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なべちゃんの散歩道
Blog
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2005/08/29のBlog
[ 21:15 ] [ テニス 綾部市テニス協会 ]
秋の気配と残暑厳しい日曜日、平成17年度、第24回・綾部オ-プンテニス大会が開催された。男子ダブルス、女子ダブルス、8ゲ-ム、1セットマッチ、8-8/12ポイントタイブレ-ク。ト-ナメント試合である。
サ-ブの選手。写真はクリックすると拡大します。
バックストロ-クを慎重に・・
サ-ブ中の選手
フォアストロ-クで・・
[ 13:44 ] [ 福祉 あやべ作業所 ]
あやべ作業所まつりの準備。放送設備の調整中
脚立とバケツを利用した、舞台照明。
スーパーボールすくい、あめつかみ、ヨ-ヨー釣り会場。ゴム風船に水を入れて準備中。
食べ物の売店も、材料が運び込まれ、世話人が集まってきて準備が始まった。
「焼きそば」「お好み焼き」「うどん」「フランクフルト」「回転焼き」「アイスクリーム」「果物販売」「加工品販売」「カレーライス」「たこやき」「焼きおにぎり」「焼きイカ」「焼きとり」「ポップコーン」「のみもの」「わたがし」「喫茶コーナー」「自主製品販売」「ポン菓子」の盛りだくさんの模擬店が並ぶ。
市民の皆様から提供いただいた、福ありバザ-ルの品物を広げる。
[ 13:21 ] [ 福祉 あやべ作業所 ]
8月27日夕方から、恒例の作業所まつりが行われた。午後1時に準備に行ったが早すぎて、2時集合がかかっていた。
全市に配布されたポスタ-・ちらし。
2時に準備に集まったボランティアの皆さん。100名以上はおられる。最終的には、売店関係などを含めると、役300名のボランティア協力がある。
手分けして、会場の設営万端を整えていく。
会場配置図。ステ-ジ、食べ物の売店、ゲ-ムなどの遊び場、作業所の中も片付けられて、遊び場や、各福祉団体企画の催し場になっている。市内の拡幅し団体を網羅して協賛出店。それぞれの施設からの仲間が集まってくる。地元の自治会、婦人会、学校などの協力もある。福祉関係のお祀り、物部・志賀郷地区の夏祭り的な要素が充分見られる。
夜間照明用の電灯コ-ドをはわせる。
電球を取り付け、赤い提灯をぶら下げていく。売り場の看板が吊られていく。
2005/08/28のBlog
[ 21:21 ] [ あやべの街 ]
昨土曜日は、作業所祭りで物部のあやべ作業所でのポランティアだった。時間の合間に、祭り参加者の駐車場となる隣接の西部グランドで、少年サッカ-の練習をやっているのを見た。
おっとっと、バランスをとり、ゴ-ルにシュ-ト・イン
大勢の子供を相手にコ-チも大変だ。2グル-プに子供を並べて、交互に球出しをしている。
2列に分かれて、子供たちは順番にボ-ルをけり出していく。
こちらはもっと大きな子供たち、文化財を守る会の四方續夫氏は名審判コ-チで大勢の少年サッカ-選手を長年、育てられた人だが、物部チ-ムもなかなか優秀で、舞鶴市など合同の大会ゾ-ンのクラブだと聞いた記憶がある。
[関連したBlog]
★ 山仲間には、日本に一つぐらいは聖域があっても・・わざわざ登らなくても山は沢山あるし・・という方もあります。(フリ-百科では、キ-ワ-ド「聖域」はありませんでした)

★ 一方、大峯山の女人禁制が解けるまでは、奈良県(奈良県境の山々)へは一歩も足を踏み入れないと公言されている、fさんのご意見の要約を次に記します。
文明国の日本に、今なおなぜ「女人禁制」が・・、世界にはびこる「女性差別」や「人身売買」、「性的奴隷」、「売春」、「配偶者からの暴力:DV」・・などの不正行為、また近年日本でも続発する「児童虐待」などの取り組みにおいて、先進国となるべき日本ではないのか・・。

>皆さん天下泰平・・・未だ、無神経に痛みを貰ってそれに耐える立場にはなられたことが無い方ばかりで、一番基本的な平等と言うところに話が行かないところが、現在の日本の平均の感覚を表しているのでしょうか・・・?

>私の感覚では女性差別地が聖域と平気で言えること自体、信じられないのですが・・・。

>子供時代に差別や偏見を知らずに多くの友人たちと過ごし、成人してからそのことを知り、ずいぶん恥ずかしい思いをしました。

>私のボランティアや平等感には、その時の反省と償いの気持ちが少しは残っていると思います。多分、気にされない方たちは、自分が被差別者になったり、DVの被害者になったりしたときのことを考えてまで、発言は出来ないのでしょう。

>危機管理と同じで負の想像力を持って、自分をその環境に置いての発言が、これから少しでも多くなればと思います。

>山に登り始めてまだ初めのころに、立山の極々普通の縦走路を少し外して、腹から直登したときに、掴んだ石が抜けて20mほど転がり落ちました。それ以後の私の山行きは 、いつも最悪の事態を想像しながら歩く癖がつき、それが日常生活にも根付き、外見やセレモニーで命が守れないと思うようになって、・・・
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★ 用語解説です。出典はフリ-百科事典、入力すみ、デジタル・デ-タ-で非常に便利です。
これを印刷物から収録するのは、余程の暇人でないと出来ません。作成者に大感謝!!

性差別:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性差別(せいさべつ)とは、性別に基づく差別のこと。基本的には女性差別をさすが、近年は男性側から男性差別を主張される事が激増している。また性的少数者に対する不利益も性差別の一つである。

現代においても一般的に男性、女性間の生物学的な性に基づく扱いの違いが性差別であるとして糾弾されることは少ない。多くの場合性差別であるとして問題になるのは「社会的な性差」(ジェンダー)を理由とした差別についてであり、そのため性差別解消の手段の一つとしてジェンダーフリーが主張されることもある。

歴史的背景
選挙権の有無
公の場で女性が意見を述べる機会は、長らく無かったと言える。これに対してはさまざまな考察があるが、結論には到っていない。現代の日本社会においては、女性にも被選挙権が与えられるなど、女性の社会進出に対して好意的に受け入れられていると考えられる。
1906年のフィンランドがヨーロッパ史上初となる女性への参政権を認めた。反面、17世紀アメリカのインディアンのある部族においては、女性にのみ選挙権を認めており、男性への選挙権は認められていなかった事例がある。
宗教観
特に中世盛期から後期において、キリスト教は長らく女性を抑圧してきた。13世紀カタリ派のように女性を司教に採用したり、男性を統率する立場に就任する事もあったが、ローマ教皇庁の命令で破門や虐殺を受けている。プロテスタントの生みの親ルターも「女児は男児より成長が早いが、それは有益な植物より雑草の方が成長が早いのと同じである」などという言葉を残している。
キリスト教によって女性差別が緩和された例も少ないながらある。たとえば売買婚を禁止した(そもそも売買婚はなかったとの説もある)。ただし、奴隷との性行為に関しては、教会自身が多くの奴隷を保有していたため禁止できなかった。ローマ帝国の法律では、既婚女性の財産の所有権や発言権には非常に制約が課せられていたが、これも緩和された。つまり、一定の相続権や離婚の請求権などを得たのである。姦通の罪は女性のみに適応されていたが、男性も罪に問うた。このように、主に結婚に関係して女性の権利が部分的に解放された。しかし、こういった解放は、中世初期において集中的に発生し、後期においては逆に厳しくなったりもした。
全体的な流れとして、女性は宗教界では弾圧され、世俗界では尊重されたと言えるだろう。

イスラムにおいて一夫多妻制などを男女差別の根拠とするのはお門違いである。イスラムの故郷中東は、内紛と十字軍などの侵略者により、長らく戦乱の時を過ごしてきた。そして未亡人が大量に発生した。そのため作られた制度が一夫多妻制であり、これは本来女性を保護することが目的であった。体中を布で覆わなければならないと言う教えも、敵兵に見つかった際に性的暴力を受けないようにするためである。
しかし、現在では形骸化し女性を弾圧する組織も少なからずあり、一口に語ることは出来ない。

関連項目
ゲイ
レズビアン
バイセクシャル
男女雇用機会均等法
ウーマン・リブ
セクシャルハラスメント
国際女性デー
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人身売買:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
人身売買(じんしんばいばい)とは、人間を売買すること。トラフィッキング(Trafficking)とも。

人身売買禁止議定書
2000年、国際組織犯罪防止条約を補完する議定書として国際連合国連総会で採択、2003年に発行された条約。日本は未批准。 そのため、外国人労働者の観光ビザでの不法就労や、日本国内における人身売買もどきや差別などが横行している。

人身売買に関する年次報告書
アメリカ国務省が毎年発表している人身売買に関する報告書で、142の国と地域を、TIER1(基準を満たす)、TIER2・TIER2 WATCH LIST(基準は満たさないが努力中)、TIER3(基準を満たさず努力も不足)に分類している。TIER2 WATCH LISTとTIER3は監視対象国。2005年、日本はTIER2に分類されている。

人身取引対策行動計画
2004年、日本が「人身取引対策に関する関係省庁連絡会議」を経て発表した計画書。

関連項目
奴隷
性的奴隷
売春
外国人労働者

外部リンク
人身売買禁止ネットワーク
人身売買に関する年次報告書2005年 英語(アメリカ国務省)
子どものトラフィッキング(国際労働機関)
人身取引対策行動計画(内閣官房)
女性のトラフィッキングについて(内閣府男女共同参画局)
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性的奴隷:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性的奴隷(せいてきどれい)とは、不当な理由により、性的行為を強要される状況下に在る人、またはその状態を指す。状態に関しては性的搾取とも呼ばれるが、本項にて述べる状況に於いては、その状態が継続的な物であるとされる。

概要
これらの人々は自由を奪われ、奴隷的状況下で性的な行為を強要されている。人身売買や不当搾取といった人道上にて問題視される人権蹂躙が絡み、これを成す事や看過する事は多くの社会で忌み嫌われている。一方、貧困や社会情勢の問題により、まだ社会的地位の弱い児童などがこれらの犠牲者となるケースも見られ、国際的にも問題視されている。

特に暴力によって拘束するケースも多く、これらでは日常的に暴行される事により精神的に疲弊し、逃げる気力を喪失している場合もあり、心的外傷と呼ばれる心理的なダメージの治療は、長期に渡るケースが多い。

性風俗産業
セックス産業(性風俗産業)に従事する者のうち、十分な報酬を与えられず、また勤務外でも身体の拘束を伴うなどの奴隷的環境で働かされる者をさす言葉。世界各国でも多くの場合、人身売買などにより外国や国内の未発達地域から連れて来られ、法律上の根拠が無い債務を背負わされて身体を鬻ぐのが普通である。一般には拘束期間が明ければ解放されるが、性的に魅力的な者、または所属する性産業に十分な利益を齎さなかった者は、拘束期間を延長されることがある。

紛争地域
紛争地域において、集落を襲撃した武装集団が自身の身辺を世話をさせると共に性的な欲求の捌け口とするべく、未成年者を誘拐するケースが見られる。これらのケースでは、被誘拐者は常時武装集団により監視され、精神的にも追い詰められるケースも見られる。

誘拐事件
児童を誘拐し、それらに性的虐待行為を繰り返す犯罪者(変質者と呼んでも良いだろう)のケースがある。これらでは特に都市の匿名性により犯人が特定されにくい事件も発生しており、日本では新潟少女監禁事件のような事件が2000年に発覚した訳だが、これに伴い模倣犯の発生も見られた。

