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なべちゃんの散歩道
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ジャンル:山と峠と三角点
Blog数:206件
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2008/04/13のBlog
[ 17:25 ] [ 山と峠と三角点 ]
4月9日(水)の朝日新聞朝刊に大きな写真入りで「老若美の競演、吉田の瑠璃寺のしだれ桜」が掲載されていた。それを見て早速、家内が友人と3人で見に行って来たという。夜に「チョットチョット」の声がかかり、プリンタ-で撮ってきた写真印刷の世話をした。
昨日は、舞鶴トレトレ-・センタ-に買い物があり、ついでに再び見に行くと云い、私の車で出かけた。センタ-前の交差点を曲がって海に向かい、海岸沿いの道を走りトンネルを抜けたところが吉田で、海岸側に村人が整理する駐車場があった。しだれ桜は少し歩いた近くにあり、桜を見る人で賑わっていた。地元の売店も開かれていた。若い2人連れにカメラを渡され、記念写真を撮ってあげたりで引き揚げた。
さらにいつも魚釣りをする白杉漁港の突堤わきを半島の先端まで車を進め、山に向かったところで槇山頂上への道を尋ねると、行き過ぎであり少し戻った所から山に登りなおした。槇山の砲台跡からの景観を楽しんだ後、再び吉田を通りがかると、他府県ナンバ-の大型観光バスが5台並び人で混雑していた。トレトレ・センタ-に向かう道でも奈良ナンバ-の大型観光バスと擦れ違い、「魚」と「桜」がセットで観光コ-スが組まれているようであった。舞鶴トレトレ・センタ-も人混みで一杯であった。
吉田瑠璃寺のしだれ桜
吉田瑠璃寺のしだれ桜
吉田瑠璃寺のしだれ桜
[ 09:34 ] [ 山と峠と三角点 ]
瑠璃寺
由緒
瑠璃寺は、山号を金剛山と称する曹洞宗寺院である。創建は、江戸時代中期 村全体を焼きつくしたと伝えられる大火で瑠璃寺も全焼し、同時に過去帳始め寺の由緒となる一切の書類が焼失したので、詳らかではないが、文化元年(1812)に書かれた瑠璃寺過去帳によると、「当寺間山大渓和尚和上慶長十四年(1609)」とある。
かっては、鎌倉時代の元応年間(1319~1320)にさかのぼる寺縁起があったものと考えられる。
本尊
瑠璃寺の本尊は薬師如来である。本来曹洞宗の本尊は、釈迦如来なので、薬師如来が祀られているということは、大渓和尚以前から瑠璃寺が存在していたとの証拠ではないかと考えられる。

