって山道が下っていた。
[ 13:59 ] [ 山と峠と三角点 ]
[ 10:54 ] [ 山と峠と三角点 ]
[ 10:46 ] [ 山と峠と三角点 ]
2008/05/02のBlog
[ 21:44 ] [ 山と峠と三角点 ]
[ 07:37 ] [ 山と峠と三角点 ]
御太刀池
御太刀池のお話・・・ずっと昔、三坂峠で官女さんが殺され、その刃をこの池で洗ったため、長い間池の水が澄まず、そばの石も赤くそまったままだったという言い伝えがあります。三坂峠の頂上には大小二つの石碑があります。(とよさとにし つばさがはえるちず:里山ねっと・あやべより引用)
御太刀池のお話・・・ずっと昔、三坂峠で官女さんが殺され、その刃をこの池で洗ったため、長い間池の水が澄まず、そばの石も赤くそまったままだったという言い伝えがあります。三坂峠の頂上には大小二つの石碑があります。(とよさとにし つばさがはえるちず:里山ねっと・あやべより引用)
2008/05/01のBlog
[ 16:06 ] [ 山と峠と三角点 ]
[ 09:12 ] [ 山と峠と三角点 ]
小畑六左衛門翁之碑 「ポイの餅」と里山研修センタ-「幸喜山荘」
ある日、報恩寺(ほうじ)の嫁の里へ行った時「ぼたもち」をごちそうになった。六左衛門はあまりにおいしかったので家でも作ってもらおうと思って「この食べものは何か」と尋ねると「ぼたもちや」と教えてもろうた。
忘れんように帰ろうと思って「ぼたもちぼたもち」ととなえながら帰ったそうな。途中で川があったので「ぽい」ととんでわたった。そのひょうしに忘れてしもうた六左衛門「はてな?」ああそうそう「ポイのもちだったわい」と思い出し「ポイのもち~~」と家に帰りついた。
嫁さんに「ポイのもち作れ」と大声でいった。嫁さんは何のことかさっぱりわかりません。仕方なく「ポイのもちは作れんが、ぼたもちならできる」と「ぼたもち」をさし出すと、六左衛門は「そうだこのもちだ」といって大きな口をあけてパクパク食ったそうな。
ある日、報恩寺(ほうじ)の嫁の里へ行った時「ぼたもち」をごちそうになった。六左衛門はあまりにおいしかったので家でも作ってもらおうと思って「この食べものは何か」と尋ねると「ぼたもちや」と教えてもろうた。
忘れんように帰ろうと思って「ぼたもちぼたもち」ととなえながら帰ったそうな。途中で川があったので「ぽい」ととんでわたった。そのひょうしに忘れてしもうた六左衛門「はてな?」ああそうそう「ポイのもちだったわい」と思い出し「ポイのもち~~」と家に帰りついた。
嫁さんに「ポイのもち作れ」と大声でいった。嫁さんは何のことかさっぱりわかりません。仕方なく「ポイのもちは作れんが、ぼたもちならできる」と「ぼたもち」をさし出すと、六左衛門は「そうだこのもちだ」といって大きな口をあけてパクパク食ったそうな。
2008/04/30のBlog
[ 22:05 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財を守る会の会報を届けて、さらに市街地の会員宅を20件ほど回った。連休前の月末のことで大方の会員が在宅の幸運に恵まれ、一千円の年会費集金も順調に終えることが出来た。終了後、明日からガソリン税分以上の値上げ必死の給油所に行き、満タンにしてきた。途中の給油所では給油待ちの車が行列をつくっていた。行楽連休前~最中の時期に、このようなガソリンの大幅値上げは困ったものだ。