関連項目
児童買春(ペド)
監禁
外国人労働者
配偶者からの暴力(家庭内暴力)
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売春:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
注意: この項目は性風俗関連について扱っています。未成年の方や不快感を覚える方は閲覧を控えてください。
★省略します。
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配偶者からの暴力:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』定義
配偶者からの暴力(はいぐうしゃからのぼうりょく、英語: Spousal abuse)、ドメスティック・バイオレンス(DV)とは、配偶者(届出をしていない、いわゆる内縁関係にある者を含む)から受ける虐待をいう。ここでいう虐待には身体的虐待、精神的虐待、性的虐待の3種があるとされる。

なお、「ドメスティック・バイオレンス」という用語は、元になった英単語 Domestic Violence が家庭内暴力全般を意味する言葉であるため、原語と意味にずれのある広義の和製英語に含まれる。

法的な定義としては、日本ではいわゆるDV防止法(正式名称:配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)の中で、配偶者からの身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの又はこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動と規定されているが、同法の保護命令の対象となる暴力は前者のみであり、後者の精神的暴力は対象とはされていない。

被害者及び加害者
DV防止法の適用上は被害者の性別は問われない。

日本においては被害者の多くが女性であるとされているが、平成15年度に於ける配偶者間の殺人事件のうち約4割(215件中82件)と暴行・傷害の約1割は女性による加害であり、女性が加害者となることも稀ではない。また、DV防止法上は、加害者として異性のパートナーのみを想定していると解釈されるが、国によっては同性のパートナーによる虐待もDVとして扱うとする規定を持つ立法例もある。

解決に向けた取り組み
ローマ法以来の家族観や、司法機関の介入により関係が破綻することへの危惧、犯罪性の認識の欠如などのため、「配偶者からの暴力」について刑事介入がなされることは従来稀であった。また、離別しようとしても強引に連れ戻されるなどしてしまうことが多い、女性が被害者となった場合女性側の生活力が乏しいことが多い、配偶者による暴力そのものが持つ依存的構造などのため、被害者が泣き寝入りする結果となってしまう傾向があった。米国では1970年代後半から女性の権利闘争やいくつかの致死事件により、配偶者からの暴力が耳目を集め、「配偶者からの暴力」概念が学問上創られた。

これに対し、現在は徐々にDVを不法行為と認める裁判例が出始め、NPOなどによる被害者保護活動も活発化してきている。日本でも2001年10月より配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律が施行された。

また、加害者は一種の精神疾患であるとして、治療やカウンセリングの対象として捉えるアプローチも試みられている。

関連項目
ストーカー
駆け込み寺
児童虐待
性差別
モラル・ハラスメント
配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律
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児童虐待:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
児童虐待(じどうぎゃくたい、child abuse)とは、こども・未成年者に対する虐待である。
概要
日本では「児童虐待の防止等に関する法律」(平成12年法律第82号)において、「保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(18歳に満たない者をいう。以下同じ。)に対し、次に掲げる行為をすること」
と定義されている(第2条)。そして、同条各号において列記されている行為は、次のとおりである。

身体的虐待 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。例えば、殴る、食事を与えない。冬戸外に締め出す、部屋に閉じ込める。
性的虐待 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。例えば、子どもへの性的暴力。自らの性器を見せたり、性交を強要する。
ネグレクト(Neglect) 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。例えば、病気になっても病院に受診させない、乳幼児の車内への放置、食事を与えない、下着など不潔なまま放置するなど。
心理的虐待 児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。心理的外傷は、児童の健全な発育を阻害し、場合によっては心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの症状を生ぜしめるため禁止される。例えば、言葉による暴力、恫喝、無視や拒否、自尊心を踏みにじる。
その他の児童虐待として、上記法には含まれないが強制労働の問題があり、特に紛争地域等での兵員や性奴隷としての徴発も児童虐待として批判されている。これらの原因には、紛争と貧困・政治体制の不備もあり、一朝一夕には解決しがたい部分である。

要因・状況と対策
現在、良く知られている要因としては

望まない妊娠・望まれない子供への苛立ち
配偶者の出産・子育てへの不協力や無理解に対する怒り
育児に対する不安から来るストレス
再婚者の連れ子に対する嫉妬・憎悪
などが挙げられる。

また、虐待を行う親の多くが、自らも虐待を受けた経験がある事が知られている。しかし再婚者や被虐待者だった保護者が、必ずしもそうなる訳ではないにも関わらず、ある種の社会差別を被ったり、本人のコンプレックスになる等の、付随的問題も発生しており、これらの状況におけるケアを、より難しいものにしてしまっている面もある。なお、性的虐待は各種の統計などから、相当数の存在が予測されているが、発覚し難い事から、実際の発生件数は、非常に把握しがたい部分がある。

また家庭内だけでなく、保育園、幼稚園、児童養護施設内のものもこれに含まれる。こうした子どもが病院を受診した場合、診察した医師は、担当でなくとも速やかに警察に通報する義務がある。(「児童虐待の防止等に関する法律」においては、発見した者全てが児童相談所等に通報の義務がある(第5条)と定められている。)

しかし、いずれも家庭内や施設内などの閉鎖環境において行われている事もあり、その大部分が暗数となっている。児童を保護する児童相談所にしても、事実関係の調査中に親権を盾に両親が保護した児童を連れ去ったり、醜聞を恐れて引越しをしてしまう・児童が親を庇おうとして被害を訴えたがらない・両親の親が介入して児童を親元に戻してしまう等の問題もあって、手遅れになるケースも少なくは無い。

このような問題が浮上したのは比較的近年であり、「親は子供に折檻を行うもの」という常識が世界的に受け入れられ、最近までは全く問題視されなかった部分がある。特に近代以前においては、児童は親の所有物という考えが社会通念としてあったために、人身売買や、果ては口減らしとする殺害すら行われていた。特にそれらの思想は現代においても根強く残る部分も少なくは無い。

躾と体罰においては、現代でこそ度を越した体罰はトラウマの要因として問題視されてはいるが、近年までは全ての肉体的な苦痛を与え得る体罰が有効な教育方針として考えられていた背景があり、特に躾と体罰と拷問を混同する保護者の存在が、事態を悪化させる要因になっている。なお1980年代のアメリカでは菓子の包装紙にすら「ストップ・ザ・チャイルド・アビュゥズ」という標語が記されていたという。

こうした子どもの救済、保護を担当するのは、児童相談所であるが、特に緊急を要する場合は、警察がまず加害者である側から児童を引き離して保護し、しかる後に児童相談所に事態の収拾を預ける事もある。児童相談所では、それぞれのケースを調査し、親に対するアドバイスや援助を行ったり、児童に必要な医療措置を手配したり、必要な場合には、親権の剥奪や児童養護施設への児童収容を手配する事もある。

日本国内の取り組み
日本で児童虐待のニュースが目立つようになったのはここ数年のことであるので、アメリカに対して20年弱の状況認識の遅延が認められる。

このため近年では、増加する傾向にある日本国内の児童虐待に的確に対処すべく、従来は育児全般に関する相談を受け付けていた児童相談所だが、2003年9月に厚生労働省は「児童虐待と非行問題を中心に対応する機関」とする位置付けの変更を決定した。特に事件報道が増えるにつれ、社会的にも児童虐待に対する認識が広まり、隣人などからの通報により、事件が発覚するケースが増えている。

関連項目
被虐待児症候群
児童相談所
児童買春
家庭内暴力
動物虐待
ペットがある、児童虐待の見られる家庭では、その6割に動物虐待行為(内3割は被虐待児によるもの)が見られるとする統計もあり、兎角世間から気付かれ難い児童虐待行為のシグナルとして、これに注目する向きがある。

最近発覚した児童虐待
岸和田中学生虐待事件(2004年)
大阪府岸和田で中学3年の長男に食事を与えず、餓死寸前まで追い込んだ。発見当初、長男は身長155センチに対して、体重が24キロであり、皮膚の一部が壊死、腐敗しはじめていた。また、次男にも虐待をしていた。
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キララ☆ネット ~ひとりひとりが 自分らしく 輝くために~に、
 『性的虐待について共に考える会』発足宣言があります。

性的虐待:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性的虐待(せいてきぎゃくたい)とは、成人と子供等、一定の力関係が発生する状況で例えば成人が幼児に加える性的な行為で、当事者がその行為を強制されたもの、望まないもの、嫌悪感のわく恐ろしい出来事と感じたことを指す。

定義
一般に性的虐待というときには、狭義の性的虐待の意味であり、これは一定の人的関係を持つ者(親族、保護者、社会における関係者)による(広義の)性的虐待を意味する。

児童に対する性的虐待がもっとも早く社会的な問題として顕在化したが、高齢者に対するもの、配偶者(内縁関係を含む)に対するものについても認識されつつある。

一般には、暴行脅迫を用いた狭義の強姦や保護者としての地位を利用した近親姦(広義の強姦)のイメージが強いが、これに限られず、性器や性行為の見せつけといった行為、被虐待者の身体への軽い性的接触といった、いわゆるセクハラと同様な行為もこれに含まれる。

性的虐待そのものは強姦や児童に対する身体的虐待やネグレクト同様に古くからあるが、抑え込まれてきた事の一つでもあり、被害がおきている事は事実である。

被害児の多くが女児であり、男児の被害者も少数いるが見過ごされがちである。加害者の多くは父親だが、稀に母親の虐待者も存在する。

性的虐待の影響
性的虐待の被害児は、大人に加害されるという異常な状況が繰り返しおこる事によって多くが深刻な心理的外傷を負う。その症状は、抑うつ、不安、自傷行為、自尊心の欠如であり、適切な対応が取られない場合は特に生涯にわたって影響が見られる。

事例
アメリカではカトリック教会でも性的虐待の事実が明るみになったため、大規模な調査が行われた。イラクでは米兵らによるイラク人への性的虐待が明らかになり波紋を呼んでいる。

再発防止への妨害
加害者として訴えられた個人や団体は、フロイトが一時用いた説を用いて否定している。フロイトは当初、ヒステリー患者の女性は幼児期の性的虐待が心理的外傷となり精神疾患を引き起こす説を発表したが、途中で説が変貌し幼児性欲の幻想であると唱えた。この原因について、後のフロイトの手記に本当は当初の心的外傷論が正しかったと触れられると共に、自身の幼い娘に性欲をもち、悩んだ記録が発見されている。この手記の発見により、フロイトの虐待幻想説への転換は、当時の社会な反発と共にフロイト自身が小児性愛者であり性的虐待の加害者になる可能性があった事への関連が指摘された。加害者になりうる立場として、被害児童の証言能力の低下や、「幼児の性欲」を仮定し性的虐待を子供が望んでいるとすることで、小児性愛や性的虐待行為を正当化する目的があったと考えられている。いずれにせよ転換後の説はユングによって否定され、現在の米国の心理学では被害児にとってグロテスクで苦痛であった虐待は、幻想になりえないと結論されている。

反動・発見
子供への強制猥褻を虐待と捉える事への反発は、例えば米国においては小児性愛の肯定をする団体が主張しており、同国で相次いで証明された被害の多さにたいする反動と考えられている。

大人が家庭内で幼児を性的に虐待する時、証拠が残らず又幼児の証言能力が社会的に弱いものである事を利用し、虐待をすることが多い。また立場的に子供は圧倒的に弱い事が多く(腕力と知力も同様である)、大人の権威の下で虐待を否定されれば大人になるまで告発できず、自分のされた事の認識をできるようになるまでには証拠も多くの場合無くなっている。パワーハラスメントとしての側面ももつ。

