登尾峠を歩いて越える会のための準備下見登山 5月12日(水) あやべ里山散策 四つ尾山の四季へ
桜を育てる会 広沢代表 | 参加の皆様 | 挨拶の相根郷和会会長 | 京都府農林課の方 |
登尾峠を歩いて越える下見登山会の皆様と同行した。最初、中断の新登尾峠を見に行ったときに、桜の手入れ中の広沢様に偶然お出あいし、舞鶴の城屋に歩いて越える計画のあることをお聞きし、同時に奥山・登尾峠に桜を育てる会などの「ぬた場」花見ウォ−クの事を伺い前回、参加したところである。 その時に旧登尾峠の接続口が、「割迫」もしくは「水無し谷」と伺ったので、関電の電線巡視路になる「大目立」から稜線に上がり、三角点:登尾登頂で確認した市境尾根を縦走して、旧登尾峠を上から辿った方が、峠道を見つけやすいのではと考え、ル−ト図を作った。また登山好きには、ハイキングでない格好の「周回コ−ス」になる意味もあり、折角のことで里おこしにも連がるので、一人で行くよりも希望者があれば同行する由申し入れたところ、桜を育てる会で審議していただき、多数の参加希望者があると云うことになったので、下見登山会と位置づけていただき実施されることとなった。 その後、90才のお婆さまが孫の車に同乗で登山口を確認していただき、印の杭を立てたり、志賀郷和会の男性など多数の協力、舞鶴の京都府総合庁舎農林課職員の協力、相根郷和会会長から城屋区長への親書、来年の向日市との里山交流会の進展などもあった由、雨天順延もあり、快晴の12日の登山当日を迎えた。 憩いの森休憩所に全員揃ったところで、広沢代表の挨拶と司会のもと、参加者それぞれの想いなどの発言があり記念撮影。人手が揃ったこともあり、下見登山とは云え登尾峠を城屋へ越えるル−ト確保に出発した。(参加計13名) 参加者のお名前は、集合写真または、ここをクリックください。 「奥山の桜植樹10年のあゆみと新しい夢のはじまり」および「奥山の桜、10年の歩み」はここをクリックください。 |
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90才のお婆さまの目印の杭 | 峠口にある公団看板 | 急な登り口 | 滝口を渡り |
藪を切り開きながら | 花が綺麗だ | 新峠道(府道)が下に | 向かいで折り返す新峠 |
途中の休憩 | 稜線に入ると歩きやすくなり | 林間に咲く花 | 藪切開きの汗を拭う坂根様 |
「割迫」は間違いだったようで、更に先の公団看板のたつ急な登り口から滝の下に渡された丸太を越して、日当たりへ出ると完全な藪状態で、郷和会会長相根様を先頭に鉈や鎌で切り払いながらの大変な登山行となった。新峠を折り返す斜路に対面する広い南斜面を斜行する、細い峠道の藪を切り開き、屡々の休憩をはさみながらの登行であった。△登尾から続く主尾根に入る手前で林間となり、やっと藪から解放された。△瀬戸に続く主尾根と並行に行くと、倒れた峠の道標があった。 右たんば、左やまみち 下部に女・、じょうや、・・の字が読める倒れた道標。 ここから 600m 主稜と平行さらに北へ辿り、城屋に向かい下りが急になるところで引き返した。 登り尾峠を城屋へ歩いて越えるル−トは、確定できたと思われる。 道中、参加の主婦から、小学生の時に祖父に連れられて3回も峠越えをした。大八車を引いての峠越え、また城屋から餅つき臼を持って帰った。いつも魚がお土産であった。生活道路だった。・・などの話を伺った。 となると、今日のル−トでは、人が通る幅がやっとなので、広い「水無し谷」ル−トがあったのではと思われる。峠から城屋側は倒木や谷状の窪みがあるが、以前は可成り広い山道であった可能性は充分にあると感じた。 |
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舞鶴城屋方面遠望 | 稜線と峠道分岐(帰り) | 新峠道を帰る。 | 花が咲き乱れて |
参加者のお名前:相根良一、石井敏昭、千原正作、梅原諭、畑中秀樹、小川、真宮篤子、長谷部洋子、村上悦子、大槻綾子、河北ひさ子、広沢直子、鍋師有の合計13名の皆様。 | |||
広沢さまから頂いた資料覚え書き 1.志賀郷和会(しがきょうわかい)とは、220ヘクタ−ルに及ぶ奥山を所有、管理、運営する社団法人で、志賀郷地区の全住民が会員となっております。 2.来年の向日市との里山交流会については、現在のところ私達としては、その内容について参画しておらず、両市の取り組みがなされていることを承知している程度です。向日市民が多数、奥山へウォ−キングに来られることを歓迎いたします。 3.登尾峠以外にも、志賀郷地域内には、多数の峠が、懐かしい思い出と共に消えずに残っていると思われます。峠についての記憶を呼び戻したいと思います。また尾根を歩いて移動することも頻繁にあったと思われます。 4.登尾峠(今回、城屋へ越えようとした峠)は、昔は、城屋峠と呼ばれていたようです。 また、今回登った道は、昔は、彼岸道(ひがんみち)と呼ばれていたと言います。彼岸になると内久井町の人々が、この道の草刈りをしたからだと云っておられます。前述の90才の女性の話では、城屋側は、城屋の人達が刈ったそうです。(女の仕事だったかもしれない) 5.城屋地区には、雨引神社という有名な神社があることは、舞鶴の資料で知っておりますが、こちら側で、この神社のことを蛇神さま(じゃがみさま)とよぶ人がいて、何か、物語がこちら側にもあるように話しておられます。 6.登尾峠周辺に、”海の見えるところ”があったと多くの人が話されます。”鉄橋が見えた”と言う方もいます。私達もその場所に立って、海が見たいと思います。由良川の河口でしょうか。 編集者付記: 志賀郷の峠道 市境の峠道 古地峠、市原峠:西方町 岳山の峠:坊口町 久田美峠:内久井町 など 市内の峠道 蓮華寺峠(志賀街道)、八重坂峠:篠田町 など 向日市との里山交流会 5月16日(日)に雨天にも関わらず、多数の向日市市民の方が里山ウォ−ク(君王山)に訪れ、広沢さまなど綾部市民も雨中一緒に歩き交流されました。あやべ市民新聞HPを参照ください。 |