しだれ桜の由緒について
吉田瑠璃寺のしだれ桜は、樹齢三百年以上と伝承されており、昭和五十二年(1977)には「古木と若木が織りなす開花期の景観すばらしさ」により、舞鶴市指定文化財となっているが、天正八年(1580)から慶長四年(1599)にかけて、この地に幽閉されていた京都の公卿中院通勝(なかのいんみちかつ)を慰めようと、当時の田辺城主であり、通勝の歌の師でもあった細川幽斎が、京都の吉田山の桜を移し植えて、この地を吉田と名付けたのではないかと言う。また、瑠璃寺開山の大渓和尚は、かの田辺籠城戦に細川幽斎を助けて、袈裟を旗印にかかげて城内に入り、共に戦った人物であることから、瑠璃寺と幽斎にはつよい結び付きがあったのももっともと思われる。
一方、瑠璃寺の南東に当たる吉田の入り江には、年取島とゆう周囲二百米ほどの小島がある。この島の小庵が二人の会う場所であったといわれ、幽斎は舟で城と島を行き来したとみられる。ある年の大晦日に二人は夜が更けるのも忘れて歌に興じ、ついに元旦をむかえてしまい、年取島と名付けたと伝えられている。また、その時幽斎が詠んだ『藻塩草かき集めたる跡絶へて、ただ年取の名のみのこれり』と、以前からあった地名の「トットリ」を読みこんで、「年取」の字をあて、風流を示したのではないかとも考えられる。
 このようなことから、瑠璃寺年取島中院通勝細川幽斎は一連のものと考えるのが自然のようで、その鍵を握るのが「吉田のしだれ桜」かもしれない。
※因みに、平成十五年(2003)、当寺しだれ桜の故郷とおもわれる、京都吉田山の吉田神社と縁あって、友好の関係が結ばれ、平成十六年(2004)二月、古木のしだれ桜からとった、穂木を贈り、吉田山天元宮の地に里帰りした。
[ 09:23 ] [ 山と峠と三角点 ]
吉田のしだれ桜
この桜は、樹齢300年以上と伝えられている。陽春の頃、大きく枝を広げ樹枝いっぱいに花を咲かせる姿は美しい。昔から吉田のしだれ桜と市民に親しまれ、唱和52年には「古木と若木が織りなす開花期の景観のすばらしさ」により、舞鶴市指定文化財となっている。吉田区には、氏神:奥山神社をはじめ、曹洞宗瑠璃寺、年取島、吉田遺跡、吉田古墳(1~7号墳)伊崎古墳(1~7号墳)、民俗芸能「吉田の振物」など多くの史蹟や文化財があり、この地区の歴史の深さを示している。
ちなみに若木の芽生えは、門前の嵯峨根堅治翁の苦心によるものである。 金剛山瑠璃寺
2008/04/11のBlog
[ 10:24 ] [ 山と峠と三角点 ]
インタ-ネットで常照皇寺を調べると、京北町は京都市に編入されていた。桜の開花は、京都府北部の綾部市が満開なのに、まだ先とのことであった。
地元の四つ尾稲荷大祭の準備で、小旗を沿道に並べたり、護摩壇の柴積み、料理方の準備など奉仕作業があり、11時に終わってから出かけた。
和知町の大野ダムの桜もチラホラ咲きで桜祭りが始まっていた。帰りに寄ることとして周山街道に出て1.5時間で常照皇寺に着いた。桜は色づき始めたくらいだったがシ-トを広げ花見をする家族も見られた。
売店が出ている。山の散策で食べる草餅とお茶を購入
売店前の観音様
[ 10:07 ] [ 山と峠と三角点 ]
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2008/02/04のBlog
[ 18:46 ] [ 山と峠と三角点 ]
先のブログに記載した「綾部の三角基準点座標値一覧表」にただ一点「記念碑」の座標表示がなかった。標高は31.98mと記載されており、由良川近くの低地であると予測されるが、該当する標高値の記載も地図に見当たらない。
しかし下記の「点の記」が添えてあったので、GPSを持って現地に行ってみた。井関用水の曲がり角を調べたが判らず、近所の方に尋ねると、すぐ横の「栗町公会堂」の前に予想していたよりも大きな、軒先の高さほどの石碑が立っていた。
石碑表には「萬代不動 五穀豊穣 恒久平和 安穏楽土 昭和37年2月4日 立春と書かれていた。石碑裏面、横面にも長文の文字が彫られていたが、読み取るには一字づつ転写の必要がある。「点の記」に記載の通り三角点石柱自体は見られなかった。
GPSで取得した点名:記念碑の座標値はN35、18、43.3 E135、13、13.5であった。近くに「芝原」という標高29.66mの三角点が、南の由良川に向かって500m位のところに所在している。
三角基準点:記念碑」の点の記に掲載の地図と現地説明
綾部市豊里小学校から南西約600mに県道の十字路の東側に井関用水記念碑がある。本点は記念碑中央の標石柱。
本点は記念碑を基準点としたものである。
記念碑の上にも大きな石碑が重ねられていた。
綾部市内の全ての三角基準点を「地形図閲覧システムインデックス 国土地理院」より抜粋して、点名、標高、座標値を一覧表にしました。
座標値は最後の数値を四捨五入しています。
なお綾部市境および近接地にある他府県・市町村の三角点も記録しています。
また大部分の基準点に「点の記録」がリンクされていますが、地図の部分のみコピ-しました。
綾部の山など 三角点の基準点 座標値一覧表
2008/01/29のBlog
[ 10:01 ] [ 山と峠と三角点 ]
綾部市境の峠道 および 市内峠道 一覧・峠のHPリンクを作成してアップしました。
綾部市は東西に由良川が流れ交通の要所となっていますが、南北にも車道のある峠を持っています。
しかし綾部市を取り囲む環状の山地や市内の各所をつなぐ峠道は、昔の交通の要所でありながら、現在は殆ど忘れられ利用されない山道になっています。車道以外の峠道は、道自体が崩れたり、倒木が塞いだり、雑木が密生したりの山道が多い状態です。
少しづつでも実際に歩いてみて写真を撮り、記録に残したいと思います。付近の三角点標識(山頂など)も合わせて訪れたいと思います。 
2008/01/23のBlog
この「小畑祭り・小畑のヤッコ振り」には、小畑から二之宮神社(熊野大明神)の神輿・屋台・ヤッコ振りも合流します
この小畑地区にも、小畑の本庄奧から福知山の観音寺に抜ける「金谷峠」があります。
先日のあやべ市民新聞に、小畑地区の有志の方が集まられ、労力奉仕で「小畑の本城奥から金谷峠へ」の峠道を、散策ル-トにと整備された記事が報道されました。
昔は福知山の観音寺まで峠を越えて約一時間ぐらいで、よく利用されていたと言うことです。
参考 HP:宗谷(285.86m)市境三角点・金谷峠
三坂峠(さんさかとうげ)
綾部の文化財を守る会の四方事務局長に調べていただいた結果、次が判明しました。
「鍛治屋町在住で郷土史講座幹事、守る会常任幹事の塩見次郎氏曰く、小畑六左衛門は「鍛治屋町の三坂峠(さんさかとうげ)を歩いて越え、私市(きさいち)の報恩寺(ほうじ)の嫁の家に行った」そうです。

小畑のヤッコ振り」が行われる鍛冶屋の近くに、小西町三ノ宮神社があり、そこからの神輿・屋台・ヤッコ振りが合流します。小西からも袋峠を越して報恩寺に行くのが盛んで、以前は良く使われていたと云うことです。
袋峠 HP:市境の三角点 △小西(184.29m)
地元の人に袋峠の名前を教わりました。

なお、由良川の支流である「犀川」を船で下り、小西から更に由良川に出て、昔は運行されていたという「由良川廻船ル-ト」を利用するような水路もあったのかもと想像をたくましくしています。
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