日本
日本社会において性的虐待の現実に関する認知度は低い。児童の訴えを聞いても、加害者の代わりに被害児童を責めることも多く、心理的に被害児童が訴え出るのが難しい状況にある。まれにある例として、女児が実父、あるいは養父から性的虐待を受け、それが母親に発覚しても、追求した場合の家庭崩壊への極度の恐れ、経済的弱者な故に黙認、ないし女児への理不尽な責任転嫁、また夫を娘に取られたと錯覚し、発覚以来肉体的暴力に走るケースも少なくない。また稀な反例を用いて性犯罪者側を許容、黙認する傾向があり、このことが性的虐待を助長する一因ともなっている。トラウマを負い、精神疾患を発病させる暴行を加えられた被害児童が増えることは大きな社会的損失につながる。

性教育
子ども自身が体と性の仕組みを知る中で自身を権利主体と認識することは、人権を尊重する基礎である。子供が性的虐待にあった時に、自分のされたことが犯罪だと知っていることが重要な意味をもつ。子供が知識武装されていることによって、被害にあった際に他の大人に訴え出るなどの防衛手段をとることが可能になる。人権教育としての性教育は、性的虐待を含めた暴力加害防止のための重要な取り組みとされている。このような事例を扱った小学三年生向けのビデオ教材が東京都教育委員会により「児童の発達段階を踏まえない不適切教材」に指定されるなど対応は難しい。

関連項目
痴漢
児童虐待
児童買春
配偶者からの暴力
性教育
2005/08/27のBlog
[関連したBlog]
★上記「関連したブログ」以後につづく、ブログ記事、コメントの用語解説です。
全体は、サイドメニュ-のジャンル「女人禁制}からご覧ください。まだまだ続きます。

女人禁制:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
女人禁制 (にょにんきんせい)とは、女性に対して社寺や霊場、祭場などへの立入りを禁じ、女性の参拝や修行を拒否する慣行のこと。

女性の生理に関係する特定の期間を忌みとする一時的な女人禁制と、女性を排除して恒常的に立入りを禁ずる永続的な女人禁制がある。

女人結界
特に、霊山における入山規制の結界を「女人結界」と言い、その境界には女人境界石が建てられていた。しかし、信仰心の篤い女性信者のために、結界の外に女性が念仏に励む場所として女人堂が建てられた。また、女性の参拝・修行を許可した場所を「女人高野」という。

明治時代の文明開化以降、多くの山の女人結界が解除されたが、一部では未だに残っており、また近年、女性の社会進出と共に「女人解禁」が議論され、解禁された場所もある。

由来
霊山などへの女人禁制は、修験道による働きかけによるが、これは仏教の女性観に基づくもので、女性が修行の妨げになるためだと言われているが、そもそも日本で最初の出家者は尼であり、この説には異論が残る。一説には、巫女やイタコといった「女性には霊がつきやすい」という観点から、女性を守るためであると言う。

祭りに女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透した江戸時代以降のことであり、古事記には祭りに女性が参加していた記述が見られる。

女人禁制とされている(されていた)場所
山岳・霊場
石鎚山(愛媛県) お山開き(7月1日)
大峰山山上ヶ岳(奈良県) - 山体全域が対象で、登山道には大きな看板が立つ。(反対運動あり)
高野山
後山の奥の院(岡山県)
アトス山(東方正教会の修道院が置かれ、家畜に到るまで全山男性のみ)
祭り
祇園祭の長刀鉾
博多祇園山笠(福岡県)
その他の場所
大相撲の土俵
工事中のトンネル内(現在は女性技術者もおり、問題となることはない)
酒蔵(現在は女性杜氏もいる)
野球場
古代ギリシャのオリンピア競技場
沖ノ島
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★「聖域」では検索が出ませんでした。
聖地:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

聖地(せいち, sacred place, holy ground, holy site)とは、特定の宗教、信仰にとっての本山、本拠地、拠点となる寺院、教会、神社のあるところ、またはその宗教の開祖、創始者にまつわる重要なところ、あるいは奇跡や霊的な出来事の舞台となったところをいう。ユダヤ教ではエルサレム・ヘブロン・ティベリア・ツファットの四聖都をはじめ、シナイ山や聖書の登場人物の墓・各地のラビ廟など、キリスト教ではエルサレム・ローマ、イスラム教にとってはメッカ、インドの仏教では八大聖地、日本の伝統的信仰では伊勢神宮・恐山などを指す。

そこに参拝することは、信者にとって特別なことであり、それへの巡礼は信仰生活にとって特別な意味を持っている。

また英語で"the Holy Land"というと、神がイスラエル民族に与え、イエス・キリストが誕生したとされるパレスチナの地を指す。
2005/08/26のBlog
[関連したBlog]
★ここで言葉の定義を調べてみたいと思います。

「涅槃」のキーワード検索(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から、
ウィキポータル 仏教:三法印(さんぼういん)は、仏教の教えを特徴づける三つの考え。仏教自身と他の教えとの区別を明らかにすると同時に、自身の特徴を示そうとして「諸行無常印」「諸法無我印」「涅槃寂静印」の三法印を説いている。時にはこれらを略称して「無常印」「無我印」「涅槃印」ということもある。とあります。

他に次の仏教用語のキーワードが、サイド・メニューに並んでおり検索できます。
仏教:基本教義:縁起, 四諦, 八正道:三法印, 四法印:諸行無常, 諸法無我:涅槃寂静, 一切皆苦:人物:釈迦, 十大弟子, 龍樹:如来・菩薩:仏の一覧:部派・宗派:原始仏教, 上座部, 大乗:地域別仏教:経典:聖地:八大聖地
さらにこれらの用語解説中に含まれる言葉について、例えば「苦」という文字にも検索リンクが付き、仏教で云う「苦」とは何かを学ぶことが出来ます。

四法印:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三法印に対して、「一切皆苦印」を加えて四法印とするのが『瑜伽師地論』の四法嗢拕南説である。「一切諸行皆悉是苦」と説かれている。
これが、初期経典にいわれる「いっさいは苦なり」をうけたものであることは明らかである。「色は苦なり。受想行識も苦なり」というのが、これである。これは、常執と我執とによって、無常、無我の世界に常住や自我を追い求めるから、すべてに「苦」になるのである。

 仏教は現実を「苦」という。それは現実を生きることは本質的に人間にとって苦であることをいう。本来は平等一相一味である世界、何らの固定性をもたない変化そのものの存在に対して、変化するもの自身をつかんでいなくては生きられない。よりどころとはならないものを、あてにして、我他彼此の妄念差別(しゃべつ)の心を生じ、すべてを対立的にみる。これこそ「苦」である。そこで、この現実が苦であることを「一切皆苦印」として別立するのである。いま、このような四法印によって現される仏教の根本構造は次図のようである。

 諸行無常、諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたである。無常と無我とを自覚して、それによる生活を行うことこそ、煩悩をまったく寂滅することのできた安住の境地である。
 無常の真実に目覚めないもの、無我の事実をしらないで自己をつかまえているものの刹那を追い求めている生活も、無常や無我を身にしみて知りながら、それを知ることによってかえってよりどころを失って、よりどころとしての常住や自我を追い求めて苦悩している生活も、いずれも煩悩による苦の生活である。
 それを克服して、いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すものである。

 差別(しゃべつ)とは、仏教世界において、全ての物が一如平等であることに対する、高下、善悪などを持つ特殊相のこと。★詳しくは下記の付記を参照ください。
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★ 実はこのブログの本来のお尋ね 「大峯山(山上ケ岳)の「女人禁制」と「人間の尊厳」との関わりは?」についての解答が含まれている主題部が、ここに出ています。
 それは、この用語解説が正しいとするならば、
>本来は平等一相一味である世界、何らの固定性をもたない変化そのものの存在に対して、変化するもの自身をつかんでいなくては生きられない。よりどころとはならないものを、あてにして、我他彼此の妄念差別(しゃべつ)の心を生じ、すべてを対立的にみる。これこそ「苦」である。そこで、この現実が苦であることを「一切皆苦印」として別立するのである。
>それを克服して、いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すものである。

★ とあります。釈迦の涅槃の悟りと、大峯山における役行者の解脱の悟りが異なると云われれば、また修験者各個人の目指される悟りも、またそれぞれ異なると云われれば、それまでですが、「女人禁制」:人権論で云う男女平等論は、吉野山人様が信仰の世界と、女性人権論者の主張する男女同権論とは違うと強調されていますので、このブログではとりません。

★ しかし「本来は平等一相一味である世界」とあるに対し、「女人禁制」を「とらわれの心」のひとつであるとするならば、それを修験の悟りのための非日常性環境維持のために必要とされることに矛盾はないのかと、そこで得られた最高の叡智に自己信念の点で足らぬところが残るのではないかと、お尋ねする必要がありそうです。しかし今の段階では、このお尋ねを先送りして、今しばらくの間、話題を広げたいと思います。
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付記:
修験道:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
修験道(しゅげんどう)とは、山へ籠もって厳しい修行を行う事により、様々な「験」(しるし)を得る事を目的とする宗教である。修験道の実践者を修験者という。

山を神として敬う古来日本の山岳信仰と神道、仏教、道教などが習合して確立した日本独特の宗教である。奈良時代に成立したとされる。開祖は役行者とされる。

平安時代ごろから盛んに信仰されるようになった。平安初期に伝来した密教との結びつきが強く、鎌倉時代後期から南北朝時代には独自の立場を確立した。密教との関係が強かったことから、仏教の一派とされることもある。

明治時代初頭政府によって一時禁止された。現在は、奈良県吉野山の金峯山修験本宗 総本山 金峯山寺、京都市左京区の本山修験宗 総本山 聖護院門跡、同伏見区の真言宗醍醐派 醍醐寺三宝院などを拠点に信仰が行われている。
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役小角:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
役小角(えんのおづぬ、えんのおつぬ)は、通称を役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれる修験道の開祖。
略歴
634年に大和国葛木上郡茅原(現在の奈良県御所市茅原)に生まれる。生誕の地とされる所には、吉祥草寺が建立されている。17才の時に元興寺で学ぶ。その後、葛城山(金剛山)で山岳修行を行い、熊野や大峰の山々で修行を重ね、金峯山(吉野)で金剛蔵王大権現を受け取り、修験道の基礎を築いた。

二十代の頃、藤原鎌足の病気を治癒したという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えた。

699年に謀反の疑いをかけられ、伊豆大島へ流刑となり、701年に疑いが晴れて茅原に帰る。

706年6月7日に68歳で箕面の天井ヶ岳にて入寂したと言われる。

後の平安時代に山岳信仰の隆盛と共に、「役行者」と呼ばれるようになった。寛政11年(1799年)には、光格天皇より「神変大菩薩」の諡を賜わった。

天河神社や大峯山龍泉寺など殆どの修験道の霊場は、役行者を開祖としていたり、修行の地としていたりするなど、必ずと言っていいほど、結び付けられている。

伝説
役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという。左右に前鬼と後鬼とを従えた図像が有名である。ある時、葛城山と金峰山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛城山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。

また、役行者は、流刑先の伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていったとも言われている。

また、ある時、日本から中国へ留学した僧が、向こうで経典の講義を行っていると、聴衆の中に役行者がいて、その僧に質問したと言う。
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差別:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
差別(しゃべつ)とは、仏教世界において、全ての物が一如平等であることに対する、高下、善悪などを持つ特殊相のこと。
差別(さべつ)とは、ある物と別の物の間の差異のこと。または取り扱いにおいて他と差をつけること。漢語由来の言葉であり、現代の北京語では「差異」の意味で用いられる。

差別(さべつ)とは、人の取り扱いについて、正当な理由による合理的な対応の差ではなく、不合理・不当な、あるいは無関係な理由によって他よりも低く扱うことによって不利益を与えるような対応のことを指す。かつての日本では、「差別」は2のように主に「区別」の同義で使われていたが、現在はすっかりとってかわって「差別」には、人間の扱いに不当に差をつけることを言う 3.のような意味が附加され、主にこちらの意味で用いられるようになった。本来の意味での「差別」は、今日では「無差別級」や「無差別殺人」などのような一部の用法に残っているのみである。
以下では、3の用法について記述する。
差別の種類
現在、日本国内に存在する差別として以下のようなものが知られている(五十音順)。

家柄差別
階級差別
学歴差別
思想差別:日本においては特に、共産党員及び共鳴者に対し、企業内での各種差別(業務に就かせない、不当に昇進昇給させない、転向を強要する)が公然と行なわれ、“憲法が定める思想信条の自由に対する侵害だ”として訴訟に発展・勝訴する例が度々発生している。
障害者差別
地域的差別
関連項目:欠格事由
収入による差別
勝ち組・負け組(本項スタブ)
職業差別:日本においては特に性風俗産業(アダルトビデオ、ストリップ、風俗店等)の従事者に対する差別が平然と行われている。しかし、これは他の国々でも程度の差こそあるにすれ同様である。中にはイスラム諸国のように性風俗や水商売の営業自体が禁止されている国もある。
人種差別:黒人差別など。逆に白人―欧米人無条件崇拝もみられる
性差別
男性差別
女性差別
性的指向による差別
部落差別
年齢差別:アメリカでは年齢差別が厳しく規制されているが、日本では年齢差別にもとづく就職差別が合理的なものと見なされている。
民族差別:日本においてはアジア系在日外国人、特に在日コリアンへの蔑視が多い。潜在化しているがアイヌの人々に対する差別もあるとされる。
また日本では比較的稀だが、海外における信仰による差別、身分差別、カーストなどもよく見られる。
2005/08/25のBlog
[ 08:56 ] [ 女人禁制 ]
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まずはじめに、ブログで「悟り」の論議をするとはと、熱心な仏教徒さまには叱られるかもわかりません。宗教とは関係のない全くの門外漢の戯言と笑っていただき、またご指導を賜れば非常に光栄です。あくまで門外漢の私見ですので、「悟り」とは、人それぞれの「人生」だと思いますので、ご容赦ください。また決してだいそれた「指摘」などでなく、無知な一市民からの「お尋ね」にすぎないことを、あらかじめお断りいたしておきます。

 さて、私の活動方針について、かねてから釈迦の教えにある「涅槃」の心に反するのではとの悩みを持っていました。知り合いの禅師様達に尋ねても信仰は理屈じゃないと云われるばかりでした。

ブログでは、『 ★キョンタの森へ行こう♪ 』の禅語に詳しいキョンタ君に「青山元不動」を好きな言葉と書かれていましたので、コメントで尋ねました。しかしキャンプのことも書きましたので、このことにはご指導をいただけませんでした。

今回「大峯山(山上ケ岳)の「女人禁制」と「人間の尊厳」との関わりは?」について、
「飛ばないパンダ:コロコロこころ」様から、ブログのコメントで沢山のご示唆をいただき有り難うございました。

その一つ「涅槃の悟りの心」とはの Q&A の抜粋です。
Q:前のブログで修験道奥駆け修業の山上ケ岳女人禁制について、一市民としての疑問を書いています。

A:女人禁制ですが、西洋でも同じような風習があり調べたことがあります。
どうも、女性の月のもの→不浄→汚れる・・・という発想のようですが、
イスラム世界だったかどこだったかに、男子禁制の場所があったり、様々です。

Q:宗教的な戒律の問題は、伝統もあるでしょうし、当事者の自覚が必要だと思います。聞くところによると女性の修験者もおられる由、役行者の感得された最高聖地を見ずして中途半端な?修験で良しとされる心理もわかりません。習慣だと諦められている?

A:高野山に女人高野というものもありますし、自覚といったものではなく、そのプロセスで何を悟り何を得るかといった、もっと精神世界によるものではないでしょうか?
早い話が性差別ではなく、修行者の気が散ることを避けることから始まったのではないかと、私は思います(笑)
そうではないと、昔は今以上に女性の力が強かったと聞きますので、不浄だから駄目というのであれば、民衆は納得しなかっただろうと推察します。

Q:なるほど、女性の力が強かったから、修業の気が散るのを防いだ。神代の天の岩戸伝説では、たしかに女の方が強いですね。
非日常生の環境構築維持のために有効との論点が出されています。
それなら四半期に分けて、交代に修験期間を設けられてはとも思いますが、素人考えだと怒られますね。(笑い)

A:四半期に分けて、交代に修験期間・・・って無理じゃあないですか?
千日回峰のように、長期間とか一生をかけての修行ですから。
ある僧侶が「色情因縁を取り去ると人間じゃなくなる」といっていたぐらい難しいものだけに、修行に没頭できる環境作りをしたのが『女人禁制』だと思います。

Q:そうなのですか。また四国巡礼講(雑誌で見るくらいで、これもよく知りません)のように、講元が人集めされて信仰登山をされるぐらいに思っていました。
全くの不勉強で申し訳ありません。そうなると自己のための信仰修験が本来の姿、その信仰者にとって、世人の救済とは、どういう意味を持つのでしょうか。

A:どうなんでしょうね、だんだんと難しくなりますね。
浄土系の大衆仏教と、真言・天台等の密教との違いだと思います。
信仰者の数とか地域を拡大することに力を入れている宗派と、悟りというか自己完結してから教えを説くという宗派の方法論の違いではないでしょうか?
私は大学で仏教学序説は履修させられましたが、35年も前のことであまり覚えてません。

Q:中3の担任恩師(故人)が歴史の先生でしたが、その先生に手伝えと云われて「綾部の文化財」に引き込まれました。ところがこちらは経済人、歴史は好きでしたが全くの門外漢です。むしろ「まちづくり」論で資料館建設促進の組織づくりのお手伝い。現在もHPづくりのお手伝いです。そんな関係で、地元の住職様、宮司様は大体知っていますので尋ねると良いのですが、宗教って理屈じゃないんだって答えが返ってくるのが常です。
私の方針は「恐いから、判らないから、難しいから、面白い。」ですが、仏様の「涅槃の心」の正反対のようで、「涅槃」についても教えて貰えません。

A:「涅槃の心」ですか・・・。 
大学出てから30年以上経ってますし、感覚的には理解してても、文章化するには無理がありますね。記憶を辿る時間をいただけるのなら、自分なりに取り組んでみますが、お急ぎなら図書館で『仏教学』関係の本を探してみて下さい。

Q::「涅槃の心」表面的な意味は大抵の解説書にありますね。釈迦の3大教えの一つ、最後の悟りの結論ですね。ところがその表面的な解釈ではただの逃げ、事を起こすな、長いものには巻かれろにしかならず、そんな教えではないと思うのですが・・、最後の悟りの境地が「涅槃」なら、そこに落ち着くまでの諸行無常なりにドロドロの足掻きがあると思うのですが・・どうなのでしょうか。

A:「涅槃の心」って、その辺りの解釈のことですか?
全ての人間的な思考思案を通り越して、その先にある『静』だとか『無』の境地を示した言葉だと思います。
有ると思えば有る、無いと思えば無い・・・という境地が「涅槃の心」だと思います。
で、そこに落ち着くまでの諸行無常なりにドロドロの足掻き・・・ですが、私自身がそこまで至っていないので分らない部分ですが、その涅槃の境地になるように修行するのに、色々なプロセス・方法があり、煩悩の最大の難問である色情因縁を断ち切るための「女人禁制」だと思います。
自分で文章を作っていながら、だんだんと分らなくなってきました(笑)

Q:大分迷いから抜けられた感じです。「涅槃」は「色即是空 空即是色」の境地ですね。
私の「恐いから、判らないから、難しいから、面白い。」は、事なかれ主義、安きに流れる心への自戒です。ミニ冒険派ですが、安全を見切ったなかでのことで楽しもうと云うものです。怪我や事故騒ぎを起こして他人に救援を求め、人に迷惑をかけない中での遊びです。宝探し的要素、達成感などもあり、釈迦の「涅槃の心」をよそにして止められません。お笑いください。

「色即是空 空即是色」には、私の名前にまつわる青春時代の「トラウマ」的な(笑い)因縁があるのです。泣き虫余話(私の名前)もう前に退会した組織での話題集の中の一話です。ご笑覧ください。

A:前略・・現在は天理教で若い方々のお世話をさせて頂いておりますので、仏教とは段々と疎遠になってきています。
ただ最近感じるのは、何教にしても、行き着く先は同じ境地になれるのではないかなぁ・・・と思えてきました。
無駄に年を取って、老化しているだけかもしれませんが・・??

Q:人それぞれに信仰の方法は多様だと書かれ、「女人禁制」は「涅槃の悟り」に専念する環境だということですね。
・悟りは、非日常の中でしか得られない。
・悟りには、日常性は関係がない。童子でも悟れる。
・悟りの公題(と云うのですか)も日常性との連続は必要がない。
ということになりそうですね。
私は、日常活動を行うこと自体が、手段でもあり目的に近づく活力だと思うのですが、日常から完全に遊離した修業に、どんな評価をするべきか判りません。
確かに開祖と伝えられる方々の「悟り」には、大変なドラマがありますね。
一市民の預かり知らぬ信仰の聖域を、尋ねること自体に無理がありそうです。

A:>悟りは、非日常の中でしか得られない…は、仏教では「死後の世界=極楽浄土」という教えがあり、まだ見ぬ世界への憧れともいうか、そのために邪念を払い無我の境地になり易い環境整備のために「女人禁制」という手段をとったのではないかと思われます。
しかし、「この現世こそが極楽」と言われたら、悟りを得るための修行の方法も大きく違ってきたのではないでしょうか?
そもそも「悟り」の存在さえ無用になり、「現世でどう考えどう生きるか」だけが人生のメーンテーマになります。

>日常から完全に遊離した修業…というものが、不必要と思わざるを得なくなりました。
この考えを知ってから真言の行から離れ、天理教に大きく深く傾倒して行くことになりました。
それに、どの寺社仏閣に行っても不浄霊しか見えなかったのが、天理教本部神殿で親神様のお姿を拝したことも、傾倒の一要因になったことも事実ですが…。

Sub:「知的なターザン:アクティブシニア」
3ヶ月の修行頑張ってください。何よりのトレ-ニングですね。
夜遊びもなしの筋トレ?失礼。精神トレですね。
私も地元に大本大道場があり5日間トレ(亀岡・綾部)ですが、行きたくても時間の余裕がなく参加できていません。もち信者でなくても参加可能。貴殿は信者さん?

Q:たった5日間の亀岡・綾部の修行道場ですが、心の洗濯と王仁三郎聖師の悟りの場を拝観したいと思ってるのですが、その余裕もない駄目人間です。
聖師:出口王仁三郎
≪高熊山での修行≫明治31年(1898)旧2月、郷里の霊山・高熊山にて1週間の霊的修行を行う。霊界の秘奥をきわめ、天眼通、天耳通、天言通、宿命通、自他心通などの高度な霊能力を体得。救世の大使命を自覚。

大本大道場長日記の(ようこそ、まさとんち:出口真人師)には、綾部でお出あいし霊界の話などを伺いました。
大本聖地の弥仙山のことなどもあり、コメントでは収まりませんのでブログ記事にしたいと思います。

A:3ケ月の修行(実際は修行ではない)ですが、人間の意志によってだけその生活に入られる方はごく僅かで、多くの方は『突然』道が開けるもので(私の場合もそうでした)、思い念じていてもなかなか修養生活には入れません。
その期間が3ヶ月であれ5日間であれ、同じことが言えると考えます。
駄目人間と決め付けるのではなく、また、思い切りがつかないという人間の意志ではなく、まだ機は熟していないのだと考えられるほうがいいのではないのでしょうか?

Q:>まだ機は熟していないのだと・・
なるほど、そういう運命論で考えても良いわけですね。
「恐いから・・・面白い」主義は、逆に常に仕掛け人たろうとしてしまうのです。そこらを「涅槃」の教えの反逆者だと感じるわけなんです。

A:人生はすべて選択できるように錯覚をするのが人間の性ですが、実はビックバンの時から、あるいはそれ以前から、すべて決まっているように感じてきました。
その分岐点に思える箇所で、どう思案しどのような心遣いで定めの道を歩んでいくか?…ということではないでしょうか?
その思案が『涅槃の心』でするのか、『邪気の心』でするのかで、こみ上げてくる喜びとか嬉しさの強弱が大きくかわるように思います。
生きている=当たり前:生かされている=感謝…ということになりませんか?

Q: 物事決定の動機が、善意でするか、悪意から行うかは大切なことですね。常に「生かされている」という「感謝の心」も大切ですね。

以下、省略します。
2005/08/24のBlog
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「恐いから、判らないから、難しいから、面白い。」
上記は私自身の活動方針です。三歳の時に慢性中耳炎にかかり、大阪心斎橋の牟田病院に入院、当時はペニシリンなどなく不治の病となりました。小学3年生の時に綾部に疎開してきて、耳が悪く、腺病質で病気がちで、背も前から3番目と低く、泣きべそで、恥ずかしがり屋で・・人に話しかけられると「なに」としか返事できず、(低脳児)と疑われて(特殊学級)に入れられていました。注:今はこの(言葉)は使われません。劣等感の固まりのような、そんな自分でしたが、高校生位から背丈が伸び始め何とか健康になりました。福井で学卒後、富山で社会人になり、綾部に連れ戻され結婚。人口4万足らずの地方小都市のこととて否応なしに「まちづくり」の活動組織の一員になり、出会う同級生からは「あのおとなしい人が」と云われながら、皆様に助けられて役目をこなしました。
もう退会しましたが、RCの会長を務めるに当たり、自分自身の活動方針としたのが、表記です。事なかれ主義、安きにつく、長い物に巻かれろ、消極的、恥ずかしがり・・を戒め、自分から仕掛け人として行動を起こす気持ちを込めたものです。
 内容は読んで字のごとく単純なことです。スキーで北の壁の上に立ち下を覗き込むと絶壁で足がすくみますが、斜面に入ってしまえばどうってことはありません。コブコブ斜面を上級者のように滑る足技はありませんが、危険を見切ってしまえば、これほど面白いものはありません。怪我して人に迷惑を掛けるならやりませんが、そこは自分の限界の中で楽しめます。里山散策(藪こぎ)にしても、目指す山頂に立てるのか、どこに行き着くのか判らない、ミニ冒険的な面白さがあります。パソコン技術でも未知の謎解き要素があれば、出来たときの達成感が得られます。独学でプログラムを組む努力をしたときに、判らないままに色々とやり、がむしゃらに不確実な情報量が増えたある時点で、壁の向こう側に到着していることを知った喜びは、その技術が自分のものになったという喜びでした。 つづく
2005/08/23のBlog
[ 20:31 ] [ 福祉 あやべ作業所 ]
テーマ「福祉のまちって、どんなまち?」
★進 行:桂 三扇(かつらさんせん)
●本名 山中久美子
 昭和45年生まれ。福知山市出身。大学在学中、枝三枝に入門。上方落語では、露の都(露の五郎門下)、桂あやめ(桂文枝門下)に次ぐ、3人目の女流落語家。ママさん落語家として活躍中。趣味は三味線、特技は南京玉すだれ・バルーンマジックなど。落語以外にもイベントの司会・講演会など様々な活動を展開中。「FMいかる」のパーソナリティとしても活躍中。
★参加者の紹介
 NAさん:綾部小6年、将来の夢は「医者・学校の先生・スタイリスト・プロデューサー」)
 UYさん:綾部小6年、将来の夢は「警察官」
 SRさん:中筋小6年、将来の夢は「郵便局員」
 SRさん:中筋小6年、将来の夢は「お笑い芸人」
 SKさん:吉美小6年、将来の夢は「声優」
 IYさん:吉美小6年、将来の夢は「獣医」
 SAさん:西八田小6年、好きな動物は「ぶた」
 MJさん:西八田小6年、将来の夢は「プロ野球選手」
SYさん:東ハ田小6年、将来の夢は「看護師」
 YRさん:東ハ田小6年、将来の夢は「プロ野球選手」
 UNさん:東綾小6年、好きな動物は「ねこ」
 NTさん:東綾小6年、将来の夢は「大工」
 UMさん:豊里小6年、将来の夢は「看護師・介護師」
 ORさん:豊里小6年、好きな食べ物は「カレーと焼肉」
UNさん:物部小6年、将来の夢は「調理師」
 KSさん:物部小6年、将来の夢は「医者・自分の会社をつくる」
 OHさん:志賀小6年、将来の夢は「パティシエ」
 KYさん:志賀小6年、好きな食べ物は「チーズケー牛」
 KNさん:上林小6年、将来の夢は「看護師」
 KYさん:上林小6年、将来の夢は「ガソリンスタンドの店員」
さあ、楽しい教室をお楽しみください。
市内の10小学校から、それぞれ6年生の男女各一人、合計20名が集まり、桂三扇さんの先生役のもと、会場へも質問が飛んだりして、○×の意見や、綾部の良さは・・、夏休みに人の役に立ったことは・・など、画用紙のボ-ド書き込みなどを使って、こども福祉教室が楽しく行われた。
[ 19:53 ] [ 福祉 あやべ作業所 ]
綾部市制施行55周年
第33回綾部市社会福祉大会
主催:綾部市 綾部市社会福祉協議会
手話と字幕映写を併用して、挨拶される四方八巣男綾部市長
同じく挨拶される、福山保孝綾部市社会福祉協議会会長
決議文
 近年の急速な少子・高齢化、核家族化の進展に伴う人口構成や地域社会の変化など、市民の生活や福祉を取り巻く環境は大きく変化しており、福祉ニーズは増大・多様化しています。また、社会福祉の基礎構造改革により、従来の措置からサービスを自ら選択できる利用者本意の社会福祉制度の確立へと大きな変革が図られました。
 このような中、平成15年度には綾部市社会福祉協議会において、“ふだんのくらしをしあわせに みんなでつくる おたがいさんのまち綾部”を目指した「綾部市地域福祉活動計画」が、平成16年度には、綾部市において、“みんなで築こう新しい向こう三軒両隣”を目指した「綾部市地域福祉計画」が策定されました。
 全ての人々が将来に希望を持ち、住み慣れた地域や家庭で安心して生活できる地域社会づくりを進めていくためには、市民の主体的な参加とともに、行政、社会福祉協議会、社会福祉団体、民生委員・児童委員、ボランティアなど様々な関係機関や団体が相互の連携を深め、互いに協力していくことがますます重要になっています。
 私達は、この大会を契機に、改めて日頃の活動と二つの計画の重要性を認識し、市民、社会福祉関係者、行政が共に力を合わせて市民一人一人がいきいきと暮らせる地域社会の実現を目指して努力していくことを決議します。
平成17年8月23日
第33回綾部市社会福祉大会
市長表彰を受けられる、民生委員、児童委員、社会福祉事業従業者、ホ-ムヘルパ-、社会福祉事業貢献者の代表。
市長表彰状授与
綾部市社会福祉協議会会長表彰を受けられる、社会福祉協議会役職員、民生委員、児童委員、民間社会福祉施設役職員の代表者
2005/08/22のBlog
[ 19:41 ] [ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
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「キツネノカミソリ」です。今回は舞鶴~大江にかけて由良川右岸の路肩のあちこちに
今咲いています。
ふじもと様、季節の花、有り難うございました。「ヒガンバナ属・ヒガンバナ科」の花だそうですね。
2005/08/21のBlog
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ふじもと様から夏の花の贈り物をいただきました。
>ヒマワリは但東町のチューリップ畑の後作です。
>「ヒオウギ」は大飯町
花言葉を「365日の花:syasinya 様からいただきました。
ひおうぎの花言葉=誠実、誠意、強い心
>「イワタバコ」は小浜の滝
>「ナツエビネ」と
>「ネム」は我が家の庭に生えてます。

ふじもと様、素敵な花を有り難うございました。今年、二作目の日本画の作成、完成を楽しみにお待ちしています。暑い中をご苦労様です。
[ 11:45 ] [ 文化財を訪ねて ]
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京都市歴史資料館テーマ展
城郭と寺社 ・ 大工頭中井家の絵図から・・・・・前ブログにつづいて四方續夫事務局長提供資料からのOCR収録です。解説のかなりの部分を省略しました。
■中井家絵図について
 大工頭中井家は江戸幕府の旗本で、代々京都に居住した。現上京区寺町通丸大町上る・同志社新島会館敷地がその旧地である。
 中井家はもともと法隆寺(奈良県)の宮大工の家であるが、旗本初代大和守正清(1565~1619)が五畿内・近江の大工等支配を命じられた時以来、徳川家の大工として重要な建築工事にたずさわってきた。とくに初代正清は徳川家康の絶大な信頼を受け、二条城、江戸城、駿府城、名古屋城、増上寺、大仏殿方広寺、久能山東照宮、日光東照宮などの大工事を担当した。
 中井家では業務の必要に応じさまざまな図面が作成された。それらの絵図類は、現在宮内庁(書陵部)、京都大学(附属図書館)、京都府立総合資料館に分蔵されている。今回展示した絵図類は中井家に伝えられたもので、京都市歴史資料館に寄託されている581点の一部である。
 京都市歴史資料館寄託絵図頼については、大阪市立大学の谷直樹氏により総合調査が行われ、その成果は、谷直樹編『大工頭中井家建築指図集 中井家所蔵本』(2003年思文閣出版刊)として刊行された。詳細は同書に譲るが、中井家絵図は建築史だけではなく、歴史学の貴重な資料でもある。とくに二条城、知恩院などの城郭や寺社の指図(平面図)や立地割図(断面図)や鳥瞰図は、京都の歴史にとっても重要であることはいうまでもない。
 今回の展示では、中井家絵図の中から、城郭絵図と寺社絵図を選んで展示した。とくに二条城とその周囲の図をまとめて展示した。

■解説
1.水口城御指図
 水口(現滋賀県甲賀郡)は、東海道に而して位置する城下町である。水口城は、寛永十一年(1634)の三代将軍家光の上洛に際し、宿泊用の施設として造営された。寛文十年(1670)の年紀があるこの図面からは、堀で囲まれた本丸と、その西北部に位置する二の丸で構成されており、天守は設けられていなかったことが分かる。
2.豊臣時代大坂城指図
 天正十一年(1583))に豊臣秀吉が築いた大坂城は難攻不落を誇ったが、元和元年(1615)の大坂夏の陣で落城した。徳川氏による再建は、豊臣氏の大坂城にかぶせるように築かれ、城は大きく姿を変えた。この図は豊臣時代の大坂城の姿を伝える貴重な指図である。昭和34(1959)の調査で発見された石垣が本図の記載内容と一致したため、内容の信頼性が高まり注目を巣めた。
3.行幸御殿井古御建物御取解不相成以前二条御城中絵図 解説を省略
4.御城之図(二条城) 解説を省略
5.二条御城惣御指図 解説を省略
6.御本丸之図 解説を省略
7.二条御城御本丸地坪数絵図
8.二条御城二之御丸地坪数絵図
9.二条御城外曲輪地坪数絵図
 三点とも享保十三年(1728)八月に作られた指図で、本丸・二の丸・外曲輪の敷地の形状と規模などを示している。本丸は約五千五坪、周囲の塀四千八百七十七坪などを加えると、総敷地は約一万五十二坪(約三万四千平米)。二の丸は総敷地九千六百三十三坪、外曲輪(御城外御撰)は約四万四千三百七十八坪(約百四万六万四千平米)という広大な規模である。
10.二条御城内御預り所絵図 解説を省略
11.二条御城御天守
寛永三年(1626)の後水尾天皇行幸以前に完成した五層の天守の軸組図で南妻面を示す。この天守は寛延三年(1750)の落雷で焼失した。

12.御城内御本丸二之御丸御殿向絵図 解説を省略
13.二条御城中二之御丸御庭蘇鉄有所之図
14.二条御城中二之御丸御庭蘇鉄之図 以上の解説を省略
15.東大御番頭小屋絵図 解説を省略
16.西大御番頭小屋絵図 解説を省略
17.二条御城内東御番衆小屋絵図拍
18.二条御城内東御番頭小屋井与力同心小屋絵回拍
19.二条御城内西御番頭小屋絵図拍
20.二条御城内西御番衆小屋井同心小屋絵図拍 以上の解説を省略
21.二条御城廻り御役屋鋪絵図
22.二条御城廻り絵図
23.二条御城廻絵図
24.二条御城廻絵図 以上の解説を省略
25.所司代屋敷絵図 解説を省略
26.御所司上屋鋪表座敷之図 解説を省略
27.御評定所図(京都所司代)
 京都市中の裁判は、町奉行の管轄であったが、正徳四年(1714)に水野和泉守が所司代に就任すると、邸内に評定所を新設し、町奉行では手に負えない訴訟をそこで裁断することになった。評定所は、享保二年(1717)に水野から松平伊賀守に所司代が交代すると取り壊された。
28.東御役屋敷絵図(京都町奉行所)
29.西御役屋敷絵図(京都町奉行所)
 東西の町奉行の役宅図。奉行の邸宅と具に敷地の大半を占めているのが奉行所(役所)である。そこには、公事方、勘定方、証文方などの与力・同心が勤務する事務所や、白州、公事入居所(訴訟をする人の待合室)などの裁判施設などが配置されている。他にも馬場や池、稲荷社までも備えた広大な敷地は、東町奉行が約5327坪、西町奉行が約3886坪であった。
30.牢屋敷絵図
 これは六角牢屋敷(正式には三条新地牢屋敷)として知られる牢屋敷でニ条城の南、六角通大宮西入に位置した。天明8年(1788)の年記があり、天明8年の京都大火焼失後の復興に関連して作成されたと考えられる。牢屋敷の管理は町奉行配下の雑色がおこなっていた。
31.守護職上屋鋪絵図 解説を省略
32.伏見古御城絵図 解説を省略
33.山州淀御城御天守木口指図 解説を省略
34.江戸御天守
35.江戸御天守
 江戸城天守の軸組図。最初の天守は慶長十二年(1607)に完成したが、その後も元和・寛氷期に改築された。本図は元和期の改築のものであると考えられる。江戸城天守は、明暦三年(1657)に焼失後、再建されることはなかった。
36.洛東清水寺惣絵図
 門前町を舎む清水寺境内を南側から望んだもので、中井家の絵図には珍しい鳥瞰図。僧坊の有無などにより景観年代は江戸時代の終わり頃と考えられる。本堂(清水の舞台)などの主要な堂舎は、寛永六年(1629)の火災の後、寛永十年に復興整備され、多くが現存している。子安の塔(秦産寺)は明治43年までは本図に描かれた仁王門前にあったが、現在は、谷を挟んで本堂の向かいに移転している。【図は表紙】
37.知恩院絵図
 知恩院境内(背後の華頂山も含む)を描いた図。各堂舎が正面の方向を向いた、中世以来の境内図の伝統を引く描写である。左端の黄色で描かれた部分は門前の町家。東西に並行する二本の通りは、北(上)が古門前通、南(下)が新門前通で、その中を白川が流れている。中央部下方に山門が見える。境内の堂舎は寛氷期(1624)~44)に復興整備されたが、図は門前の町名や堂舎の状況から寛文五年(1665))から宝永七年(1710)までの景観を描いている。
38.知恵院宮様御入室二付寺内御道筋絵図拍 解説を省略
39.泉涌寺御再建絵図 解説を省略
40.泉涌寺伏見街道人ロヨリ御廟所迄仮建物竹矢来絵図 解説を省略
41.般舟院惣絵図 解説を省略 ゛’゛`ど宍’゛
42.上使被為入候絵図(本圀寺)
43.上使御対面座席絵図(本圀寺)
44.三使御饗応座席絵図(本圀寺)
 朝鮮通信使は江戸へ下向する途中に京都で宿泊することが恒例であり、本圀寺が宿舎になることが多かった。この絵図は正徳元年(1711)9月28日、徳川家宣の将軍就任を賀するために来目した通信使の応接図で、到着時(42)、上使松平紀伊守との対面(43)、饗応の席次(44)をそれぞれ記す。「正使」「副使」「従事」とあるのが通信使側、対馬藩主で朝鮮外交を任されていた「宗対馬守」、本圀寺の「長老」二人が日本側である。
45.方広寺大仏殿諸建物井三十三間堂建地割図 解説を省略
46.北野天満天神御社立地割弁社堂間数目録 解説を省略
47.吉田社建地割 解説を省略 

テーマ展「城郭と寺社」展示目録 省略します。
・会期 平成17年6月3日(金)~8月28日(日)
・休館日 月曜 祝日
・編集・発行
 京都市歴史資料館
 602-0867京都市上京区寺町通荒神口下る松蔭町138-1
 Tel.075-241-4312
[ 11:44 ] [ 文化財を訪ねて ]
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綾部の文化財を守る会の四方續夫事務局長から預かりました文書、HP収録の下準備です。
中井家文書 
 江戸幕府の京都御大工頭の中井家に伝わった、内裏・城郭など幕府作事に関する文書、597点926通。中井家は関ケ原合戦の後、徳川家から五畿内および近江の大工・杣・木挽の三職の支配を許され、近世を通じて、ほぼ500石40人扶持でその職を勤めた旗本の家柄である。元禄六(1693)年ごろ、自分の屋敷内に中井役所を設け、以前は中井家の負担で行なわれていた建物の破損見分・仕様帳等、あるいは絵図の作成まで作事に伴う手続事務を幕府経費で行なうようになり、役所は公的側面をもち、文書保管機能は強化されることになる。これにより多量の文書が残ったのである。この文書群の特徴は夥しい量の絵図が含まれていることで、とくに宝氷期(1704~11)以前の絵図は、ヘラ押計線の台紙に、色紙で要件を表記する、いわゆる貼絵図のものが多い。中井家が五畿内・近江の大工等を支配したことから、文書も山城、摂津、河内、近江等にわたり、その作事対象も、内裏御所、公家屋敷、城郭并武家屋敷、寺院、神社、洛中、公家町、河川、お土居など多岐にわたっている。内裏御所関係の文書は、86点224通あり、慶長、承応、寛文、延宝、宝氷、寛政、安政の各造営度のうち、宝氷度のものが一番充実している。公家屋敷に関する文書は、32点39通で、近衛家に仮内裏がおかれた時の指図や九条家、徳大寺家をけじめ20家分かある。武家関係文書は、城郭(伏見城、二条城、永原茶屋、水口城)分109九点175通、京都所司代分22点30通、火消屋数分7点8通、武家屋敷分31点33通、それに幕末京都警固(幕末期に京都の治安維持を目的に上洛した武士の屋敷建築のための手続文書等)分8点22通がある。そのうち、伏見城は元和年間(1615~24)の材木帳が12点。二条城は、創建期の慶長七(1602)年から同一〇年のもの、元和年間の秀忠上洛時の作事に関するもの、寛永年間(1624~44)の後水尾行幸・家光上洛時のもの、貞享・元禄期(1684~1704)の本丸、二之丸の修理時のもの等の作事に関係したものが、全体で60点127七通ある。永原茶屋分は33点。水口城は3点残っている。寺院関係の文書は、大部分が山城のもので、全体で56カ寺、127点179通。神社関係としては、18社分、70点90通ある。そのほか、洛中絵図が4点7通、公家町絵図が13点14通。加茂川をはじめとする河川に関係した文書が26点30通、お土居に関するものが5点残っている。
以上、当館が所蔵する分の中井家文書の概略であるが、ほかに中井家、中井家の菩提寺である長香寺(現在、京都大学へ寄託中)、宮内庁書陵部、京都大学附属図書館にも分れて所蔵されている。当館所蔵分については、昭和56年(1981)年、当館発行の『資料館紀要』第10号「史料紹介・総合資料館蔵の中井家文書について」で、解説を行なうと共に一点宛の目録を付した。
2005/08/20のBlog
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投稿者: 事務局:四方續夫氏
「京都府総合資料館」には、綾部の文化財をを守る会の会報第1号から60号までをそろえて置いてあります。
 8月18日に担当の楠久美さんにお会いし、故・山下潔己副会長兼事務局長の研究途中の中井家・幕府京都御大工頭との関係を一緒に2時間弱をも調査してもらったのですが不明でした。只、中井家いくつもあり、関白豊臣秀次に700石の高禄で仕えた初代中井藤右衛門正清の同腹の弟松野忠助、中井半兵衛(孫太夫)など豊臣家に多くの中井の姓で仕えた者や正清の弟・正純や従兄弟の利次等すぐれた大工が育ち、2・3代目の後見役を務めている。その方の系図は不明であるので、この方の系統と考えられる。次に訪れた「京都市資料館」で中井家の多くの地図が特別展で展示されていた、例えば、伏見城、二条城、知恩院等有名な城郭や寺社の設計図が多数であるが、館員の方の話では本家は幕末の14代まで続くが本家の「銘」は絶対に出ないそうです。両館にお願いし判明すれば「掲示板」で報告頂くことになっています。
 尚、幕府御大工頭は4名で、内、木原・鈴木・片山家の3家は主として江戸及び関東一円の作事をしたが、知行高は享保期以降は80石・役扶持20人の旗本であり、初代京都御大工頭の中井藤右衛門正清は徳川家康から始め200石、そして500石に加増、大阪の陣の時は大阪城へ派遣され見取り図の作成や騎馬30騎及び配下を連れ参戦、旗本禄高1,000石従四位下大和守に登る。三代目正知から500石20人扶持と御役扶持となり、さらに20人扶持をうけた特別の家柄であった。正清が1,000石をもらったのは一代限りの功績と言われている。つまり四代目正豊では主水となっている。中井家の先祖は巨勢氏を称し、代々大和国三輪大明神の神職であり、当初、筒井家に父、孫太夫(正吉)は仕えていて、その後、辞任し、筒井家をはばかり中井の姓を名乗るようになった家柄で上記江戸幕府の他の3家とは格段の上位にあった。
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投稿者: 綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫さまです。
故・山下潔己氏の記事の件ですが、山川出版社発行「新全国歴史散歩シリーズ第26巻の京都府の歴史散歩50頁」によると次のように出ています。
{高倉通松原下ルに「長香寺(浄土宗)」がある。慶長年間(1596~1615)に徳川家康の側室於古知也(おこちや)(法号長香院)の本願により、信誉称阿(しんよしょうあ)を開山として創建された。建立は京都所司代板倉勝重、大工頭中井家初代正清、金座の後藤庄三郎らが参画した。~略~中井家は江戸時代を通じ、畿内60ヶ国の大工・大鋸職(のこぎりしょく)を支配した幕府御大工頭の家柄で、長香寺は中井家の菩提寺で代々の墓がある。}と記されています。
小生は問い合わせては居ませんが、此の中井家の承認がないと神社・寺等は建設できないので、これは間違いないと思います。必要でしたら寺へ直接問い合わされると良いでしょう。関連HP http://www.ayaco.net/bunka/kaiho/bfor/nakai.htm
2005/08/19のBlog
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「飛ばないパンダ:コロコロこころ」様のブログに「昨日も今日も突然異変??」とありましたので自分のカウントを見てみました。やはり異常です。それで人気ブログランキングを見ると、何と上がってるんです。なんで?
先輩の「風に吹かれて:chibisaru」様、「Rolling55:belage」様などがランキング上位におられるのは知っていましたが、自分のは「まさか」です。

ついでに最近30日ブックマークランキングを見ました。上記のお二方は勿論ですが、「ひなたぼっこ:ひなたぼっこ」様、「北の窓から:芦田っち」様と並んで私のブログもありました。道理で最近いろんな方から、コメントをいただくようになったと思いました。ほんの一時的なことだと思いますが、今後とも頑張って良いブログ作りをしていきたいと思っています。皆様有り難うございました。
2005/08/16のBlog
[ 11:21 ] [ 花だより・紅葉だより ]
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ピンク色の「ササユリ」は絶滅したが、代わりに「タカサゴユリ」がずいぶん増えている。
テッポウユリとタカサゴユリは葉の様子(太さ)が違う。
栽培種のようだが、わざわざ植えなくても自然生えで増えている。百合と葉や茎で分かるので、草刈りの時でも切らずに残されるからだ。
[ 11:20 ] [ 花だより・紅葉だより ]
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自宅周辺を散歩中に撮った野生の草花です。
「木槿(ムクゲ)」
白がきれいに次々に咲いていく。
「木槿(ムクゲ)」総長に開花し夕方にはしぼむ。次々と咲く花。いろいろな色がある。
少し毒々しい色の感じ。湿った谷間に密生していた。
ヨウシュヤマゴボウ
[chibisaru] 様から教わりました。
ピンクの花がたって賑やか
「コマツナギ」
[chibisaru] 様から教わりました。重ねて有り難うございます。
黄色い花か沢山ついている
「オミナエシ」
[chibisaru] 様から教わりました。有り難うございます・
[ 09:12 ] [ 平和 世界連邦 ]
日本で最初に「世界連邦平和都市宣言」を行い、綾部市市民憲章にもその第一項で「平和を願い、祈りのあるまちにしよう」を定め、毎年継続的に世界恒久平和に向けて、「平和」、「世界連邦」、「地球市民」などをキ-ワ-ドに、地方自治体における活動、市民レベルの活動が行われている。「世界宗教者平和会議」では、「万教同根」、「人類愛善」の理念のもと、宗教にもとずく戦争をなくそうとの会議が行われ、綾部の地では敵対する宗教者どうしの歩み寄りの姿が見らた。先般の「今こそ中東和平を」の活動では、招待したイスラエルとパレスチナの戦争で親族を失った子供たちに友情が芽生えた。この活動は、岡山市、徳島市へと引き継がれて行われている。
「α:アルファ」は綾部市の市章です。何でも一番最初に。
---------------------------------------------------
 現在は「国連」の枠組みの中で世界平和が保たれている。それが万全でないことは周知の事実である。特に地球環境などでも「国家主権」によるところの協調が不可欠とされる。
 未来社会の中に「世界法:地球憲章」のもとで機能する「地球連邦政府」が誕生するのか、それは「国連」の延長上に成立するのであろうか。「地球市民」、「世界連邦自治体」としての、人類の叡智と、良識、相互理解、博愛・・を代表する「単位細胞」は、どう機能するのであろうか。国家、民族、資源、饑餓貧困、環境・・・を超えて地球の輝かしい未来がつくれるのであろうか。
 私たち一人ひとりが、その形成にどのように、かかわれるのであろうか。

カテゴリ-「平和」に再分類した最近の投稿記事です。なおブログ左のサイドメニュ-「ジャンル:平和」からも、以前のものも含め、投稿日順に見られます。
綾部市民平和祈願の集い1 2005.08.15(ブログ投稿日)
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1729789#1729789
綾部市民平和祈願の集い2 2005.08.15
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1729825#1729825
さんだ歴史資料集蔵の先進地視察14(さんだの空襲) 2005.07.24
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1634128#1634128
三田の空襲(さんだ歴史資料集蔵の先進地視察16) 2005.08.14
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1727072#1727072
ひなたぼっこ様のブログ:終戦前後の記録、平和への願いを紹介します。2005.08.13
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1720277#1720277
「日本こそ中東和平の舞台」世界連邦宣言自治体全国協議会会長、京都府綾部市長:四方八洲男氏 2005.08.12
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1720125#1720125
世界連邦、被爆60周年、世界恒久平和に関する国会決議 2005.08.12
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1719976#1719976
決議までの経緯 および 第25回世界連邦日本大会(広島市)案内 2005.08.16
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1733536#1733536
大峯山(山上ケ岳)の「女人禁制」と「人間の尊厳」との関わりは? 2005.08.01
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1679904#1679904
金峯山(山上ケ岳)の女人禁制について 2005.07.30
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1667951#1667951
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決議までの経緯
1.尾崎行雄による「世界連邦建設に関する決議案」
 敗戦直後の1945年12月1日、「憲政の父」尾崎行雄氏が「世界連邦建設二関スル決議案」を第89回帝国議会に提出。当時は占領下という状況にあり議会解散をうけ廃案になった。
2.自治体による宣言
 広島、長崎をはじめとする1都2府25県351市町村で世界連邦都市宣言が行われた。その包括人口は全人口の80%にも及ぶ。
3.衆参両院で請願採択
 国会でも尾崎行雄氏の意志や自治体の動きを生かすべく、世界連邦宣言を行う努力が続けられた。 1969年には、衆参両議院の75%以上にあたる543名を紹介議員として「世界連邦建設に関する誓願」を提出し、衆議院本会議において全会一致で採択された。同趣旨の請願採択が衆参両院で数回行われた。
4.世界連邦実現に関する決議
 冷戦が終結する1990年代になると、「戦争の世紀」であった20世紀に代わり、21世紀こそは「平和の世紀」にしようと「世界連邦実現に関する決議案」提出に向けて本格的な活動が行われる。とくに1996年頃から提出のための具体的な動きが活発化。各政党の幹部クラスや、総理大臣経験者も含め、多くの賛成署名を得ながら本会議に上程されぬうぢに会期切れ廃案になるということが続く。
5.「国連60周年にあたり国連改革および世界連邦の理想実現に関する決議案」
 本年2005年、国連60周年を機に、世界連邦推進日本協議会の協力を得つつ、決議成立に全力を尽くした・。国連を否定する趣旨ではない、すぐに世界道邦をつくろうとするわけではないということがわかりやすいよう決議文を全面的に改めた。今までは世界連邦日本国会委員会所属の議員のみを対象として賛成署名を集めていたが、今回は全衆議院議員を対象に賛成署名を求めた。その結果、全衆議院議員の3分の2以上の議員から賛成署名を得、これを大きな力として議院運営委員会との交渉に臨んだ。
6.「国連創立及びわが国の終戦・被爆六十周年にあたり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」
 他団体からも被爆60周年だ関する決議、国連改革に関する決議の成立を望む声があり、世界連邦日本国会委員会が成立を望んでいる決議案と合わせて3つを議院運営委員会で1つにまとめ提出することになった。結果、本日8月2日、決議が本会議で可決・成立した。
第25回世界連邦日本大会
 <総括テーマ>
.世界連邦へのロードマップ
被爆60年広島からのアピールー
と き: 2005年10月1日(土)
ところ: アステールプラザ中ホール(広島市中区加古町4-17)
主 催:世界連邦推進日本協議会
 《構成団体》
世界連邦運動協会
世界連邦日本国会委員会.
世界連邦宣言自治体全国協議会
世界連邦全国婦人協議会
世界連邦日本宗教委員会
共 催:世界連邦運動協会広島支部
広島県・広島市・(財)広島平和文化センター
後 援:広島県議会・広島市議会・広島県教育委員会
広島市教育委員会・NHK広島放送局・中国新聞社

第25回世界連邦日本大会趣意書
 2001年の9月11日発生したアメリカ同時多発テロ事件とそれ以降の国際情勢が象徴するように、世界各地で戦争やテロが頻発し暴力と憎しみの連鎖が続いています。民族主義に起因する内戦、領土や資源の争奪をめぐる国際紛争、核兵器不拡散体制に対する挑戦など山積する国際問題の多くは、主権国家が拘泥する伝統的な国益や国家安全保障上の対立を背景にしています。しかし、軍事力や暴力では問題を根本的に解決することは出来ません。国益を価値判断の尺度とする現行の国家本位のシステムでは、地球規模の問題の解決にも限度があります。
 私たちの世界連邦運動は、国際紛争を世界法によって平和的に解決する世界秩序を構築し、核兵器の廃絶という課題をはじめとして世界の平和と安全、環境、人口、飢餓、貧困、軍縮、保健など人類が抱える諸問題を公平と公正を基調とする世界政府のもとで解決するごとを目指しています。主権国家から構成されている国連の組織を改革し機能を強化することも世界連邦建設に至る方法の一つであると考えられています。191ケ国の加盟国を擁する普遍的国際機構である国連は、今年創設60周年を迎え安全保障理事会の理事国編成問題をはじめ国連改革に着手しています。世界連邦運動は国際人道法に反する犯罪を裁く常設的な国際刑事裁判所設立の必要性を永年訴え続けてきましたが、その設立条約である国際刑事裁判所規定は100ケ国近くの国によって批准され、裁判所もすでに活動を開始しました。又地域的には、欧州連合(EU)が25ケ国体制に拡大され欧州憲法を基軸としたミニ世界連邦の方向性を模索していますし、53ケ国が加盟するアフリカ連合(AU)も地域共同体としての機能を一層高める方向で活動中です。さらにアジアにおいても東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日韓中)が中心となって東アジア共同体の建設に向けて胎動し始めました。まさに世界連邦実現のステップを着実に歩んでいるということができます。
 わが国の世界連邦運動は、19 4 8年8月6日広島の被爆3周年を期して「世界連邦建設同盟」(初代会長 尾崎行雄氏)が結成されたことにより本格化し、戦争や核兵器のない世界を確立するためには「地球益」と「人類の平和的共存」を志向する世界連邦政府の樹立以外にはありえないとの信念から全国的に展開されてきました。現在、国会においては世界連邦をわが国の国是とすべく、超党派で組織される世界連邦国会委員会が「世界連邦国会決議」の採択を実現させようとしています。今年は被爆60周年という大きな節目にあたりますが、平和文化都市広島で世界連邦日づ本大会が開催されることは、大変意義深いことと考えます。私たちは世界連邦運動が国際平和の確立と人類の福祉の増進に果たす役割の重大さを確信し、本大会における討議を踏まえ世界に向けて広島からの平和メッセージを発信することを誓うものであります。
2005年(平成17年)7月
第25回世界連邦日本大会実行委員会
2005/08/15のBlog
[ 09:48 ] [ 平和 世界連邦 ]
地球市民の集い実行委員長:四方八洲男綾部市長
戦後60年を経過、世界連邦を書き込んだ平和願求の国会決議採択のことなど・
平野正明綾部市市民憲章推進協議会会長
昨年演劇で上演し好評をいただいた「塔のある町」を映画化中のことなど・・

時ならぬ激しい俄雨が降り出し、ずぶ濡れになる中で進行した。(雨宿りの場所はなし)
ボ-イスカウトの皆さん
激励を受けるボ-イスカウト、ガ-ルスカウト代表。
平和の鐘(音叉)を点鐘される木下芳信綾部市議会議長
大戦の犠牲者を偲び、世界の恒久平和を祈念して一同が黙祷を捧げる。
[ 09:20 ] [ 平和 世界連邦 ]
寺山の平和公園で7時から開催された。地球市民の集い実行委員会主催(綾部市、綾部市議会、世界連邦建設運動協会綾部支部、綾部市民憲章推進協議会、(社)綾部青年会議所の五団体)
国旗、市旗、世界連邦旗を掲揚のボ-イスカウトの皆さん。
ガ-ルスカウトの皆さん
ひるがえる国旗、市旗、世界連邦旗
世界連邦都市宣言(昭和25年10月14日決議)
綾部市は日本国憲法を貫く平和精神に基づいて、世界連邦建設の主旨を賛し全地球の人々と共に永久平和確立に邁進することを宣言する。
綾部市市民憲章を唱和する武田綾部青年会議所理事長
綾部市市民憲章
私たち綾部市民は、丹波の美しい山河と豊かな伝統をもつ、ふるさとを誇りとし、郷土愛に燃え、自然と人間が真に調和する新しい田園都市の実現を目指して、ここに市民憲章を定め、これを守り実行することを誓います。
綾部市市民憲章を唱和する120名の参加者
1.平和をねがい、祈りのあるまちにしよう。
1.自治を高め、心のつながりのあるまちにしよう。
1.教育をたいせつにし、文化のかおりまちにしよう。
1,環境をととのえ、健康のあふれるまちにしよう。
1.産業をおこし、豊かなくらしのあるまちにしよう。
1.計画を定め、輝かしいあしたをひらくまちにしよう。
2005/08/14のBlog
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新しいpc購入と、前の自作パソコンを収めるため、先日の大掃除に先立ち、一番狭い・安いパソコンラックを家具屋で購入、盆休みを利用して整理した。
パソコンラック下段に2本のタワ-型pcを並べて収納、間の隙間に4台のHDとル-タ-が入った。キ-ボ-ド台には1セット、古い分はタワ-の上に乗せておけるので、必要に応じて引っ張り出し、広いキ-ボ-ド卓で仕事が出来る。
モニタ-は17インチのブラウン管型と液晶型の2台が何とか乗った。
最上部にはプリンタ-を収納。電源がさすがに足らないので、別に専用タップを2基用意して元から切れる。
ノ-ト・パソコンは他に持ち出し使うので、横の机でも使用できる。
3台とも自分のブログを表示して写真を撮った。インタ-ネット接続はまだ1台分余裕が残った。(家内のpcは、「悦子のホ-ムペ-ジ」のISPがISDNなので、別のル-タ-を使用)
なんと古いAthron1.33Mnzの自作パソコンの起動が一番早い、ITセキュリテイ以外に余分なプログラムを殆どインスト-ルしていない為と思える。
2005/08/13のBlog
[ 11:31 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
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墓参り。お盆を前に人々が家族連れで、花を持って墓の掃除に訪れている。
六地蔵が並び、花や線香が供えられている。
無縁仏の墓石。我が家も父の代に於与岐から自宅のそばに墓を移した。
埋葬墓と戒名の掘られた墓石の並ぶ墓と別々の「両墓制」だった。その墓石をここに入れていただいてお祀りしている。こちらにも線香をお供えする。
参墓中の沢山の車が止まる駐車場から薬師堂が見える。
薬師堂の裏にある谷川に住む「サワガニ」、孫が採ってきた。
2005/08/12のBlog
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綾部九鬼藩との縁戚関係にある三田九鬼藩、文化財集蔵の先進地視察に行ったセンタ-の展示に「三田の空襲」があり、不足資料を「九鬼奔流:太平洋戦争と三田」
から参照させていただいたところ
次の文章がありました。
>大阪から縁故疎開していた或る女の子は、爆音に気付いて近くの工場内に逃げ込んだが、不運にも銃弾で胸を打ち抜かれた。・・また最上級の男子児童は頭を打ち抜かれて即死している。

私も小学校3年の時に大阪から縁故疎開してきて、何度も空襲警報下に自宅に走って帰ったので、この記事を読んで他人ごとではないと感じました。

さらにその記事を見られた、八王子在住の「ひなたぼっこ」様もまた、小学校3年生の縁故疎開児で、グラマンの機銃照射や大空襲にも遭ってらおられ、終戦前後の状況を細かに名文で、ほぼ毎日のブログに書かれています
http://www.doblog.com/weblog/myblog/29825

そして、私を含めた大勢の平和の尊さを願う人々との「コメント」交流が、「ひなたぼっこ様のブログ」を中心にできあがりました。これらを含めて読んでいただければ幸いです。
終戦記念日を前に戦争で亡くなられた多くの人のご冥福を祈ります。合掌。
今日の配付資料、毎日新聞?コピ-から
毎日 2005年7月3日(日)
発言席 「日本こそ中東和平の舞台」世界連邦宣言自治体全国協議会会長、京都府綾部市長:四方八洲男氏
 日本ほど中東和平の舞台にふさわしい所はない。一昨年夏、世界連邦都市宣言第一号の綾部市は「一滴の水を大河に-今こそ中東和平を!」という呼びかけを行い。イスラエルとパレスチナの爆撃やテロで父や親族を失った子供たち(14~18才)それぞれ7人ずつを綾部市-京都市-東京に招いた。
 憎しみのるつぼの中で壁を隔てた子供たち同士が交流することで共に語り、平和を誓ってほしいという願いを込めたプロジェクトであった。
イスラエル大使館、パレスチナ代表部、外務省、そして何より多くの市民の物心ともに熱いご支援をいただいた。
 首相官邸に出向いた子供たちを前に、小泉純一郎首相からは、「絶望は愚者の結論。勇気を!」という温かく力強い激励をいただいた。
 ◇イスラエルとパレスチナの旗を持った満場の綾部市民に向かって、イスラエルの少女があいさつした。「国へ帰ったら私は兵役につかねぱならない。しかし、戦争に勝利者はいない。双方に損失と死者をもたらすだけだ。平和を望む人々がいることを忘れないでほしい」
 ◇帰り着いたテルアビブ空港はイスラエルの管轄である。当然ながらイスラエルの子供たちはわずかな時間で荷物検査を終えた。しかしパレスチナの子供たちは、3時間もかかった。しかし、イスラエルの子供たちはパレスチナの子供たちの検査が終わるまで3時間もの間、じっと待ち続けた。そして手に手をとって家族の待つゲートに向かったという。
 ◇いつも白いチャドル(ベ-ル)をまとっていたパレスチナの少女のお母さんから電話があった。「娘は1年前に父親が殺されてから、とたんに話さなくなった。笑わなくなった。何とかせねばと悩んでいる時に綾部からの招待があった。思いきって参加させたが心配だった。しかし、その心配は思い過ごしだった。日本から帰ってきた娘は、イスラエルの子供と一緒にホームステイしたことや親切な日本人について楽しそうに話してくれた。人が変わったように明るくなった・・・」。お母さんの声は涙声だった。。
 このような情景からも明らかなように、イスラエルもパレスチナも日本に対する友情、日本に対する厚い信頼を抱いている。日本在住の双方の子供たちが同じ学校に通っているという事実もある。
 私が出会ったイスラエル人、パレスチナ人のすべてが「日本こそ中東和平の最高の舞台だ」と話している。時あたかも、小泉首相、町村信孝外相ともパレスチナヘの政府開発援助(ODA)の増額、アッパス議長の訪日の実現、シャロン首相の招請など次々と具体的な手を打ちつつある。
 中東和平を日本が積極的に働きかけ実現させることこそ、今起こっている日本に対する内外の危惧にに答え、平和への不動の姿勢を示すことになるのではないか。
 こうした国是を政府任せにするのではなく、。私たち地方自治体を含め草の根でしっかり支えなければならないと思う。
 一昨年の綾部プロジェクトは昨年、岡山市に引き継がれた。そして今年の夏は、徳島市で開催される。イスラエルとパレスチナの子供たちが共に阿波踊りの輪に入るのだ。
(毎週日曜日に掲載)
綾部世界連邦運動協会理事会があり、席上、鹿子木会長(写真右端)より、今国会において下記の国会決議成立の報告があった。
世界連邦運動の同志の皆様へ 国会決議成立のご報告
 拝啓、盛夏の候、皆様にはますますご清祥のことと、お喜び申し上げます。かねてから取り組んで参りました「世界連邦に関する国会決議」が、本日、同封しました文面をもって、8月2目の衆議院本会議において、成立致しましたことをご報告します。
 本決議は、衆議院議長の意向もあり、私どもによる“国連60周年にあたり国連改革および世界連邦の理想実現に関する決議案”ど原爆60周年にあたっての決議案”ど国連改革に関する決議案”の3つの決議案を議院運営委員会が1つにまとめ、本会議に提出するに至った次第であります。
 これもひとえに皆様方の永年にわたる活動とご支援による賜であり、今後政府が世界連邦実現を国是とするよう引き続き運動を展開して参りますので、何卒ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

「国連創設及びわが国の終戦・被爆60周年に当たり更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」
 国際平和の実現は世界人類の悲願であるにもかかわらず、地球上に戦争等による惨禍が絶えない。戦争やテロリズム、飢餓や疾病、地球環境の破壊等による人命の喪失が続き、核兵器等の大量破談兵器の拡散も懸念される。

このような国際社会の現実の中で、本院は国際連合が創設以来六十年にわたり、国際平和の維持と創造のために発揮した叡智と努力に深く敬意を表する。
 われわれは、ここに十年前の「歴史を教訓に平和の決意を新たにする決議」を想起し、わが国の過去の一時期の行為が他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧げるものである。

 政府は、目本国憲法の掲げる恒久平和の理念のもと、唯一の被爆国として、世界のすべての人々と手を携え、核兵器等の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探究など、持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。
 右、決議する。 平成十七年八月二目
2005/08/11のBlog
[ 08:49 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
千葉から孫が、夏休みでやってきた。着くと家にも入らず、上のお寺の境内で蟹取りをしていたが、二日目は父親と徳島までドライブして、野営(車中泊)し川遊び、獲物を持って帰ってきた。
手長エビと水中の虫状のいきもの。
エビと魚
大きなドロガメ
石も拾ってきた。
母親の娘は、遅れて電車で13日に帰省する。綾部在住の孫たちも泊まりに来て、我が家は加熱状態となる。